第七話 冒険、初級

 月が夜の帳とともに退場し、女神の加護により朝がきた。

 さっそく加工屋に──と思ったが、宿の店主に場所を聞くと、


「わしが見てやろうか」

 と返された。

 どうやらこの店主、加工屋も兼業しているらしかった。


「そうか。稼ぐ気のない宿名をよくもつけたなと思ったが、加工屋で十分やっていけるのであれば納得だ」

 と五郎八が思い出し笑いをする。


 一行が拠点に決めたこの宿は、「他に神が居着いていない宿がいい」という条件での聞き込みに引っかかった、唯一の宿だった。誰もが「宿名に憚りがありまして……」と口が重く、結局場所しか教えてもらえないまま足を運んだ。


 着いてみるとそれは三階建ての小さな宿で、入り口には堂々と《あたらよ宿しゅく》という看板が掲げてあったのだ。途端、五郎八は大笑い。


「よりにもよって、この名とはな。これでは誰も言いたがらなくてもしかたがない」


 どうやら《あたらよ》とは漢字にすると《可惜夜》となるそうで、意味するところは「明けるのが惜しいほどの、すばらしい夜」。これを店名に掲げるのは、アマテラス派お断り、と暗に言っているようなものなのだという。

 ゲーム内にはまだアマテラス派しか参入していなかったようなので、宿泊している神がいないのも、人々が五郎八も天津神だと考えて口を閉ざすのも、至極当然の話だったのだ。


「いやあ、怖いもの知らずな宿屋があってよかったな。おかげで静かに暮らせそうだ」


 五郎八はご満悦でベル付きの扉を開けたが、


(アマテラス派に喧嘩を売るなんて、どんなロックンロール野郎が店主なんだ)

 と周は内心ビクついていた。


 いざ受付で対面すると、ロックンロール野郎は初老の男であった。


 輪郭をふっさりと覆う髭が特徴的だったが、身体は年齢らしからぬ筋骨隆々、広い額を黒いバンダナで覆っていた。暇つぶしがてらナイフを研いでいたようで、ギロっと向けられた眼光までもが鋭利に見えた。

 ついにマジもんのアサシンか! と周は逃げ帰る寸前であったが、よくよく見ると、身につけているエプロンがまさかのピンク色。しかも白うさぎちゃんのワッペン。

 五郎八が「今日来たばかりの国津神なんだが、泊まらせてもらえるか」と言うや、自ら案内に立ってくれる丁寧さ。


「パーティは三人か? まあ、いい。国津神にならば特別に、三人分の料金で大部屋を貸してやろう」


 と、本来四人用である最上階テラスつきの部屋を開放してくれる太っ腹さ。

 もし天津神だったらどういう対応だったんだろうという疑念は残りつつも、総じてただただ良い店主なのだった。


 宿はマーケットから離れているのだけ不便だと思っていたが、その分草原へ出る門には近い。このうえ加工屋も兼ねているとなると、レベルアップにはつきづきしい宿である。


 店主は、名を雪丞ゆきじょうと言った。


 雪丞はさっそく須玉から短剣を受け取ると、柄から切っ先に向けて視線を滑らせた。


「ムッ! これは……」


「なんです、なにか問題でも?」


 須玉は焦ったが、


「これは、ビックリするくらいなんの変哲もない短剣だな!」


 と雪丞は大音声に、ただの感想を述べたのであった。


「ほ、ほっといてください。元は人の世のものですから、普通で当然なんです」


「フッ。まあ普通だからこそ、加工はいくらでもできるぞい。初心者はまずは強度を上げながら、見つけた素材次第で特殊効果を付与していくしかないがな」


「その素材なんですけど、鉱山ではどんな素材を狙えばいいですか」と周は問うた。


「銅、鉄、鋼……鉱山ならなんでも集めて無駄にはならんぞ。しかし一番良いのは玉鋼だな。本来であれば精製しなければ手に入らない鉱物だが、遊戯ゲームだからな。野生の玉鋼もごく稀にだが手に入るようになっている」


