第八話 エンカウント、武神

 こてこてに煮詰めたりんごは角がとれ、丸みを帯びてかわいらしい。

 おしろいのように振りかけた砂糖もすんと馴染み、部屋中りんごのうっとりする香りに包まれている。仕上げにレモン汁を加えてから、周はコンロの火を止めた。

 あらかじめ煮沸しておいた瓶数本に、熱いうちに取り分けておいてから、残りを鍋ごとテラスへと運んだ。

 テラスの食卓には、すでにバケットとヨーグルト、サラダを並べてある。そこに鍋も加えると、「わあ!」と覗き込んだ須玉が目を輝かせた。


「これが、ジャム……! なんともきれいですう」


「本当に、見事な琥珀色だな」


 感心する五郎八の向かいには、雪丞の姿もあった。


「悪いのう、毎度毎度わしまで馳走になって」


「いいんですよ。雪丞さんがキッチンつきの大部屋を貸してくれたからこそ、おれも料理の腕を振るえるんですから。それにバゲットは雪丞さんの持ち寄りですし、なんとも助かってます。ささ、どうぞ味を見てください。熱いので火傷にはお気をつけて」


 言ってる間に須玉の手によって、全員の皿にジャムがたっぷりと盛りつけられた。各々バケットを手にとると、先の方にジャムを馴染ませて口へと運んだ。


「んんんん!」


 須玉が目を閉じ、空を仰ぐ。

 そのポーズに周はつい旭を重ね、郷愁めいた気持ちに捕らわれた。が、気付かなかったふりをして自身も勢いよくバケットを頬張った。ジャムは熱く、言った本人だというのに上顎を少し火傷した。


「これはなんとも、贅沢な甘さだな。しかし甘さばかりではなく、爽やかな感じもする」


「多分レモン汁も入れたからですね。五郎八さんは味覚が敏感で、さすがです」


「わしだってそんな感じするなあって思ってたぞ」


 雪丞が謎に張り合ってきたが、これも毎度のことなのでにっこりと微笑み返すにとどめた。


 節約も兼ねて、食事はおれが作ります──と周が宣言したのは初日の夜、下見で部屋に通された際のことだった。

 まさか宿の部屋にキッチンがついているとは思ってもみなかったので、うっとりしながら調理台を撫でさすった。周の突然の奇行に、その場にいた全員が内心をざわつかせたことは言うまでもない。


「な、なんですか急に気持ち悪い」


 唯一須玉がオブラートに包まずそう言うと、


「いいだろ、別に。こんな立派なキッチンを前にして、なにもするなという方が無理な話だって」


 と、今度は頬ずりまで始める。勇者にされて半日、抑圧されていたおかん心が決壊したような形であった。

 見ると調理器具も、必要なものはたいてい揃っていた。キッチン横には術式の書かれた木箱があって、開いてみると冷気を感じる。どうやら冷蔵庫の代用品らしく、周はさらに興奮した。


「すごいぞっ。これだけあればなんでもできる! 無敵だ」


「あ、周殿。水を差すようで悪いが、節約というなら私の食事はなしで構わないぞ。神は食事をせずとも死にはせんからな」


 おそらく五郎八は親切心でそう言ったのだろう。が、途端に周は今までにない険しい顔でギッと振り向いた。


「食べなくても死なないからいらない……ですって?」


 ゆらりと幽鬼のように五郎八に近付く。


「まさか五郎八さん、人間はただ生きるためだけに食事をしてるって、そう思っていらっしゃる……?」


「え、いやまあ、必要なことなんだろう?」


 たじろぎながら出した返事に、周は「ノーン!」と大仰に首を振った。


「あなたはなにもわかってらっしゃらない! なにもわかってらっしゃらない!」


「そ、そんな二回も」


「本当はもっと言いたいくらいです。まったく、神さまなのに人間のことに無知でどうするんですか。いいですか。食事っていうのはもちろん生命維持に必要不可欠ですけどね。腹だけでなく心も膨らませること、それこそが食事の真髄なんです!」


