攻略対象 は 全滅しました

 この国で一番強い軍隊はどこか。

 そう問われたら、国民のほとんどは「辺境伯軍」と答える。


 事実、辺境伯軍はこの国で一番の精強さを誇っているのだ。

 何故なら、辺境伯領のすぐ隣は敵対国家との国境線。力が無ければ即座に侵略を許してしまうから。


 そんな常識はどうやら真実だったようで、私が辺境伯のお城に匿われてから三日後には、辺境伯軍大勝利の速報が入ってきた。

 魔法を使った通信はコストと事前準備が掛かるけど、早馬とは比べ物にならない速度で報告を届けることができる。ほぼリアルタイムね。


 何でも、不利になった戦局を挽回しようと自ら前線に出てきたオーズィ殿下が、流れ弾に当たって呆気なく戦死してしまったとかで、その時点で国軍は降伏したらしい。

 オーズィ殿下によって幽閉されていた陛下の子息子女たちと王妃殿下も救出され、順当に行けば第一王子がそのまま王位を継承するんだって。


 辺境伯軍としては、正当に選ばれた王位継承者が王位に就くことこそ重要だったようで、誰が王位継承するかに関しては一切の口出しをしないみたい。王家が正しく機能しているのであれば過度な干渉は望ましくないとか何とか。

 聞くところによると、旗印である聖女様がそういうご意向だったらしい。


 知らなかったわー。わたし聖女様だけどぜんっぜん知らなかったわー。


 ま、私としても辺境伯軍の態度は好ましいと思うので、特に口を出すことも無いかな。聖女わたしの名前を、事態を上手く収めるために使ってくれてるなら大歓迎だ。


 そうそう。軍務卿子息ノーキンさまは、政変が始まってすぐの頃にきっちり処刑されていたらしい。政変で有耶無耶になるのかもしれないって何となく思ってたんだけど、オーズィ殿下は想い人わたしの目の前で殴り飛ばされたのをしっかり根に持っていたようだ。


 私の知っている人たちが死んでしまったはずなんだけど、その様子を目の当たりにしていないせいもあってか、私の実感は欠片も無かった。うん、君たちはあの世で勝手にやっててくれ。間違っても私を恨んでくれるなよ。


 ◇


 みんなで辺境伯軍の勝利を喜びあって、ちょっとした戦勝祝いの宴をして。

 一息つくと、今度は自分の身の振り方が心配になってきた。


 辺境伯子息ヴールトスさまになんて返事しようかな。とりあえずお友達から、っていう逃げのセリフは、貴族が相手でも通用するのかしら。

 旗印としての聖女は王家に並ぶくらいの存在らしいけど、所詮は平民なのよね。爵位とかも貰ってないし。

 だとすると、断れない状況になるのかもしれないわね。


 そんな風に少しばかり憂鬱になりながらベッドに入った私だけど、すぐに叩き起こされることになった。


 どうやら、この城に賊が侵入したらしい。

 たかが普通の賊程度に負けるような辺境伯の兵士達じゃないけれど、今夜の賊は異様に強くて、ちょっとばかり宜しくない状態なんですって。

 私も衛兵の人たちに先導されて、辺境伯様たちが居るところ、つまり城内において守りが最も堅いところへと移動することになる。


 と、前を走っていた衛兵さんたちが、突如火柱に包まれた。熱気に当てられて思わず立ち止まり、両腕を顔の前に翳しながら顔を背ける私。

 熱気が少し和らいだなと思って腕の隙間から様子を伺うと、衛兵さんたちが全員まっ黒焦げになって倒れていた。息をしているようにはとても見えない。


 ひゅっ、と喉が変な音を鳴らす。背筋が一気に冷たくなる。

 うそ、衛兵さんたち、殺された? こんな一瞬で?


