第4話 突然の修羅場~ばあや vs 家庭教師~

 どうも、転生公爵令嬢シャイスタです。

 さっそくですが、起きた途端に修羅場です。

 いえ、男女のいざこざではありません。ばあや対家庭教師です。

 話はほんの数分前に遡ります。



「お嬢様、ご気分はいかがですか?無理をなさってはいけませんよ」

「大丈夫よ」

 我ながら鈴を転がすようなかわいい声です。ばあやが目尻を下げながら甲斐甲斐しく世話を焼くのもわかります。

 ようやく、床上げと言うのでしょうか?ベッドなので、布団は上げませんが。ともかく、病の床を出て、普通の生活に戻る日がやって来ました。ばあやに言われるままに、用意された洗面器らしき美しい陶器に張られた水で顔を洗い、ばあやの手伝いで、かわいらしいドレスに着替えます。シャイスタの体が覚えているらしく、自然とばあやの世話を受けますが、既に私はカルチャーショックを受けました。

 子どもなので、着替えを手伝われるのはまあ、普通です。問題は服です。ドレスです。まずは、シュミーズ。フリフリのリボンピラピラのかわいいものです。正直、前世なら、サマードレスと言っても通用しそうな代物です。そこに、ペチコートというのでしょうか。スカートを膨らませるためのスカート的なものを履かされました。こちらも、レースピラピラで、それなりの重厚感があります。その上からようやくスカートです。子どもなので、膝下丈ではありますが、その光沢感からして、たぶん絹。色はピンク色でかわいい色ですが、重みのあるしっかりした素材です。両横についた紐を結んで固定されます。さらに、上からブラウス、そして、スカートと同素材の上着を着せられます。とは言え、レースやらフリルやらの装飾ブリブリで、同素材と単純に言っていいのか悩みますが。体にピッタリサイズで、前側を引っ張るようにしないと、ボタンが止まりません。ちょっと苦しいです。あと、非常に動きづらくて重いです。

 着替え終わると、ばあやは髪の毛を丁寧にとかし、ハーフアップにして、リボンで結びました。質のいい大きなリボンはとても綺麗ですが、たぶん頭を振ったり、走ったりすれば、すぐにほどけるのでしょうね。髪の毛用ゴムは、この世界にはなさそうなので、気を付けなくてはいけません。服といい、髪といい、要は「暴れるな」ということですよね。この動きにくさ。

「終わりましたよ。お嬢様」

「ありがとう、ばあや」

「まぁ、御礼を言ってくださるなんて。ばあやは感激ですわ。今日はいい一日になりますわね」

「…、そ、そう?」

 エプロンの端を目尻に押し当てるばあや。ちょっとオーバーじゃない?それとも、シャイスタは、普段御礼なんて言わなかったのかしら。

「ご準備は整いましたか?お嬢様」

 その時、ノブの回る音と、低い落ち着いた女性の声が響きました。途端に、シャイスタの体がピクリと反応し、シャキン!と、背筋が伸びます。全身カチコチです。何でしょう、これは?

 部屋の入口に目を向けると、ばあやよりは少し若そうだけれども、見るからに厳しそうな顔立ちの女性が立っています。家庭教師のメリル先生です。眉間に少し皺を寄せながら、眼鏡の奥から眼光鋭く、私の姿を上から下まで見ています。そんな先生は、今日も藍色の地味なドレスを一分の乱れなく着こなしています。髪も1本の後れ毛すらなく、きちんとなでつけられていて、その身だしなみに隙はありません。全身スキャンが終わると、メリル先生はツカツカとシャイスタに近付いてきて、まずは肩をガッ!とつかんでやや左に微調整。さらに上着の裾をピシッと引っ張って伸ばし、一度後ろに下がると、またジッと眺めてきます。この間シャイスタ、というか、私は蛇に睨まれたカエルの如く、カチーンと固まってされるがままです。

「…まぁ、今日のところはこれでよろしいでしょう」

 何基準かよくわかりませんが、ギリギリ及第点を頂きました。ホッと体の力を抜いた瞬間、

「姿勢を崩さない!」

「はいっ!」

 鞭を振るわれたような衝撃感のある叱責がとび、条件反射で私の口からは体育会系のいい返事が飛び出しました。もちろん、考えられる限りのいい姿勢に戻っています。

「メリル夫人!お嬢様は病み上がりなのですよ!今日くらい大目に見て差し上げるものではないですか!」

 横からばあやが食ってかかります。メリル先生はばあやに向き直りました。漫画であれば、「キッ!」という擬態語が書かれるであろう凄い顔つきでばあやを睨み付けます。

「手加減はしております。寝込まれる前のお嬢様であれば、あと、顎の引き具合と視線の位置についてもお直しするところでしたがね!」

 ひえぇ…。細かい。そして怖い。

「それからお嬢様!」

「はいっ!」

 こっちに矛先向いた!今度は何?