「心とな」


 周のあまりの熱量に、ごくりと五郎八は固唾を呑んだ。


「食事というのは実に奥深いものなんです。たとえば最高級のりんごがあったとしても、それをゴミ箱の上でかじってちゃ台無しなんです。ちゃんと整った食卓の上で、きっちり剥いてあげて、なんならアップルパイにして、かつ家族や友人と食べる。それが豊かな食事というやつなんです。腹が膨らめばいいだとか、死なないなら食べなくていいだとかは暴論です。神さまだって、神棚はやっぱり清潔なところに飾って欲しいし、祈ればいいんでしょって、適当にパンパン手を合わせられるだけじゃあ寂しいでしょう?」


「いや、わたしは信者を持たぬので──」


「そういう言い訳は結構です」


 あまりにもきっぱりとした物言いに、「え。あ、申し訳ない」とつい謝ってしまう女神であった。


「なぜヒメさまが無能男ノーマルレアなぞに!」


 看過できずに須玉が食ってかかろうとしたが、周は須玉にも矛先を回した。


「なあ、ちびっ娘。おまえだって町長のところで出たかき氷にあんなに酔いしれていたんだから、食べること自体は好きなんだろ? せっかくならもっと色んな美味しいものを食べたいし、食べた後の方ががんばろうって気持ちになるのも、わかるよなあ?」


「え。そりゃあ、まあ、美味しいものは好きですけど……」


 つい答えてしまう須玉に、周はうんうん頷いた。


「食事は人生の悦びなんです。健全な冒険をするにも、まず必要なのは健全な食事に決まってます。外食もいいですけど、そればかりじゃあ食費がかさみますし、栄養バランスも崩れがちですからね。ここはやはり勇者であるおれが、みんなの健康のためにも一肌脱いで、食事係を兼任しましょう」


 そう言って、早速調味料のチェックを始めた。


「おおっ、出汁の素材だけでもこんなに種類が! これは夢が広がるなあ」


うっきうきのあまり独り言も盛大であった。もはや誰も異論を挟んでこず、それどころか、


「そんなに料理が得意なら、わしも食べてみたいぞい」


 と雪丞が言い出したので、雪丞から食材を借り、早くもその日の夕食を振る舞うことになったのだった。

 個々の好き嫌いがわからなかったので、まずは基本の和食からと思い、だし巻き玉子、蓮根のきんぴら、あおさの味噌汁を手早く作り、太刀魚だけはマーケットに買いに走ってもらって、青じそバターでソテーにした。


「野菜が少なくて申し訳ないです」


 と、周は配膳しながら恥ずかしげに言ったが、三人からすると予想以上に立派な定食っぷりだったらしい。食べる前から感心され、食べてからは感動された。


「悔しいけど、おいしい……!」


 須玉など、遺憾そうに顔をしかめながら、空になった茶碗を差し出してきた。おかわり、と言いたいらしかった。

 こぺこぺ新しい白米を詰めてやっていると、雪丞は逆に、


「しまった、ついついおかずばかり食べてしまって米が余った……!」


 と配分ミスを嘆いていたし、五郎八は箸を置くなり、


「確かにこれは私が浅はかであったな。心のこもった食事が、かくも良きものとは思わなんだ。さきほどの失言はどうか許して、これからも、豊かな食事とやらをお願いしてもよいだろうか」


 と、正式に食事係を依頼してきた。


「もちろんですとも」


 晴れ晴れとした笑顔で答えると、


  【称号:おかん勇者 を手に入れた!】


 と、勾玉までもが周のおかん業を正式に認めたのだった。


 手を変え品を変え、日々多様な料理を食卓にのぼらせた結果、今や全員の好みの把握もばっちりだ。

 五郎八は基本の好みは出汁ベースのさっぱりとしたものであったが、一方で七味や山椒を強めに効かせたものもよく食べる。本人曰く、なにか挑まれているような気がして興が乗るそうだ。須玉はお子ちゃま舌で、肉のおかずや揚げ物の日にはわかりやすく笑顔になり、オムライスやシチューなど、見た目の華やかな洋食にも目がなかった。雪丞はなんでもおかわりしてよく食べるのだが、強面のイメージに反して大の甘党でもあり、おやつにスイーツを焼くと一目散に飛んでくる。今朝のりんごジャムも、大部分は雪丞が舐めるように食べ尽くした。


