第19話 訪れたその時
皆様ご機嫌よう。本日はベッドから失礼いたします。転生公爵令嬢シャイスタです。
引き籠もってしまわれたお母様と対話をはかり、事態を改善するための作戦に私は今参加しております。何をしているかと言うと、メイクで顔をかぶれたように偽装して寝込んでおります。ざっくり言うと「仮病」です。
つまり、私が病気で寝込み、お母様を呼んでいるという情報をお母様に吹き込んで部屋から出て来て頂こうという、ベタというかなんというか、な作戦なのですが…。
(こんなことで出て来てくださるかしら)
王家との婚約内定の昼餐会の相談にすら出て来られないのに、14歳にもなっている娘が多少寝込んだからって、出て来るとは思いがたいのです。命に関わるならともかくとして、今回の仮病は…、
(おしろいにかぶれて顔を腫らしたショックで発熱設定って…)
なぜそんな微妙な設定でいくのでしょう?ちなみに仮病を思いついたのは私ですが、脚本はレベッカ担当です。いや、女性の顔は命みたいなものですが、ぶっちゃけ化粧品かぶれなんて、数日肌を刺激しないようにしていれば治るし、ショックで発熱て…。どんだけメンタル弱いんですか、私。
全く気落ちの気の字もないまま、ベッドに入って早6時間。すっかり日も暮れました。残念ながらお母様は来られません。まあ、そうだよねぇ、といったところなのですが。
お母様は、美しく、上品で、かつ社交界を牛耳るだけの強さを持った淑女ですが、子育てに関しては私の知っている理想の母ではありませんでした。どう言えばいいのでしょう。ドレスを誂えたり、お茶会やお芝居に連れ回したり、そういうことは熱心ですし、私が体調を崩せば(何度か毒教育のテストに失敗して毒に当たりましたので)ベッドのそばで水を飲ませたりしてくださいましたが、使用人達が交代を申し出ると、あっさり帰ってしまうような、そんな感じ。もしも私が年齢相応に癇癪を起こしたり、あるいはうっかりその辺で吐き散らかしたりしたら、きっと相手にしてくださらないんだろうなぁっていう。ちょうど、親戚のお姉さんがたまに会うかわいいちびっ子を猫かわいがりするような、そんなかわいがり方です。
でも、あまり所帯じみた「お母ちゃん」もあのお母様に似合うとは思えず、私もお母様には本音で甘えるよりも、お母様の望む完璧な娘を演じて、それでご機嫌よくコロコロ笑ってくださるなら、それでいっか、と思ってきました。ですから、そのことに不満はないのです。
(ただ、やっぱり、来てくださらないと思うと、少し寂しいわね)
もしも本物のシャイスタだったら、どうだったでしょう。きっと、もっと強く母の愛を求めて、色々問題を起こしていた気がします。そう考えると、私が代わってよかったのかもしれません。
残念ながらお母様は仮病では釣れませんでした。もう、打つ手はない気もしますが、諦めずにやり続けなくては、本当に取り返しのつかないことになってしまいます。
(次、次は…、どうしよう)
そんなこんなを考えているうちに、いつの間にか私は眠り込んでいたようです。
───カチャ…
微かな物音に気付き、私はハッと目を開きました。
夜の闇の中、スルリと私のへやに入ってくる白い影。その優雅な動きには覚えがあります。
「お母様!」
思わず私は声を弾ませました。白い影は、シーッと人差し指を顔の前に立てます。なぜか、ベールの付いた帽子を被っていて、お顔が見えません。ふと不安になった私は、お母様に呼びかけました。
「お母様?」
「シャイスタ、かわいそうに」
その声は間違いなくお母様のもので、私はホッとしました。一瞬別人ではないかと心配になったもので。
「お母様。なんで家の中でベールなんてしてらっしゃるの?びっくりしましたわ」
「ごめんね。少しわけがあるの。それより、あなたの顔を見せて」