 喘ぐようにぱくぱくと口を動かしていた私の背後から声が掛かる。


「迎えにきたよぉ、聖女様ぁ」


 宮廷魔導士子息マヅースィさまの声だ。

 多分、そのはず。以前に聞いた声ゲームボイスとはすごく違ってるからちょっと自信が無い。なんというか、完全にイっちゃってる感じだ。

 びっくりして後ろを振り返る私。うん、やっぱりマヅースィさまだった。雰囲気もだいぶ違うけど、流石に顔の造形までは変わっていないからわかる。あと紫のローブ。


 正直、その存在をすっかり忘れてたわね。

 入学初日に少し話をしただけだったし、なんか期待外れだったし、気持ち悪かったし。

 うん、ミステリアスなはずが、ただのネクラだったんだもの。

 その後に政変なんてものが始まっちゃったのも、存在を忘れるのに大きな役割を果たしたとは思う。


 じりじりとにじり寄ってくる宮廷魔導士子息マヅースィさま

 なんでそんな動きなのよ、こっちも警戒しちゃうじゃない。やましいところが無いなら、もっと堂々と爽やかに近寄りなさいよ。

 無理か。衛兵さんたちを攻撃したのって、間違いなくマヅースィさまだろうし。


「やっと会えたよぉ。邪魔な第二王子オーズィ辺境伯子息ヴールトスの始末に手間取っちゃってさぁ」


 ちょっと待って、始末? オーズィ殿下と、辺境伯子息ヴールトスさまを? オーズィ殿下は流れ弾に当たった、って……流れ弾って、宮廷魔導士子息マヅースィさまの魔法!?


 そんな風に状況を整理しようと頑張っていた私の脳裏に、別れ際のヴールトスさまの様子がリプレイされた。少し照れたように、だけど真剣にプロポーズしてくる彼。


 うん、ゴメンね辺境伯子息ヴールトスさま。亡くなって悲しいというよりも、やっぱりフラグ立っちゃったのねっていう感想が先に来てしまった。

 口数こそ少なめだったけど、一週間も馬車で一緒だったのにね。

 やっぱりアレか、その前に遭遇した攻略対象三人がアノザマだったから警戒しちゃってたのか私。


 宮廷魔導士子息マヅースィさまに気圧され、じりじりと後ずさりしていた私の足に何かが当たった。炭化してしまった衛兵さんだ。

 ひっ、と短く悲鳴を上げて横に逃げる。すぐに通路の壁に突き当たった。


「イヤだなぁ、逃げないでよ聖女さまぁ。アナタに逃げられたら、ボク、何するかわかんないよぉ?」


 完全にイっちゃった表情で語り掛けてくる宮廷魔導士子息マヅースィさま

 ぶっちゃけ怖い。得体の知れない存在を目の前にした時の、正気をがりがり削られるような怖さだ。SAN値って言うんだっけ?

 だいたい、攻略対象にヒロインが追いつめられるってどんな乙女ゲーなのよ。「聖女☆クライシス」って、そういう意味でのクライシスじゃなかったわよね?


 両腕を横に大きく広げて、じりじりと近寄ってくる宮廷魔導士子息マヅースィさま

 壁に片手を付きながら、逃げるようにじりじりと後ろへ下がる私。


 そんな私の手に、ドアノブらしきものが触れる。咄嗟にドアを押し開け、中へと逃げ込んでドアを閉める私。


 カギを閉めないと、逃げ場所を探さないと。

 そう思いながらつい辺りを見回した私の目に映ったのは、真新しい道具の数々だった。一般的に、拷問器具と言われる類の。

 あまりに異様なそれらの姿に、私の動きが止まってしまう。


「あははっ。話には聞いてたけど、辺境伯子息アイツもいい趣味をしてるよねぇ」


 扉を押さえていたつもりの私を軽々と押しのけて、宮廷魔導士子息マヅースィさまが部屋に入ってくる。私はよろめきながらも、部屋の奥へと移動することになった。拷問器具の方へと。

 心情的に近寄りたくはないけれど、宮廷魔導士子息マヅースィさまの近くにいるのもヤバい。

 マヅースィさまは、私を部屋の奥へと追いやるかのように、ゆっくりと私の方に歩みを進めてくる。


「これ、ぜーんぶ聖女様のために用意したんだってさ。聖女様の色で染め上げるために、わざわざ新品を取り揃えたって言ってたよぉ。愛用のヤツが他の場所にあるのにねぇ」


 私のために用意? 愛用のヤツが他にある?


 宮廷魔導士子息マヅースィさまの言葉が耳を素通りする。言葉としては理解しているんだけど、頭の中に意味が入ってこない。


「あー、流石に聖女様の耳にまでは届いてないかぁ。アイツ、拷問が趣味なんだよねぇ。アイツっていうか、辺境伯の一族はみーんなそう。割と有名だよぉ?」


 口数こそ少ないものの好青年のように見えた辺境伯子息ヴールトスさま、その趣味が拷問。

 そんな彼が、私のために用意した新品の拷問器具。


 つまり、私に使うために?