「ふぁー、今日もお腹ぽんぽんですう」


 食器もそのままに、須玉がテラスの端にあるソファで横になった。


「クエストの報酬がりんご一箱だったときにはむかっ腹も立ちましたけど、結局全部おいしく食べちゃいましたねえ」


「周殿のおかげだな。まさかりんごにここまでの汎用性があるとは思わなんだ」


「コンポート、グラタン、サラダ、アップルパイ、ジャム……色々振舞えて楽しかったです」


「わしはもっとアップルパイが食べたいぞい。もう一度同じクエストを受けてきたらどうだ?」


 雪丞のおねだりに、「検討しよう」と五郎八が笑った。

 今や一行はクエスト会館の常連となっているのだが、推奨レベルの低いクエストは冒険というよりもアルバイトのような内容で、報酬もほとんどが物品支給。りんご一箱も、そのものずばりりんごの収穫手伝いというクエストで得た報酬であった。

 ヨルは増えないものの、食費が浮くので受けるに越したことはない。僅少ながらクリアすれば経験値ももらえる。が、神への遠慮からかそもそものクエストの数自体が少なく、りんごの収穫も再受注を検討したところで、まずは発注されるの待ちである。

 クエストには種類があり、掲示板に貼られている際の紙の色から判別できる。

 青が個人、黄が町から発注されたクエストで、りんごは青色クエストであった。黄だとモンスター討伐や鉱石採取、警護など、冒険者らしい内容になるのだが、推奨レベル10とあるので未だ周たちは手付かずの状態だ。

 そしてもうひとつ、黒色クエストが掲示板の高い位置に張り出されているのだが、これは夜の食す国全土共通のクエストらしい。勾玉を持ってさえいれば、手続きせずとも常に受注の状態となる。今はまだ二枚だけであったが、イベント系が始まればやはり黒色として張り出されるのだろう。

 二枚のうち一枚は「魔王討伐」、もう一枚は「八卦龍はっけりゅう討伐」と書かれてあった。


「八卦龍って?」


 初回に受付スタッフに尋ねたところ、


「魔王が飼っている、禍々しき八匹の龍です。魔王城にはとどまらず、神出鬼没で、町や人を襲うのです。ご討伐くださいませ、勇者さま」


 と、お決まりらしい口上を返された。


(いやいや龍なんて、どう考えてもレベル一桁台の勇者に頼む相手じゃないだろうよ)


 報酬欄に書いてある禍玉まがたまとやらもなにか不穏な単語だし、旅の間中無縁であればいいなと思う、消極的な勇者であった。



 朝食で膨れた胃が落ち着くと、一行はこの日もクエスト会館へと足を運んだ。

 新規のクエストをチェックし、いいものがあれば即座に受け、なければレベル上げに勤しむのが近頃の常なのだ。この日は、受ける日となった。

 青色だというのに「鍛錬相手募集」という、珍しく冒険者色の強いクエストがあり、誰よりも須玉が食いついた。


「鍛錬相手なんて、こっちからお願いしたいくらいですよ。レベルが低かろうが、剣のこなしは鈍らないように訓練が必要ですからね。ヒメさま、絶対にこれ、受けましょう!」


 クエスト発注人は「衛兵のはしくれ」さん、推奨レベルは5。今現在ぴったり受けられる難易度であるうえ、報酬はつるはしと記してあった。鍛錬なんておれには無理だぞ、と内心尻込みしていた周も途端に「いいですね!」と前向きになり、女性陣が手続きを進めるのを温かく見守った。


 青色クエストは受注すると大抵はすぐに来てくれと言われるのだが、スタッフが衛兵のはしくれさんに連絡をとったところ、正午に草原北部の丘でという指定がなされた。衛兵稼業のかたわらだと、昼休憩まで時間が空かないのであろう。

 正午まではあと三時間ほどである。一行は宿には戻らずに森でレベル上げに励んでから、少し早めに約束の丘へと向かった。


 丘に登ったのは初めてであったが、小高いうえに町からは距離があるため、町の全体図も森もよく見渡せた。森向こうの鉱山も、写生したくなるほど稜線が丸見えだ。雲が多いので残念ながら高天原は見えなかったが、絶好のピクニックスポットである。


