第2話

「何かあった?」


 雨咲が訊ねてきた。

 手当たり次第に確認してみたのだが。


「残念なことに何も。そっちは?」


「こっちも手がかりなし。机の中にも何もなかったわ。空っぽね、全部」


「なるほど……お手上げ状態ってわけか。参ったな……これは」


「ロッカーと掃除用具入れはまだ確認してないわよね?」


 雨咲は教室後方へと向かうのだが、その前に晴渡は呼び止めた。


「あぁー残るはそこだけだな。でもさ、おかしいと思わないか?」


「おかしい?」


 長い黒髪を揺らしながら、雨咲は振り返った。

 ふわぁとゆっくり浮かぶ髪。毛先がスローモーションで動いている。

 宇宙空間にいるために、重力が軽くなっているのだろうか。


「もしもの話だぜ。現実世界の教室を宇宙空間まで持ってきたとするだろ……そしたら、どうして何も机に入ってないんだ? 置き勉してる奴が一人や二人ぐらいいてもいいだろ。だけど……何もないんだよ。これってさ、明らかにおかしくないか?」


「何が言いたいの?」


「この場所は現実世界ではない」


 確信があるわけではない。

 ただ、どうしても現実世界とは思えないのだ。

 この空間には感触がある。温度がある。音がある。光がある。匂いがある。普段自分たちが暮らしている世界と、何ら変わりはないだろう。


「だから? 何が言いたいの?」


「いや……だから……ここが現実ではない何処かだろってさ」


 威圧的な態度で否定されて、晴渡は動揺してしまう。

 かえって、雨咲は呆れた表情を浮かべて。


「ここが現実世界ではない。それが分かったところで、今のわたしたちにはここが現実であることは変わりはないんじゃない?」


「それはそうだけど……」


「ロッカーを確認しましょう。晴渡くんは出席番号が遅いひとからお願いね」


 晴渡のことなど眼中にないかのように、雨咲はスタスタと歩いた。

 早速出席番号一番からロッカーを開いている。


「変な妄想に耽る前に、手を動かしなさい。悩むのはあとからよ」


 さっさと動けと指図された晴渡は「チッ」と舌打ちをしてから動き出したのだが、雨咲に聞かれてしまっていたらしい。


「今舌打ちしたでしょ?」


「はぁ? やってねぇーよ」


「無意識に出るならやめたほうがいいわよ。他人に迷惑かけるから」


 そう言うと、雨咲はロッカー確認作業へと戻ったのだが。


「あ!!」


「な、何か見つかったのか?」


「……うん。あったわ……」


 雨咲はロッカーの中へと両手を入れた。

 片手で良いのに、わざわざ両手。

 何か重たいものが入っているのだろうか。

 彼女が取り出したのは——


「ぬ、ぬいぐるみ……?」


 クマのぬいぐるみだった。

 可愛らしいテティベア。触り心地は良さそうだ。


「ぬいぐるみじゃないもん。くまきちだもん!!」


「いや……クマのぬいぐるみだろ?」


「くまきちはくまきちだもん。ねぇ、くまきち?」


 くまきちと呼ばれるクマのぬいぐるみを抱きしめて、雨咲はニコニコ笑顔だ。

 ギュッと握りしめているところを見るに、大切な物らしい。

 ここに来てからずっと怒られてばっかりだったが、こんな表情もできるんだな。

 と、晴渡は感心しながらも、雨咲の姿を見て、過去を思い出した。


「それってさ、俺がゲーセンで取ったやつだっけ?」


「お、覚えてなかったの!! は、初めてのプレゼントで嬉しかったのに」


「プレゼントって……いや。まぁーそうなるのかな?」


***


 付き合っていた頃、晴渡と雨咲は二人でデートへ行った。

 そのデート中にゲームセンターへ行くことになり、雨咲がUFOキャッチャーを眺めてぼぉーとしていたのだ。ガラス張りの先には、可愛らしいテティベアのぬいぐるみ。


『アレが欲しいのか?』


『別に全然欲しくないわ。もうわたし、高校生だし』


『と言ってるくせに、全然動かないし。俺のシャツ裾を掴んでるんだが?』


『そ、それは……』


『待ってろ。すぐ取ってやるからさ』


 その後、晴渡はお小遣いの大半を使い果たして、クマのぬいぐるみを手に入れたのだ。

 雨咲雨が喜んでくれる。それだけで嬉しかったから。


『えへへへ……あ、ありがとう……大切にするね、くまきちのこと』


***


「もしかして覚えてないの……?」


 今にも消え入りそうなほどに、雨咲の声は小さかった。


「覚えてるよ。あの頃はお前可愛かったのに」


「今は可愛くないみたいな言い方じゃない?」


 先程までの小ささはどこに行ってしまったのか、また大きくなった。


「ぬいぐるみを抱えてニコニコ笑顔してる今の姿は可愛いんじゃないの?」


 本心を伝えたのだが、雨咲は顔を真っ赤にさせてしまう。

 彼女は肩をぷるぷると震わせながら、鋭い目付きでこちらを見てきて。


「……バカぁ」


 女の子という生き物は、振られた男にさえも「可愛い」と言われたら嬉しいものなのだろうか。乙女心を理解できない晴渡は恥ずかしそうに俯く雨咲を、遠目で見ることしかできなかった。

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