第12話 夏は月(4) 女性は語る

 女性は、語り出す。

 年をとって産んだことは本当だった。

 とても可愛らしい子だったことも本当。

 成績が良かったのも本当だったようだ。

 しかし、真実はそこまでだった。


「成績が良かったのは最初までだった。

 学年が上がるにつれて成績は落ちていったわ。

 運動も追いつかなくなるし、体型も醜く太るし、最悪なところしかなかった。

 それでもお腹を痛めて産んだ子だもの。とても可愛かったわ。

 成長して行くことが喜びだった。

 なのにあの子は、まったく成長しない。

 頭の悪いまま。

 醜く太るまま。

 いいところなんて一つもなかったわ」

 女性は、醜く顔を歪め、歯軋りする。

「そして、いつの間にか学校に行かなくなった。

 小学校は卒業式だけ。

 中学校なんて指の数の方が多いくらいよ」

 それでは高校生というのも嘘か・・とカナは、胸中で呟く。

「それって登校拒否ですよね?学校とかにご相談されたんですか?」

 女性は、冷え切った目でカナを睨んだ。

 カナは、背筋が凍りつくのを感じた。

「それって・・・何の意味があるの?」

「いっ意味?」

「そんなのただの恥の上塗りでしょう?周りからなんて言われるか・・・」

 カナは、混乱した。

 女性の言わんとしている意味が分からなかった。

「恥って・・・自分の子どもが辛くて悲鳴を上げてるんですよ。それなのに・・・」

「悲鳴なんてあげてないわよ。ただ閉じこもっているだけ」

 馬鹿じゃないの?と言わんばかりにせせら笑う。

 この人は、本当に何を言っているのだ?

 じゃあ、何を根拠に子どもは可愛かったと言ってるのだ?

「こっちは閉じこもってんの隠す為にどんだけ苦労したと思ってるのよ。ご近所さんには探られるし、義父母からは責められるし、私が何したっていうのよ。悪いのはあの子でしょ!ねえ!」