「今のうちにランチをすませておきましょう」


 と、周は術式バックからピクニックシートと弁当箱を取り出した。

 朝がパンだったので、昼のメニューはおにぎりである。焼き鮭をほぐさずに、切り身のまま握ったので三角のてっぺんからはぴょこんと紅色の先端が見えている。付け合わせは、五郎八の好物であるトマトの白だし漬けを中心に彩りよく用意した。

 いただきます、と三者揃って手を合わせた。


「うん、よく動いた後にはやはりこの塩味えんみが心地いい」


 真っ先にトマトを頬張って、五郎八が言った。その横では須玉が両手におにぎりを持って、交互に忙しなくかぶりついている。

 おにぎりはひとり頭二個ずつの用意である。本来なら片方はしそひじきおにぎりにするのが一ノ瀬家の定番なのだが、この町では材料が手に入らなかった。そのため今日の弁当は周としては悔しさの残る内容だったのだが、ふたりの、特に須玉の食いつき方を見ていると、むしろ鮭だけでよかったのかもしれないと思った。これから旅の仲間うちで新しい定番を見つけて行けばいいのだと、教えられたような気さえする。


「おい、ちびっ娘。なんならおれのおにぎりをひとつ──」


 やろうか、と言いかけてはたとした。弁当箱に、おにぎりはすでにひとつしか残っていなかったのである。

 五郎八も周もまだひとつしか食べていないし、須玉が五郎八を差し置いて多く取ることなどありえない。入れ忘れかなあと自分のミスを疑ったそのとき、シートの横にひとりの男がしゃがみ込んでいることに気がついた。


「なッ……」


 五郎八と須玉も同時に気がついたようで、ふたりは足袋のまま、咄嗟にシート外まで飛び退った。

 周だけ硬直したまま男を眺めた。長い髪を高い位置で一本に結わえ、上半身は黒いアームウォーマーのみという、半裸の男である。下半身は裾を絞った袴を履いており、帯がわりに図太い綱を巻いている。なんとなく、周の脳裏を土佐犬がよぎった。

 男は周手製のおにぎりを堂々と食べていた。大きな口でばくっと、みるみる三角形が消えていく。


「うん、うん──」


 咀嚼しながら何度も頷き、最後は指先についた米までしっかりと舐めとると、


「苦しゅうない!」


 男はやたら偉そうに褒め言葉を放った。


「いや、誰ですか」


 褒められたことは嬉しかったものの、そこは冷静に返した。すると、


「周殿、こちらへ来るんだ」身構えながら五郎八が言った。

「その男は、神だ。すさまじいまでの神気がする」


「……え?」


 つい男の顔をもう一度確かめると、男は待ってましたと言わんばかりの不敵な笑みで立ち上がった。


「そう、隠しようもないほどの優れたる神、それこそが我、タケミカヅチであーる!」


「ま、巻き舌……」


 勢いに呑まれ、周は逃げることも忘れてぽかんと神の姿を見上げた。


「ふふふ。勇者よ、そなたからのもてなしはしかと受け取ったぞ。心のこもった供物というのは良きものだ。神気に良いし、筋肉にも良い」


「いや、供物というより勝手に食べられただけと言いますか……ていうか筋肉?」


「左様。我は高天原きっての武神。我が筋肉に一片の曇りもなきことが、すなわち天の安寧に繋がるのであーる。そして武神ゆえにこの遊戯ゲームにも真っ先に投入されたわけなのだが──」


