第11話 燃える琥珀

しっかりとわたしの体を抱きしめてるこの両腕の持ち主の眼がすぐそこにあった。

ほんの数十センチ先の──見開かれた燃えるような琥珀色の眼が、わたしを睨みつけていた。



 視線で人が殺せるなら、間違いなくこの瞬間わたしの息はないはずだ。

ほんの小さな火花を散らしただけで、一気に火柱をあげて燃え上がる引火性の液体のように、骨まで焼き尽くすに違いない。

それくらい恐ろしくて強烈な視線だった。



 なぜこの人は、こんな目でわたしを睨みつけるのだろう。

その視線に気をとられるあまり、強い力で掴まれた左手首の痛みにも気がつかなかった。あまりの痛みに、とっさに左腕をねじり彼の腕から脱出を試みる。

それが催眠術が解ける合図だったかのように、彼ははっとして、掴んでいる手と腰に回した腕をぱっと離した。



 ようやく自由になって、慌てて数歩後ろに下がり距離をとった。

少し離れたことで、この人物の全体像がやっと把握できた。

立ちすくむ眼の前の人は、今まで出会ったどんな人とも違っていた。


──あまりに美しい顔立ちをしていたから。


 端正な気品のある顔だちで、どことなく憂いを帯びた表情。

手足はすらりと長く、少し長めの栗色の髪はくせっ毛なのか、少年のように少しくしゃっとしている。



 そして、わたしを睨みつけていた、その眼の激しい炎は──すでに鎮火していた。

まだ険しさは残るけど、少なくともさっきまでの恐ろしい眼じゃない。

美しい顔には、驚いたような表情が浮かんでいるように見えた。



 長身で、わたしと同じ深緑のジャケットを着ている。

つまり先生ではなくここの生徒だということだ。

その完璧な顔立ちも、彼が纏う独特な雰囲気も、佇まいも、わたしよりずっと大人びているから、同じ高校生にはとても見えなかった。



 わたしから視線は外さないまま、彼の優美な唇がゆっくりと動いた。

完璧な調和で創造された顔の一部が動いたことに驚いた。


「……大丈夫?」


 硬い声がひと気のない廊下に響く。

あんな恐ろしい眼で睨んでいた彼の口から出た言葉は、信じられないことに、わたしを心配する言葉だった。


「は・・・・・・い」


 ほとんど呟きに近いくらいの小さい声しか出なかった。

不思議な感覚だった。

教室や職員室や、学校という日常そのものの空間にいながら、この瞬間はまるで現実味のないものに思えてくる。あまりに人間離れした美しさだからだろうか。

ここだけ切り取られて違う世界にまるごと移動してしまったような──そんな感覚だった。


「すいません、前をよく見ていなかったので」


 今度はもう少し大きな声で謝った。

はっきりと聞こえていたはずなのに、謝罪に対しての返答はなかった。

ただ、何かを言いたげにわたしを見つめている。



 これ以上ここにいる必要はないのに、なぜか手足が鎖につながれたように重く、動かなかった。この場から逃げ出したい気持ちと、ずっとここにいたい気持ち。



 ピピピピ……。

そのとき、わたしのスマホのアラームが鳴った。さっき職員室を出た時に、遅れることのないよう約束の時間の十分前にセットしておいたのだ。

ポケットから、携帯を取り出しアラームを止めた。


 

 この場所から離れられるきっかけができたことに、どこかほっとしていた。

そうでなければ、永遠に動けなかったかもしれない。そんな気さえしてくる。



この場所、というよりきっと彼から。



 彼の顔をもう一度見たらまた動けなくなりそうで、下を向いたままぺこりと頭を下げ、わたしは歩き出した。



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