第2話
二人の調書は2時間に及び、解放されたのは、朝の4時半だった。
疲れきっていた高柳と上岡は、警察署から一言も喋らないまま帰宅した。
そんな静寂した空気を破ったのは上岡だった。
「未だに信じられないけど、現実に起きた事なんだな…」
「ああ…上岡、変な事に巻き込んでしまって、悪かったな」
「いいよ、いいよ。もう忘れようぜ」 「あぁ、そうだな…」
高柳は、何か思い詰めた様子で遠くを見つめていた。
「お前、大丈夫か?」
「ああ、うん…」
「そうか?じゃ俺は帰って寝るけど、お前もシャワー浴びて寝た方がいいぞ」
「いや、俺はシャワー浴びたら大学に行くよ」
「こんな時くらい休めよ。倒れても知らないぞ」
「1日オールしたくらいじゃ倒れたりしないから大丈夫だよ」
と、言いながら、弱々しく笑顔をみせた。
「お前がそういうなら、止めはしないけど、飯はちゃんと食えよ」
「うん、ありがとう」
「じゃまた明日な」
と、言って、上岡は帰っていった。
また静寂に包まれた部屋で、茫然と座り込んだまま、黒い画面のテレビに映った自分を見つめて「俺のせいじゃない…」と、呟いた。
そして俯いたまま、暫く動けずにいた。
何も考えられず頭の中が真っ白になっていた高柳は、いつの間に睡魔に襲われて意識を失くしていた。
すると時計のアラームが、けたたましく鳴り響いて、高柳を叩き起こす。
不意のアラーム音で、高柳の脈が一気に上がり、見開いた瞳は真っ赤に充血していた。
「びっくりした…」
と、声に出しながら、ゆっくり立ち上がる。そして、ベッドルームに向かってアラームを止めると、その足で、シャワーを浴びに行った。
暦の上では秋とはいえ、9月半ばでも残暑が厳しく、たくさん汗をかいていた。
熱いシャワーを浴びて、さっぱりすると、自然と気分が晴れていった。
そして、いつも通り仕度をして大学に向かった。
鉢状の講義室で1限目の授業が始まる。
だが、どうしても昨夜の出来事を思い出してしまい授業に身が入ない。そして2限目が始まると、高柳の目蓋が重くなり、船を漕ぎ始めて何時しか深い眠りについた。
「高柳くん、起きて。高柳くん、起きないと、先生に怒られちゃうよ」
と、隣に座っている女性が、声をかける。
聞き覚えのある声で、目を覚ました。
「はぁ…寝ちゃってた」
高柳は女性に御礼を言おうと振り向くと、
にこやかに佇んでいる鹿島もえの姿があった。
「はっあ!えぇぇ!!」
驚きと共に椅子から滑り落ちた。
痛みで目を覚ました高柳は、キョロキョロともえの姿を探す。
授業を終えた生徒たちは、そんな高柳を変な目で見下ろしながら、昼休みに入っていく。
「高柳くん、大丈夫?」
と、同性愛者のヤスが声をかけた。
高柳は、打った尻を擦りながら立ち上がる。
「ちょっと、寝ぼけて椅子から落ちただけだよ」
「へぇー、君が授業中に寝るなんって珍しいね。夜更かしでもしたの?」
答えにくい質問を投げかれられ、無視をして立ち去ろうとするが、ヤスに止められた。
「ちょっと、待ってよ。なんで無視するの?」
「なに?俺に何か用?」
「今日、上岡くん、休んでるみたいだから、メールしてみたんだけど、返信がないんだよね。高柳くんなら、何か知っているかと思って」と、言いながら、何かを探るような目で見ている。
いつもと違う振る舞いに、上岡に振られた件の事か…と勘づくと「いや、何も知らない。普通に寝坊して休んだだけじゃねーの。俺、今日はもう帰るから、じゃあな」と、言って、講義室を出ていった。
食堂に向かう学生の波に逆らって、校舎を出ると、太陽の強い日差しに当てられて、ふわっと立ち眩み起こした。
(ちょっとヤバイな…どっかで休むか…)
家まで帰る体力が持たないと思い、帰宅途中にある喫茶店で、休む事にした。
雲の上を歩いているような足取りで、やっと喫茶店に入店すると「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」と、若いマスターが珈琲を引きながら高柳を出迎えた。
昼時でも客が2人しかいない、この喫茶店が高柳のお気に入りだった。
壁を背にして、いつもの席に腰を下ろすと、深いため息をついた。
「こんな時間に珍しいですね」
と、氷水を差し出す。
「えぇ、まあ…」
「今日のAランチはオムレツとほうれん草のホットサンド、Bランチはナポリタンです」
「じゃAランチで。先にアイスコーヒーを、お願いします」
「かしこまりました」
喉が渇いていた高柳は、氷水を半分ほど飲み干した。
マスターがアイスコーヒーを持ってくると、
何も入れずに、ストローを挿してアイスコーヒーを飲む。すると現実に戻った来た感じがしてホッと落ち着いた。
高柳は、ホットサンドがくるまで、遊歩道の奥に見える隅田川を眺めながら、上岡の事を考えていた。
(あいつ、ちゃんと寝れてるかな?俺みたいに変な夢を見てないといい……ん?)