 ちらっと五郎八に目をやった。と思うや、一瞬のちには五郎八の背後に立ち、その髪に指を通していた。


「ふむ、近くで見ると一層美しい。どうだおまえ、我が妻になる気はないか」


「なにを」


 慌てて振り払おうとした五郎八をからかうように、タケミカヅチは五郎八の細い肩をたやすく抱き込んでしまった。


「いいぞ、強気な女神は好みだ。名を聞こうか?」


 耳元でささやく。五郎八は幾度か身をよじったが、武神の腕には響かない。

 やむをえず抵抗をやめ、しかし問いには答えぬまま、五郎八はタケミカヅチを横目で睨みつけた。その反応にますます愉快そうに口角を上げるのだから、厄介な神である。


「ヒメさま!」


 主の一大事に須玉が短剣を抜き払ったが、「あーら」と言いながら、ひとりの女が須玉の前に割り込んだ。


「そんなチンケな武器で若様に挑もうとするなんて、おバカの極みだわ。感心しちゃう。ねえ漆?」


 声に応じるように、今度は長身の男がのっそりと周の背後に出て来た。

 両者とも、頭には氷砂糖のように透き通った美しいツノを生やしている。こいつらも、神なのか──? 周が身を固くしていると、ツノ男がぼそぼそと口を開いた。


「チンケ、でも、剣は、剣」


「ええ、そうね。若様に剣を向けること自体すでに大罪ね」


 女が言うなり、須玉の体が勢いよく後方へと吹き飛んだ。


「須玉っ」


 五郎八が叫んだが、須玉は声ひとつ返せぬまま丘の斜面に落ち、勢いのままさらに下へと転がり落ちていく。

 ツノ女はしなやかな脚を片方、高々と上げてしたり顔をしていた。どうやらその脚で須玉を蹴り上げたらしいが、恐ろしいほどに疾い足技である。おそらく技を受けた須玉自身、なにが起きたかわかってはいないだろう。

 周は急いでバッグからガマの種を取り出し、須玉の消えた方角へと走り出した。が、ぐいっと襟を引っ張られ、地面に背中をしたたかに打った。うっと呻く周の腹を、ツノ男が踏んで抑えつけてきた。


「勝手に、動く、だめ」


 無表情に言いながら、男は周が落としたガマの種まで拾いあげてしまった。取り返そうと手を伸ばすも、すかさず踵を食い込ませてくる。


「く、くるし……」


 たまらずツノ男の足に手をかけたが、びくともしなかった。


「周殿!──タケミカヅチ、よさないか。彼は人の身なのだぞ」


 語気を荒げて五郎八が言うも、


「おお、さっそく呼び捨てか。よいぞ。本当に我好みだ」


 と、頬をすり寄せるばかりでまったく話を聞いていなかった。


「よせっ。この──」


「ふふ。なにをそんなに怒ることがある? たかが勇者一匹、神使一匹。しかもどちらも弱いときている。ここらが捨て時であろう」


「なんだと」


「そもそも勇者を帯同させている神など、他にはおらぬぞ。勇者は大鏡をくぐるには確かに不可欠だが、遊戯ゲーム内に入ってしまえば用済みであろう。それをいまだに連れ歩くなど、律儀がすぎる。神ならばもう少しうまく立ち回れ」


 五郎八は柳眉をひそめた。


「──では、おまえの引いた勇者は今」


「広場で捨てたからな。今どうしているかなど知らぬ。まあ、我と縁づかねば死する運命にあったのだ。今頃もどこぞで、命あることに感謝していることであろう。もしのたれ死んでいたとしても、元通りの運命なだけ。些末なことよ」


 ひどい。周は声にこそ出せなかったものの、なんて冷たい考えなんだろうと、胸中は嫌悪感に満ち満ちた。

 確かにガチャ必須の仕様はどうなんだと、命拾いした周自身も思うのだから、神サイドが不満に思うのも無理はない。でもそんな、即捨てすることはないだろう。

 急に連れてこられたこんな世界で、引いた張本神ちょうほんしんにも見捨てられ、ただの人間がどうやって生きればいいというのか。途方にくれるどころの騒ぎではないし、現世に帰る希望も持てやしないだろう。

 しかしタケミカヅチの口ぶりからして、他の勇者たちは皆その運命の渦中にいるのだ。五郎八に引いてもらった自分がどれだけ幸運な勇者だったのかを周は知ったが、それを喜ぶ気にすらなれぬほど、不快感に体が震えていた。

 命を救ったからって、なにをしてもいいわけじゃない!


