第六話 宿会議

 三日月を皿にして、満月を浮かべたような。

 それがこのゲーム世界──もとい、《夜の食す国》の地形であった。


 宿屋の一室で、一行は攻略本に載っていた簡素な地図を前に、情報の整理をした。

 今現在いる《はじまりの町》は、三日月の右端に位置しているらしい。三日月の中央部には大きな港町があって、そこから満月大陸へと移動できるようだ。

 左端にも町はいくつもあるようだが、港町までの情報しか攻略本には載っていない。魔王は満月側に待ち構えているのだろうから、とっとと大陸に渡るか寄り道するかはどうぞお好きに、ということだろう。


 そして《夜の食す国》は、高天原の鏡面世界などではない。ツクヨミという神が治める歴とした神域であると、五郎八が教えてくれた。


「ツクヨミさまはアマテラスさまの弟であり、わが父スサノオにとっては兄にあたる。この三柱の神を特に《三貴子》と呼ぶのだが、各々違う国を治めていてな。平常では三貴子同士の交流は皆無だ」


 アマテラスが治めるのはもちろん高天原。


 スサノオが治めるは常世とこよの国(五郎八もここで暮らしていたそうで、ゆえに彼女は国津神であると同時に常世神とこよのかみとも呼ばれるらしい)。


 そしてツクヨミの治める夜の食す国。以上をまとめて三世界と呼ぶそうだ。


 三貴子同士で交流がなくとも、高天原にとって夜の食す国は向かい合っているだけにとても重要な地だそうで、五郎八は「天の暗部を担う場所」という言い方をした。


「天の暗部?」


 ピンとこない周に、


「要するに、天のゴミ捨て場ってことですよ」


 と須玉がさばけた言い方に直した。


「高天原にとって不要なもの、都合が悪くて光をあてられないものを全部夜の食す国に押し付けているんです」


「えっ。それって、ひどくないか」


「ひどいですよお。天津神ってのは、実に神らしい身勝手な連中ですからね。天が安穏であれば他はどうでもいいんです」


「そのどうでも良かった世界に天叢雲剣が渡ってしまったからこそ、高天原は大慌て……というわけだ」


 今まで天が封じた禍きものや、扱いに困って打ち捨てた神具などが、今回ゲームの中でイベントモンスターやアイテムとして登場する予定だと、オモイカネがすでに宣言しているそうだ。


「打ち捨てられたものの中でも、天が特に問題視しているのは一柱の神の存在なんですよ。これ、重要です」

須玉が人差し指を立てて言った。


「神さままで捨てられたリストの中に入ってるのか?」


「いや、一応自ら望まれての入国ではあるが……しかし、打ち捨てられたと言っても確かに間違いではない。あまりにも強大な力を持つ神ゆえに、もはや災いに近いとして、天に居場所はなかったらしいからな」


 その不遇な神の名は──ヒルコ。


 三貴子の親であるイザナギとイザナミの、最初の御子だそうだ。


「じゃあ五郎八さんにとっては、おばさんにあたるんですね」


「そうだな。お会いしたことはないのだが」


「力が強いって、どれくらい──?」


「三貴子でさえまともにやり合っては太刀打ちできないと思うぞ。なにせ夜の食す国も常世も、元々は彼女が力を浪費するために創り上げた世界だからな」


「え、そんな理由で世界って創れちゃうもんなんですか?」


 舌を巻く周に、須玉は呆れの滲んだ声で答えた。


「そんな理由で創れちゃうからこそ、他の神から恐れられたんじゃないですか」


「ヒルコとは日出づる子の意でな。もともと太陽神、すなわち最高神になるために生まれた女神ゆえ、神としての器は随一なんだ。──しかしヒルコさまの悲劇はその器にも収まりきらぬほどの、多大な神通力が付随していたことにあったろう。溢れ出る神気のせいで、彼女はまるで太陽そのもののようになってしまい、ヒルコさまが近づくだけで草も水も灼け消え、もちろん人も、その形をとどめてはいられなかったと言う。彼女の眼前に立つのは神でさえ命がけだったろう」


 そもそも神通力というやつは、神にとって非常に厄介なものらしい。

 使い切っては存在を保てぬが、使わずに溜め込めばおりとなって自身を害す災いとなってしまう。


 いかに適度に使うかが神にとって常々一番の課題で、やっとのことで使っても、人の信仰心によってまた集まってくる。そのため信者を多く抱える神ほど、使い道には頭を痛めているのだという。


「ヒルコさまは太陽と結びついていたために、信仰心による上乗せも他の神より多かったはずだ。神通力は僅かずつだが自然回復もするし、世界を創って浪費したところで彼女にとっては焼け石に水のようなものだったろう」


 スケールが大きすぎる話だったが、人間で言うと《月に億単位で不労収入があるが貯金は禁止。常に入るだけ使い続けなければならない状態》にあたるだろうかと、周は想像した。

 力の浪費のために世界を創ったという途方も無い話も、豪邸を建てて一気に散財! に置き換えればまだ理解が追いつきやすかった。


 自分なら他にどんな浪費をするか。海外旅行? テーマパーク貸切?