隅田川の水面に、細長くて黒い物が浮かんでいた。
(鳥にしては、大きいよな…なんだ?)
目を細めて観察していると、マスターがホットサンドを持って来た。
窓に張り付いて、外を見ている高柳に「何かいるんですか?」と、言いながら一緒に外を眺めた。
「隅田川の真ん中に、黒い物が浮いているんですよ。マスターは何だと思います?」
「どこですか?」
「この真っ直ぐ先に、細長い物が浮いているじゃないですか?鳥にしては大きいし…」
と、言いながら、指で場所を教えた。
だが、マスターは首を傾げながら「細長い物ですか?んー見当たらないな」と、言った。
「えっ、あんな大きいのに?冗談ですよね?」と、言って、マスターの方を振り向くと、真剣な顔で探していた。
マスターの表情で、冗談じゃない事が分かり、不安な気持ちになる。そしてもう一度、黒い物を確認しようとしたら、窓ガラス一面に、微笑んだもえの姿が現れた。
「うわああああ!!!」
高柳は恐怖のあまり、のけ反って、マスターに、しがみ付いた。
「どっどうしたんですか!」
「あ、あっあれ…顔、顔が」と、震える手で、窓ガラスを指す。
「顔?顔がどうしたの?大丈夫?」
マスターの落ち着いた反応に、恐る恐る顔を上げて、窓ガラスを見ると、普段と変わらない景色が広がっていた。そして店内を見渡しても、もえの姿はなかった。
「すみません。帰ります」
高柳は急いで会計を済ませると、逃げるように店を出ていった。
(今のはなんだよ!何かの反射にしては、説明がつかない。やっぱり、もえの幽霊…か…)
考えれば考えるほど、血の気が引いていく。
そして帰巣本能だけで、家にたどり着いた。
鍵を回して、扉を開けた瞬間、冷たい冷気が高柳の足元を通り抜けた。
「寒っ!次は、なんだよ…」
恐怖で数秒間、体が固まる。
だが、意を決して部屋に入った。
すると、エアコンが部屋中を冷やしていた。
「あれ?朝、冷房付けてたっけ?」
と、考えながらも、リモコンで電源を消そうとした。
「えっ、18度!!なんだよこれ!」
いくら残暑が厳しいとはいえ、秋に18度設定にしたことがない高柳は《もえ(幽霊)の仕業だ》と確信した。
不眠と疲労から、次第に苛立ち始める。
「ふざけやがって……おい!いい加減にしろよ!俺を恨むのは、お門違いだからな!お前を殺したのは居眠り運転の野郎だろう!恨むなら、そっちに化けて出ろ!二度と俺の前に姿を現すんじゃねーぞ!」
高柳は何処にいるかも分からない、もえに怒鳴り付けた。
それでも怒りが収まらず、上岡が置いていったスコッチ(ジョニーウォーカーブルー)を手に取ると、大きめのグラスにスコッチを、注ぎ入れて、一気に飲んだ。
空きっ腹の体にスコッチが入った事によって、喉から胃にかけて燃えるように熱くなり、今にも口から火を吹きそうなくらい熱い吐息を吐いた。そして、もう一杯、注ぎ入れると、それも一気に飲み干した。
「ふぅー、もう、ふわふわしてきたな…」
高柳は、ふらふらと、ベッドルームに向かった。そして倒れるように横になると、そのまま眠りについた。
暫くすると、玄関の鍵が解錠される音で、高柳は目を覚ます。
「えっ…」
誰が入ってくる気配を感じるが、高柳の体は何かに絡まって起き上がれない。
「ん…うぅ…」
