第4話 春は花びら(4) 自慢話

スミの背後の桜の木の絵が揺れる。

 花びらが舞い上がり、白いカウンターを艶やかに汚し、消えていく。

 スミは、猫のケトルを五徳に置き、火を掛ける。

 今さらながらいつ水を足しているのだろうとカナは思った。白いカウンターの中には五徳とドリッパーとサイフォンを置く白い台しかない。コーヒー粉の入れ物もフィルターをしまう場所も水道もなかった。

「正確に言えば貴方は死んではいない」

 五徳の火を見ながらスミは言う。

 桜の花びらが火の中に落ち、一瞬、燃え上がったかと思うと、そのまま消える。

「生と死の狭間にいる。

 そしてどちらの扉を潜るかを決めないといけない。

 元来た扉を抜けて苦しみ生きるか?

 それとももう一つの扉を抜けて安らいだ死を迎えるかを」

 スミの話しをカイトは、俯き、無言のまま聞いていた。

 スミは、何も言わないカイトを横目でチラリッと見て、視線をケトルに戻す。

 カナは、何も言わず、放心しているカイトを見た。

 カイトの首が壊れた人形のようにカクンッと上を向く。

 そして高らかと笑い出す。

 あまりにも耳障りな笑い声にカナは、耳を塞ぐ。

「そうか・・・」

 カクンっと首が落ちる。

「オレは死んだのか・・・」

 ククッと小さく笑い、スミとカナを見据える。

 そこなら浮かんだ笑みは、スミの描いたラテのような悪魔に似た酷い笑顔だった。

 カナは、ぞっと背筋を震わせる。

 カイトは、ゆっくりと立ち上がる。

「不味いコーヒーをありがとう」

 カイトは、口元を吊り上げ、スミに向かって小さく手を上げる。

 そして自分が入ってきた扉とは反対側の扉に向かって歩き出す。

「そちらを選ぶのですか?」

 スミが小さく声を掛ける。

「当然だ。家族のいない世界に戻っても意味がないからな」

 カイトは、迷わず扉に向かう。

「オレは愛する家族のもとでゆっくり眠るよ」

 カイトは、穏やかに笑う。

「それじゃあ。お元気で」

 そう言って、扉に触れようとして気づく。

 扉にノブがないことに。

 あちらの扉と一緒である。

 カイトは、力一杯に扉を押すも動かない。

 叩く、殴りつける、蹴り飛ばす、近くのテーブルから椅子を引っ張り出し、叩きつけるも傷一つつかない。椅子が粉々に砕けだけだ。

 カイトは、怒りのこもった目でスミを睨みつける。

「おいっ!どう言うことだ。オレは選んだのになぜ開かない!」

 スミは、五徳の火を消し、カイトを見る。

「"逝く扉”が開かないのは・・・まだ話しが足りないからです」

 スミの言葉をカイトは、理解出来なかった。

 話してない?こんなに話したのに⁉︎

「これ以上、何を話せと?オレは嘘など一つもついてないぞ!」

 カイトは、苛立ち、砕けた椅子を蹴り飛ばす。

「嘘などとは1つも申しておりません」

 カイトの飲まなかったカップを下げる。

「ただ、足りていないのです。貴方のお話しには。貴方自身の心のことが」

「心?」

 スミの赤いみがかった双眸が揺れる。

「貴方・・・ご家族のことをどのように思われていましたか?」

「はっ⁉︎」

 カイトの顔色が変わる。

「貴方のお話しにはご家族のことがちょっとしか出ない。まるで小説の登場人物の・・いわゆるモブキャラ程度の扱いだ。ストーリーを話すのに必要だから出ているという印象しか残らない」

「なにを言って・・・オレの家族を侮辱すると許さんぞ!」

 カイトは、声を荒げ、否定するように左手を大きく振る。

「その割に貴方は、淡々とお話しをされています。要所要所に怒りや憎しみ、殺意を見せることはあるものの、それも家族を為のものとは感じられない。いや、家族のことは付け合わせの野菜程度にしか思っていない。貴方の怒り、憎しみも殺意も全て自分のことで相手に感じているものです。そこに家族のことは欠片も含まれていない。思ってすらいない」

「そんなことは・・ない」

 しかし、否定するカイトの口調は弱々しい。

「鳥頭を殺害したのも衝動的なものではない。

 貴方は分かっていたはずだ。

 16歳の少年が死刑判決も無期懲役も受けるはずがない。刑事罰程度だと。

 だからこそ万年筆を用意した。

 警備員にも怪しまれず、殺傷力を高める為に先を鋭利に研いだ万年筆を。

 そして裁判所にいる皆の気が一瞬緩まる判決後に実施したんだ。

 計画通りに。

 鳥頭の殺害を」


 カイトの膝がガクガク震える。 

「今もそうだ。

 生きるよりも死んだ方が家族の仇を取って死んだ方が英雄として扱われるに違いないという打算で選んでいる。

 死にたいなんて欠片も思っていない」

その場に崩れ落ちる。

「貴方の話しは"家族の復讐を果たした夫の話し”ではない。単なる"自慢話”だ」

 カイトは、癇癪を起こした子どものように叫び声を上げる。

 カナは、唇を噛み締め、今にも泣きそうに左目を震わせてカイトを睨んだ。

 スミは、カイトの座っていた席にコーヒーを置く。

「さあ、話してください。貴方の足りない話しを。そして貴方は選ばなければならない。生くか逝くかを」

 スミの差し出したコーヒーには笑顔のカイトが小さく描かれていた。

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