人を好きになるって?

 長かろうが、短かろうが、どんなことが前日に起ころうが。朝はやってきます。何度も、何度も繰り返す、毎日。リセットにも、そして何よりデリートにも丁度よしです。

「まぁ、寝ない私達がいうのも説得力にかけますが」

「お前って本当に立ち直り早いな」

 褒めても何も出ませんよ。

「良く考えて見たらちゃんと目標地点に着地してくれたのです。それだけで私は満足なのです」

「散々昨日の晩、完全に意気消沈している男に『この男は、神の苦労を何だと思って!』とか言って、今にも飛びつきそうなぐらいに荒れ狂っていた奴のセリフか」

 まるで酒に酔っ払ったおっさんみたいにと付け加えられて、私の乙女心はズタズタです。

「わ、私のことはどうでもいいのです。それよりも問題はビスのことです。ビスコのことです!」

「それはお菓子のメーカーの事か?それともビスの女性バージョンのことか?」

「さぁ、ビスが出かけますよ。行きましょう!」

 そう言って私が『上手く』誤魔化しましてやりましたので、ジョバンニがそれ以上追及してくることはありませんでした。

 10分ぐらい経ったでしょうか。一体どんな道を選べばこんな有様になるのかっていうぐらいにビスはボロボロでした。

 ドブにはまり、車に水をひっかけられて、壁に激突して、鳥に糞を投擲されて。

 しかし、びしょ濡れになろうと、泥まみれになろうと、鼻から血が出ようとビスは気にせず、フラフラとおぼつかない足取りでまるでゾンビのようにうろついていました。

 近所の人の挨拶も無視して。

「マイナス1ポイント」

 道を横切っても。

「マイナス1ポイント」

 道を譲ろうとも。

「マイナス1ポイント」

「お前もしっかりしろよ!」

 ジョバンニの突っ込みもあまり気にならないぐらいに、今のビスは見ていて痛々しいです。まぁ、当然と言えば当然なのですが。改めて思います。

「本当にうちのご主人って一途なんだよね」

 意志が弱く、普段は優柔不断なのですが、ことジュリエッタのことに関することとなると、夜も眠れないぐらいに考え込み、いつまでも小学校の初恋を引きずっている。

 それでも学校に登校するのはビスが真面目だからか、それとももしかしたら今のビスなら自分がどこに向かっているかもわからずに、ただルーチンワークのように学校に向かっているだけのロボットかもしれません。

 学校に着く頃には皆が目を見張るぐらいにビスの有様はひどく当然、昇降口のところで。

「森。お前、ちょっと来い!」

 と保健の先生に連行されるぐらいでしたが、その間もビスは終始無言でした。

「お前はサバイバルにでも行ってきたのか?