「野生の玉鋼……」


 なんとなくのパワーワード感。


「鉱山に行くときには《光石のランタン》と《つるはし》を忘れずに用意するのだぞ。つるはしはもちろん掘り起こすのに必要なものだが、ランタンは洞窟内を照らすと、鉱石が光って所在がわかる仕組みだ」


「それは便利!──ですけど、レンタルなんかはないんですか?」


「甘ったれるな、若いのが」


「……すみません」


 しかしただでさえ欲しいアイテムがてんこもりだと言うのに、素材集めの道具まで必要とは。


(今思うと、所持金100ヨルスタートって結局ハードモードに変わりないよな)


 周の中にまたもオモイカネへの不満が蓄積したのだった。

 だが不満をぶつけるにしても、オモイカネに次いつ会えるかなどわからない。おとなしく、ヨル稼ぎの日々をはじめるしかなかった。



 はじめは草原で粘ったが、ハニワンばかりを相手にするのにも疲れ、一行は思い切って森へと進んでみた。すると微妙にハニウマの出現率が増え、さらなるレアモンスター《ハニウマライダー》が現れるようになった。

 ハニウマに兵士ハニワが乗っている形のモンスターで、なんと一撃では倒せない。

 驚く周に兵士ハニワは剣を振りかぶったが、慌てて二撃目を入れると倒すことができた。「こうしてじわじわ難易度上げていくからね♡」と、オモイカネの声が今にも聞こえてきそうなモンスターであった。


 ハニウマライダーは倒すと、五体に一体ほどの確率で素材アイテム《いにしえの赤土》をドロップできることもわかった。


「アクセサリー類に使えるが、無理して集めるほどのレアもんじゃねえぞ」

 と雪丞には言われたが、百グラムあたり1ヨルで売れるそうなので、捨てるよりはと集めるようにした。


 しかしこの素材、「かさばりたることこの上なし!」と五郎八をもげんなりさせるほどの荷物となった。

 ハニウマライダーの破片というコンセプトらしく、大きさや形が毎回バラバラで、重ねるのも束ねるのもやりづらい。じゃがいもを買ったときの麻袋を持ち歩くようにしたが、周は中を覗く度に、割れせんべいのお得パックを連想した。運良くドロップが続くと一回宿に置きに帰らなければならず、「ドロップするとむしろアンラッキー」感がつのっていった。


「これは、ただちにアレを手に入れないとだめだな……」


 周は決意を固め、ある日の帰り道、女性陣をアイテム屋へと誘った。




 アイテム屋は、葉っぱのマークの看板が目印だ。

 これはただの葉っぱではなく、サカキの葉がモチーフである。

 サカキは玉串として、神への奉納に使われる神聖な葉だ。ゆえにGPを回復するアイテムとしてゲーム内で採用されており、アイテム屋はいずれもシンボルマークとして、サカキの看板を掲げているそうだ。


 ちなみにGPはゼロになっても死ぬようなことはない。特殊な技が使えなくなるだけらしいので、MPの代わりと理解しておけばよさそうだった。レベルが上がれば最大値はもちろん上がる。使えるようになる技は、本人の好みや資質、武具によってだいぶ変わるようだ。

 そしてHPに関しては、その代わりの存在はない。オモイカネのカッコ書きいわく、《命の数値化はボク的にはナンセンス! そもそも種族が違えば命の容量も違うしね。痛みとか出血とかから、自分がどのくらい死にそうか察してね♡ 回復は早めこまめをモットーに!》とのことだった。なんちゅう仕様だと唖然としたが、生身でプレイするゲームだと、確かにその方が自然なのかもしれなかった。


