第3話 落とされた爆弾②
勢いよく手をたたいた拍子に、ママの手についてた餃子の種がボトリと落ち、わたしは口に含んでいたお茶をぶっと勢いよく吐き出しカーペットにぶちまけた。
「ギャー」
テレビでは派手な立ち回りを演じた敵のラスボスが主人公にバッサリと斬られ、入念に打ち合わせされたであろう見事なアングルで、口から血を吹き出しながら倒れた。
落とされた爆弾は特大で被害は甚大。わたしの想定を遥かに上回る。
斬られた悪役のようにわたしも絶叫したいくらいだ。
「引っ越し!? 嘘でしょ!!」
声が裏返った。だって嘘じゃなきゃひどい。ひどすぎる。
地道な努力をしてきて、やっと入学した荻野高校だ。
一言、引っ越すなんていうセリフを容易に受け入れられるはずもない。
ママは何も言わず、まだ手を合わせて頭を下げている。
「どうして、今引っ越しなわけ?」
「実は東北に支社を置くことになって、そこを任されることになったの。本店の次に大きな支店よ。この話は今までにないチャンスだし絶対断りたくないのよ。ほんと、冬桜には申し訳ないけれど」
ママは小さな旅行会社に勤務している。パパとの結婚前からずっと勤めているから、もうかなり長いはずだ。関東近郊に支社もいくつかあるけど規模はそれほど大きくない。大手にはない細やかなサービスと親切が売りで、ここ数年の間で徐々に店舗数を増やしていき、東北にも進出することになった、という話はちょっと前に聞いた気がする。それはもちろん応援してあげたい。でもそれとこれとは話が別だ。
「ママ、今、何言ってるか分かってる? だってやっと入った高校だよ。わたしが萩野高校に行くために、どれだけ努力したのか知ってるでしょ。友達だってこの一年間でいっぱいできたのに。どこかの新しい高校へ言って、またそれをゼロから始めなくちゃならないなんて、絶対無理。だったらわたし最終学歴は中卒でいいから!」
春闘で賃金の値上げと職場の待遇の改善を求める労働者さながら、断固として抗議する。興奮してソファから立ち上がったわたしの体から、巻き付けていた白いバスタオルがはらりと落ちた。
勿論、下着は何もつけてない。
ママはわたしの反論を右手を出して制した。
「とりあえず、タオルまいて」
顔を横にそむけながら言った。
同級生のグラマーな子にはかなり負けてるとはいえ、それでも最近ぐっと女っぷりをあげた娘の体を直視できないらしい。
バスタオルをきっちりと巻き付けた後、二時間にわたり考えられるありとあらゆる手を使い抗戦を試みた。泣いたり、甘えたり、拗ねたり、怒ったり。使えるカードは全て使った。
父親の徹はシンガポールに単身赴任中だから、途中からビール片手にオンラインで参加。パパに、わたしだけでもここに残って一人暮らしさせてほしいとお願いしたけど、こんな物騒な世の中、十五歳の女の子をひとり残すことはできないから、今回は冬桜が我慢してくれって言われてしまった。
こうして長い長い家族会議の結果、わたしの意見はあえなく却下。
日ごろ、努力家のママが夜遅くまで頑張って働いてるのはわたしもよく知ってる。
わたしは泣き虫だけど、人の涙にもめっきり弱い。
小学生の時にイケメンの男の子がどうやらわたしを好きらしいという噂を聞いて、それまで気にもとめてなかったのに急に気になりだしたことがあった。でもその頃仲良くしていた女の子が、放課後わたしのところにわんわん泣きながら来て、お願いだから冬桜ちゃんは好きにならないでって頼みにきたのだ。
好きとか嫌いとかって自分の思い通りになるものじゃないよ、と内心思いながらもその子が気の毒になり、好きになりそうな自分の気持ちに必死にブレーキをかけた。
結局、その男の子はわたしのことなんて好きじゃなかったらしく、泣いて頼みに来た子でもなく、他の女の子と両想いになった。
ママが泣きながら手を合わせて謝る姿に、最後には分かったと頷く以外になかった。転校するってだけでもこれ以上ないくらい最悪なのに、ここよりずっと寒い地方への引っ越しだということを聞いてさらに落ち込んだ。
暑くてじりじりと肌を刺すような日差しは我慢できる。
だけど寒いのは昔から嫌いだ。とにかく寒がりで、冬はこたつから出られないし何もしたくなくなってしまう。
冬が一番苦手って友達に言ったら、冬桜は冬生まれなのにね、って不思議がられたことがある。よく自分の生まれた季節が一番好きな季節なんて言う人もいるけど、そんなの迷信だ。
冬に生まれたって寒さに強いなんてことはないし、好きとは限らない。
わたしが一番好きな季節はちょうど今の時期、春だ。
薄緑の風に揺れる新緑は見てるだけで心が和むし、あちこちに咲き始めた花の香りを孕んだ春の風もこころ踊る。
何より冬の凍えるような寒さの終わりを告げる季節だからこそ、好きなのかもしれない。
でも、今日の事件で今後は春が嫌いになるかも。
──ほんと、サイアク。
わたしはうなだれながら二階に上がって布団を頭からかぶり、またひとしきり泣いた。
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