第3話 春は花びら(3) 記憶
猫のケトルから湯気が上がる。
スミは、火を消し、蝶の形をしたドリッパー新しいフィルターを入れる。
「不味いコーヒーならいらないぞ。二度と飲むか!」
カイトは、吐き捨てるように言う。
しかし、スミは、表情1つ変えずにフィルターにコーヒー粉を入れる。
カイトは、苦々しく睨みながらも話しを続ける。
「鳥頭は、抵抗することもなく警察に逮捕されました。警察の取り調べでも一切否定しなかったそうです」
ようやく席に戻ったカナの顔は、まだ青白かった。
「私ね。その日は一緒に行くことが出来なかったんですよ。
仕事が立て込んで休みを取ることが出来なかった。
子どもたちに散々、お父さん来ないの?と聞かれた時は切なかったなあ。
はやく仕事終わらせて合流してしようと思ったのを覚えてます。
そして私は3人が出ていくのを見送った。
あれが最後とも知らずに」
カイトは、カウンターに置いた両手をぎゅっと握りしめ、目を閉じる。そして目を開いてカナを見る。
暗い光を宿す目を向けられ、カナは、ビクッと背筋を震わす。
「私ね。ずっと裁判を傍聴したたんですよ。あいつが死刑判決が出るのを見届けようと思って。妻と子どもの写真を持ってね
あの男、裁判中もあの鳥頭を被って出廷しました。被らせないと何も話さないと弁護士と検事、裁判官に言ったのだそうです。世間が注目する事件だから渋々了解したそうです。
世界的にも異例だったそうですよ。
当然、被害者家族の傷ついた心を逆撫でしたし、裁判員の心情を最悪にしました。そんな反応を鳥頭の下で笑っていたのかと思うだけで腑が煮え繰り返る。
驚いたことにあいつは未成年だった。
春に中学を卒業したばかりだったらしい。と、いってもずっと通っていなかったらしいですけどね。ずっと引きこもってパソコンばかり見て、親とも話さず、SNSでもほとんど誰ともコミュニケーションを取らず、ひたすらネットニュースや電子書籍、動画ばかり見て、世間を穿った見方ばかりしていたそうです。
つまりどうしようもないクズということですよ。あいつは」
カナは、両手で自分の身体を抱いて身震いする。
青白い顔がさらに青く染まる。
その様子をカイトは、面白がる。
「怖いですか?異様ですよね。まさに化け物ですよあいつは」
「・・じゃない」
「うんっ?」
カナは、震える左目でカイトを見る。
「なんで?なんで貴方はそんなに・・・」
その言葉を遮ったのはスミだった。
カナの前に甘い香りを漂わせるアートの失敗したラテが置かれる。
スミは、じっとカナを見る。
話しを遮ってはならないと視線で訴える。
その無機質な目をカナは、悲しげに見返す。
その様子をカイトは、面白げなく睨む。
そして話しを続ける。
「3回目の裁判の時だったかな?あの男・・・いや、あのガキに検事が聞いたんですよ。なんでこんな兇行に及んだのかと。表情は、鳥頭を被っているので見えない。しかし、その仕草で分かるんだ。こいつは検事の言葉の意味がわかっていないって。
検事は、もう1度聞きました。なぜたくさんの人を傷つけ、殺したのか、と。
その質問で鳥頭は、ようやく理解したのか、左手の平を右拳でぽんっと叩いてこう言ったんです。
『幸せそうでムカついたから』
あまりに非現実的な抑揚のない声でそういったんです。
その瞬間に心の底から思いましたよ。
こいつを早く死刑にしてくれって。
しかし、あのガキに下ったのは懲役15年でした。
16歳の少年には死刑は適応されないのだそうです。
15年・・・人を4人も殺して・・・大勢の人を傷つけ、身体にも心にも癒えることのない傷を犯したガキが15年で許される・・・
ふざけるな!!」
カイトは、カウンターを両手で叩きつける。
その衝撃にカナのカップが揺れ、中身が溢れ出る。
「そんなこと、許せるはずがない!
私は、傍聴席から飛び出し、手に持った万年筆で鳥頭の腹を突き刺しました!
傍聴席の誰かが悲鳴を上げたが知ったことではない
警備員が止めに入るが知ったことではない!
