第20話 初めての怒り

「左!伏せて!」

 訓練とは恐ろしい…、いえ、素晴らしいものです。その声に、私は反射的に従いました。直後に、パチンという音と、お母様が呻く声が聞こえ、同時に私はベッドから引きずり下ろされました。どうやら、助かったようです。

「レベッカ?」

「申し訳ありません。旦那様を呼びに行っている隙にまさかこんなことになっているとは」

 ハッとお母様の方を見ると、お父様がお母様を羽交い締めにしているのが見えました。茶色の小瓶は、ベッド上に落ち、シーツに染みを作っています。

「いや、見ないで!見ないでー!」

「落ち着きなさい!アンナベル」

 お母様は顔を覆ったまま身をよじって逃げようとされています。

「放して!お願いだから!私を見ないでー!」

「アンナベル!頼むから落ち着け」

 その時、お母様の体にうっすらと青い光がまとわりつくのが見えました。

「何?あれ?」

「どうされました?」

レベッカの問いかけに答えようとしたその時。

───パリン

「まずい!皆、離れろ!」

 何かが割れる音がした次の瞬間、突如部屋中を稲妻が走りました。

「キャーッ!」

「大丈夫だシャイスタ。私が防御壁を張っている」

 気付くと、お父様が私達の前に立ち、魔力で壁を作ってくださっていました。私はレベッカに抱きしめられるようにして立ち上がりました。

「お父様。お母様は、どうされてしまったのです?」

「魔力暴走だ」

「魔力、暴走?」

 いつものお母様からはかけ離れた言葉に私は戸惑いました。この世界での魔力は、実質軍事利用されるものが多く、女性ももちろん魔力は持っていますが、武道として、あるいは学問として学ぶものであり、結婚して家庭に入った夫人達はそれを見せることはまずありません。実際に使用するのは、兵士を中心とした男性達です。

「ああ。アンナベルはああ見えて魔力量が桁違いに多いのだ。しかも、コントロールが下手で、感情的になると暴走しやすい。魔力封じの魔石で魔力の大半を抑えていたのだが、今回はそれでは抑えきれず、魔石が壊れ、暴走し始めた」

 なんということ!そんな力を秘めたお母様に、あんな衝撃を与えたのですね、お父様。そこで私はふと思いました。

「まさか、ジオルドの件をお母様に話すのが遅れたのも…」

「…すまん。何せあの通りの力を秘めた人だ。暴走したらと思うとなかなか切り出せなくて、喜び事の直後なら大丈夫だろうかとあの日を選んだが、結果的にタイミングを見誤った」

 あの時こうなる可能性もあったのですね。恐ろしい…。

 お母様は顔を覆って泣き崩れておられます。全身から稲妻が発せられており、とても近寄れる状態ではありません。もちろん、お父様の壁に守られていない空間は、家具にしろ絨毯にしろ、焦げが走り、散々な有様です。

「お母様、どうかおやめください。このままでは、皆が怪我をします」

 怪我どころか死にそうですが、そんな可能性口にしたくないので、あえて「怪我」と言いました。圧倒的な力を見せつけられ、体の震えが止まりません。お父様が守ってくださっているとはいえ、それも何時まで持つかわかりません。

「嫌い!みんな大っ嫌い!何で私には女の子1人しか生まれなかったの?みんなみんな子ども自慢をして、私を馬鹿にして!せめて誰よりも美しくあろうとしていたのに、こんな、こんな顔に…。何でなのよー!!」

 部屋の中に雷が落ちました。

「グッ!」

 お父様が後ろへ弾かれます。何とか雷は受け流したものの、明らかに壁が弱体化していくのがわかりました。

「みんな死んじゃえー!!」

 お母様の言葉に、プチンと私の頭の中で音がしました。私はこんな結末を迎えたくなかったから、辛く厳しい淑女教育に耐え、お父様お母様が気に入る娘たれと、泣き顔も見せず、不満も言わず、何だって受け入れてきたのに。

「ふざけないでよ!お母様!」

 怒りが、体中を駆け巡ります。血が沸騰しているみたいに、体が熱くなります。

「遊ぶ暇もなく、お勉強に、お稽古事に追われて、護身術の訓練もさせられて、死ぬような目に合わされて、それこそ命がけで耐えてきたのに!私が女だから、お母様は不幸だったというの!?お母様には、私の存在なんか価値がなくて、自分の美貌しかなかったと言うの!?」

「シャイスタ!?まずい!」

 お父様が後ろで何か言っておられますが、そちらを気にする余裕は私にはありませんでした。

「あなたに好かれたいために、これまで努力してきたのに!私はお母様が綺麗とか、醜いとか、そんなの関係なくて!ただ、笑っていて欲しかっただけなのに!」

 私の体も、青い光を発し始めました。あぁ、これが暴走なのか…。どこか他人事のように私は思い、でも、それよりも怒りの衝動の方が大きくて…

「お母様のバカー!!!」

 途方もないエネルギーを感じながら、私はお母様に向かって叫び、その叫び声を追うように、稲妻が放たれるのを見ていました。

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