第15話 夏は月(7) 戻れ戻れ戻れ!

 気がついたら私は白い扉の前に立っていた。

 両手には手錠がかけられ、白いツナギのような服を着ていた。

 私の右隣には制服を着た女性が、左隣には夫が立っていた。

 そうだ。

 私は、あれから駆けつけた警察官に捕まったんだ。

 そして子どもを殺されかけたことによる心神喪失と判定を受けて無罪になって、病院に入れられることになったんだった。

 それではこれから私は病室に入るのだろうか?

 白い扉が開かれる。

 聞こえてきたのは機械音。

 小さな病室にベッドが1つ置かれている。

 しかし、そのベッドにはもう誰かが寝ていた。

 沢山の管に繋がれ、心音や酸素飽和度を知らせる機械が規則正しい音を立てる。

 夫と刑務官に連れられてベッドに近づく。

「・・・・だよ」

 夫が口にしたのはあの子の名前だった。

 私は、目を見張った。

 ベッドに横になっていたのは確かにあの子だった。

 鳥頭を被っていない、何年か振りに見る息子の素顔。

「あれからずっと意識が戻ってないんだ」

 夫は、涙ぐみながら告げる。

 私は、夫の顔を見る。

 何で泣いているのだろう?

 私は、再びあの子の顔を見る。

 何の感慨も湧かない。

 この肉の塊になにを感じろ、と?

「お前が呼びかけたら目を覚ますかもしれない」

 呼びかける?

 なんて?

 私は、じっとあの子の顔を見た。

 幼い、赤ん坊のように眠るあの子を。

 ああっそうか。

 そういうことか。

 私は、あの子にゆっくりと近づいた。

 夫も、刑務官も私があの子に呼びかけるのだと信じて疑ってないようだった。

 確かに私はこれから呼びかける。

 願う。

 私は、あの子の髪を優しく撫でる。

 頬を撫でる。

 唇に触る。

 こんなにもあの子に触れたのはいつ以来だろう?

 手錠に繋がれた私の両方の指は、あの子の首元に触れる。

 私は、唇をあの子の耳元に近づけ、囁く。

「戻れ」

 私は、あの子の首を絞めた。

 力の限り、爪が食い込むほどに。

 バイタルの異常を知らせるアラームが鳴り響く。

 手足がひっくり返った虫のようにばたつく。

 私は、首を絞める指にさらに力を込める。

「戻れ、戻れ、私の胎内に戻れ!」

 そうすれば産み直してあげる。

 今度こそ、まともな、私の理想通りの良い子に戻してあげる。

 戻れ!戻れ!戻れ!

 夫が私をあの子から引き剥がす。

 刑務官が医師を呼ぶ。

 夫は、私の頬を叩く。

 あまりの力に私はよろけて壁にぶつかる。

 頭を強く打ち、ドロッとした何かが垂れてくる。

 目の前から明かりが消えていく。

 闇が私の視界覆っていく。

 そして何も見えなくなった。

 聞こえなくなった。

 感じなくなった。

 

 そして私は坂の真ん中に立っていた。 


 どちらかの扉から鍵の開く音がした。


                 つづく

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