私を巡って恋の争い……のはずだったのに

 翌日。

 登校したら、学校中の雰囲気がざわめいていた。校内のあちこちに人だかりができて、不安げな表情でこそこそと話をしている。


 教室に入ってもそんな状況のままだったからどうしたんだろうって思ってたら、私の後から教室に入ってきた悪役令嬢アクゥーヤさまが、私の姿を見るなりすごい勢いで駆け寄って話しかけてきた。


「聖女様、お聞きになりまして?」

「ど、どうしたんですか?」


 アクゥーヤさまの勢いにちょっと引きながらも聞いてみたら、軍務卿子息ノーキンさまの死刑が決定したんですって。罪状は、オーズィ殿下を弑逆しいぎゃくしようとした国家反逆罪。

 えっ? 殴り飛ばしたら弑逆なの? なにそれこわい。いや、ノーキンさまも流石にやりすぎだとは思ったけど、いきなり死刑って。貴族社会ってそんなものなのかしら。

 そりゃまあ確かに、今後はノーキンさまには近寄らないようにしようとは思ったけど、物理的に二度と接触出来なくなるとは流石に思わなかったわね。


 あ、ちょっと体が震えてる。

 そりゃそうよね。オーズィ殿下に逆らったら殺されちゃうかもしれないってことなんだから、怖くないはずが無い。

 だってそれ、いきなり結婚しようなんて言われても絶対に断れないってことじゃないの。待ってよ、私のバラ色の逆ハーレム人生はどこに消えてしまうの?


 なんていう風に思考がどんどんマイナスの方向に向かっていた私だけど。

 そんな私の顔色を見て、悪役令嬢アクゥーヤさまが私の両手を包み込むようにそっと握ってきた。


「大丈夫ですわ。聖女様は何があってもわたくしがお守り致しますもの」


 ですって。

 またしても聖女のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべてる。ほんと惚れてまうやろ。

 いや大丈夫、私はノーマルだ。いくら相手が絶世の美女だからって、アクゥーヤさまに惚れることは流石に無い。


 なんてやってたら、廊下をすさまじい勢いで走る音が。

 近づいて来たかと思ったら、教室のドアが「ばーんっ!」って勢いよく開けられた。


「アクゥーヤお嬢様! 一大事でございます!」

「セバス? 何事です」


 私の両手を握ったままで、名前を呼ばれた悪役令嬢アクゥーヤさまがキリッとした表情を返す。

 アクゥーヤさまがセバスと呼んだ人の顔は、スチルで見た記憶がある。クーレィ公爵家、すなわち悪役令嬢アクゥーヤさまの家の筆頭執事だ。

 お上品な仕草を完璧に維持しながらも、もの凄い勢いでアクゥーヤさまの横まで移動すると、何やら耳打ちを始めるセバスさん。

 な、なんだか凄いインパクトのある移動だったわね。人間っていう範囲を逸脱していた気がするわ。


 そんな風にどうでもいい事を考えていたら、悪役令嬢アクゥーヤさまが私の両手を柔らかく握ったまま、すくっと立ち上がった。

 真剣な表情で私を見つめながら、アクゥーヤさまは言う。


問題トラブルが発生しましたわ。ここに居ては聖女様の御身が危険です、すぐにお逃げくださいませ。案内はこのセバスが致します」


 えっ、どういうこと?

 もう少し詳しい話が聞きたいと思ってセバスさんと悪役令嬢アクゥーヤさまの顔を見比べるけど、二人とも何やら言い淀んでいる。


「申し訳ありません、こんな場所では詳細をお話しすることは叶いませんの」


 周囲を意味ありげに見回しながら、少し悲しそうにそれだけを言う悪役令嬢アクゥーヤさま。誰が聞いているか判らないから迂闊に話すことは出来ない、という感じかしら。

 アクゥーヤさまもそれ以上は何も言わないし、セバスさんは恭しく頭を下げたままだ。


 流石に、意味が判らない。逃げろって言われても、その言葉に従っていいものかどうかすら判らないわ。

 そこまで悪役令嬢を信頼するのは、ヒロインの立場としては流石にどうなのかなとも思うし。いえ、すごく綺麗だし意外と可愛いし親身になってくれてるのはわかるんだけど。


 なんて戸惑っていたら、悪役令嬢アクゥーヤさまが私の耳元に顔を寄せてきた。


「では一つだけ。軍務卿子息の件も無関係ではありませんのよ」


 耳元で甘く囁くように言う悪役令嬢アクゥーヤさま。耳元に吐息が掛かってちょっとこそばゆい。わざとやってない? いえ、今はそんな場合じゃないわ。


 ええと。死刑にされちゃうっていう軍務卿子息ノーキンさまが関係している?