私は、鳥頭の腹を何度も刺しました。
床は血まみれになりましたが気にしません。
身体中が返り血に塗れたが気にしません。
私は、恨みの限りであのガキを刺し続けました。
警備員が私を押さえつけました。
鳥頭の被り物の隙間から血が流れました。
恐らく吐血したのでしょう。
私は、叫びました。
歓喜の叫びです。
警備員は、私を拘束しようと両手をがっちりと抑えました。
しかし、その圧迫が消えました。
顔を上げてみると髪の長い女性が警備員にのし掛かっていました。もう1人の警備員が女性を止めています。
女性は、私の方を振り返りました。
そしていいました。
ありがとう、と。
美しい顔をした女性だった。
涙に濡れた目は、左目が黒曜のように美しく、右目が焦点の合わない白色が印象的でした。
鳥頭に夫を奪われた女性です。
彼女は、喜んでくれたのです。
私がしたことを認めてくれたのです。
私は正しい。
私は、走った。
警備員や群がる人をくぐり抜け走った。
正しい私が捕まるわけにはいかない。
逃げ切って伝えるのだ!
私は、正しいことをしたのだ、と。
そして私は、裁判所を抜け出すことが出来て・・出来て・・出来て?」
カイトは、突然黙り込む。
「?」
カナは、カイトの変化に戸惑う。
スミは、何も言わずにカイトを見る。
(裁判所を飛び出した後、私はどうした?記憶がない・・何があった?何が・・・何が)
頭に衝撃が走る。
ぬめりっとしたものが髪の間をつたい、顔まで流れてくる。
カイトは、顔に触る。
赤黒い液体が手のひらを汚す。
鈍い痛みが滲みるように広がっていく。
カイトは、振り返る。
藍色のワンピースを着た女が立っていた。
顔は、靄のようなものが掛かっていて見えない。
枯れ木のような細い手には赤く染まった大きな石が握られていた。
「&#/@〆^|\/-€°_&!」
女は、訳の分からない事を叫ぶ。
自分を罵っていることだけは口調から分かる。
恐怖がカイトを襲う。
女は、血に染まった石を振り上げる。
「死ねえ!」
今度は、はっきりと聞こえた。
石がカイトに振り下ろされる。
カイトは、絶叫する。
女は、消えた。
痛みも消え、ぬめりっとした血の感触も消えた。手のひらも綺麗な肌色だ。
カイトは、何が起きたか分からず、恐怖の抜けきらない表情でスミとカナを見た。
カナは、何が起きたのか分からず、呆然としている。
スミは、新しい粉を入れたドリッパーに渦を描きながらお湯を注ぐ。
カイトは、乱れる息のままスミを睨む。
「おいっ!今のはなんだ!?」
スミは、お湯を注ぐ手を止めてカイトを見る。
「今のとは?」
興味なさそうにスミは言う。
その口調がカイトをさらに苛立たせる。
「今のだよ!その絵と一緒でプロジェクションマッピングか⁉︎それともさっきの不味いコーヒーに幻覚剤でも入れたのか⁉︎」
今にも飛びかかりそうなカイトに対し、スミの反応はどこまでも平坦だった。
「さあ、貴方が何を見たのかなんて私には分かりません」
「貴様っ・・!」
カイトは、歯軋りする。
「貴方が見たものは貴方が1番良く知っているはずですよ。カイトさん」
その言葉にカイトの思考が一瞬止まる。
俺が1番良く知っている・・・?
どう言うことだ。
俺が何を知っていると・・・。
そこまで考えて再び思考が止まる。
頭の中でさまざまな場面が古い活動写真のように現れては脳裏に吸い込まれる。
そして1つの答えが出る。
カイトの身体中から汗が噴き出る。
身体が震え、呼吸が浅くなる。
「俺は・・・」
残滓のように掠れた声。
「俺は・・・」
目が恐怖に揺れる。
これから自分が口にする事実を認めたくないように。
「俺は・・・死んだのか?」
スミは、何も答えない。
ただ、蝶の形を模したカップを置いただけだ。
「貴方は、選ばなければならない」
スミの置いたカップには絵が書かれている。
悪魔のように笑うカイトの顔が。
「"生くか"?逝くか"?を」
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