(リアルに嬉しい贅沢としては、電気代を気にせずエアコンを使いまくるとか、高ランクの牛肉を使いまくるとかだな)


 ザ・庶民の周の器では、想像さえこの辺りが限界である。


 使い切れなかった分は、寄付に走るのが一番手っ取り早いだろう。が、神にとっての手っ取り早い浪費法はどうやら災害を起こすことらしい。実際ヒルコが常世を創ったのも、誰もいない地で思い切り災害を起こすためであったそうだ。それもしばらくすると移り住む者たちが現れて使えなくなり、やむなくヒルコは二世界目の創世に着手したのだそうだ。

 ヒルコが現世相手にも平気で災害を起こす神でなかったのは、人類にとって幸いだったろう。


「なんか、神さまも楽じゃないんですね」


「いや。たいていの神は苦心はしていても、苦労はしていない。好き勝手にやっている部分の方が多いのだから同情は不要だ。あくまでヒルコさまほどの器が稀有なのだ」五郎八が言った。

「ヒルコさまが二世界目を作り終えた頃に生まれたのが、三貴子でな。他の神々の後押しもあってヒルコさまは退位され、安定した力を持つアマテラスさまが代わって最高神となった。ヒルコさまはその後、夜を司るツクヨミさまとともにこの二世界目たる夜の食す国に入り、ツクヨミさまの夜の力でもって、太陽の力の一端を抑え付けておられるのだ」


「この国に昼があるのは、ヒルコ神がおられるからなんですよ。高天原にはツクヨミ神がいないせいで夜がありませんし、常世はスサノオさまの神気で常に大気が渦巻いていますから、三世界の中で一番地上に近いのは、実はこの夜の食す国なんです」


「なるほど。夜が昼を食す国、か」


 変な名前だと思っていたが、事情を知ると納得であった。


「移住以来、ヒルコさまも安定した状態でお過ごしになられていたことだろう。高天原でもツクヨミさまに任せておけば間違いないと、ヒルコさまの存在はもはや気にかけてすらいなかったはず。だからこそ、今回この国を舞台にした遊戯ゲームというのは途方もなく緊急事態なのだ」


「天は、ヒルコ神こそが魔王であろうという見解です。当然剣も彼女の手に渡っていると考えています。太陽の力に合わせて象徴も渡ったとなると、すでに最高神の地位はヒルコ神に戻ったも同然なんですけどね。どういうわけかヒルコ神はいまだ剣の力を行使せず、オモイカネの遊戯ゲームに付き合っておられるのです。……というよりも、それを条件にオモイカネが剣を渡した可能性が非常に高いんですけど」


「あいつは三世界を唯一好きに行き来していた、物好きな神でな。なにを企てているのか、思考の一端さえ誰も把握できぬ」


 オモイカネ。その名を聞くだけで脳内にはウィンクをするかの神の顔が浮かび、周はげんなりとするのだった。


「なんか、自分ではイベントプロデューサーって言ってたけど、トラブルメーカーの方が正しいんじゃ……?」


「周殿の言わんとすることはよくわかる。が、実は神とは元来そういうものなのだ。善悪を超越し、ただおのれの本分に則して行動する、荒々しい存在だ。よく仏と混同されるが、私から言わせたらとんでもない。あちらはとても理性的で、統率もとれているからな」


 確かに仏さまは、退屈したところで蜘蛛の糸を垂らす程度。神剣をゲームの賞品になど、思いつきもしないだろう。


 そしてツクヨミもツクヨミで、国をゲーム会場にされたというのにオモイカネを咎めるどころか、高天原に協力する気もないらしい。

 ゲームの存在がオモイカネによって天に宣言されてすぐ、ツクヨミが御前会議に招集されたらしいのだが──


遊戯ゲームを創るから場所を貸してくれとは言われたが、詳しいことはわたしも知らない。ヒルコとは力を食い込ませあってはいるものの在所は別であるし、剣の所在も、聞かれたところで答えようがない。高天原からは常時様々なものが勝手に送りつけられてくるゆえ、ひとつひとつ確認などしていられぬ。それをなぜ気付かなかったと、今回ばかり責められるのは不条理だ。姉上の気まぐれが発端なのだから、回収も収束もそちらで責任をもってやってくれ。今まで通り、わたしは誰が国に入ってこようと構いはせぬ」


 と言って、すぐに帰ってしまったそうだ。天の暗部は引き受けても、天の失態までフォローする気はない。そんなスタンスの神であるようだ。


「それでめでたくツクヨミさま公認のゲームになったってわけですか」


 おそらくそれも見越したうえで、オモイカネはゲーム制作に着手したのだろう。まったくあの神は……と、果たしてあと何回思わされるのか。


「しかしヒルコさまとやらが魔王となると、なんだか戦いにくいですね。むしろ不遇だった分、応援したくなるというか。そもそもヒルコさま自身は、なんの目的で魔王を引き受けたんでしょう」