 戸惑っていた私の心が一気に引き締まる。恐らくだけど、ノーキンさまの関係者か、あるいはオーズィ殿下のどちらかが聖女わたしに何かしようとしているのね。聖女の影響力は決して低くはないから、あり得る話だわ。


 あり得る話なのは理解できたんだけど、でも。


「でも、なぜ私を助けてくれるんですか?」


 聖女は尊い存在。一応、そういうことになっている。

 ただ、どちらかと言えば、聖女は誰かを「救う側」だ。一般的な意識として、聖女が救われる側にもなり得ることを想像出来る人は少ない。

 あまり考えたくはないけれど、聖女に貸しを作り、聖女という存在を何かの形で利用しようと企んでいるという可能性もあり得なくはないのよね。

 そもそも、悪役令嬢にとって聖女ヒロインは敵じゃなかったかしら、ゲーム上は。


 しかし、そんな私の疑問に、悪役令嬢アクゥーヤさまは、真剣な表情を少しだけ崩して笑みを浮かべてみせる。


貴族としての義務ノブレス・オブリージュですわ。わたくしは貴族で、恐れながら聖女様は平民のお立場。なればこそ、手を差し伸べるのは当然の義務でしてよ」


 うわ、こういう場面でさらっと「貴族の義務ノブレス・オブリージュ」なんて言葉を出してくるとか。しかも言い方に外連味けれんみが無い。これは相当言い慣れてるわね、なにこの性格イケメン。

 うん。なんだか、今の言葉は信じていい気がするわ。よし決めた、ここは悪役令嬢アクゥーヤさまのお言葉に甘えよう。


「分かったわ。でも、アクゥーヤ様は?」

「心配ご無用ですわ。クーレィ公爵家たるもの、あらゆる政変に即応できるよう鍛えられておりますもの」


 政変ってゆった! 今、政変ってゆったわよこの人!?

 悪役令嬢アクゥーヤさま、さりげなくとんでもないことを言ったわよね。

 あるいは私に事の重大さを伝えるために、敢えて口を滑らせたのだろうか。


「わかりました、アクゥーヤさまを信じます。遠慮なく借りを作らせてもらうわね」

「ええ。それでこそ聖女様ですわ」


 なんとなく見つめ合う私たち。悪役令嬢アクゥーヤさまが笑みを深くしながら頬を上気させる。なんだか、すごく艶っぽいわ。

 政変を前にしてもこの余裕の表情、本当にすごいわね悪役令嬢。流石は完璧超人だわ。


 そんな悪役令嬢アクゥーヤさまに、セバスさんが声を掛ける。


「恐れながらお嬢様、そろそろお手をお放しになりませんと聖女様が逃げられませんですぞ」


 セバスさんの言葉に、慌てて私の手を放す悪役令嬢アクゥーヤさま


 うん、いつまで握ってるんだろうなーとはちょっとだけ思ってた。


 ◇


 セバスさんに連れられて、学舎からこっそり抜け出す私。

 セバスさんは、待機していたクーレィ公爵家の馬車に私を乗せてくれた。


 公爵家の馬車の窓には分厚いカーテンが掛けられ、外からは中を伺えないようになっている。少しだけ隙間を開けて、こっそりと外の様子を伺う私。

 王都の外へと向かう馬車は、数多くの兵士や騎士とすれ違っていった。皆、一様に緊張し、少しばかり殺気立ってすら見える。

 何これ、何が起きてるの? 政変って言ってたけど、軍務卿が何かしたのかしら。ノーキンさまの無実を晴らすため、とか。

 いえ、無実とはとても言えないけど。どう頑張っても有罪なのは確定だけど。


 不安になりながらも、取り留めもない思考を回していた私。

 そうこうしている間に馬車が止まった。外から扉がノックされ、馬車を御していたセバスさんが顔を出す。


「ここからは馬車をお乗り換えくださいませ。ご安心を、彼らも味方です」


 言われて外を見ると、すぐ横にクーレィ公爵家ではない紋章を掲げた馬車が止まっていた。華美な装飾は少なめ、遠距離移動の快適性を重視したつくりの馬車だ。

 うーん、どこの貴族だろ? 流石に紋章までは把握してないのよね、ゲームでもリアルでも。

 だって、似たようなデザインが多いんだもの。貴族の数だけ紋章があるから、やたらと数が多いし。


 ちょっと不安にはなったけど、信じると決めたんだから女は度胸だ。

 貴族淑女のようにセバスさんの手を借りて馬車を降り、セバスさんに手を預けたまま隣の馬車へと乗り移る。

 私の手を放し、馬車の外から声を掛けるセバスさん。


「では、お頼み申し上げますぞ」

「セバス殿、任されよ」


 周囲の様子ばかりを気に掛けていた私だったけれど。

 セバスさんに対する返事が馬車の中から聞こえてきたことで、この馬車に同乗者が居ることにようやく気付いた。

 えっ、この人って!?