「で、そのサカキの葉を買いに来たんですか?」


 須玉の問いに、周は「半分正解」と答えた。


「回復アイテムも値段によっては買っておきたいところだが、今回の目的はこれです」


 ふたりの視線を集めるように、商品棚の前で威勢良く掌を振る。


「ジャジャーン! 超必須アイテム、術式バッグ〜!」


 突然の商品紹介に、女性陣は「じゅ、術式バッグ?」と思いの外ノリ良く合いの手を入れてくれた。周は満足げにメガネをくいっと持ち上げた。


「見た目にはただのポシェットですが、ごらんください、表面に術式が刺繍されていますよね? この術のおかげで、ポシェットながらも容量はほぼ無限大! 旅の荷物がこれひとつで済んでしまうのです。もちろん、米俵をしまおうとも乳牛さんに入ってもらおうと、肩にかかる重量はポシェットの重さのみ。冒険者必須のアイテムとなっております。お色は嬉しい全二十四色、お値段は100ヨルぽっきり! さあ、お好きな色をお選びくださーい!」


「選ぶのはいいんですけど、なんですかおまえのその高揚感テンション


「販売士の真似だよ。我ながら様になってたと思うぞ」


「へえー。全く意味がわかりませんが、わりとどうでもいいって気付きました」


「やだこの、素直が過ぎる……!」


「いやしかし、このバッグは確かに有用なものだぞ」


 五郎八がまじまじと術式を見て言った。


「空間に干渉する術が使われているようだ。高天原ではもっぱら、社殿の内部を見目以上に広げるために使うと聞いたことがあるが、こういう使い方もあるのだな。オモイカネが考えたものだろうが、さすがの発想だ」


 そうしてまず五郎八が穏やかな藤色を選び取ると、次に須玉は髪と同じ赤色のものを手に取った。


「うん。二人とも、それらしい色ですね」


「周殿は、その紺にするのか?」


「はい。いずれはこの服も着替えたいんですけど、どんな服があるのかよくわかりませんからね。コーディネイトしやすいよう、無難な色にしておきます」


 回復アイテムも確認したが、サカキシリーズは一番安価なものが《サカキの種》で、回復量はGP10。《サカキの葉》になると50回復するが、もちろん今現在の一行には過剰な回復量であった。


 そもそも特殊技も覚えていないしと、傷薬に目を向ける。こちらはガマシリーズだ。


 ガマと聞くとうっかりカエルの方をイメージしがちだが、多年草の方のガマである。ガマの穂がかつては薬として使われていたことから、オモイカネに傷薬のアイコンとしてピックアップされたらしい(因幡の素兎の神話でも出てくるでしょ? とカッコ書きがあったが、周にはピンとこなかった)。


 ガマの種がちょっとした切り傷、すり傷、火傷など。

 ガマの葉が出血を伴うほどの怪我や骨折など。

 ガマの穂が致命的な怪我にたいしておすすめ、と書かれてあった。


 もちろん穂がほしいところであったが、ひとつあたり1000ヨル。命の値段としては安価でも、かけだし冒険者には厳しい価格であった。

 種をひとりひとつずつ買っておくことにし、今日のところは会計へと進んだ。


 店を出て、早速一行は術式バッグを身につけたのだが──


「ていうか、これって全員同時に買う必要ありました?」


 はたと、須玉が疑問を呈した。ニューアイテムにほくほくしていた周は、首を傾げながら須玉の方を振り向いた。


「いや、全員持っていた方がなにかと便利なのはわかってるんですけどね。いくらでも入るんなら、とりあえず一人だけ買って、あとは追々でも良かったんじゃないかなって……」


