@3 萩原 ユヅハ

 蝋燭の灯す中、三人の人間が無言で佇んでいた。

「飲むかい?」

 僕はスポーツドリンクを目の前にいる短髪の少女に渡した。彼女は床にへたりこんだままそれを受け取った。顔の鼻から下が血まみれな少女、その鼻先は赤く染まり痛々しかった。

「…鼻は大丈夫か?」

 少女が逃げられないよう出入り口のあたりに立っている経馬はそう言った、少女ははっとして目を逸らした。

「ノックをしなかった事は謝るよ」

 僕はバッグの中からタオルを取り出し、少女に渡した。

 少女の鼻は経馬が肩でぶち破った扉をまともに食らい怪我したものだ。どうやらとっさに扉の後ろに隠れようとしたものらしかった。まさか相手が肩で体当たりしてくるとは思っていなかったのだろう。念のため折れていないか確認しようとしたが、触らせてはくれなかった。僕が見た血まみれの顔の正体はこの人物だったのだ。

 彼女は受け取ったスポーツドリンクを不審そうに開け、未開封であることを確認するとそれを二口飲んだ、そして少女はようやく口を開いた。

「何を…しに来た?」

 これには僕も経馬も答えに迷った。正直に肝試しに来た、とも言いづらかったし、体のいい言い訳が思いつくわけでもなかった。彼女も同じく制服姿だが、どうも彼女に正当な理由があるようにも見えなかった。

「そうゆうお前さんは?」

 経馬が顔も見ずに言う。

「…私が聞いてる」

 どうやら彼女もなかなか反骨的な理由を持っているようだ。僕はまず彼女を安心させようとした。

「安心してくれ、君がここで何をしていようと教師に言いつけたりはしないし、僕たちもそうしてほしい」

「ずびっ、年に一回は君たちみたいなのが現れる」

 彼女は血の混じった鼻水をすすり、話を始めた。

「去年も来た。その時は何を勘違いしたのか、幽霊だとか何とか言って逃げていったけど」

 僕と経馬は顔を見合わせた。短髪で制服姿───。経馬の先輩たちが見たのはこの少女だったのだろう。

「よくここに来るのか?」

 僕の質問に彼女は頷いた。彼女はタオルで血を拭う。こうやって見るとなかなか整った顔立ちをしていた。しかし彼女の無造作に跳ねた髪を見るに、あまり見た目には頓着していないようだった。

「どうやって。僕たちだって学園から抜け出してここまでやってくるのに苦労したんだぞ」

「バイクで、外に停めてある」

「何か用事があって来るのか?」

 僕は煙草の吸い殻を手で揉んで遊んだ。違法の代物だったはずだ。

「この場所が好きだから。星も見えるし」

 いい趣味をしている、僕はそう思った。

「これ、煙草っていうんだっけ、実物を見るのは初めてだ。こうやって吸うんだったかな」

 僕は口もとに吸い殻を近づけた。彼女は少しだけ笑った、ように見えた。

「向きが逆。それじゃ火の粉を吸い込む」

 これには経馬も同感だったようだ。彼も少し肩を震わせた。煙草について知らないのは僕だけか。

「襟の色を見るにあんたも三年だろ? にしては見ない顔だな」

 僕たちの高校では学年ごとに制服の襟やズボン、スカートに縫い付けられる帯の色が違うのだ。そして彼女のも赤、僕たちと同じ三年生を示している。

「授業に出てない、ずっと寮に引きこもってる」

 経馬は少女の持っていた肩掛けかばんを手にとって言った。

「中を見ても?」

 経馬は興味津々のように見えた。

「ご自由に」

 経馬は中から煙草の箱やライターを取り出した。他にはキャンプ用らしい金属製のマグカップやコーヒーメーカーのようなものもあった。きっと彼女は僕たちの足音に気づき、急いでこれらをしまおうとして落としたりこすれさせたりしたのだろう。

「こんなもん、一体どこで手に入れるかね…」

 今やなかなか見ない代物は経馬のレトロ趣味を多少思い出させたのか、彼はすこし興奮していた。

「ワケありのようだね。それはお互いさまか、もうここには二度と来ない、約束するよ」

 僕はそう言いながら、経馬から肩掛けバッグをひったくって少女に返した。もう帰るべきだろう。夜も更ける、帰りは一段と疲れるだろう。

「鼻の件は悪かったな、それと煙草は身体に毒だぜ」

 経馬はようやく扉のあたりを離れ、教会の出口の方を向いた。少女は多機能端末をいじっていた。

「待って、これ洗って返した方がいい?」

 少女は僕が貸したタオルを開いて見せる。血やら鼻水やらがべっとりついていた。

「あー、いや、そうだな、プレゼントだ。君にあげるよ」

 彼女はそう、と言って左手を差し出した。握手だろうか、僕は何の気なしに左手で彼女の手を握った。

「?…うわっ!」

 驚いたことに冷たい彼女の左手には、指が六本あった。彼女はにんまりと微笑み、手を離さなかった。僕の腕環に光が灯ったかと思うとようやく彼女は手を離した。

「なっ…」

「義手、これ」

 僕が疑問を口にする前に彼女は左手を僕の目の前で開いてみせた。親指が対になるように二本あり、合計して彼女の左手には六本の指があった。掌にはシリアル番号のようなものが刻印(タトゥー)されている。