「どうやらおまえと私とは、相容れぬ考えのようだ」


 五郎八も、冷たいまなざしをタケミカヅチへと向けていた。


「うん? まさか好きで勇者を連れ歩いているのか? それも一興かもしれんが、所詮退屈しのぎであろう? 我が来たからにはもうそのような遊びを続けることもないぞ。ゆくゆくは妻になるとして、とりあえず我が陣営パーティに入るがいい。勇者の抜けた四人目の穴がぴったり空いているからな」


「断る。私は連れを捨てる気などないし、連れがいなかったとしてもおまえの元には入らぬ」


 きっぱりとした拒否に、タケミカヅチは「ほう」と面白げに眉を上げた。

 信じられないと言わんばかりに叫んだのは、ツノ女である。


「まあっ、なんて無礼な女神ですかしら! 若様ほどの高位の神に誘われるなど、僥倖でしょうに。若様、やはりこんな無礼な女神など捨て置くべきですわ。若様の妻になったとて、わたくし誠心誠意お仕えできるかわかりませんもの。第一さっきの小娘だって、神使かと思いきやただの妖のようですわよ。蹴り飛ばした足に妖気が絡みついて、臭いったら」


 女は心底嫌そうに、須玉を蹴り飛ばした足を振った。


「なに、そうなのか?」


「間違いありませんわ。なぜ契約も交わしていないものを連れ歩いているのか、理解に苦しみます」


「私は神使は持たぬ主義だ」五郎八が淡々と述べた。

「契約を交わさずとも、須玉はおのれの意思で仕えてくれている」


「ふうん? 物好きなやつだな。それでは神通力を消化できまいに」


 タケミカヅチは不思議そうに首をひねっていたが、「あら」とツノ女が得心したように、にやにや笑った。


「もしや主義だなんてただの方便で、この女神には神使ひとり養う力すらないということではありません? 下剋上を夢見て参入したのか知りませんが、勇者ごときを連れ歩くのも、藁にもすがる思いなのかもしれません。だとしたらここは物好きではなく、お気の毒と言ってさしあげるべきですわ。うふふ、ふふ……」


「神、笑う、だめ」


 ツノ男が注意したが、女は「だってえ」となおも笑う。

 神使がどうとか、周にはよくわからない話ではあったが、五郎八がばかにされたことにとにかくムカムカと腹が立った。しかし踏みつけにされて動けない以上、どんなに悔しくても歯噛みすることしかできない。周は無力な己にこそ一番腹を立てていたのだが、


「そうは思わぬぞ」


 と、他ならぬタケミカヅチが五郎八を擁護したのだった。


「この女神が携えている剣を見ろ。この不自然に抑えられた剣圧、おそらく末端の神では携えることすらできぬ逸品だぞ。我は武神であると同時に剣神でもあるが、まさか我の知らぬ刀剣がまだあったとは驚きであーる。どれ──」


 五郎八の剣の鞘をタケミカヅチが撫でる。途端に、青白い閃光がバチッと鞘から放たれた。

 眩しさに誰もが咄嗟に目をつぶり、開きなおしたときにはもうタケミカヅチは尻餅をつき、五郎八がそれを見下ろす図にかわっていた。


 五郎八はタケミカヅチに鞘のまま剣を突きつけ、冷たく言い放った。


「どうやら剣神ともあろうものが、剣に嫌われたようだな」


「──おもしろい」


 タケミカヅチは不敵に笑った。


 剣はいまだに閃光を小さく纏い、触れられたことに対して怒ってでもいるようだった。

 鞘のままとは言え、五郎八が剣を手にしたところを周が見るのは初めてであった。戦闘中にも一切触れないので、以前五郎八が言った通り、本当に装身具のようなものなのだなと意識さえしなくなっていた。それがまさか、武神を退けてしまうほどの力ある剣だったとは。

 五郎八の神らしい一面に、つい胸がワクワクと高鳴る周であった。が、それを身じろぎと捉えてすかさずツノ男が踏む力を強め、「ぐえー」と喉から変な声が漏れた。

 五郎八がはっとし、剣をいっそう武神の喉元に近づけた。


「はやく私の勇者を解放してもらおうか。そうすれば、こちらとしては手荒な真似をするつもりはない」


 交渉に乗り出してくれたのはありがたかった。が、数の上では一対三。あまり有利でないことは明白である。言われたタケミカヅチもあぐらをかいて、


「なぜそうまで勇者ごときを気にかけるか、意味がわからん」


 と呑気に不服を述べている。


「そもそもその剣、さも脅かすように突きつけているが、今の低レベルの状態で抜けるのか? 我が見立てが正しければ、柄を握るのもやっとのようだが?」


「……だとしても、鞘がおまえを拒絶するさ」


「なんだそれは。神が剣を携えているというより、神剣が神を足にしているようだな?」


 タケミカヅチはくっくと笑った。


「しかしまあ、事を荒げるつもりはこちらにもないからな。そなたが名を明かしさえしてくれれば今日は良しとして、勇者はお返ししようか。今日一番の目的は、挨拶であったからな」