 頭の中が真っ白になりながらも、どこか冷静な私が酷評をしていた。

 ええ、何となくそんな気はしていたわよ。だって攻略対象だものね。

 ヴールトスさま、お前もか。


「安心してよぉ、ボクはこんな無粋なモノは使わないからさ。ちゃんと聖女様を心から愛してあげ……」


 恍惚とした表情で話す宮廷魔導士子息マヅースィさまが、その言葉の途中で急に表情を険しくすると、横っ飛びに飛びずさった。


 キュガガガガガッ!  直後、けたたましい音とともに、さっきまでマヅースィさまが立っていたあたりの床が無数に抉れ、細かい破片が辺りに飛び散る。

 ふと見ると、私たちが入ってきた分厚いドアに小さな穴がたくさん空いていた。どうやら、ドアの向こうから何かの攻撃が放たれたらしい。


 なんだか、感情が飽和状態だわ。今度は何が起きたの?

 攻略対象で今も生存しているのは宮廷魔導士子息マヅースィさまだけ、対抗馬はもう居ないはずだけど。


「全く。聖女様を敬う態度がなっていませんですこと」


 穴だらけになったドアを開け放ち、そんな風に言いながら現れたのは、なんと悪役令嬢アクゥーヤさまだった。

 いつも通りのドレス姿なのに、なんだかすごく凛々しく感じるお姿だ。なんだろう、理由はよく判らないけど無性に格好いい気がするわ。

 白馬の王子様とか、吊り橋効果なんていう言葉が私の頭に浮かんできた。いや、後者は違うと思うわよ。アクゥーヤさまは女性だから、王子様も厳密には違うけど。


「何故だ? キミは魔法が使えないはずだろ!?」


 宮廷魔導士子息マヅースィさまが叫ぶ。

 マヅースィさまに襲い掛かったあれは、魔法だったということか。それを放ったのがアクゥーヤさま?


 マヅースィさまの言う通り、聖☆クラの設定としては、悪役令嬢アクゥーヤさまは魔法の適正が皆無だ。

 但し、それは通常時のみ有効とされる設定に限ってのお話。悪役令嬢が悪役令嬢として覚醒した場合は、その限りではない。


 悪役令嬢の覚醒。

 すなわち、嫉妬に駆られて魔神と契約し、その精神ココロ身体カラダを乗っ取られてしまった状態。


「そのような些事を気にしている場合でして? ご乱心召されたとは言え仮にも王族であらせられるオーズィ殿下、並びに辺境伯子息ヴールトスの両名を誅殺した罪、この場で断罪して差し上げても宜しくてよ?」


 まるで虫ケラでも見るかのような冷たい眼差しで宮廷魔導士子息マヅースィさまを見下す悪役令嬢アクゥーヤさま

 うわぁ、あんな顔も出来るんだ。聖女ヒロインに向けたスチルでも見たことが無いわ、あんな冷え切った表情。


 それにしても、どう見ても魔神に精神を乗っ取られた感じでは無いわよね。

 ゲーム中、魔神化したアクゥーヤさまのスチルは「どう見ても魔神ですよー、悪役令嬢の雰囲気なんて欠片も残ってませんよー」っていう凶悪な姿だったし、ボイスも渋い男性イケオジボイスが割り当てられていた。

 今のアクゥーヤさまは、超絶美人な悪役令嬢アクゥーヤさまのお声とお姿のままだ。


「殺してやる! ボクと聖女様の仲を邪魔するヤツは、みんな殺してやる!」


 狂気の叫び声を上げ、呪文を唱え始める宮廷魔導士子息マヅースィさま。魔導士として有能と言われるだけのことはあって、あっという間に魔法を完成させると、悪役令嬢アクゥーヤさまへと解き放つ。

 その様子に、燃やされて炭化してしまった衛兵さんたちの姿が私の脳裏に浮かんでくる。

 アクゥーヤさま、逃げて!


