第2話 春は花びら(2) 鳥頭

イクカイクカ?

 頭の中で言葉の変換が出来ない。

 しかし、あの店主が放つ言葉の重みに男の身体は震える。

 店主は、何もなかったかのように猫のケトルを五徳に置いて火を掛ける。

 カウンターの角に座った薄気味悪い眼帯の女子高生がじいっとこちらを見ている。

 なんなんだ・・・こいつらは⁉︎

 男は、畏怖に駆られながらも考える。

 そうだ。オレはいつだって考えてきた。

 考えて考えて危機を乗り越えてきたのだ。

 そうあの時だって。

 男は、弾けそうな心臓を呼吸を整えて落ち着かせる。

 そして笑みを浮かべる。

 ここに来た時と同じ、穏やかな笑みを。

「決めるとはどのようなことを?」

 男の言葉にスミは、ケトルから目を離す。

 そう、まずは相手の出方を見るのだ。

 そして対策を考える。

 俺なら出来る。

 しかし、スミの発した言葉は、あまりにも単純だった。

「話してください」

 男の顔に疑問符が浮かぶ。

「話す?何を」

「さあ」

 スミは、頭を振る。

「話すことが何なのかは私には分かりません」

 男は、肩を竦める。

「お題もなく話せと?無茶振りが過ぎませんか?」

「話すことはもう貴方の中で分かってるはずです」

 スミは、先程まで男が座っていた場所に招くように手を差し出す。

「こちらに座ってお話しください。貴方の話したいことを」

 取り繕うこともしないスミの言葉に男は苛立ちを覚える。

 大体、俺が話したいこととはなんだ⁉︎

 お前に俺が何を話す必要があると・・・⁉︎

 その瞬間、男の脳裏に一つの事柄が浮かぶ。

 そして思わず唇の端を吊り上げて笑う。

 そうか、こいつは・・・。

 男は、ゆっくりとした足取りで自分の座っていた席に戻る。

 そしてスミを見上げて笑う。

「貴方・・・知っていたのですね。私のこと」

 スミは、何も答えない。

 男は、それを肯定と取った。

「それならそうと言ってくれればいいのに。こんな回りくどいトリックを使わなくても、ねえ」

 男は、同意を求めるようにカナを見る。

 カナは、何も言わなかった。

 いや、何も言うことが出来なかった。

 男をただ見ることしか出来なかった。

「いいでしょう。お話ししましょう」

 男は、両肘をカウンターに置き、両手を組む。

 どうせお前はこれが聞きたいんだろう?

 男は、ほくそ笑む。

「私があの男を殺した話しを」


 男は、カイトと名乗った。

 特にスミからもカナからも名を聞いた訳ではない。

 話しをするのに不便だからと自ら名乗ったのだ。

「”鳥頭”をご存じですか?」

 カイトの発した言葉にカナの身体が大きく震えた。

 白い顔色が青白くなり、油汗が浮かんでいる。

 その変貌を目の端で捉えたカイトは、小さく笑う。

 しかし、スミがまったく表情を変えないことに気づき、笑みを消して眉根を寄せる。

「聞いたことありませんか?」

「存じません」

 カイトは、驚きのあまり顎が外れんばかりに口を開く。

 カナも瞳を震わせてスミを見る。

「あの鳥頭ですよ⁉︎あの日本を震撼させた鳥頭ですよ⁉︎貴方はその話しを聞きたいのではないのですか?」

「話すのは貴方です。何を話すかは私の知るところではありません」

 まるで興味がないと言わんばかりにスミは、ドリッパーから古いフィルターを外す。

 カイトは、組んだ両手を食い込まんばかりに握りしめる。

 しかし、表情は崩さなかった。

「いいでしょう。なら話しましょう。私があの男を殺した話しを」

 カイトは、話し出す。


 それは今から1年以上も前の話しだ。

 世間はちょうど夏休み。はしゃぎ回る子どもたち、うんざりしながらも元気な子どもたちを楽しげに見守る親、夏の雰囲気に酔いしれる若者、暑さにかこつけて酒を楽しむ三段をつける中高年や高齢者で世間は溢れていた。