「何してんだコズ、行くぞ」

 僕は左手を振り払い、いま行く、と経馬の後を追った。彼女はすこし薄気味悪かった。

 しかし、僕はふと自分の腕環を見て立ち止まった。

「…すまない、その、忘れ物をした。先に寮に帰ってくれないか。朝までには帰る!」

 経馬は待とうかと言ったが、僕は時間がかかると嘘をついた。

「何のつもりだい」

 僕は腕環に表示された”君だけと話したい”という文字を見つめた。接触通信だろう、彼女の義手にはその機能もあった、それ自体は驚くには値しない。しかし問題はその次の通知だ、僕の口座に金が振り込まれているのだ。高校生には大きい金額だった。そしてそれは他ならぬ彼女によってだった。

「ちょうど話し相手が欲しかった、付き合ってほしい」

 彼女は蝋燭の火をふっと消し、部屋を出て教会の最も大きな空間へと向かった。彼女は祭壇の上に座り、僕は長椅子の汚れが少ないところを探してそこに座った。

「何で僕だけなんだい、話したいだけならきっと経馬…さっきの彼のが適任だと思うが」

「ああいう友達が多そうな人は苦手」

 僕だって同じようなものかもしれない。経馬とルームメイトになった時は彼の馴れ馴れしさが不快というか、慣れないものだった。僕は彼のように常に明るく振る舞えはしないのだ。

「じゃあ僕は少なそうってことかい、事実だが」

「私と同じ。こうゆう性格だから、多少は失礼な事を言うかも」

 彼女はバッグの中からランタンを取り出し、周りを照らした。

「…わざわざ金をもらわないでも話ぐらいなら付き合ってやったよ」

 僕は前の席の背もたれに足を乗っけた。この少女、相当な金持ちらしい。筋電義手だって今は安いものだ。だが彼女のはよく見るまで義手とすら気づかなかった、それなりに高価な型だろう、何より気軽にそこそこの金額をポイと初対面の人間に渡せる事自体がその証拠だ。