どういう登校方法を取ったら、そんな山道の中を駆けずりまわったぐらいにボロボロになるんだ」

 呆れるように先生はジャージで裸足のビスの頬の傷を消毒しています。

 しかし、当のビスは全くそのことが聞こえてないご様子で先生が目を合わしてもその目には全く光が見出せませんでした。

「人の話を聞かないまいな」

「これは別に悪行じゃない」

 ぼそりとインカムから聞こえたその声に私はそのページを握りしめてぐしゃぐしゃにしました。痛いです。心が痛いです。

 治療を終えても意気消沈しているビスに。

「また、馬渡目の事か?」

 と、言ったら一瞬ビクリと体を動かしたので、先生は溜め息をついて。

「お前の世界は本当に馬渡目だけだなと」と苦笑する。

「……先生。僕は彼女の為に何が出来ますか?」

 と真剣に聞いたのですが、先生はその質問に対して、

「知るわけがないだろう」

 と呆気らかんに答えました。

 先生は椅子をクルリと回して、机に向かい何かの資料に記入しながら。

「俺は馬渡目じゃない。中年のおっさんに女子高生の気持ちなんてわかったら、それこそ気持ち悪い。

 ただ、あまり考え過ぎるなよ。普段頭使わないせいか、考え始めたら根を詰め過ぎるところがあるからなお前」

 そうとだけ言われた瞬間に予鈴が鳴り、保健の先生に背中を叩かれた。

「ほら、行ってこい。怪我しない限り、いつでもきていいから!」

 それは本末転倒なのでは。

 ビスはゆっくり立ち上がり、保健室を後にした。


「おい、ちゃんと記録しろよ!」

 ジョバンニそう言われても私は授業をうわの空のビスを糾弾することが中々出来ませんでした。なにせビスに追い打ちをかけるように、ジュリエッタの席は空席なのですから。

 一応担任の先生の話しによると体調不良ということなのですが、とてもビスにはそう思いませんでした。

 もちろん誰も気にしません。ジュリエッタが休む事なんて日常茶飯事なのです。たとえジュリエッタの命の燈火が後少しで消え失せようとも。

 何度も注意されて、怒られて、それでもビスは一環として、その表情や心に変動はなく常に一定でした。まるで潰れたおもちゃのように。

「お前が望んだ結果がこれじゃないのか?」

 そうジョバンニに言われて、私は目を見開きました。

 確かに、これは私がビスに望んだことです。遅かれ早かれ気付かせようとしていたことです。でも、それでも。

「心が痛いです」

 そうぼそりとつぶやいた私にジョバンニはただ。

「仕事をしろ。仕事に支障が出ないことが、俺がお前を自由にさした条件だ」

 そう言われて、私はゆっくりと雑記帳に記録を始めました。俱生神との仕事を全うする為に。

 昼休みになっても、ビスの心は体にはないように意気消沈していて、いつものように動きださず、ただ机に突っ伏していました。

「ジョバンニこのままじゃ、ビスが死んじゃう!」

「一食、いや二食抜いたぐらいじゃ人が死ぬか!」

「でも、こんなこと繰り返していたら、いつか……」

 思わず言葉が詰まります。

 そうだ。これは私が仕向けたこと。

 でも、それを聞いたビスの心境とか反応とかをまるで考えていなかったし、ここからどうやるのか、何も考えていなかった。

 返事のないことから、私の心境を察して、ジョバンニは深い溜息をついて。

「とりあえず休憩行ってこい」と言って、私をビスから遠ざけた。

 とはいうもののこんな気分じゃ当然ながらマンガを読む気にもなれなくて、あてもなく彷徨っていた時。

「また辛気臭い顔をして」

 突然現れたリタに話しかけられました。

「……なんで、リタがここに?」

 ジュリエッタは今家のはずなのに。

「休憩時間にどこにいようと私の勝手でしょう。それに私、あなたと違って、優秀だから」

 個体差鬱陶しい、と思えるぐらいにリタは立派な胸に手を当てて、勝者の笑みを浮かべています。

「で、今度は何に悩んでるの?」

 呆れたようなその口調にリタはあからさまに大きな息を吐いて。

「もぅ、勘弁してよ。そろそろ私達お別れなのよ。こんな辛気臭い顔されると迷惑よ!だから、さっさと言え」

 そう催促するリタだが、それでも言葉が出ない。何を相談したらいいのかもわからない。でも、このままじゃ許してくれそうにもないし。

「……リタはさ」

「うん?」

「望んでいたことが叶ったけど、それは予想していたものとは全然違うものだったことない?」

「いっぱいある。というか予想通りことの方なんてほとんどないでしょう」

 だよね。予想通りのマンガなんて面白くないだけだし。

「そういう時どうする?」

「そういうものだと納得する」

「……納得出来なかったら」

「じゃあ、理想を高く持ち過ぎた自分を恨むのね」

「別に理想を高くもったつもりは」

「理想を高くもったから、そうなったんでしょう。頭の中では上手く行ったんでしょう」

「う、うん」

「それを理想が高いというのよ。良い、世の中に思い通りにいかないことなんてごまんとあるけど、それに対する対処法は二つしかないの。

考え続けるか、諦めるかの。

もし、その理想を追いかけたというのなら考え続けることね」

 まぁ、そんな夢追い人みたいな真似私は絶対しないから。と付け足してリタはどっかに行ってしまった。

 リタが去った後も私はしばらくその場から動けないでいました。

 飛んでいるので、どっちかというとホバリング状態ですけど。

 


 ビスがジュリエッタの死を知ってから、数日が過ぎた。食べる量は極端に減り、睡眠時間も短くなり、見ていたら痛々しいという言葉しか出てこないほどだった。普段ゾンビなのに、更に磨きがかかってる。