 スミとカナに同意を求めるように2人を見回す。

 カナは何も答えない。答えることが出来なかった。

 スミは五徳の火をじっと見つめていた。

 2人が答えないことに苛立ちを覚えるも、女性は話しを続けた。

「結局、息子は、勉学の為に海外留学をしたことにしたわ。その方が私にとってもあの子にとっても最良の選択だったわ」

 最良の選択⁉︎

 どこが⁉︎

 ただ、隠しただけじゃない。

 周りから見えないようにしただけじゃない。

 自分のために。

「それなのにあの子は・・・」

 女性は、醜く顔を歪ませ、歯軋り音を立てる。

 その後、女性の話した出来事に戦慄が走った。


 その日も女性は、朝の7時に息子の自室の前に食事を置いた。

 昼は12時に。

 夕は18時に。

 その時間に食事を作って息子の自室の前に置くのが彼女の生活のパターンとなっていた。

 それ以外は、何もしない。

 洗濯をして、掃除をして、テレビを見て、それ以外に何もない。

 息子がこの状態になってから何年もこれの繰り返しだ。

 旅行は愚か、スーパーへの買い出しくらいで服の一枚も買いに出れない。

 恥ずかしくて出れない。

 もし、息子のこんな恥ずかしい状態を世間に知られたら私は生きていけない。

 大学を卒業して小さな会社で事務職として働きながら生活していた。

 父は、平凡な会社員で母は、平凡な主婦。

 不満はなかったが物足りなかった。

 私の人生はこんなものじゃない。

 華やかな、幼い頃に憧れたお姫様のような人生がいつかやってくるはずだ。

 そう思いながら生きてきた。

 いろんな男と付き合ったがどれも見合わなかった。

 必死に勉強したが平凡以上のものは得られなかった。

 せめて見栄えを良くしようと高級な化粧品を買い、お金の許す限りの整形をした。

 そしてようなく今の主人と出会うことが出来た。

 容姿端麗。

 大学はそこそこのところだが有名企業の管理職。

 そして何よりも資産家の一族で裕福な暮らしをしている。

 2人は、友人同士の合コンで出会い、そのまま意気投合。付き合って半年で結婚した。

 その時は幸せだった。

 しかし、結婚して数年で翳りがさす。

 子どもができないことを義父母に責められた。

 夫は、資産家の長男で跡継ぎが必須だった。

 それなのに子どもが出来ないことを義両親を始め親戚一同で責め立てた。

 唯一、夫だけが庇ってくれたが、女性の心は削られていった。

 描かれた優雅な生活のキャンパスの塗料がひび割れて剥がれていった。

 しかし、40を間近に、辛い不妊治療を乗り越え、ようやく子どもを授かった。

 しかも男の子だった。

 義両親も親戚も手のひらを返して喜んだ。

 夫は、涙を流して感謝の言葉を述べた。

 幸せのキャンパスのひびが塗り直される。

 息子は、健康そのもので生まれてきた。

 夫に似て容姿端麗で言葉を覚えるのも早かった。

 頭がいい!将来が楽しみだ!と周りに持て囃され、女性も有頂天になった。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 小学校に入ってすぐに勉強に追いつかなくなった。

 元々、内気な生活で外出もほとんどせず、食べてばかりで醜く肥えていった。

 虐められるようになり、自室に閉じこもるようになった。

 会話はない。

 食事も運び、食べ終えたのを片付けるだけ。

 風呂は、私たちが寝静まった頃に入っているようだ。

 お湯を使った形跡と脱いだ服が洗濯機に入れてある。

 たまに外出しているようだ。

 財布からお金がなくなっている時がある。

 それ以外は夫の買い与えたパソコンをいじって、テレビを見ている。

 それ以外では姿を見ることもない。

 何年みてないんだっけ?

 別にどうでもいい。

 それだけ。

 会話なんてなくていい。

 食事も好きなだけ食べて太ればいい。

 勝手に風呂に入ればいい。

 お金も好きなだけ取ればいい。

 パソコンも好きにやればいい。

 テレビも見ればいい。

 でも、外出はやめて欲しい。

 ご近所さんに家にいることがバレるから。

 これ以上、私を貶めないで!

 

 親戚たちの責める声、ご近所の人たちの責める幻聴が女性の脳裏に響く。

 やめて!

 私は悪くない!

 悪いのは全てあの子!


 しかし、幻聴は消えない。

 薬を飲んでも消えない。


『このダメ嫁が!』

『子ども1人満足に育てられないの?』

『留学なんてしてないじゃない』

『みにくーい』

 

 止めて!

 私は悪くない・・・。

 悪くない!!


 朝の食事を下げに行くと御膳はそのままだった。

 口をつけた形跡も水分を摂った形跡もない。

 

 しかし、女性は気にしなかった。

 ただ、起きてないだけだ。

 朝の御膳を下げ、昼の御膳を置く。

 あの子が食べようが何しようが関係ない。

 私の邪魔だけはしないで。


 しかし、夕方見に行った時も御膳はそのままだった。

 さすがに可笑しい。

 女性は、閉じこもってからずっと開けたことのなかった息子の部屋の扉を開けた。

 汗と体臭が地虫のように漂ってくる。

 女性は、涙目で指で鼻をつまむ。

 想像以上に汚れていた。

 誇り、匂い、足元にはティッシュや食べかすが散らばり、ベッドのシーツは変色し、テレビもパソコンも付けっぱなしで、いつ買ってきたのか?コンビニの菓子や弁当、雑誌も転がっている。しかも、いつ着るのかも分からないようなお洒落な服まで落ちている。

 しかし、息子の姿はなかった。

 隠れる場所のないこの部屋のどこにもいない。

 寒気と動悸がする。

 不快な耳鳴り音が止まない。

 

 どこに?どこに行ったの?

 ずっといないの?

 いつから?

 いつから?

 

 吐き気がする。

 息ができない。


 付けっぱなしのテレビに緊急速報が入る。


『〇〇県の温泉地に向かう特急電車で事件が発生した模様。鳥の飾りを被った男が車内に侵入して、持ってきた包丁で次々と乗客を切りつけ、4人の死亡者も出たとのことです』


〇〇県は、この町から随分と離れたところだ。

あの温泉地にいく特急電車の駅だって正確な場所は分からないが近くはない。

うちには関係ない。

なのに何故か胸騒ぎがする。

女の、いや母親の感が警告音を立てる。

女性は、キッチンに戻り、包丁を閉まっている棚を開ける。

 三徳包丁が一本足りない。

 夏場だと言うのに、背筋の凍る寒気が襲う。


 リビングのテレビから声が漏れる。


『犯人が捕まった模様。鳥頭を被って犯行に及んだのはなんと16歳の少年でした』

固定電話の着信音が鳴り響く。


 今日、女性は、残虐な殺人事件の容疑者の母親となったのだ。

 何かが乾いた音を立てて崩れた。



                 つづく

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