 いや、十分荒っぽいんですけど? と心中で突っ込みながらも、この武神相手に名乗りだけで事が収まるのであれば安いのだろうか、とも周は考えた。しかし五郎八はなかなか口を開かない。なにごとか迷っている様子だ。


「勇者だけでは不服か。ならばあっちに転がっていった神使もどきも、そこのわらびに責任をもって拾いに行かせてもいいぞ」


 タケミカヅチがツノ女を顎でしゃくりながら、追加で提案をする。これがおそらく最後の譲歩であろう。周は案じながら五郎八を見たが、彼女は意外にも優美な笑みを浮かべていた。


「おまえは神以外の種族を侮りすぎだ。私の懐刀ふところがたなは、敵に拾われるほど安くはないぞ。──そら」


 五郎八の言葉に応じるように、黒い影が躍動する。

 ツノのふたりが阻む隙もなく、影はびたりとタケミカヅチの背後をとると、その喉元に刃を真一文字にかざした。この疾技に周は覚えがあった。アサシンのような背後の取り方は、そう、他ならぬ須玉のものである。

 武神の肩向こうに、案の定須玉の顔が覗いた。その表情には神に対する怖気など一切ない。頬には擦り傷ができ、髪には草が絡んでいたものの、致命的な怪我は負っていないようで周は安堵した。


 転がり落ちる最中に紛失したのか、須玉の頭からはターバンが外れていた。赤い髪に紛れるようにして、小さな三角錐のツノが一本、前頭部ににょきと生えているのがまざまざと見えた。


「鬼……?」


 周がつい呟くと、須玉がギロッと睨みつけてきた。


「なんですか、その情けない姿は。勇者をやめて踏み台にでも転職したんですか」


 憎まれ口も健在のようだ。


「んなわけ」


 ない、と答えようとしたが、またもぐりぐりと腹に踵が食い込んできた。もう不用意に口を開くのはやめよう。周は苦痛に顔を歪ませながら決意した。


「もう一度言う。私の勇者を離してもらおうか」


 五郎八が改めて剣の握りを強くする。が、タケミカヅチは一笑に付した。


「すまぬが女神よ、状況は変わった。──鬼と聞いてはな」


 そう言うと、タケミカヅチは短剣が首の皮に傷をつけるのも構わずに、勢いよく振り向いた。しまった──と退こうとした須玉の両頬を、タケミカヅチはばちっと挟んで捕らえた。

 しげしげと、須玉の頭を眺める。


「おお、まさしくこれは赤鬼だ。ツノは一本か。なんと、なんと。ここまで少ないのは逆に珍しいな。二本と三本なら神使にしているが、一本は見たのも初めてやもしれぬ」


 興奮した声音であった。心なしか、須玉との顔の距離が近い。


「もっとだ。もっとよく可憐なツノを見せてくれ。ふうむ。色は乳白色、透明度はなし、か。鬼は戦闘に入るとツノが黒く染まるはずだが、おぬし、今はどうして色が変わっておらぬのだ? この短剣はただのポーズか?──だとすれば、可愛らしい奴よの。そうだ、硬度も確かめておかねばならんな。娘よ、ツノに触れてもかまわぬか。なあに、先っぽだけ、先っぽだけでよいのだ。な?」


 あ、これはアカン部類だ、変の態だ。周が察すると、


「若様におかれましては、ツノマニアであらせられるのです」とツノ女が折良く補足を入れてきた。

「もちろん、わたくしのツノが一番のお気に入りであらせられますがね!」


「えええ。なんですかその関係性。あたしはこんなツノ、大っ嫌いなんです。離れてくださいっ」


 須玉はぐぐっとタケミカヅチの顔を押し返したが、やはり武神の力はすさまじく、距離はいっそう縮まるばかりだった。


 頼みの五郎八は変態という生き物に初めて会ったのか、剣を握りしめたまま、困惑の表情で立ち尽くしていた。訳がわからない、けれどもなにやら関わってはならないような、不気味な感じがする──そんな心の声が聞こえてくるようだった。