それでも何も出来ないことが歯がゆくて、私とジョバンニの口数も極端に減った。

 それでもビスは学校に行った。理由はジュリエッタに逢うためだろう。でも、その期待を裏切るかの如く、彼女はあの日、公園で話して以来学校には来ていない。

 もぅ、本当にどうなるかも、どうすべきなのかもわからないで、今日も何事もなかったように昼休み何も食べずにビスが机に突っ伏していた時でした。

「馬渡目死んじゃったんじゃないっすか」

 その言葉に私は思わずキリっと鋭い目つきでそちらを向きました。

 それはキエフの取り巻きの一人で廊下側の席でキエフともう一人の取り巻きの三人で行儀の悪い姿でパンを齧っていました。

「……」

「こら、何をしようとしている」

 動き出そうとした私の肩をジョバンニが止めました。普通なら、言いわけの一つでも言うところですが、私は必死でこらえました。これからもビスをずっと見守って行きたいその一心で。

 その時でした。ガラリと椅子の引いた音が聞こえて、思わず後方を振り返るとそこには立ち上がったビスがいました。その様子に雑音だらけの教室では誰も気づきません。

 しかしビスの足はフラフラと力ないのですが、それでも前に進みそして、その取り巻きの一人の前に立ちました。

「はぁ、なんだお前」

 突然現れたビスの姿を怪訝そうな姿で見上げる取り巻き。

「て、ていせいしろ」

「はぁ?」

 今にも消え入りそうなこえで、そうつぶやいたと思ったら。

「訂正しろ!そんなことを言うな!」

 突然叫んだ教室のもやしっ子の発言に皆が注目します。

 取り巻きも最初は目の前の男の突然の振る舞いにわけがわからなかったのか、それとも何に対して言われているのかわからなかったのか、しばらく呆けていましたが、やがてあざ笑いながら。

「何、お前、ナイト様気取り。あんな陰気な女の。まぁ、でもお似合いかもしれないな。暗い者同士。でも」

 そう言いながら男は立ち上がり、そして躊躇なく、ビスの顔を殴りつけました。気弱なその体は後方の机を巻き込みながら、大仰な音を立てながら倒れました。突然起こった教室の出来事に女生徒の悲鳴が響く。

 突然のことに驚くもの。口を塞ぐもの。しかし誰もがビスに駆け寄ることはしません。キエフは黙って腕組みをして、その様子を傍観しています。

 取り巻きが倒れているビスを見下しながら。

「人に対する立ち振る舞いはよく覚えとけよ~お前のような奴が口を聞いて良い人間と悪い人間がいるんだよ。ましてやはにかむとかお前、何様のつもりだよ」

 お前が何様だよ。お前とビスの違いって、なんなのですか。

 歯軋りをしながら、男を睨む私の横を次の瞬間、疾風のように駆け抜けて、そしてビスはその男の頬に拳を振り降ろしました。いくら力が無くてもスピードのあるビスの拳は結構な威力を持っていて、男は壁に叩きつけられて、そのまま沈み込みました。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 息を切らしながら、俯いているビスに私は思わず見とれてしまいました。

「何、見とれているんだ。仕事しろ」

 ジョバンニの声に我に戻って、雑記帳を手にします。でも。

「これは悪行じゃないよ」

「どんな理由があっても人を殴った」

「そ、そうだけど」

「俺はしっかり記録しているぞ」

「……え?」

 ここに善行なんて一つもないような。

 その時ふと、思いました。そうだビスが立ち上がるのは自分の為じゃない。

「ジョバンニ!」

 私は思わず感嘆の声を漏らした次の瞬間でした。

「がはっ」

 ビスがうめき声をあげてその場に倒れました。殴ったのは取り巻きではなくキエフでした。キエフがビスの腹部に拳をめり込んだからです。

 ビスの体はその場に沈み込んで、何度も何度も咳き込む。

 次から次へと起こる出来事にただ、教室の中の人は皆傍観者です。

「連れてこい」

 と言って取り巻き二人にキエフが命令して、抵抗のできないまま連れ去って行くビスをただ傍観しているだけです。当然です。リスクを犯してまで、人を救おうとする人なんていないことは人ではない私でもわかることでした。むしろ長いこと人間を見ていた私の方がよくわかる。

