第5話

「き、気味が悪いな……壊れた感じだし」


 何かに気付いたのか、晴渡は言った。


「もしかして……俺たち以外にも誰かいるのか?」


「残念だけど、これは録音テープ。毎日同じ時間に流れる設定よ」


「相変わらず……現状は変わらないってわけかよ……」


 晴渡が溜め息混じりに言うと、雨咲が提案してきた。


「とりあえず座ってみましょう。足が疲れたわ」


「一理あるな。今後の計画も考えないといけないし」


 立っているのも辛い。このままでは保たない。

 晴渡と雨咲は適当な座席へ座ることにしたのだが。


「で、どうして俺の隣に座るんだ?」


「別にいいでしょ。わたしが座りたい場所に、丁度晴渡くんが居たの」


「なら、俺は席変えるわ」


「いいじゃない。二人しか居ないんだし。話してないと気が狂うわ」


「…………言う通りだ。黙ってるよりは話しているほうがマシだな」


「おまけに可愛い子の隣だもんね」


「……正しくは可愛かった女の子な」


「今は可愛くないみたいな言い方ね、失礼だわ」


「見た目は可愛いけど、最近はイジワルだ」


「それだけ素を見せられる関係ってことじゃない」


「俺に心を許しているってことなのか?」


「…………そういうことでもいいわ」


「何だか、猫みたいだな」


「人様を猫扱いとは……」


「何だか昔のことを思い出すわね」


「昔……?」


「そう、わたしと晴渡くんが隣同士だったこと」


「……あぁーあったな。俺のほうを見てニタニタしてたよな」


「だって、寝顔が面白かったんだもん」


「寝顔を見るな!!」


「寝ているほうが悪いわ」


「授業に集中しろよ」


「寝ている人には言われたくないわね」


 最もな意見を聞き入れつつ、晴渡は思い返す。

 隣の座席。雨咲雨と隣同士になったことを。

 どちらかと言えば、雨咲は他人を寄せ付けないタイプ。人との距離を取る。それにもかかわらず、晴渡には結構突っかかってきていた。

 一番最初まともに会話したのは何が始まりだっただろうか。


「ん? 何これ?」


 疲れを癒すためか、机にグダァーとなっていた雨咲。

 そんな彼女の手には消しゴムがあった。机のなかにあったらしい。

 調べたつもりだったが、暗くて見えなかったのだろう。


「あ、これって……俺のじゃねぇーのかよ」


「あぁー。思い出したかも」


「消しゴムを忘れた誰かさんに貸したんだっけ?」


「わざわざ遠回しに言わなくていいのよ」


 雨咲は吐き捨てるように言って。


「でも、あのときはビックリしたわ。晴渡くん、持っている消しゴムを半分に千切って渡してくるんだもん」


「いや……別にビビることじゃねぇーだろ」


「鉛筆貸してと言われて、ポキっと半分折られて渡されたら怖いでしょ?」


「たしかに……それはサイコパス感があるな」


「そんな感覚よ」


「ならアンパンマンはどうなるんだ? 自分の頭を千切って渡してくる奴だぞ」


「ヒーローには悩みが付き物なのよ」


「かっこいい風に言われて誤魔化された!!」


「アンパンマンはフィクションだからいいのよ」


「逃げたな」


「逃げではないわ。現実と虚実は見抜けないとダメよ」


「でもさ、消しゴムって全部使い切ることなくね?」


「言われてみれば……そうかもしれないわね」


「小さくなってきたら新しいのに買い換えるだろ」


「まぁーそうかも。握りにくくなるしね」


「シャープペンの消しゴムって抵抗あるわよね?」


「あぁー。あの上に付いているやつか?」


「使うか躊躇しない? 綺麗なままがいいっていうか」


「遠慮なく使わせてもらうタイプだけどな。使わないと無駄になるんだし。逆に消しゴムだって使われて嬉しいと思ってるはずだ」


「消しかすの言葉は説得力があるわね」


「誰が消しかすだ」


◇◆◇◆◇◆


 隣に雨咲雨が居る。それだけで晴渡は気が気でなくなる。

 心を休めようと思い、月を眺めることにした。席に座っていたとしても、雨咲がジィーと見つめてくるのだ。妙にそわそわするのだ。


「何見てるの? 黄昏ちゃって」


 心を休めようと思い、移動していたのに。

 雨咲が喋りかけてきたのでは一緒じゃないか。

 と思いながらも、晴渡は外に浮かぶ青白い丸を指差して。


「月だよ。やっぱり綺麗だなと思ってさ」


「窓も開かないのに?」


「あぁー悪かったな」


「別に謝る必要はないでしょ?」


「嫌味を言いに来たと思ってさ」


「わたしってどんなふうに思われるのかしら?」


「さぁー自分の胸に聞いてみなよ」


「イジワルなのね」


「お前と一緒のことを言っただけだよ」


「……カーテンの後ろって確認した?」


「……そういえばまだだな」


 晴渡と雨咲はカーテンを裏返してみた。

 特に何もなかった。暗号の一つでも見つかればいいのに。


「ん? どうしたんだ? 顔を真っ赤にしてさ」


「いや……別に」


 と言いながらも、ますます雨咲の顔は熟したリンゴみたいになる。

 不思議そうに見つめていたからか、逆に訊ねられてしまった。


「お、覚えてないの……ここで何したか?」


「あ? 何かしたっけ……?」


「もういいわ。どうせわたしは過去の女みたいだし」


 過去の女というのは間違いないのだが、言葉の節々から怒りが感じられる。教室に閉じ込められている身だ。喧嘩ばかりしていてはお互いに困るだけだ。気まずいのだけは勘弁なので、晴渡は先に言うことにした。