 その間にもタケミカヅチはいっそう興奮度を深め、あろうことか須玉のツノの匂いまで嗅ぎ始めた。


「ふーむ、なるほど天然ものの妖気は久方ぶりに嗅いだが、ツノと合わさるとなかなかどうして芳しい! だが、やはりツノには神気をまとわせるのがつきづきしいと思うぞ。どうだ娘よ、我が陣営パーティに神使として入らぬか。鬼のままでは、寿命は二百年くらいか? 一角ではもっと短いか。我が神使となれば、千年でも愛で続けてやろうぞ」


 さっきは五郎八を未来の妻と決めつけてスカウトしていたくせに、ずいぶん調子のいい神である。周は隠すことなく軽蔑のまなざしを向けたが、ツノ男がじっと自分を見下ろしていることに気がついた。

 まずい顔を見られたか、と踵ぐりぐりを覚悟したが、


「無理も、ない」とツノ男は言った。「若、ツノ絡む、常軌、逸する」


「……」


 言葉こそ返さなかったものの、パーティメンバーにまでこんな表現をされる神ってどうなんだろうと、周はなんだかバカらしくなってきた。そこへ、打撃音が響いた。

 見ると鬼らしい形相で、須玉がタケミカヅチの顎に見事なアッパーを決めていた。


「千年だろうが万年だろうが、願い下げですっ」


 と捨て台詞のおまけつきだ。神相手とはいえ、プッツンと限界が来たのであろう。むしろよく耐えた方である。


  【スダマは特殊技:防犯アッパーを覚えた!】


 しれっと技認定もされていたのだが、須玉は興奮状態にあったので気がついていなかった。ちなみに変態相手にはダメージが倍になる、護身系の技である。


「ああっ、若様──!」


 ツノ女の叫びをBGMに、若様は美しい弧を描きながら地へと落ちた。

 そのまま、ピクリとも動かない。すぐにも飛び起きて、諦め悪く擦り寄ってきそうなものだったが……?


「──クリーンヒット、ですわね」


 若様の脈を確かめに寄ったツノ女が、ため息混じりに首を振った。


「若様におかれましては、レベルはいまだに5です。ご自慢の腕力もちょっと力持ちな人間程度まで落ち込んでおられますし、被ダメージにも弱くあらせられます。つまりは今現在戦闘不能、気絶の状態です」


五郎八が驚いて問うた。


「レベル5? 真っ先に遊戯ゲームに投下されたのにか?」


「若、レベル上げ、嫌い」


「神使たるわたくしたちがその分レベルを上げ、今や10を越しています。楽にレベルが上がる方法が見つからぬ限り、わたくしたちで魔王を討伐せよと、若様は仰せです」


「それは、なんというか──天津神らしい発想であるな」


 五郎八が迷った末にそう口にすると、褒め言葉として受け取ったらしく、


「ええ、若様は天津神の中でも特に高貴な御方ですから! 意に沿わぬことには御力を注がれぬのです」


 とツノ女は誇らしげに胸を張ったのだった。


(それも自慢できるポイントなのか)


 神使というのはどうやら神直属の配下のことらしいが、ここまで盲目的になるものならば、契約せずに五郎八に仕えている須玉の方がよほど真っ当な感覚の持ち主な気がする。

 と、ふいに胸の圧が軽くなった。ツノ男が周からどいたのだ。

 主が気絶となった以上は決着と判断したのか、起き上がるのに手まで貸してくれた。


「あ、ありがとうございます」


 つい礼を述べると、ツノ男はおもむろに自身の術式バッグからつるはしを出し、周に手渡してきた。


「あの、これは」


 困惑の周に、


「報酬」


 と短い返事があった。


「もしかして──あなたが、衛兵のはしくれさん?」


 ツノ男は悪びれることなく首肯した。

 どうやらクエストそのものが罠であったらしいと知り、念願のつるはしを手に入れたというのに、ガックリと疲労感に襲われる周であった。 

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