蓮の秘密①

蓮は声のした方に顔を向けると、手すりの上に立っているわたしを見つけてぎょっとした顔をする。

わたしは無理矢理、笑顔を作って手を振った。


「危ないから下りろ!」

蓮は大声で叫んで、こっちに向かって駆けだした。


今の時点ではまだ遠い。焦らないで、と自分に言い聞かせる。足元を見るとふらつきそうになるので、視線は蓮の方に向けたまま。タイミングを間違えれば、計画は失敗してしまう。


あらかじめ決めておいた植え込みの間の着地点を確認しようと、目線だけ下に向けた。計算外だったのは、雨で手すりが濡れていたこと。

次の瞬間、足がつるんと滑った。


「きゃっ」


悲鳴を上げて、態勢を崩しながら落下する。

足から着地するはずだったのに、頭の中で何度も描いていたのとは程遠い無様な落ち方だった。

まずいと思った瞬間、背中から、どん、と着地した。

何回も頭の中でシミュレーションしてたのに、結局滑って落下という結末。



でも・・・・・・プランBは大成功と言っていい。

わたしが着地したのは、地面ではなく蓮の腕の中だったからだ。 

手を振った時、蓮はまだかなり離れた場所にいた。おそらく百メートルくらいはあったはず。


その直後に落ちたのに・・・・・・、それなのに蓮はわたしを両腕でしっかりと抱きとめた。わたしが足を滑らせて地面に落ちるまで僅か一秒か、二秒。つまり蓮は数秒で百メートルはあった距離を移動したってことだ。

普通の人間なら到底できないこと、不可能なことを蓮はやってのけた。


──いとも簡単に。わたしの眼の前で。


わたしは驚いて蓮の顔を見た。

彼も眼を見開いて、驚いた表情を浮かべてる。

まさか、とやっぱり、という思いが入り混じる。こんなこと馬鹿げてると思いながらも、心のどこかではこんな結末を予想していた。

少しの間、二人とも口を開かなかった。


飛び降りるまでは何十回とシミュレーションしたけど、正直この後のことはあまり考えていなかった。

というか、考えたくなかった。蓮は噛み締めた歯の隙間からふ~っと長い息を吐いた。そしてわたしを地面にゆっくりと降ろしてくれた。


「びっくりするだろ」

声は硬い。


「・・・・・・怪我はない?」


わたしは頷いた。

自分の足で立ってみてまだ足が微かに震えてることに気が付いた。

さっきは緊張で震えていたけど、今はなんで震えているんだろう。わたしが予想した通り蓮がスーパーマンだったから?


「今日はやけにそわそわしていると思ったら・・・・・・これだったのか」

咎めるような眼でわたしを見た。


「一体、何を考えてるんだ?」

声のトーンが低く変わる。



わたしは視線を伏せたまま立ち尽くしている。

滑ったのは本当に事故だけど、わたしがこのことを計画していたってことは蓮ならもうとっくに気付いてるはずだ。

そして、どうしてわたしがそんなことをしたのかも蓮は知ってる。

二人の間に息の詰まるような張り詰めた空気が漂っていた。


「・・・・・・オレを試したのか?」

押し殺したような低い声で蓮は訊いた。



予想通り、目論みはもうバレてる。

わたしは正直に答えた。


「うん。あの時の記憶がどうしても夢だとは思えなかった。蓮は何かを隠すために、わたしに嘘をついてるでしょ。・・・・・・わたしはそれが何なのかをやっぱり知りたい」


蓮の瞳を真っ直ぐ見つめた。

このやり方は、間違っていたかもしれない。けれど正直な気持ちだ。

蓮は肩で息をついて天を仰いだ。


「そうだとしても、こんな危険な真似をするなんて。足が治ったばかりなのにまた怪我をしたらどうするんだ? 一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれないんだ。冬桜が手すりに立っているのを見たとき、オレがどんな気持ち・・・・・・」



蓮はそこで言葉を切った。

苦悩表情を浮かべて、ふいと横を向いた。

・・・・・・ああ、とそこで気が付いた。

蓮が怒るっていうわたしの予想は半分当たりで半分はずれだ。



確かに怒ってはいるけど、それは秘密を暴こうとしたことにではなかった。

そうではなく、無謀なことをしたわたしのことを心配して怒ってるんだ。

わたしを心配する気持ちを利用したのは、確かにフェアじゃない。

むくむくと罪悪感が湧き上がり、謝った。



「ごめんね。どうしても知りたかったの。遭難した時、本当は何があったのかを。今だって蓮はまだ遠くにいたよね。わたしが手を振って落ちるまで、ほんの数秒だったと思う。でもわたしを助けてくれた・・・・・・どうしてそんなことができたの?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る