 その年の夏は、例年にも増して猛暑が続き、お盆を待たずして避暑地に観光に行く家族連れやカップルが多かった。

 特に避暑をしながら温泉に入り、レジャーも楽しむことが出来る〇〇県の観光地は人気で、そこに向かう為に作られたオレンジ色の古い宇宙船を思わせる特急列車は指定席も全て埋まっていた。

 車内は町中以上の賑わいを見せて、エアコンが付いているにも関わらず熱気が包み込んでいた。

 その空間が氷点下まで下がる惨劇が起こるとは誰も思っていなかった。

 そいつは突然に現れた。

 ディスカウントストアで売ってるようなラバー製のカラスの被り物をし、身体を理科室のカーテンのような黒い布を羽織っていた。

 そいつが現れた時、賑やかだった車内が静まり返った。

 あまりの異様さに皆、現実として理解出来ず、思考が凍ってしまう。

 そいつ・・・鳥頭は首を動かして車内を見回す。まるで出来の悪いアトラクションの人形のように。

 そして唐突に止まると、鳥からは決して発せられる事のない醜い雄叫びを上げた。

 その途端に思考のフリーズが解除される。

 車内は騒然となり、人々は悲鳴を上げる。

 鳥頭は、奇声を上げながら手に持つ包丁で逃げ惑う人たちを切り付けていった。

 警察が駆けつけた時にはこの世の物ではない光景が出来上がっていた。

 血飛沫と血溜まりで赤く染まる車内。

 切り裂かれた部位を押さえて泣き叫ぶ被害者たち。

 動かなくなった男性に泣き叫びながら呼びかける女性。

 血まみれに切り裂かれて動かなくなった2人の子どもを庇うように覆いかぶさる母親。

 返り血で赤黒く染まり、高らかに笑う鳥頭。

 この光景を見た警察官、生き残った被害者たちはこう言った。

 あれはただの地獄だった、と。


 うえっ⁉︎

 カナが口元を抑えたかと思うと、そのまま椅子から転げ落ち、床に嘔吐した。

「大丈夫か?」

 スミは、カナを見るがカウンターから出ようとはしない。

 カイトは、楽しそうに笑う。

「お若い貴方には刺激が強かったですかね?」

 ククッと声を漏らす。

「これが日本中を震え上がらせた鳥頭惨殺事件ですよ。ここまで聞いても存じ上げませんか?」

 スミは、カナからカイトへと視線を戻す。

「この事件の死傷者は4名。意外と少ないですよね。とは言っても生き残った人たちも後遺症やPTSDでとても社会復帰出来るような状態ではないそうです」

 スミは、じっとカイトを見据える。

「それで・・・」

 スミは、小さく声を出す。

「貴方は、この事件とどう言う関わりがあるのですか?」

 スミが聞くとカイトの顔から笑みが消える。

 そして次に浮かんできたのは怒りだった。

 どこまで俺を馬鹿にすれば・・・。

 カイトは、拳を握りしめる。

 しかし、何とか怒りを抑え込み、平静に話しだす。

「殺されたのは4人と言いましたよね」

「ええっ」

「そのうち1人は新婚のご夫婦の旦那さんだそうです。奥様を庇って刺されたとか・・」

 カナは、カーディガンの袖で口元を拭いて何かを言おうとするが、口がパクパク動くだけで声が出ていなかった。

 カイトは、またかと煩わしそうに横目で見る。

 気味の悪い女だ!

 心の奥底で罵るも平静に次の言葉を紡ぐ。

「3人は親子です。母親と2人の男の子。母親は、子どもを庇って背中を刺され、2人もそのまま腹を刺されて殺されたそうです」

 カイトは、目を瞑り、小さく息を吐く。

「その親子は私の妻と子ども達です。そして・・・」

 開かれたカイトの目が仄暗く光る。

「私が殺したのは・・その妻と子ども達の仇・・」

 その光は明確な殺意だった。

「鳥頭ですよ」

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