「どうすればいいんだ?」

「さあね。ボクにもわからない。初めての 臨床だ。前例がないんだ。まあ、健闘を祈ってる」

 シュウは舌打ちする。「時間の無駄だ。さっさとやってくれ」医師に向いて言った。

 医師が頷き、看護師は左肘の静脈に穿刺した。チューブを血液の赤色がはしる。体内に棲む強化ナノの一部が浸透膜フィルターを通過する。透明な輸液と混じりチューブを伝って凪沙の静脈に入る。

 目を閉じてナノマシン通信を開始する。少女の体内へ潜入した強化ナノを追う。やがて脳血液関門を通過し、シュウの意識が凪沙の意識にシンクロし始める。

 待ってろ、いま助けに行く。が──

 視界が暗転し、シュウは別の世界へ飛び去った。

 スミルノフ博士はワインで口を洗ってから、現場の医師に追加説明をした。

 潜入者が他人の意識内で死亡した場合、情報フィードバックにより現実の肉体も死を迎える──と。

 医師の目が険しくなる。勇敢な男たちは、それを知らずに少女へ潜入した。用意された資料に従って、〈治療可能な精神障害程度〉のリスクだとしか説明していない。

「彼らを騙したのか?」医師は憤慨する。

「騙してなどいない。あくまでも、のリスクだ」ククク。悪びれもなく笑う。

「彼らに何と言って詫びればいい」医師は頭を抱えた。

「詫びる必要はないよ。帰って来ないから」グラスにワインを注ぐ。「先に行った大きな男、そろそろ死んだかな」

 ビクッとした看護師がモニターを振り返る。「バイタルは正常です。データをそちらへもリアルタイム表示しますか?」博士を睨む。

「いや、いい。食事中だし。へえ、タフなんだね。さすがブーステッドだ。ブーステッドのタッグチーム対Alice の戦い、か。たいなあ。通信ナノを注射してそっちの回線に繋げば、観戦できるんだ。でも、巻き添えで殺されるのヤだし。ま、データだけでいいや。きっといいデータが取れる。男二人が死んでからでいいよ。データはまとめて送ってね。ククク」

「そのデータは、仮想現実麻薬VRDの治療に貢献するのですね?」怒りを抑えて医師は尋ねた。

「貢献? キミ、ばか?」グラスを持ち、血のように赤いワインを飲む。「治療なんてどうでもいいの。ただの趣味。ボクの退屈しのぎだよ。彼らの死には何の価値も無い。〈犬死に〉ってニッポンでは言うのだったね。ククク」

 こちらに向いて手が伸びた。何処とも知れぬ海辺のテーブルから、通信は一方的に切断された。

 取り残された医師と看護師はブルッと震えた。まるで、冷凍庫の扉が間近で開いたかのように。

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