 セバスさんが扉を閉めると同時に馬車が走り出す。

 同乗者は柔らかく私に微笑んだ。


「初めまして、聖女様。僭越ではありますが、僕が聖女様を護衛いたします。どうかご安心を」


 スチルで散々見たそのイケメンスマイル。

 最後の攻略対象、辺境伯子息ヴールトスさまがそこに居た。


 ◇


「オーズィ殿下が、国王陛下を誅殺!?」


 辺境伯子息ヴールトスさまからの説明は、私を驚愕させるには十分だった。

 なんでも、王家の家族会議での出来事に起因して事変が発生したらしい。

 軍務卿子息ノーキンさまの死刑は全会一致ですぐに決まって、その後にオーズィ殿下が「聖女と結婚する今すぐに」って息巻いたんだとか。


 オーズィ殿下は、既に公爵家のご令嬢である悪役令嬢アクゥーヤさまとご婚約なされている身。相手が公爵家なのだから、いくら陛下であっても公爵家との相談も無しに首を縦に振れるわけがない。

 しつこくしつこくしつこくしつこくオーズィ殿下が食らいついたけど、それでも陛下は諾を唱えなかった。


 ブチ切れて喚き散らしながらもその場はどうにか引き下がったオーズィ殿下だけど、夜が明けて翌日、つまり今朝になって、陛下をなます切りにしてしまったらしい。

 陛下を守るはずの近衛騎士たちは見てるだけ、どうやらオーズィ殿下が買収済みだったようだ、とは同席していた高官から伝え聞いた話だそうな。


 びっくりだわー。ホントびっくりだわー。

 色ボケしてやらかしまくっているオーズィ殿下もだけど、軍務卿っていう、国家として重要な地位にいる人のご子息をあっけなく死罪にしてしまう王家にもだ。


 そんな体たらくじゃ軍部が反旗を翻すんじゃないかって心配したんだけど、今の軍務卿、すなわちノーキンさまのお父様は国家そのものに忠誠を誓っている上に、ご子息なんてのは掃いて捨てるほど居るから大した問題じゃないんだって。

 軍務卿ジェネーィラァル家の男子たるもの戦で華々しく散ってこそ価値がある、散らずに生き残った強者なればこそ軍務卿家を継ぐ権利がある、どちらも出来ぬのならばその価値たるや塵芥にも劣る、っていう考え方らしい。

 うわぁ、脳筋一族の価値観はよう判らん。


 ここまででも既にお腹いっぱいなのに、辺境伯子息ヴールトスさまの話はここからが本題だった。

 辺境伯家としては、オーズィ殿下の愚行を見逃すことは流石にできない。陛下を弑逆しいぎゃくしているわけだから、オーズィ殿下こそが国と国民を裏切っている逆賊であると。


 で、なんと。

 聖女様を旗印に、オーズィ殿下こと「天下の大罪人」に天誅を下すんだとか。


 聖女様。つまり私。

 ちょっと待って勝手に決められても、って思うんだけど、辺境伯子息ヴールトスさまは申し訳なさそうな顔になりながらも選択権はくれなかった。


 本来なら巻き込むべきではないのは百も承知だが、旗印は必要。

 そもそも、あの状態のオーズィ殿下のお膝元に聖女を置いておいたら、直ちに婚儀を成立させてしまう危険性が高い。そうなったが最後、逆賊のはずのオーズィ殿下が晴れて正当なる王となってしまう。

 申し訳ないが引き受けてもらう以外に道は無い。国としても、聖女としても。


 うーん。そう言われても困っちゃうわよね。

 確かにオーズィ殿下と結婚するのは、ちょっと……どころじゃなく気が引けるんだけど、だからと言って聖女わたしが旗印って。そもそも、そうすることに意味はあるのかしら。


 疑問に思ったので、聖女が旗印になるの? って聞いてみたら、普通に成立するらしい。

 前提として、王家というのは王権神授、つまり神様に言われて一族が国王やってますっていうことになっていて、同じく神様に認められて聖女をしている私はそこにモノ申す権利があるらしい。