「着替えくらいで使用人にいちいち礼を言うものではございません!どんな心境の変化か存じませんが、今後はおやめください!下の身分の者に過度な礼をしていると、軽んじられる元となります」

 えぇー?何それ?お礼を言わない方が人としてどうかと思うけど…。

「ばあやの仕事はお嬢様の身の回りのお世話。給金をもらってしていることですから当然です。礼を言うのが当たり前になれば、毎回礼をせねば満足に働かなくなるのが使用人というもの。いくら身近なばあやといえども、主人と召使いの線引きはきちんとなさいませ!」

「はいっ!気を付けます!」

 礼を言うなという理由に納得がいったわけではないけれど、とにかくメリル先生の小言の迫力は凄いです。いいとか悪いとか考える前に、私は是と返事をしていました。

 が、納得してないのは私だけではなかったようです。

「まあぁ!お嬢様の純粋なお優しい気持ちを踏みにじるなんて!そんな教育を施しては、せっかくのお嬢様の持って生まれた「お優しい」という美点が駄目になってしまいます!偉そうに振る舞うよう躾けるのが一流の家庭教師とやらなのですか!」

 ばあや、強いわ。私も「礼を言うな」、なんて言い分、納得はしてないけれど、この一事をもって、家庭教師の教育方針、全否定で向かっていくなんて。私には無理。

 案の定、メリル先生の眉がきゅうっと吊り上がりました。

「お黙りなさい!いいですか。世の中は、善良な使用人ばかりではないのです。人の良い主人と侮られれば、良い待遇はされて当たり前、少しでも不満があれば仕事に手を抜く。ひどい場合には、金目の物に手を付けたり、情報を余所に流したり。こうして食い潰された主人が数多いるのです!お嬢様が将来、そんな悲惨な目にあっていいとでも!」

「本当に、偏った見方しか出来ない偏屈なレディですこと!使用人を牛馬の如くこき使い、人望を失った結果、反旗を翻されて命すら落とした貴族の例を知らないのでしょうか!逆に使用人を優しく扱った主は、たとえ落ちぶれても多くの人々に助けられ、決して不幸にはならないものです!」

 ばあやは、湯気が立ちそうな真っ赤な顔で言い返しました。しかし、メリル先生は鼻で笑って受け流します。

「あなたの例は極端なのです。どちらも、反乱や没落といった究極の状況の話でしょう?親切心で使用人をのさばらせた結果、裏切られるという場合の方が、今現在において起こり得る可能性が高い」

「そんなの、わかりっこないではありませんか?つい10年前にも、トリアナ地方で使用人を中心に起こった農民の反乱があったばかりですよ?」

ばあやもまた、鼻で笑い返しました。負けてない。あのメリル先生相手でも、負けてないわ、ばあや。

「これだから年寄りは…。10年前をついこないだのことのように言うなんて…」

 嫌みったらしくメリル先生は応酬しました。これは、拗れます。女に年齢を当てこすっては、絶対に拗れます…。

「夫人こそ、その記憶力を疑うべきだと思いますよ。私と夫人は年は5つしか違わないのに、年寄り扱いとはねぇ。ご自分のお年も忘れたのですか?」

 メリル先生の眉の吊り上がりは最高潮に達しました。ばあやのほっぺも怒りでこれ以上ないくらいに真っ赤っか。2人とも一歩も引かない睨み合いです。部屋が熱くなってきた気がします。これは、なんとか雰囲気を変えなければ、終わりません。何か、何か手段は…

「あの!あ、あの…」

 必死で声を上げましたが、何だか自信がなくなり、声が小さくなってしまいます。ですが、効果はなかったわけではないようです。

「どうしました?お嬢様」

メリル先生は、少し表情を緩めて私に応えてくれました。

「質問があります」

「何です?」

 いや、やっぱり怖い。この切り上げ口調、怖い。しかし、ここで引き下がっては、もっと怖いことになりそうです。

「その、ばあやに…、使用人にお礼を言ってはならないとおっしゃいますが、その、それでも言いたい時は、どうすればよろしいの、で、しょうか…」

 だんだん語尾が弱弱しく小声になっていきます。だって怖いんだもん。メリル先生の眉間には皺が寄っています。そして、私の顔をじっと見ています。ふと気付くと、ばあやも驚いた顔をしてこちらを見ていました。

「お珍しいですね。お嬢様からご質問が出るとは」

 急に軽くなった空気と共に、予想以上に落ち着いた声でメリル先生は言いました。

「格別に世話をかけた、あるいは功績があった場合には、苦労をかけた旨を伝えるとよろしいでしょう。レディであれば、『ご苦労様』とでもおっしゃればよいかと」

 穏やかに返事が返ったことに、内心驚きました。ですが同時に、きちんとメリル先生が答えてくれたことに、嬉しさも感じます。

「はい。わかりました」

「さて、時間ですね」

 メリル先生は、ポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認します。

「朝食に遅れます。参りましょう」

「はい!」

 私は、軽くなった心のままに、一歩踏み出しました。途端に、重たいスカートがバサリと翻り姿勢を崩してしまいます。

「歩幅が大きい!」

「すみません!」

 さっそくお叱りを受ける私。あぁ、私、食堂までちゃんとたどり着けるのかしら。

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