忘れていた呼吸を再開するように、シュウは息を吐き出した。

 ナノの暴走はギリギリで止まった。凪沙の自我は保たれ、最悪の事態は回避されたのだ。

「何故だ……」女王がうわ言のように呟く。「ワタシを殺すのを、何故とめた……解答不能」躰が痙攣を始める。「報復をなぜ中止した……解答不能」自問自答をくり返す。

「ヒトの心がマシンごときにわかるかよ」シュウは吐き捨てた。

「圧倒的な優位をなぜ放棄した……」、「達成率99%のタスクを何故キャンセルした……」両目が上転し痙攣がひどくなる。全身から黒い煙が上がり始めた。「解答不能、解答不能、かいとうふのう……かい、と、う──」

 得られない解への演算で過負荷になり、論理破綻した麻薬ナノマシンは崩壊を始めた。ナノより小さなピコへ、フェムトへ。

 女王は昇華する。黒く立ち昇って消えてゆく。

 殉死するように、兵隊たちも同様の黒煙と化した。大広間ホールの高みに吸い込まれて消えてゆく。

 血の海にひざまずいたベンケイの腕の中で、凪沙は口を半開きにし、子供のように寝息をたてていた。

 雨音は弱まる。

 まもなく雲が割れて、陽の光が射すだろう。小鳥がさえずり虹も架かるに違いない。

 そうだ。おとぎ話はいつだって、こんなふうに終わるのだ……


              *


 シュウはベッドで目覚めた。

 部屋だ。壁時計の日付表示は丸一日の経過を示している。

 凪沙とベンケイは隣で寝ていた。凪沙の頭からはコードが外され、グレーのニット帽が被せてある。

 傍らで作業していた女性看護師が、シュウの動きに気づいて微笑んだ。「ご気分はいかがですか」

 やさしい、ヒトの笑顔にホッとする。

 急に思いついて右手を上げた。

 肘から先は付いていた。指もちゃんと五本揃っている。

「何も問題ありません。隣の二人はどうですか?」

「何も問題ありませんよ。Aliceを克服するなんてスゴイ。感動しました」看護師の目尻に光るものがあった。

 今回は救出対象がブーステッドだったという特殊事情がある。誰でも救えるわけじゃないだろう。だが、得られたデータはナノマシン麻薬──VRDの治療に寄与するはずだ。

「じきに医師せんせいが来られます」機器の点検を済ませ、クリップボードを胸に会釈して、看護師は部屋を出た。

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