ベッドの脇まで来てかがみ込んだお母様は、燭台をサイドテーブルに置き、私の顔を覗き込みました。
「こんなに赤くなって」
「ごめんなさい。こんなことでと思ったのですけど、ショックで…」
私はレベッカの筋書き通り、目を潤ませます。このためだけに、うそ泣き特訓を受講済みです。
「当然よ。こんな綺麗な顔が、こんな無惨に…」
お母様も声が震えておられます。こんなことで?と思っていた私ですが、お母様にとってはそんな軽いものではないようで、まあ、作戦は順調というところでしょうか。
「心細くて、どうしてもお母様にそばにいていただきたかったの。ねぇ、少しの間でも構いませんから、ここにいて、お話してくださらない?」
ここからが本題です。なんとか、お母様の今のお心を聞き出しながら、部屋から出てくださる時間を確保していくか。私はこっそりシーツを左手で握り締めました。
「大丈夫。シャイスタ。お母様はこれからずっとシャイスタといるわ」
「ほんと?」
願ってもいない言葉に、私は嬉しさを隠しきれませんでした。やっぱりお母様はお母様です。娘が苦しんでいれば寄り添ってくださる情がありました。私もお母様が引き籠もられてからのあれやこれやで少し心が弱っていたようです。何も考えずに、ただ、嬉しいと、そう浮かれたのですが。
「さ、シャイスタ。これを飲みましょう」
「え?」
突然お母様は、怪しげな茶色の小瓶をだして来られました。薬でしょうか?いえ、でも…。予想外の展開に、私はフリーズします。
「おしろいの使えない女に、未来はないわ。あっという間に老いて醜くなって嘲笑われるだけ。私も、あなたも…」
「お母様?」
ただならぬ雰囲気のお母様が静かにベールを上げられました。私は、そのお顔を見て、思わず息を呑みました。
「お母様…、そのお顔…」
「あなたと同じ。おしろいが駄目になったの…」
いつも真っ白で美しかったお母様のお顔は全体に赤くなり、吹き出物が無数に出来ておられました。
「色々なおしろいを試したわ。でも、駄目なの。少しの間だけでも我慢出来ないかと、何度も試したけれど、痒くて我慢出来なくて。残ったのは、見るも無惨なこの醜い顔だけ」
お母様の声からは、滲み出る悲しみと絶望感が伝わってきます。私は、目を見開いたまま、何も言えません。
「こんな醜い顔、誰にも見せたくない。でも、醜さを隠すおしろいは使えない。ごめんね、シャイスタ。だから、出て来られなかったの。でも、王家の昼餐会は迫ってくるし、どうしたらいいかわからなくて。そんな時に、あなたも私と同じだと聞いたの。それで、たまらずに出て来たわ」
呆然とする私に構わず、お母様は滔々としゃべられます。
「おしろいなしで美しくいられるのはわずか数年。美しければ美しいほど、人は粗を探して突いてくる。それは小さな染みだったり、子どもの性別だったり、ね」
背中に冷たい汗が伝いました。お母様の声から、ねっとりとした嫌な物を感じます。
「どうして、こんなに賢くて大人びたあなたは、女の子だったのかしら。男の子だったら、申し分なかったのに」
私の体が小刻みに震え始めました。こんなにも生々しい恐怖を感じたのは、こちらに来てから初めてです。
「シャイスタ、お母様と一緒にいきましょう。こんな女に意地の悪い世界にいることはないわ」
キュッとお母様は茶色の小瓶の蓋を捻りました。私は、本能的にベッド上を後退ります。しかし、いくらもいかないうちに、背中がヘッドボードに当たりました。口がカラカラに乾き、声が出ません。
「さぁ」
あぁ、これを避けるために日々努力してきたのに…。無駄だったのか…。私はきつく目を閉じました。その弾みに、眦から一筋、涙が零れました。
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