酒に願いを
葵染 理恵
第1話
「話ってなんだよ。あっ、先に言っとくけど、今、金ないからな」
「分かってるよ、お前は365日、金がないだろう」
「はあ?なんだよ。話があるから、今夜、泊まりにきてほしい。って言うから来てやったのに!」
「ごめんごめん。冗談だよ。来てくれて、マジ感謝してるよ」
高柳は、ご機嫌を取るように手を合わせた。
「で、話ってなんだよ」
「2週間前、馬場で合コンしただろう」
「ああ、いまいち盛り上がらなかったやつな。それがどうした?」
「実は、あの日の夜、鹿島もえから連絡があって、付き合って欲しい。って告られたんよ」
「マジで!もしかして、眼鏡の娘か?」
「そうそう」
「なんだよー。付き合ったなら報告しろよ。あの娘、お前の事、ずーと目で追ってたから、気があるんだろうな。とは思ってたけど、まさか付き合ってたなんてよー。で、もうやったのか?」
と、上岡は、にやた顔で訊いた。
「…たく、お前はすぐそれだよ」
「なんだよ、それが俺たち大学生の醍醐味だろー」
「まっ、たく違う。全然、意味が分からない」と、きっぱりと否定をしてから、話を戻した。
「そんな事はどうでもいい。問題はこれからだ。付き合い始めてから、もえの様子がおかしくなって、1日会えないだけで、ヒステリックに泣きじゃくるんだわ」
「うわー、メンヘラ女じゃん」
「そうなんだよ。勉強やバイトまで出来なくなるのは困るから、別れたいって言ったら、絶対、別れない!別れるくらいなら、一緒に死ぬ!って…」
「えぇー怖!けど、お前、殺されてないって事は、まだ付き合っているって事だよな?」
「いや、別れたよ……別れたけど、毎日、来るんだよ。夜中に」
「夜中?なんで夜中なんだよ…怖すぎるだろう…」
と、言いながら、鞄を手にした。
「おい!帰る気か?」
「いやー俺、お化けとか幽霊は苦手なんだよ」
「はっ?何、勘違いしてんだよ。もえは生きてるよ!あいつ、実家暮らしだから、夜中に抜け出して、俺の家にくるんだよ」
「なんだ、そういうことか…」
と、ほっとした様子で、高柳の肩にポンポンと手をおいた。
「じゃ幽霊じゃなくて、立派なストーカーだな。良かったな」
「良くねーよ。俺が怒鳴りつけても懲りずに来るから、警察に連絡するか迷ってるんだよ」
「連絡すればよくね?」
「男がストーカー被害に合ってます。って言っても素直に信じてくれるのか心配だし、警察沙汰になったら、俺の親も心配するだろうから、お前に【もうここには来るな!諦めて、違う男を探して、高柳の事は忘れろ!】って言って欲しいんだよ」
「なんで俺が…」
「あの合コン開いたのはお前だし、、、」と、言いながら、隠しておいた紙袋から長細い箱を取り出して、上岡に渡した。
「これで、頼むよ」
「おおおーー!!ジョーニーウォーカーブルー!!俺の愛するスコッチ!」
「な、頼むよー」
「しょうがないなー。こんな高級な酒を渡されたら断れねーよな」
と、言いつつ、軽やかな足取りでグラスを取りに向かった。
「お前も少し呑んでみろよ。甘くて呑みやすいぞ」
「俺はいいよ。ビール2杯で寝ちゃうくらい弱いから」
「そっか、じゃお前は何する?」
「俺はコーラでいい」
高柳は、冷蔵庫からコーラと、スモークサーモン、ミックスナッツを持って小さな楕円形のテーブルに広げた。
「つまみ足りるか?簡単な物なら作れるけど、どうする?」
「良い酒には、つまみはいらない。これで十分」
と、言いながら、トクトクトクと良い音をさせて、グラスにスコッチを注いだ。
「もえちゃんから無事に解放される事を願って、乾杯ー!」と、言って、スコッチを飲み干すと、高柳もコーラを一気に飲み干した。
始めのうちは、もえの話をしていたが、次第に、大学のマドンナの話やバイトの話などになって、普通の宅飲みになっていた。
「…でさ、俺が狙ってた美里ちゃんはヤスが好きで、ヤスは、俺の事が好きで、変な三角関係になっちまったんだよ」
「嘘だろう?!ヤスって…」
「うん、ゲイだった。性差別はしないけど、俺は根っからの女好きだから、丁重に断った」
「そうだな。天地がひっくり返っても、お前が男を好きなる事はないよなー」
「自分でもそう思う」
いつものように、二人で笑い合っていると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。
一瞬にして高柳と上岡の間に、緊張した空気が張りつめた。
「来た……」
「1時半か。本当に遅い時間に来るんだな」
ピンポーン
ピンポーン
「俺が出るまで鳴らし続けるんだよ」
ピンポーン・ピンポーン・ピンポーン
「迷惑な女だな。ガツンと言ってやる!」
「気を付けろよ」
上岡は「おう」と、軽く手を上げて、玄関に向かった。
ガチャンと解錠する音がすると、チャイムの音が鳴り止んだ。
ゆっくりと扉を開けると、眼鏡を掛けたもえが立っていた。
もえは眼鏡越しに上岡を覗き見るように睨み付けた。
「あんた誰?!彼はどこ!」
「もえちゃん、覚えてない?合コンをセッティングした上岡だよ」
「知らない!彼を出せ!」
「あのさ、あいつの事が好きなのは分かるけど、こんな時間に来られると迷惑だから止めてくれる?」
「彼を出せ、彼を出せ、彼を出せ」
もえは、壊れたテープの用に同じ言葉を繰り返して、上岡の話を訊こうとしない。
「おい!いい加減にしろよ!迷惑なんだよ!お前は振られたんだから、諦めて違う男を見つけろ!もう帰れ!二度と来るな!」
上岡の言葉で、もえの怒りが頂点に達して、眼球が真っ赤に染まっていった。
「彼を出せ!邪魔をするなら、お前も殺す!」
後ろに隠していた果物ナイフを、上岡に向かって振り上げた。
だが、上岡は咄嗟に、腹部を押し蹴りして、もえが倒れたすきに、扉を閉めて施錠した。
ドンドンドンドン!