 そんな私の焦りもどこ吹く風。悪役令嬢アクゥーヤさまは詰まらなさそうに左手を上げると、指先で何かを弾くような仕草をする。そんな何気ない所作でさえ、洗練されていて美しい。

 そして、発動したばかりの宮廷魔導士子息マヅースィさまの魔法は、たったそれだけで陽炎のようにかき消されてしまった。


「ハアァ? ふざけるな! ボクに大人しく殺されればいいんだよぉ!」


 狂ったように叫びながら何度も魔法を唱える宮廷魔導士子息マヅースィさま

 そんなマヅースィさまを軽くいなしながら、まるで救いようのない愚か者を見るような眼差しで眺める悪役令嬢アクゥーヤさま

 凄いわね。その気になれは一人で軍隊を相手にできるはずのマヅースィさまが、全く相手にならないわ。


「バカな、バカなバカなバカなバカな! ボクはキューテー家の超新星、マヅースィだぞ! ボクの魔法が通じないなんて、そんなのあり得ない!」

「やれやれですわね。貴方の魔法など、貴方の父君ちちぎみに比べたら児戯にも等しいというのに、自分を超新星などと。父君のお顔にこれ以上の泥を塗るのはお止めなさいな」

「うるさいうるさい! 殺す! コロス!」


 錯乱して駄々っ子のようになりながら魔法を放ってくる宮廷魔導士子息マヅースィさまの様子に、悪役令嬢アクゥーヤさまは、はぁ……とため息を一つ。


 と、マヅースィさまを軽くあしらいながら、アクゥーヤさまは私に顔を向けてきた。

 先ほどまでマヅースィさまに向けていた眼差しとは打って変わって、またしても聖女のような慈愛に満ちた表情だ。

 うん。もう、アクゥーヤさまが聖女でいいと思います。聖女わたしが認めます。


「王族殺しの大罪人マヅースィに対し、断罪を執行しますわ。執行人はわたくし、クーレィ公爵家が長女アクゥーヤが務めます。見届け人は神が定めし至高の御方おんかた、聖女様。よろしくて?」


 悪役令嬢アクゥーヤさまのセリフは、貴族が警吏に代わって刑を執行する際のお約束の言葉だ。これは私刑リンチじゃありませんよ、れっきとした刑罰の執行ですよ、というのを宣言するってやつ。ゲームでも似たようなセリフが何度か出てきた。

 家名を名乗るのは、いざという時には個人ではなく家全体が責任を負うという覚悟の現れらしい。一方で、見届け人の私をあんな風に格好良く言っているのは、私が貴族じゃないせいで家名が無いからだと思う。たぶん。


「はぇ? えっと、は、はい」


 優しげな口調と発言内容とのギャップにものすごく戸惑いながらも、私は辛うじて悪役令嬢アクゥーヤさまに了承を返す。

 そんな私に優しく微笑むと、再び表情を絶対零度まで下げて宮廷魔導士子息マヅースィさまに向き直るアクゥーヤさま。


「では、永遠に、さようならですわね」

「殺すーーーーーッ!」


 宮廷魔導士子息マヅースィさまに向けて、手のひらを上にして差し出すように伸ばす悪役令嬢アクゥーヤさま。その動作に合わせるように、マヅースィさまの周囲を半透明の球体が覆ってしまう。

 恐らくだけど、アクゥーヤさまの視点では、自らの手のひらに半透明の球体が乗っているように見えていると思う。そんな位置関係だ。

 ふわっ、と手のひらを握りしめるアクゥーヤさま。マヅースィさまを覆っていた球体が、きゅいっ、とばかりに縮小していったかと思ったら、そのまま掻き消えてしまった。マヅースィさまも一緒に。

 えっ? 何が起きたの?


 半眼になり、握った手のひらの中を確かめるように視線をやる悪役令嬢アクゥーヤさま。やがて、ふっと表情を緩めると手を開いた。もちろん、そこには何もない。

 私の方を向いた時には、アクゥーヤさまは既に聖女のような微笑みを満面に浮かべていた。


「はい、断罪完了しましたわ。聖女様もお疲れ様でした」

「あの、はい、お疲れ様でした……?」


 よく判らないけど、なんかすごい魔法が使われたっぽい。

 宮廷魔導士子息マヅースィさまが全く抵抗できず、さらに塵一つすら残らないって。悪役令嬢アクゥーヤさまは怒らせないようにしないといけないかしら。気を付けようっと。


 悪役令嬢アクゥーヤさまは聖女のような笑みをほんの少しだけ崩すと、明後日の方向を向きながらちょっといたずらっ子のような顔になる。


あの三下マヅースィ……永劫に苦し……些細な問題……」


 うん? 悪役令嬢アクゥーヤさまが小声で何か言ったようだけど、よく聞き取れなかった。

 聞いてみたい気はしたんだけど、なんだか聞いちゃいけないような気もして。

 私は曖昧な笑みを浮かべるだけにしておいた。

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