「行くぞ」

「……」

 連れ去られるビスについて行こうとするジョバンニでしたが、私はその場に立ちつくし、もといその場で飛びつくしていました。そして絞り出すような声で。

「行かない。行ったところでどうせ私達は傍観しているだけなのでしょう?だったら言っても一緒だよ。そんな状況じゃ、ビスが悪行をするとも思えないし」

「……逃げるのか?」

 俯く私にジョバンニはそう投げかけましたが、私は何も返せません。

「お前、ご主人様のことずっと見守っとくじゃなかったのかよ。それは嫌な事から目を背けて、良い時だけ見ているってことなのか?」

「でも、何も出来ずに」

「本当にご主人が、何も出来ないと思っているのか?」

「……」

 ジョバンニは私の目の前まで飛んできて、そして私の頬をまるで挟むように両手で掴んだ。

「いいか!確かに俱生神は何も出来ないし、何もやってはいけない。

 でも、俺は埃を持って言える。ご主人のことを一番知っているのはお前だということを」

「……わしゃしがビスの事を?」

「そうだ!悪行を記録しながら見守る。それって、ご主人の醜い所も悪い所もじっと見ているってことだ。それって、ご主人のことを一番知っているってことになるんじゃないのか?悪行って人が一番、人に見られたくないこと。それをお前はずっと記録しているのだろう?だから、お前が一番知っているのではないのか?

 こんな時、ご主人ならどうするかって?」

 強い瞳で真っ直ぐ見つめられて、私の目はすっと見開き。私はすぐ様その手から離れて、そして一目散にビスの元に全力疾走で飛翔しました。

 どこに連れ去られたのかは、私達ならわかります。

 なんともわかりやすい場所です。

 体育館裏に辿り着くとやはりビスは袋叩きに合っていました。

 取り巻き二人が殴りつけて、キエフがその様子を傍観していました。しかし、ビスはいくら殴られてもボロボロになっても、一環として主張を続けます

「あ、あやまれ、ま、まだらめさんに、あやまれ」

 消え入りそうな声でどの人にも聞こえない声も私には聞こえています。だからお願いあなたは馬鹿で単純なのだから、その気持ちだけは折らないで。

 そう願いつつ、私は目を皿にして見続けました。もぅ、一挙手一党も見逃しません。例え殴られてもボロボロになっても必死で御姫様への謝罪を求め続けるよわっちい勇者を。

「なにしているの?」

 突如聞こえたその声に皆がそちらを向きます。そこには一人の女子生徒が立っていました。

 長い髪をたなびかせてスタイルの良い体でスラリと伸びた足で仁王立ちしているその女性には見覚えがあります。

「ジョバンニ確か、この人って」

「寿アイさん。ご主人のクラスの委員長だ」

「流石、ジョバンニ。女生徒の名前は全てわかると」

「変な言い回しをするな。俱生神たるものご主人様の周りの人の名前は憶えていて当然だ」

 私はビスのお母さんの名前もわかりません。

 そんな彼女の登場に全ての人が目を見開き、中でも一番驚いているのがキエフです。

「あ、アイ」

 こんな動揺したキエフは見たことがないぐらいに、その表情は固まっていました。

 寿さんはキエフを整った顔つきながらもその中の一つのパーツを鋭く尖らせて、キエフを睨みつけます。

「何をしているのかって、聞いているの」

 その問いかけにキエフはゆっくり後退して、脱走しました。取り巻き二人もその後を慌てて追いかけました。

「キエフを気迫だけで追い払った」

 凄い。この人何者ですか。

 寿さんはビスにゆっくり、近づいて倒れたビスの前にしゃがみこんだところでその顔を破顔して。

「恰好良いね。森君!」

 目の前にうつる、女性の顔をようやく見上げて。

「あ、スカートの中は覗き込んでも無駄だよ。私、こんな防御力の低いもの一切信用してないから」

 その言葉にビスは顔を真っ赤にします。このスケベ男は。

 寿さんはゆっくりとビスの肩を抱いて、立ち上がらせました。

「軽いね。男の子なんだから、もっと食べなきゃ駄目だよ!」

 そう言って寿さんが歩き出したので、ビスもボロボロの足でその体を動かしました。

「あ、あの助けてくれて、ありがとう」

 しばらくしてようやくお礼の言葉を言ったビスに寿さんはニコリと笑って。

「なんの、なんの。あ、惚れちゃ駄目だよ。これは単なる人助けだから。君個人に対してそういう感情があって、助けたわけじゃないから」

 そう言ってからかう寿さんにビスはなんの反応もしめさずに。

「わかりました」

 あまりにも淡白なその返答に寿さんは「さすがにその反応は傷つくな~」

と、オーバーリアクションに落ち込んだので、ビスは驚いた。

「あ、あの僕なにか悪いことを」

「いや。本当に森君は馬渡目さんしか見てないんだと思って」

 思わず顔を真っ赤にするビス。

「あ、あのど、どうして」

「どうして知っているかって聞いているの?そんなの誰だってわかるよ。まぁ、一昨日に彼女を背負って全力疾走したっていうだけじゃ、良い人程度にしか見えなかったかもしれないけど」