「目的なんてないかもしれないですよ。それこそ暇つぶしとかかも」


「神々ってそんなに暇なのか?」


「よっぽどのことがない限り死にませんからね。時間は無限に近いですよ」


「無限、ねえ」


 五郎八もスサノオの娘である以上、日本の歴史と同程度の年齢だったりするのだろうか。外見が若いと、どうも実感しにくいものである。


「まあヒルコさまにどんな理由があるにせよ、問題は戦ったところで勝てる気がしない、ってとこか?」


 あまりにも潔い周の弱音に、「そうだな」と五郎八も笑って同意した。


「勝敗を抜きにしても、私もできることなら彼女とは戦いたくはないし、目的さえ達すれば遊戯ゲーム自体は完遂クリアしなくてもいいのではないかと思っているよ。しかしそればかりは、終盤になってみないことには決められん。今はひとまず熟練度レベルを上げつつ、冒険を進めることに邁進しなくてはな。──なにか、有益な情報は載っていたか?」


 五郎八は攻略本に目を落とした。そこで今度は周が語る側となって、知っておくべき情報を伝えた。


 パーティメンバーは最大4名までということ。


 武具は基本的に加工で強くしていくもので、お金さえ貯めれば強い武具を得られるわけではないということ。ゆえに加工の素材集めも重要な要素であること。


 ステータスにあったGPとはゴッドポイントの略で、要するに神通力の数値であること。


 所持金は宿屋、クエスト会館などの冒険者向け施設で現金として引き出せること。


 そしてステータス情報は、変にかけ声をつけずとも念じれば応じてくれるらしいこと。


 基本アイテムの一覧表、武具の派生表などもあったが、とにもかくにもお金を貯めなければお話にならない。


「次の町に進む前に回復アイテムの充実はもちろん、武具も最低限の加工は済ませておきたいところです。森を抜けたところに鉱山があるそうなので、まずはそこでの素材集めを目標にしましょう」


 周の提案に、女性陣は頷いた。


「ちなみに加工って、持ち込み武器にも可能なんですかね?」

 須玉が自身の短剣の柄を撫でながら言った。


「神器とか特殊な武器は無理って書いてあったけど、ちびっ娘のそれは普通の短剣なんだろ? 短剣なら基本武器のひとつにも入ってるし、大丈夫じゃないか?」


 参考までにと短剣の派生表を開くと、須玉は食い入るように見て、


「なるほど、強度アップ、斬れ味アップ……え? ブーメラン効果?」


 と興奮気味であった。


(いずれ武器マニアになりそうな気配がぷんぷんするな……)


 身の危険を感じつつも、


(明日はまず加工屋に行って、短剣を見てもらうことにするか)


 と、つい面倒見の良さを発揮する周であった。


「ちなみに五郎八さんのその剣が、神器ってやつなんですよね?」


 訊ねると「ああ、そうだぞ」と五郎八は首肯した。


「加工は無理だろうし、そもそも使う気もない剣なのでな。装身具のひとつ程度に考えておいてもらいたい」


 使わないのになんでわざわざ携行を? と思ったが、神器ともなると携えるだけでもなにか恩恵があるのかもしれない。


「ということは、五郎八さんも加工武器が必要ってことですよね」


「そうだな。剣でなくともいいが、なにか早々に基本武器を手に入れておきたいところだ。周殿は防具が先だろうが、やはりゆくゆくは武器も必要だろう。どの武器を使いたいとかあるのか?」


「えっと、どうしましょうか」


 偉そうに武器について聞き取りをしていたくせに、自分の武器については全く考えていなかった。


「焦って決める必要はないが、攻撃も防御のうちだからな。どういう立ち回りなら向いてそうか、少しずつでも考えておくといいぞ」


「……わかりました」


 頷きはしたものの、これは今までになく難しい宿題だなと、ため息が漏れてしまう。

 

 宿題やれよ、と周は弟の樹にいつもなにげなく声をかけていたが、かけられた側の樹はやはりこんな気持ちだったろうかと今になって思う。


 樹も、旭も、祖母も、みんな今頃なにをして過ごしているのだろうか。周が忽然と姿を消して、困惑していることは間違いないだろう。

 食事はちゃんと摂ってくれただろうか。さすがに今日は食べる気にもならないだろうか。──心配は尽きなかったが、地上の様子なんて神である五郎八にすらわからぬことだ。悪い想像を巡らせたって、良いことはない。

 早く帰るためにもまずは宿題! と、周は自身が色々な武器を振り回しているところこそを想像するようにした。短剣、太刀、ハンマー、弓、銃──


 どれもしっくりとは来ないまま、冒険の初日は幕を下ろしたのだった。

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