第14話 夏は月(6) 裁判

 ひどく暑い日だったのを覚えている。

 なぜ、裁判所に行ったのかは今でも分からない。

 気になったから?

 世間体?

 遺族への謝罪?

 あの子に会いたかったから?

 分からない。

 私は、白い帽子を目深に被り、藍色のワンピースを着て、水色の日傘で姿を隠して裁判所に向かった。

 夫にも自分が来ていることは告げなかった。

 傍聴席は、満席に近かったが何とか隅の席を確保した。

 あの子の姿は、直ぐに見つかった。

 被告人席に気味の悪いラバー製のカラスの頭を被っている。

 それを被らないと裁判には出ないし、何も話さないと言ったらしい。

 鳥頭を被っているとはいえ、一年ぶりに会った我が子なのに何の感慨も湧かなかった。

 愛らしいとも憎らしいとも思わない。

 無感動だった。

 さっさと終わらせて欲しい。

 ただ、それだけを思った。

「被告人、前へ」

 鳥頭は、被告人席席から立ち上がり、刑務官に誘導されて裁判長の真正面に立つ。

 手には手錠がかけられ、少し痩せた腹には縄が結ばれていた。

 異様な鳥頭よりも現実的な手錠と縄を見て、

 ああっあの子は犯罪者なのだ。

 今更ながらにそう感じた。

「被告人。最後に何か言いたいことはありますか?」

 裁判長が訊く。

 鳥頭は、言葉の意味を理解していないかのようになにも言わない。

 沈黙が流れる。

 傍聴席の記者たちは、鳥頭の一言も逃さないとタブレットやボイスレコーダー、ノートを持って前のめりになる。

 被害者の家族、親族、友人達が怒り、憎しみの込められた目で鳥頭を睨む。

 ぐるんっ。

 鳥頭が唐突に傍聴席を振り返る。

 傍聴席の人間たちは、突然の行動に一様に驚き、背筋を震わせる。

 鳥頭のラバーの目が何を、誰を映しているのか全く分からない。

 鳥頭の母親は、息子は、自分を見ているのではないかと感じた。

 いや、あの子は私を見ている。

 探しているのだ。

 心の奥がずきりっと痛む。

 鳥頭は、首を元に戻す。

「・・・」

 ラバーのマスクの下から小さな声がする。

「聞き取れません。もう一度、大きな声で」

 裁判長が促す。

「・・・愛しい人よ」

 低い声が裁判所の中に響く。

 いつの間に声変わりしたのだろう?

 愛しい人って誰?

 私のこと?

「また必ず会いに行きます」

 裁判所の中が騒めく。

"愛しい人?"

"何が会いに行くだ!ふざけんな!"

"お前を待つ人なんているか!"

"今度は誰を殺すつもりだ⁉︎"

"死ね!"

"死ね!"

"死ね!"

 呪詛が裁判所の中に渦を巻く。

 裁判長がハンマーで叩く。

 神の一撃を受けたように一気に静まり返る。

「判決。

 主文

 ・・・・を懲役15年に処す」

 怒号と騒めきが竜巻となって裁判所を乱れ狂う。

"15年⁉︎"

"たったの⁉︎"

"こいつが何したかわかってるのか⁉︎"

"今、あいつは犯行予告をしたんだぞ!"

"被害者の気持ちを考えろ"

"死刑にしろ!"

非難と雑言が飛び交う。

しかし、審判を務めた裁判官は、表情を変えずにハンマーを叩き、「静粛に」と声を上げる。

 しかし、裁判所の中に静粛を与えたのはハンマーでも裁判長の一声でもなかった。

「ひっ⁉︎」

 誰かが小さな悲鳴を上げた。

 そして騒めき、響めきが起きる。

 あの子の、鳥頭のラバーの隙間から赤黒い液が漏れる。

 スーツを着た小柄な男があの子に密着している。

 2人の足元に赤い水溜まりが見える。

 警備員たちが小柄な男を取り押さえる。

 あの子は、身体を震わせてその場に倒れ込む。

 あの子のお腹から枝のように太く、黒い万年筆の柄が生えていた。

 髪の長い女性が警備員を突き飛ばして男を助ける。

 女性は、男に何かを言った。

 男は、歓喜に表情を震わせ、柵を乗り越え、傍聴席を走り、私の前を通り過ぎて逃走する。

 警備員がそれを追いかける。

 私も立ち上がり、傍聴席を後にした。


 私は、日傘を広げて顔の近くまで寄せる。

 警備員たちが血眼になって裁判所周辺を探し、パトカーのサイレンが鳴り響く。

 彼らは、必死に男を探している。

 しかし、先に見つけるのは私。

 私は、スマホの画面を見る。

 画面一杯に広がった地図に青い点滅が光る。

 私は、地図を見ながら足を進める。

 男は、いた。

 裁判所近くの公園の茂みの中。太い幹に寄りかかり、乱れた息を正している。

 苦しげに息を吐いているものの、表情は何かに満たされたように優越な笑みを浮かべていた。

 男は、気づきもしなかったろう。

 私の前を通り過ぎた時に失せ物捜索用のGPSを自分のポケットに入れられていたなど。

 私自身、なぜあんなことが出来たのか分からなかった。

 いつの間にか手が勝手に動いていた。

 私は、日傘を差したまま茂みの中に入る。

 顔が見えないように深く日傘を寄せる。

 足元に落ちていた手頃な大きさの石を拾う。

 そして、男に向かってそれを振り下ろした。

 日傘に赤い飛沫が飛び散った。


               つづく

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