「気に食わないことがあるなら謝るよ、ごめん」


「言葉だけの謝罪以上にムカつくことはないわ」


「ムカつくと言われてもだな……」


「あーもういいわ。忘れて」


 雨咲は晴渡から視線を逸らした。


「おい……待てよ」


 という必要はない。

 どうせ教室から出られないのだから。

 それなのにわざわざ呼び止めた晴渡が何か言おうとした瞬間。


「ん? 何か聞こえてこないか?」


 先に謎の音に気が付いたのは、晴渡だった。


「俺たち以外の誰かがいるのかもな」


「それは絶対ないわ」


「いや……だけどさ、何か聞こえるだろ?」


 もう一度、晴渡は耳を澄ませる。

 聞こえている。音だと思っていたものは曲だった。

 しっかりと聞こえてくる。何度かテレビで聞いたことがある。

 有名なものだと理解はできるが、曲名までは断定できない。


「……カノンね、これは」


「何それ? 楽器の名前?」


「違うわよ。曲の名前。知らないの?」


「知らねぇーよ。俺は音楽に疎いんだよ」


「歌も下手だしね」


「音痴はいいだろ」


「それにしても……どうして曲が?」


「さぁーどうしてかしらね。でもあの日のことを思い出すわ」


「あの日……?」


「そう、あの日も吹奏楽部からカノンの演奏が聞こえてきてた。まさかまだ思い出せないの?」


「本当使えないわね、このゴミは。記憶力悪すぎでしょみたいな表情をされても困るんですけど」


「本当使えないわね、このゴミは。記憶力悪すぎでしょ、このドブがという表情をしていたのよ。甘かったわね、わたしの感情はそう簡単に把握されないわ」


「自信満々に言ってるけど、九割近く俺の予想で当たっているんだが?」


 こほんと、咳払いをしてから雨咲は言った。


「……こ、こっちはかなり緊張してたのに……覚えてないのね」


「緊張した? えーと……」


「鈍感過ぎて殴りたくなるわ」


「殴るのはやめてくれ」


「なら、蹴り殺すわ」


「ますます処遇が酷くなっているんだが?」


「キスよ……キス。覚えてないの?」


 晴渡晴と雨咲雨はカーテンの裏でキスをした。

 他の生徒が誰も居なくなった二人きりの放課後の教室で。

 誰にも見つからないように、こっそりと。


「告白したと思ったら、その直後にしてきたでしょ?」


——好きです。もしよかったら俺と付き合ってください——


 と、言ったあとに、恋人同士になった二人は唇を重ねたのだ。


「ああっと……そ、そうだっけ?」


「何その言い方。軽すぎるでしょ。人生で食べたパンの枚数ぐらい、興味ないじゃない」


「パンの枚数は気になるな」


「……ぱ、パンに負けた……屈辱的だわ」


 雨咲は床に膝を付いてしまう。今にも血反吐でも出しそうだ。


「わたしとのキスは、パン未満だったのね」


「味は格別だったと思うけどな」