 というよりも、現状では私以外にはその権利を持つ人が居ないんだって。うわぁ。


 すぐに結論を出さなくても良いけど、辺境伯の領地へ着くまでには覚悟を決めて欲しい。また、間違ってもオーズィ殿下に付くのはオススメできない、命の保証ができないから、とも言われてしまった。

 うへぇ、説得どころか脅迫の範疇に足を踏み込んでるわよそれ。まあ、今回の件はそれだけ大ごとなんだろうけど。


 私としてもすぐには答えが出せないけれど、今のところオーズィ殿下と結婚するのは御免被りたいという思いは伝えておいた。

 私の回答は辺境伯子息ヴールトスさまが期待する内容ではなかったと思うけど、それでも最低限の安心は与えることができたようで、ヴールトスさまはホッとした顔になっていた。


 ◇


 それから一週間ほど馬車の旅を続けた私たちは、王都へ向かう辺境伯軍と鉢合わせた。

 辺境伯子息ヴールトスさまはここで辺境伯軍に合流するらしい。

 聖女わたしも軍隊と一緒に行くのかなと思ったら、私はこのまま辺境伯領まで行くんだって。

 辺境伯軍の旗印ではあるものの、私がオーズィ殿下派に攫われたりしたらその時点で辺境伯軍の正当性が無くなっちゃうから、領地で大勢の人に守られることになるんだとか。

 うん、私としても戦争なんてやったことがないし怖いしなので、その待遇はありがたい。遠慮なくそうさせてもらおう。


 なお、肝心の、聖女わたしが旗印となる件は、なんとなく了承してしまった。少なくともオーズィ殿下に義は無いと思うし、まあいいかなっていう感じ。政治のことなんてよく判らないから、私の判断に確実性を期待されても困るのよね。

 聖女の名前は貸すから、後は良きに計らっちゃって欲しい。


 別れ際に辺境伯子息ヴールトスさまが私の顔をちらちらと見てるので、何かあるのかなって思ってたら。


「無事に戻ることができた暁には、どうか僕と結婚して欲しい」


 ですって。

 ぅおいそれ死亡フラグだよ! と思ったものの、とりあえず頑張って曖昧な笑みを浮かべる私。


「全てが終わったら、その時に改めて考えさせてください」


 うん、だって、辺境伯子息ヴールトスさまとは馬車で数日ほど話をしただけだし。元の性格が無口で控え目な人だから、必要なことしか話そうとしないし。

 こちらの意思を無視するオーズィ殿下とか、即座に体を求めてきた軍務卿子息ノーキンさまよりはマシなのかなって思うけど、どんな地雷が埋まっているかは未知数だ。

 まずはお友達から始めさせて欲しい。切実に。


 私の返事をどう受け取ったものか、辺境伯子息ヴールトスさま


「判った。では、全てが終わった後に、改めて」


 って格好よく騎士の礼をして、背中を向けて歩き去っていった。

 うーん、こう見るとマトモそうなんだけどな。もともと、ゲーム中でも口数が少なくてあんまり長文の会話をしないキャラだったから、性格付けがどうなってるのかはイマイチ浅いのよね。

 イケメンだし、少なくとも表面的な性格は優し気で思慮深い感じなんだけど、ゲーム上では顔も性格もイケメンだったはずのオーズィ殿下やら軍務卿子息ノーキンさまやら宮廷魔導士子息マヅースィさまやらがアノザマだったことを思うと、ね。


 なお、私が匿われるのは辺境伯様の居城ということになっていて、ここからだと馬車で一週間ほどかかる距離だ。辺境伯領というだけあって、王都からは流石に遠いのよねー。


 そんな感じで辺境伯領に到着するまでの合計二週間、私は下にも置かれない好待遇を受け続けた。

 憧れの貴族生活だったはずなんだけど、何だか申し訳ない気分になってしまったのよね。大変な状況下なのに、私だけいいのかなって。

 領主様の城に着いたらさらに高待遇になってしまって、正直なところ少しばかり閉口してしまったものだ。


 もっとも、それだけ大袈裟な歓待をする理由は、間違っても聖女様わたしがオーズィ殿下のところに行かないようにっていう策略もあってのことなんだろうけど、ね。

 そのうち慣れるのかしら。政変が終わるまでの辛抱かな?


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