第10話 護身術講義~ドレスで走れるのが淑女の嗜みというものです~

 皆様ご機嫌よう。転生公爵令嬢シャイスタです。新しくレベッカという侍女が加わり、私の淑女教育プログラムにも若干の新風が吹き荒れています。


「では、お嬢様。とりあえず7歳なりの護身の心得の基本をお教えしましょう」

「はい!」

 昼食前の約30分が、護身術の時間に割り当てられました。その分座学の時間が繰り上がるので、睡眠時間を削って早起きして座学の時間を確保するか、それとも座学の内容を見直して進捗を遅らせるかでメリル夫人とばあやの喧々囂々の議論があったことは、報告のみに留めておきましょう。お察しください。結局、間をとって15分早起き、削られる15分はメリル夫人と私が頑張って埋め合わせるということで決着しましたが。

 とりあえず、公爵家の庭にて第一回護身術講義が始まりました。どんな術が出て来るのか、私は固唾を飲んでレベッカの言葉を待ちました。

「よろしいですか。子どもというのは腕力、体力共に大人に叶うものではありません。原則、大人に襲われた時に、打ち倒すことを目標にしてはいけません」

「はい」

 つい、いかにして相手を倒すかを考えがちですが、7歳児の腕力などたかがしれています。

「お嬢様が大人に襲われた場合、第一に逃げることを優先してください」

「わかったわ」

「意外と、背の低い子どもがチョコマカと走り回っていると、捕まえるのに苦労するものです。ですから、基本的にはなるべく長く走って逃げる体力作りが大切になります」

「でも、魔法で狙われたら逃げ切れる?」

 そう。この世界には魔法があるのです。ただし、貴族の血筋にしか原則発現しないという遺伝の法則付きですが。

「小さな子ども相手に攻撃魔法を使うということは考えにくいです。攻撃魔法は威力が大きく、大型魔獣や大勢の戦士を相手に使うことを想定しておりますから、邸や庭で下手に使えば、被害が他にも及びます。それに、魔法を使えるのは、貴族に連なる者ということになりますから、身元が割れやすくなります。そんな非効率で足がつきやすいやり方はまあ使わないでしょう」

「そっか」

「お嬢様には逃げることに加えて、隠れること、捕まっても隙をついて逃げること、最後に、捕まった時に相手の同情や罪悪感を引き出し、なるべく危害を加えられぬよう持って行くこと、この4つの訓練を基本とします」

「はい」

 なるほど、玄人の言うことは説得力があります。私は大変納得しました。

「では、まずは体力作りからです。この庭を15分間走って逃げてください。私が後を追いますので」

「へ?」

 突然のランニング指令。しかも、私は動きづらいフリフリドレスに硬くて高級な革靴。

「待って!このドレスや靴じゃ、動きづらいわ。せめて着替えてから…」

 でないと、汚したり破ったりしたら、ばあやが鬼婆に化けてしまいます。しかし、

「何をおっしゃるのですか。他家訪問時には今以上にお洒落なさっているのでしょう?ドレスで走れなければ意味はありません」

「た、確かに」

 あっさり敗北です。

「では、始めます。私に制限時間内に捕まったら、私のペットのシマヘビ、ヘビーヌちゃんと親睦を深めていただきます」

「へび!?そんなの連れてきてたの!?」

 私は震え上がりました。私は普通の少女なので、長細い生き物は苦手というか、恐怖の対象です。思わず蒼白になる私には構わず、

「用意、スタート!」

 レベッカは追いかけっこをスタートさせました。私は必死に駆け出しました。へびの罰ゲームがとにかく頭から離れず、一心不乱に庭を逃げ回りました。しかし、公爵家の庭は公園級。正直、お勉強漬けでほとんど散策したこともなかったので、どっちに逃げれば良いのかわかりません。闇雲に走っていると行き止まりに当たったり、逆にレベッカの方へ寄って行っていたり、捕まりそうになったこと数しれず。それでも、へびへの恐怖で何とか15分間逃げ延びました。

「ハァ、ハァ…」

「よく頑張られましたね。お嬢様」

「ハァ、ハァ…。私、お庭、道、全然わかってなかった…」

「いいところに気付かれましたね。いえ、私も少々想定外ではありましたが」

「どういう…ハァ…、こと?…ハァ…」

「てっきりお嬢様はご自分のお邸の庭はよくご存知と思っておりましたので。ある意味非常に実践的にはなりました」

「ハァ…ハァ…で?」

「つまり、道を知っているかどうかということが、逃げるに当たり、かなり重要になるということです。ですから、余所のお邸を訪問された際は、可能な限り、庭や邸内を見せていただき、いざというときの逃走経路を把握しておくべきです」

「ハァ…、ハァ…、そうね…」

「普通客人が通る正式な出入りの道筋とは別に、使用人が使う裏口への道順がわかっていると理想的ですね」

「ハァ…、ハァ…。わかった…」

「今日はここまでにいたします。後でこの邸内の庭の地図をお持ちしますので、明日までに頭に入れておいてください。明日も追いかけっこですよ」

「えぇ~!?」

「それとも、ヘビーヌちゃんがいいですか?」

「いえ、追いかけっこで」

「では、そういうことで」

 濃い30分間でした。ヘロヘロで自室へ帰り着き、やっとホッと息を吐いたのですが…。

「まぁ!お嬢様!そのお姿は何ですか!?」

 今度は眉間に皺を寄せたばあやに詰め寄られました。

「え?あ、えっと…」

 気付けばリボンが解けて髪はボサボサ、走り回ったせいで、ドレスは着崩れ、袖のところにちょっと引っ掛けたほつれがありました。

「あの、逃げる練習で…」

「いえ、そうでしたね。護身術の講義ですものね。もう少し服装にもばあやが気を付けるべきでした」

 ホッとしたのも束の間、ばあやは手早くドレスを脱がせ、濡れた手拭いでゴシゴシと全身の汗を拭ってくれます。ありがたいけれど、苛立ちが手つきから伝わってきて、ちょっと痛いです。ちょっとだけだけど…。いつもが丁寧すぎるから、僅かな差でもわかります。さらに早手回しで昼からのドレスを着付けると、椅子に掛けさせられ、新しい濡れ手拭いを顔に被せられました。

「わぷっ!」

「お嬢様、日焼けしては大変でございます。しばらくそのままで顔をお冷やしください。私はレベッカのところへ行ってまいります。私が戻るまでそのままで!」

「え?ばあや?」

 ばあやはもういませんでした。何となくこの後の展開はわかります。私は心の中でレベッカに手を合わせました。


 ちなみに、翌日から、護身術講義は朝一番に変更になり、護身術用ドレスが何着か指定されることになりました。レベッカは…、きっと色々あっただろうと思いますが、全くそれを感じさせない態度で飄々と護身術講義を続けています。玄人は多少ばあやに怒られたからって、動揺はしないんですね。お陰様で、午前の座学には眠気との戦いという新たな課題が加わってしまった私です。誰か、睡魔から身を守る術、知りませんか?

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