手足を動かしてもがいても、絡まっている物が取れない。
そうこうしている間にも、得たいの知れない物が、ズル・ズルと不気味な音を立てて侵入してくる。
「ヤバイ!逃げないと!」
高柳は必死になって、腕を振り解いた。すると、絡まっていたものが、ゴロゴロと転げ落ちた。
高柳は首を起こして、落ちた物を確認すると、それはヤスの屍だった。
「?!」
ベッドだと思っていた物は、親・友人・バイト先の仲間たちの無惨な死体の山だった。
「うあああああああ!!!」
暴れながら自分に絡まった屍の手足、大腸や頭などを振り解くと、転げ落ちるように死体の山から脱出した。
無我夢中で部屋の扉を開けると、目の前に上岡が立っていた。
「上岡!早く逃げろ!」
高柳は、上岡の腕を掴んで一緒に逃げようした。だが、上岡の腕はプラモデルのように、ポロっと取れた。
「うわあああああ!!」
発狂しながら、玄関に向かって逃げた。
すると玄関で待っていたのは、足がくの字に曲がり、腸やあばら骨が飛び出し、眼鏡のレンズが眼球に刺さって潰れている、もえだった。
「いたいよ…いたいよ…にがさないから…」
恐ろしい姿のもえを見て、高柳は失神した。
だが屍になった上岡とヤスが蛇のように、くねくねと地を這って向かってくると、高柳の足に噛みついた。高柳は、その痛みで意識を取り戻した。
「いっしょに…いこう…」
もえは、自分の髪の毛を束で毟ると、高柳の口の中に突っ込む。
ブゥッバァッ
「やめろ!やめて…くれ…」
一度は吐き出すことが出来たが、どんどん毛が口に入ってくる。
もがき苦しむ高柳を見下ろしながら「もう少し…もう少し…」と、にこやかに細い髪の束を高柳の口に入れていった。
高柳は、だんだん抵抗する力がなくなると、そのまま息を引き取った。
苦しさと激しい咳き込みで、高柳は目を覚ました。
頭が割れそうな痛みと、吐き気に襲われて、左側のトイレに駆け込んだ。
そして胃が引っくり返るほど酒を吐いた。
が、酒の他にも口から吐き出た物を見て顔面蒼白になった。
「毛…だま…!!」
それは人間の髪の毛だった。
高柳は目を背けながら急いで流すと、何度もうがいをした。
しかし、細い髪の毛が、歯と歯の間に挟まって、なかなか取れない。
指を使って、涙目になりながら、全ての髪の毛を取り除くと、放心状態で、トイレから脱出した。
「……えっ…今、ここからトイレに入った…よな……もしかして玄関で寝てたって事?」
あの出来事が、夢なのか現実なのか、訳が分からない恐怖で、鍵もかけずに家を飛び出した。
外はもう薄暗く、近くのコンビニの明かりが見えた。
高柳は、コンビニの明かりや帰宅する人たちを目の当たりにして、不思議と安心感が沸いた。
ポケットからスマホを取り出すと、上岡に電話をした。
「もしもし、どうした?」
と、ツーコールで上岡が出た。
「上岡…だよな?」
「は?何言ってんだ。酔ってるのか?」
「いや。上岡…助けてくれ…」
「えっ?どうしたんだよ」
「俺、今、近くのコンビニにいるんだけど、怖くて家に帰れないんだ…」
と、涙声で、助けを求めた。
「分かった!すぐに行くから、そこで待ってろ」
「うん…ありがとう…」
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