 すべて聞く前に、周は膝から崩れ落ちてしまった。須玉がお察しの表情をする。


「思い至ってなかったんですね」


「もおおお、なんで気付かないかな。おれのバカッ」


「バカメガネ、か……」


 須玉の呟きに、「追い討ちやめてっ」と周は懇願するように言った。


「いいではないか、無駄な買い物ではないのだから」


 五郎八が慰めの言葉をくれた。


「うう、それでも200ヨルの差は痛いですよね。すみません、本当に」


「大丈夫。このバッグがあれば、赤土も集め放題なんだろう? 各自集めに集めて、いっぱい売ろうではないか」


「ううっ、神さまなのに発想が地道すぎて泣けてきます」


「もちろんそれだけでは埒があかないからな。ここらで森の先まで進んでみるか、もしくは──」


「あ、なるほど。クエスト!」


 周が言葉の先を捉えると、五郎八はにっこりと笑んだ。


「われわれも、今やレベル4だからな。簡単な依頼であれば達成できるやもしれん。確か町長の館近くに、クエスト会館があるのだったな? ここからだとマーケットを縦断せねばなるまいが、思い立ったが吉日と言うからな。疲れていなければ、すぐにも行ってみようか?」


 五郎八の提案に、挽回の機会を得たとばかりに周は顔を輝かせ、「ぜひ、行ってみましょう! そうしましょう!」と、須玉の意見さえ聞かずにもうきりきりと歩き出した。


無能男ノーマルレアは、いちいち感情に急がしそうですね」


 呆気にとられる須玉の横で、五郎八はおかしそうに笑っていた。


「きっとそれが、周殿らしさなのだろう。楽しそうでなによりじゃないか」


 そうして女性陣も周を追いかけ、一行はマーケットの喧騒に消えていったのだが──彼らの姿を、向かいの建物から眺め続けていた男の存在には、ついに気付かずじまいであった。


 男のいる建物の名は《つくし楼》。この町で一番人気の宿屋である。


 一行を見届け終えた男は窓から離れ、部屋の中央にあるソファへと身を沈めた。鍛え上げられた肉体が、スプリングでわずかに弾む。その膝にすぐ、ひとりの女がしなだれかかった。


「熱心に、なにをご覧になっていたのです?」


 女は頭に枝別れした白いツノを二本、生やしている。表面だけうっすら透き通っていて、水晶の類いかと見紛うほど美しいツノである。男はそのツノを無意識のうちに撫でながら、答えた。


「よその冒険者陣営パーティさ。見たことのない女神でな。勇者も律儀に連れ歩いていたようだし、気になったんだ」


「まあっ、勇者を? なんと物好きな神でしょうね」


 プーッと噴き出す女。すると部屋の一角から、


「神、笑う、いけない」


 のっそりと、細長い体躯の男が歩み出た。

 彼も女同様美しいツノの持ち主で、女のそれよりもさらに立派な枝ぶりである。長い前髪の隙間からは、気怠げな目がのぞいている。


「でもうるし、あなただって本当はそう思うでしょう? そもそも勇者なんて邪魔者、引かせるオモイカネ様がどうかしていなさるのだもの。帯同なんてとんでもない!」


「思う、けど、」


「あー、いいわ。それ以上は結構! 漆のお話はのんびりなんだもの。最後まで聞いてたら、なにを話していたかも忘れちゃうわ。──ねえ、若様。若様に見覚えのない女神ということは、下っ端の氏神あたりですかしら」


「氏神、か。うーん。氏神程度をこうも早々に天が投入するとは、考えにくいがなあ。ひょっとすると……」


「すると?」


「アマテラスさまが恐れていた異物が、さっそく紛れ込んだのやもしれないぞ」


 男はにやっと笑った。


遊戯ゲームなど七面倒くさいだけと思っていたが、明確な波乱があるならば別だ。さて、どうしてやろうかな。ここは天の眼が届きにくい。好き勝手するには絶好の機会だぞ」


「若、お痛、だめ」


「若様、なんでもお手伝いいたしますわ」


 ツノを持ったふたりは同時に、真逆のことを若様とやらに進言した。

 若様はそれらには答えずに、


「武神たるもの、たまには荒魂あらたまに従わなくてはな」


 と、笑みを深めたのだった。

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