 無我夢中に行った時のことを掘り起こされて顔をあげられず俯くビスに追い打ちをかけるように。

「でも、さっきの怒り方と、しょっちゅう授業中に彼女の席を見ている君を見たら一目瞭然。知っている?私の席って、あなたの隣なのよ」

「え、そうなんですか」

「更に傷つくな~私って結構可愛いって言われて、男子人気もあるのに」

 大仰に肩を落とす寿さん。

「私も知らなかった」

「ただ単に可愛い女の子を見られないだけだろう」

 なんのことでしょうか。

 とりあえず、渾名決めないと。

「しかし、ごめんね。私の彼氏が。さっきの教室のこと友達で聞いた」

 その言葉に目を見開く私とビス。

「か、かれしって?」

「うん、豪打安蘭は私の彼氏だよ」

 一拍置いて。

「ありがとうね。アッ君がお世話になりました」

「いや、その、え~と」

 本当に全く持って、これっぽちも身に覚えのないことに困惑するビス。

 謝るならわかるけど、お礼を言われる筋合いはこれっぽっちもないような。というか、どうしたらあのアホ男がこんな完璧美少女と。

「何年経っても世の中はわからないことだらけだね」

「とりあえず、お前はいろんな方面に謝れ」

 正直者の私が正直な感想を述べただけなのに。

「アッ君はね。退屈していたの。自分に向かって来る人がいなくて。まぁ、空手を習っているアッ君に挑んでくる奴なんて早々にいないよね~」

「か、からて」

「おっと、大丈夫」

 思いっきり力が抜けたビスを慌てて寿さんが支え直します。そりゃ倒れます。通常状態でも倒れるでしょう。

「アッ君にいじめられていたね」

「え?」

 知っていて、何故止めないと思いながら。

「女の子に助けてもらったら、男のプライドないものね」

 そう言って笑顔でつぶやく寿さん。この人にどうやら反論ということは許されないようです。

「あ、でも今回のことは少しお仕置きかな」

 そう言って、寿さんはスマホを取り出し、素早くメールを送る。

『しばらく、口を聞きません。後、弱い者いじめする人をどう思いますか?』

 画面を覗き込んだ私は戦慄します。しかも、それを打ち込んだ後の寿さんの笑顔ったら、まぁ。

「これからもアッ君をよろしくね。相談事あったら聞いてくれていいから」

「よ、よろしくねと言われましても」

 ようやく反論出来たが。

「よろしくね!」

「は、はい」

 もはやこれは恐喝ではないのでしょうか。

「でも、好きじゃないんだけどね」

 あっけらかんと、まるで津波のように一波、二波と襲い掛かってきて、思わず、相手の倶生神を見ると、彼女は何か悟ったように大きく二度頷いた。

 ああ、諦めろということですか。

「ど、どういう意味?」

 彼氏彼女の定義を根底から覆されて、混乱するビス。

「う~ん。なんていうかな。告白されたの。でも、私は別に豪ちゃんのこと好きじゃない。でも、かといって別に好きな人もいない。じゃあ、一度付き合ってみたら、好きになるって思って付き合ったの。でも、今も変わらず好きじゃないんだよね~」

「……」

 一途にジュリエッタを思うビスにとっては正に彼女の恋愛観は青天の霹靂で、外国語を聞いているようにただ、呆けています。

 現に私もそうです。今まで恋をする男女を見てきましたが、流石に彼氏の事を好きじゃないという彼女も。

「ねぇ、だからさ、森君に好きってどういうのかって教えて欲しいんだ」

 とそんな質問を逢って間もない人にぶつける女の子も知りません。

「ジョバンニ、彼女の渾名をキャサリン二世にします」

「やめとけ!」

 いつもより、強い否定。とりあえず保留ですね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る