「君には一回会ったことがある。覚えていないかもしれないけど」

「…残念ながら記憶にないな」

 僕は首を横に振る。

「当時は髪も伸ばしてたから。入学式の日、正直なところ私は行く気すらなかった。中庭のベンチに座って時間が過ぎるのを待とうとしていた」

 僕は記憶の底を攫った、どこかに引っかかる部分があった。入学式の日、僕も確かに中庭に寄ったはずだ。

「しかし結局、私は入学式に出席することになった。君が半ば無理やりに私を連れて行ったから。そして君も私も遅刻」

 僕はようやく思い出した、確かに入学式の日、僕はベンチに座っていた少女に声をかけた。たしかに当時は顔もはっきりとは見えないぐらい髪が長かった。

「てっきり迷子かと思ったんだ。この学園は広いから」

「私の記憶が正しければだけど、私は無言で目を逸らしたはず。そして君が私の手を引っ張るまでベンチから離れなかった」

「…説得するのにかなり時間がかかったのは覚えている。まさか怒ってるのか? たしかに無理やりだったかもしれない」

 僕は彼女の顔を見て怒っているわけではなさそうだと判断して勝手に安心した。

「いいや、ただ気になっただけ。君は自分が遅刻してでも不真面目な私の行動を変えようとした」

 彼女の口ぶりからでは彼女がそれに対して肯定的なのかどうかはわからなかった。

「それについて話したくて僕をこの場に引き止めたのか?」

「馬鹿な話かもしれないけど君は、私の心の中じゃ…ずっと良心の象徴だった。他人のためなら不利益も受け入れるという意味で」

 僕は思わず姿勢を正した、残念ながらそれは違う、全く違う。

「よしてくれ、そんなに立派な人間じゃない」

 彼女は僕を利他的で模範的な人間だと信じていた、でも実際は友人に乗せられて夜な夜な寮を抜け出すような不良だったのだ。

「理由を知りたい」

 彼女は僕の目をじっと見つめる。

「僕が君に声をかけた理由?」

 彼女は頷き、こう付け足した。

「目の前の人間がもし迷子だったとしても、自分が遅刻してまで連れて行こうと思ったのはなぜ」

 僕は間を埋めようと口を開けたが何を言うべきかわからず、口を閉じた。

 …理由、全ての事柄には理由があるというが、僕は一体なぜ彼女の手を引いたのだろう。しかし僕の記憶によると僕はあのとき何も考えていなかった。

「理由なんてないよ」

 僕は口角を下げてそう言った。

「そう、てっきり何も考えずルールに従ったのかと思った」

 僕は沈黙を保つ。

「でもすこし意外、君のような優等生が夜な夜な学園を抜け出すなんて」

 彼女は僕のことを多少は認識していたようだ。しかし僕は全く彼女のことを知らなかった。

「失望させたか?」

 彼女は首を横に振った。
 僕はこれ以上この話題には触れず学校の授業だとか、つまり当たり障りのないような話をした。他にも聞きたい事は多々あった、例えば義手の話も。しかしその原因が事故であったりしたらきっと彼女も話しづらいだろうと思ったのだ。

 驚いたことに彼女はほとんどの教科で僕より詳しいように思えた。授業には全く出ていないにも拘らずだ。

「───そろそろ帰らないとまずいかもしれない」

 その言葉に僕は思わず腕環を見た、もう四時半近い、日もそろそろ昇るだろう。そうなれば寮に戻る際に見つかってしまう可能性も上がる、確かにそれはまずい。

「送ってあげる、ついてきて」

 驚いたことに教会の外にあったのは頑重なオフロードバイクだった。彼女が座るだけでそれは勝手に起動し、ライトが点いた。

「私物かい? ずいぶんと大層なものを」

「最新式」

 どこか自慢げな彼女は僕にヘルメットを投げ渡した。彼女はゴーグルだけを嵌め、僕たちは日が昇りかけた道路を猛速で駆け抜けた。最初は遠慮ぎみだった僕もさすがに危険を感じて彼女の腹に腕を回した。森に入ると振動はさらに激しくなり、ガタガタと車体が跳ね内蔵が揺さぶられた。枝がどこからか飛んできては顔に当たった。

 彼女がこの感覚を楽しんでいるだろうという事は後ろ姿を見るだけでもわかった。心なしか僕までこの振動の虜になるんじゃないかとも思った。

 僕たちがフェンスに近づくにつれて僕は彼女がどうやってバイクごとフェンスを突破するのかと考えた。どこかフェンスが途切れている場所でもあるのだろうか。しかし彼女はさも当たり前のように業務用のゲートに向かった。そこには警備員がいる、何のつもりだろうか。

「待て、そっちはゲートだぞ」

「大丈夫」

 彼女は速度を落とし、ゲートに入った。若い警備員が僕たちに声をかける。僕が反省文を覚悟すると警備員は帽子を上げて挨拶をした。

「やぁユヅ、そっちは彼氏クンかい?」

 警備員は僕の方を見てにこっと微笑んだ。違う、とだけ少女は言ってバイクの速度をまた上げて学園の敷地へと走り出した。僕は警備員に会釈だけをした。

「驚いたな、彼にも金を握らせてるのか?」

「父さんが都合をつけてるみたい」

 彼女の父親はよっぽどの権力者か富豪なのだろうか。彼女がこんなにも奔放でいられるのもきっと父親のおかげなのだろう。

「なるほど、ユヅさんの父親は金持ちなのか」

「…萩原(はぎわら)ユヅハ。君は仁山コズで合ってる?」

「よくご存知で、ユヅはあだ名か」

 やはり彼女は僕のことを知っているようだった。

「そんなとこ、でもそう呼ばないでほしい」

 僕が萩原なら良いかと聞くと、彼女はユヅハと呼んでほしいと言った。

 僕は男子寮の数十メートル手前で降ろしてもらい、彼女に礼を言って寮を出た時と同じように一階の空き部屋から部屋に戻った。経馬が二段ベッドの上段に見下ろすように座っていた。てっきりもう寝たものだと思っていた。

「起きていたのか経馬、遅れてすまなかった」

「心配したぜコズ、あと三十分でも遅かったらそっちに向かってた。忘れ物は見つかったか?」

 僕はようやく彼に嘘をついていた事を思い出した。彼の傍らには荷物が詰め込まれたバッグが準備されていた。本当に万が一は迎えに来るつもりだったのだろう。

「見つか…いや、実はあいつと話し込んでいたんだ、悪かった」

 僕は正直に打ち明けた。話がこんなに長引くのも予想外だったのだ。もはや忘れ物だなんて言葉では誤魔化せないだろう。

「別にいいよ。お前、ああいうのが好みなのか?」

「よしてくれ、あれはちょっとばかり癖が強すぎるよ。それにただの世間話だ」

 経馬はふーんと曖昧な返事をした。

「そうだ、シャワーを使わせてもらうよ」

 彼は適当に了承をしてベッドに倒れ込み、そうこうしないうちに寝息を立てた。無理を通して起きていたのだろうか、僕は彼の寝顔にごめんと呟いた。

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