「開けろ!あけろ!あーけーろ!」
ドンドンドンドン!
ドンドンドンドン!
「高柳!警察だ!警察に電話しろ!あの女、包丁で襲ってきた」
「わっわかった!」
震える手で、110番を押そうとした時だった。知らない番号から電話が掛かってきた。高柳は、電話を切ろうとしたが、慌てて通話を押してしまった。
「もしもし戸塚警察ですが、高柳るいさんでしょうか?もしもし、訊こえますか?」
高柳は、口を半開きのまま、上岡を見つめて「警察…」と、一言、伝えた。
「警察?なら早く来てもらえよ!」
「あぁ、そっそうだな……もしもし…」
と、半信半疑のまま応答した。
「こちら戸塚警察です。高柳るいさんの携帯電話でよろしいですか?」
「はい…あ、あの、早く来て下さい!家の前で包丁持った女が【殺してやる!】って叫んでいます。早く捕まえてください」
「分かりました!住所を教えて下さい。すぐに向かいます」
高柳が住所を伝えている横で、外が静かになっている事が気になり、上岡は息を殺しながら、ゆっくりと玄関に向かった。
静かに耳を澄ましてみるが、人の気配が感じない。上岡は恐る恐るドアスコープで玄関の外を覗いた。
「…いない。どこに行った…」
湾曲した外廊下を隅々まで探したが、もえの姿はなかった。
上岡は安堵した様子で、高柳の元に戻った。
「あの女いなくなったみたいだぞ。警察の方は?」
「すぐに来るって…」
「そっか…」
高柳と上岡は放心状態で座っていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
チャイムの音で二人の心臓が飛び上がった。
「警察だよな…」
と、上岡は確かめるように問う。
「警察じゃなきゃ困るよ…」
高柳は、力なく立ち上がると玄関に向かって、ドアスコープで確認した。
「上岡、警察だよ」
と、リビングで動けないで座っている上岡に声をかけると、玄関を開けた。
すると藍色の帽子を被った警察官2名立っている。
「戸塚警察です。高柳るいさんですか?」
「はい…」
「大丈夫ですか?何があったのかお話をお聞かせ願います」
「…はい」
高柳は、ストーカーの件やこれまで起きた出来事を説明して、犯人の元カノの名前を出した。すると警察官は困惑した顔で、顔を見合わせた。
「あの、もう一度、女性のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「鹿島もえです」
「失礼ですが、本当に深夜1時半に、こちらに来たんですか?」
「本当です!証人もいます。上岡、ちょっとこっちに来てくれ」
高柳に呼ばれて、たどたどしくやってきた。
「あいつが来た時間を言ってくれよ」
「1時半です」
「ほら、言ったじゃないですか」
警察官は、何か言いにくそうに伝え始めた。
「実は先程、高柳さんにお電話したのは、安否確認の為に電話をかけさせてもらいました」
「安否確認?どういうことですか?」
「深夜0時25分に、居眠り運転のトラックに轢かれて即死した女性がいました。その方の名前が鹿島もえさんです」
「えっ!」
「えっ!?」
今度は、高柳と上岡が困惑した顔で、見合わせた。
「その女性のポケットから果物ナイフが出て来たので、ただ事ではないと判断し、鹿島もえさんの携帯の履歴を見てみると、高柳るいさんの名前しかありませんでした。なので高柳さんが事件に巻き込まれているのではないかと…」
「嘘だろう…そんなはずはないよ。包丁を振り上げた時、俺は、あの女を蹴り倒したんだよ!その感触もしっかりあった!」
「俺も、あいつの声を訊いてます!」
必死に訴えかける二人を見て、警察官は、何かを察した。
「お二人の話を疑ってはいませんよ。私たちもこういう仕事をしていると、時に説明のつかない出来事に遭遇することがあります。そういう時は、ありのまま報告します。ので、これから戸塚警察署で調書を取らせて頂きます。よろしいですか?」
「…はい、分かりました」
「ありがとうございます。では、下で待っていますので、準備が出来次第、降りてきて下さい」と、言って、警察官は先に降りていった。
「なあ上岡…スコッチ1杯、もらって良いか…」
「あぁ…俺も呑む…」
高柳と上岡は夢遊病のように、フラフラとリビングに向かった。
そして、グラスにスコッチを注いで、勢いよく飲み干した。
「はあーー、俺、女が怖くなったわ…当分、彼女はいらね…」
「おい、根っからの女好きが、そんな事、言うなよ…本当に天地がひっくり返ったら、どうするんだよ」
「ジョーニーウォーカーブルーを抱いて眠る」
「なんだよそれ、意味わからねよー」
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