ウソでしょ

その夜。いつものように雑記帳に記されたことの確認をしている私とジョバンニなのですが。

「ねぇ、どうして無視をするの?」

「……」

 さっきからジョバンニは何も言いません。恐らく私が二回もジョバンニの突っ込みを無視したせいでしょう。我兄ながら心が狭いです。

「なんだったんだろう」

 いつもならビスはこの時間、ゲームをしているかマンガを読んでいるか、猥褻物図書を読んでいるかのどれかなのですが、今日はベッド仰向けに寝転がって、ひたすらジュリエッタの腕を握ったその右手を見つめていました。さっきまでニヤニヤしていたと思ったら、今度は枕を抱えてもだえ苦しみ始めたりして、せわしなかったのですが、今はただひたすらあの時のジュリエッタの言葉を考えていました。

「おい、余所見せずにしっかり目を通せ」

「……」

 ようやく口を聞いてくれたと思ったらそれですか。

「ジョバンニの雑記帳なんて確認しなくていいじゃないですか。きっと間違っていませんよ」

 私の言葉にジョバンニは少し顔を赤めて。

「そんな顔するか!毎日同じこと言われたら、有難味も何もなくなるよ。いいから、さっさと目を通せ」

 チッ、誤魔化せなかったか。

「は~い」

 そう言って、私はまた雑記帳に目を戻します。

 しかし頭の中ではもちろん違うことを考えています。私にはジュリエッタが何故あんなことを言ったのかは大体わかります。

 恐らく彼女も自分の死を知っているのでしょう。

 ですからあんなことを言ったのでしょう。一番の焦点はなんで、ビスにそんなことを言ったのかということです。

 ビスとジュリエッタの好感度なんて、まだ皆無のはずです。つまり、ジュリエッタがビスにそのような話をするとは例え遠回しでもしないはずです。もしかしたら、昨日のことで何かを悟られたと思ったから、先に手を打ったとか。

「いや、あり得ません。ビスがそんなに聡く見えるなんて。でも、もし見えたとしたら、ジュリエッタの目は節穴なのかも。そしたらビスにも可能性が」

「ご主人に対して辛辣なのは何も言わないが、流石に馬渡目さんのことまで悪く言うと、怒られるぞ」

 それは確かに。じゃあ、可能性はなしですね。すると残る可能性は単なる雑談程度ということですが。それこそ近しい中でしかしないはずです。もしかしたら、私の作戦が功を奏していつの間にかに近づいていたとか……いや、あり得ない。そんなこと絶対あり得ない。

「……」

「自分で言って自分で傷ついたら世話がないな」

「だから、人の心を詠まないで下さい。プライバシーの侵害です」

「詠まれたくなかったら、お前の友達みたいに心を鍛えろ。そしたら詠まれなくなるから」

「……」

 確かに。リタの考えていることなんて全くわからない。ジョバンニのことも。

「どうしたら鍛えられるんですか?」

「感情移入しないこと。なんでもかんでも冷静に対処すること。あまり感情を表に出さないこと」

「無理ですね。諦めましょう」

 それをしたら私が私でなくなります。

「恰好良いこと言っているつもりかもしれないが、それが本来の倶生神の姿だからな」

「でも、やっぱり私はそれが気にいらなくて」

「一ヶ月は大人しくしとくのではなかったのか?」

「…‥‥そうですね。では、任務を全うしましょう。さぁ、ジョバンニ私の雑記帳を返して下さい!」

「だから、別にエロ本を読むことは罪にはならない!」

「罪ですよ!特にこういう時は!」

 さっきまで真剣に考えていたと思ったら、すぐこれです。

「天罰下れ!」

 私がビスの方をめがけて指を指した時でした。急に世界が揺れ始めました。

「じょ、ジョバンニ!私にもついに力が」

「……単なる地震だ」 

 少しは乗ってくれてもいいのに。

「はぁ~。震度二、三ぐらいですかね」

「ああ、そんなものかな。それにしても本当に日本は地震が多いな」

「数年前の地震は大変でしたね」

「ああ、数十年前にもあったことなのだが、こうやって地震がある度に少し胸が痛いな」

 確かに。

 人が多く死ぬという天災は私達俱生神にとってつらいことです。今まで見守ってきたご主人様があっさりといなくなり、そして助けを求めるご主人に救いの手を伸ばすことも出来ない。

 もしかしたら私たち倶生神が一番、人の死を目の当たりにしてきた存在かもしれません。

「私だったらそんな状況に放りこまれたらトチくるっていますよ」

 今でも泣き叫ぶ、あの子の泣き声が忘れられないのに。

「……もしかしたら俺もなのかもな」

 隣で苦笑いを浮かべそう言ったジョバンニ。

 私と一緒にいるせいか、彼も普通の俱生神よりも俱生神っぽくないのかもしれませんね。

 揺れはすぐに収まって、本棚の本がいくつか落ちただけで終わりました。しかし。

「揺れが収まっているのに震えているこの男は誰でしょうか」

「現実逃避するな。私達のご主人だ」

 本当に男っていうものは、女に見てもらってないと、いつでも臆病ですね。

「男でくくるな。男で」

「本当にこの男は」

「今、チラッと俺の方も見たな!」

 さて、どうでしょうか。

 揺れが収まってからしばらくしてようやくビスは震えを止めて、辺りを見回しました。

「良かった~」

 安堵の息を漏らし、立ち上がり本棚から落ちた本を片づけている最中でした。

「おお、懐かしい」

 本を一つ拾い上げて、ビスが感嘆の声を漏らしたので、私とジョバンニも気になってその本を覗き込みました。その本のタイトルは『いじっぱりトム』。この前ジョバンニが岩宿に持って来てくれた本です。

「子供の頃よく読んでもらったな~あれ?誰に読んでもらったんだっけ」

 私とジョバンニは目を逸らします。しかしまさかビスが覚えてくれていたなんて。

「今回の件は水に流しましょう」

「お前、何様なんだよ」

 俱生神様ですけど。

 しばらくジョバンニはじっとその本を読みふけっていましたが、最後のページで急に硬直しました。

 そこにはアンの墓の前で何度も謝るトムの姿が描かれていました。

「言いたいことあるのに言えなかった?」

 独り言のようにそうつぶやいたと思ったら、ビスは目を見開いてそのページを食い入るように見つめながら、小言をつぶやき始めた「病院。運命。希望が打ち砕かれた。ステージに立てない」

 何度も、何度も今日言ったジュリエッタの言葉を反芻しながら呟く。まるで、壊れたおもちゃのように。ひたすら注意文を繰り返し伝える機械のように。

「まさか」

「ウソでしょう」

 いや、いや。あれだけのことをしたのに気付かなった男がまさか。

「馬渡目さんが死ぬ?」

「……」

 絶句する私とビス。理由は違っていますけど、本当に言葉を失っています。

「……まぁ、そのお疲れ様」

 そう言ってジョバンニが肩を落としてしゃがみこむ私の肩をポンポンと叩きました。

「やめて!同情しないで」

 逆にみじめ。でも。

「私、運命って信じるかも」

「お~い。大丈夫か」

 大丈夫じゃないです。

 そして、今から私とビスの長い夜が始まるのです。

 不意に窓の外を見る。空には綺麗な満月が浮かび、私はボ〜ッと、見ていました。

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