副部長


合奏が終わると酒井さんに声をかけられた。


「どうだった? 興味ある?」


「やってみたいです」わたしは即答した。


「え? 入部希望ってこと?」


「はい」はっきりと答えた。


「わ、それは嬉しい。それでさっそくだけど、楽器の経験はあるって言ってたっけ?」


「中学は吹奏楽部で、弦バスをやっていました」


「ああ、それなら弦バス希望?」


「できればやりたいです。でも違う楽器もやってみたいと思ってたので、もしだめなら他の楽器でも大丈夫です」


「とりあえず私じゃ決められないから、そのへんは先生と相談してみて。各楽器の人数が大体決まっているから、必ずしも希望通りにはならないかもしれないけど」


「分かりました」わたしは頷いた。


「あ、先生」

部長は職員室に戻ろうとしている先生を呼び止めた。


「先生、入部希望者です」

和製シューベルトはずり落ちた眼鏡を人差し指で上げて、わたしを見た。


「新入生?」


「いえ、二年です」


「経験は?」部長と同じことを訊いてきた。


「弦バスをやっていました」


「希望は?」


「えっと・・・・・・弦バスです」


「弦バスね。確か弦バスは今二人しかいないよね」

先生が酒井部長に訊く。


「はい、今は二人です」

先生は顎に手を当てて考えた。


「じゃあ、弦バスでもいいかな。本来は三人なんだけど、一人辞めちゃってね」

 こうしてわたしの希望通りあっさりと弦バスに決まった。

 


 中学の入部体験で初めて弦バスの音を聴いた時、その音に魅了された。マシュマロみたいに甘く柔らかな低音。弦バスは大木の根のような存在だと思う。真っ直ぐ天までの伸びた太い幹を倒れないよう支えるべく、地下で大きく張る根のように力強い響き。

高音が得意なフルートみたいに華がある楽器ではなく、弦バスは主旋律を弾くことはほとんどない。あくまで裏方。そんなところがどこか自分とも似てる気がした。

 


 迷うことなく次の日には入部届を提出して、さっそく練習に参加。音楽室に行くと、わたしの姿を見つけて酒井先輩が声をかけてきてくれた。


「吉野さん。今日はまずみんなに紹介するね。もう言ったけど、私が部長の酒井です。その他に副も二人いるの。今、各教室で分かれて練習しているから、一緒についてきてくれる?」

 

 

 部長の後ろに続いて歩く。最初に向かった教室から弦バスとは違う弦楽器の音が聞こえてきた。何の弦楽器だろう? チューニングしてる。ピッチは完璧。

部長が教室の後ろのドアから入ったとほぼ同時に、演奏が始まった。

先輩の背中越しに、椅子に浅く腰掛けた弦楽器を弾いている男の子の後姿がちらりと見えた。酒井部長が音を立てないようにと、人差し指を口にあてて合図した。

 


 わたし達は邪魔にならないよう教室の隅で待つ。

 演奏が始まってまず驚いた。高校生とは思えないほどのハイレベル。何だろう、この人。普通の高校生じゃない。驚きで口を閉じるのを忘れたまま、眼の前で奏でられる魅惑的な音に聞き入っていた。


「凄いでしょ? 彼の演奏」

 あっけにとられてるわたしに部長はわたしの耳元で囁いた。


「チェロコンクール高校の部で第一位」


「そんなに凄い人なんですか?」

 思わず声が大きくなり、部長にしっ! と注意される。


「地元では有名な人よ」


今度は返事はせず、わたしは大きく頷いた。背中を向けているから見えないけど、どんな表情かは想像はつく。音から集中力と真剣さが伝ってくる。

暫くして曲が終わった。もっとずっと聴いていたかった。部長はそのタイミングで窓の方を向いている男の子に声をかけた。


「練習してるところごごめんね。ちょっといい? 新しい部員を紹介したいの」



 もう一度驚きで口をあんぐりと開けた。

振り返ったのはクラスメイトの直井くんだった。

直井くんはわたしを見て一瞬目を見開いた後、嬉しそうな顔をした。


「やあ」

見慣れた笑顔。


「直井くんて吹奏楽部だったの!?」


「そうだよ。言ってなかったっけ?」澄ました顔で言う。


「なんだ二人知り合いなの?」

部長がわたし達の顔を交互に見ながら訊いた。


「同じクラスで隣の席」

直井くんがわたしに視線を投げてから、部長の質問に答えた。


「歓迎するよ。副部長の直井です。よろしく」

 

さっきまで教室で話していたのに、かしこまった感じで弦を握っていない方の手を差し出した。わたしは呆気に取られたまま、直井くんの手を握った。


「ほんと驚いた・・・・・・聞き惚れちゃった」ため息まじりに言った。


「2歳の時にチェロを始めたからもう十五年は経つかな」

直井くんと教室ではいつも話してるけど、楽器をやってるなんて聞いたこともなかった。


「それって自分の?」


「そうだよ。ちょっと弾いてみる?」


「はい、そこまで」

わたし達のやりとりを側で見ていた部長が、ぴしゃりと遮った。


「まだ他の部員に紹介が終わってないの」酒井部長が眉をひそめた。


「ごめん。じゃ、次の機会にでも」直井くんが言った。


「はい、吉野さん次の教室に行くわよ」

 


 わたしは直井くんに小さく手を振って、歩き出した酒井部長の後ろを慌ててついていく。これから部活も楽しくなりそうだ。

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