◇◆◇◆◇◆


 時間が幾ら経過しても、救いの光は一向に現れない。

 このままでは教室一個分の広さしかない辺鄙な場所で、骨を埋めることになるかもしれない。と思われたのだが、空腹も渇きも襲ってこない。


「あのさ……俺たちってずっとこのままなんじゃないか?」


 少しの不安でも一度考えると、それは心を蝕んでいく。


「かもしれないわね」


「冷静だな、お前」


「大学受験もその先の就職も何も考える必要がないもの。気楽よ」


 マイナス視点でしか考えられなかったが、晴渡と雨咲は高校二年生。

 来年には大学受験し、それぞれの道を歩むことになる。晴渡は将来をあまり考えないタイプなのだが、雨咲は見据えているようだ。

 ただ、晴渡だって、多少は分かる。勉強しなければならないと。


「あぁー。案外このままでもいいのかもなぁー?」


「どういう意味?」


「現実戻っても、俺は自堕落な生活を送るだけだしな」


「ふぅーん。ここには何もないのに?」


「一人だったら気が狂うかもしれないけど、お前が居るからな」


「…………お、お前って呼び方はやめてよ。雨でいいわよ」


「雨って……俺たちは別れただろうが」


「苗字で呼ばれるのは嫌なのよ。雨でいいでしょ? わたしも名前で呼ぶから」


 苗字で呼ばれるのが嫌と言われてしまえば、名前で呼ぶしかない。

 少し前までは何度も呼んでいたはずなのに、晴渡は緊張した声で。


「まぁー別にいいけど、雨」


「ありがとう、晴くん」


 むず痒くなる会話。

 お互いによそよそしくなって、全く進まない。


「あのさ……晴くん」


 雨咲雨は少し躊躇いながらも、何かを決意したかのように口火を切る。


「何だよ? 雨」


「わたしもね、このままでいいかなーとか思ってるの」


「悪くないよな、こんな生活もさ」


 食事を取らなくても、睡眠をしなくても。

 何もしなくてもいい。

 ただ、教室内でクラスメイトと過ごすだけというのも。


「うん」


 雨咲雨は強く頷いてから。


「もうこの世界で生きてもいいかなーと思ってきちゃった」


「意外だな。二人っきりの世界は嫌だと言い出すと思ったぜ」


「そんなことないよ」


「久々に喋って、俺の愛を取り戻したか?」


「ううん。それはないよ」


 そこまで単純な女の子ではないか。

 少し喋って愛を取り戻すようでは、チョロすぎるものだ。

 そんな夢物語ありえるはずがない。


「だって、元々ずっと晴くんのこと大好きだもん」


 雨咲から放たれた言葉に、晴渡は息を呑んだ。


「えっ?」


「それにね、怒らずに聞いて欲しいんだけど」


 肯定も否定もしてなかったのだが、雨咲雨は続けて。


「この世界を作ったのは、わたしなんだ」

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