強いシャワーを浴びた。水圧が不快感を洗い流すわけでもない。夢の悲鳴は残響になって意識の底をリピートする。

 ドリップマシンでコーヒーを淹れた。

 7階の窓から見える新緑は朝の光に輝いている。が、公園の爽やかな眺望の背景にも、悲鳴のリピートは居座りを続ける。

 ナノを頼れば封印できる。現に、ある記憶を強固に封印している。肉親が惨殺された記憶だ。記憶槽の底を掘って埋め、何重にも蓋をし、さらにコンクリートで固めるごとくナノマシンが封印した。そうしなければ立ち直れなかった。

 これ以上は使えない。度が過ぎると、意識の連続性に齟齬が生じて、精神が失調する。それに、夢で聞いた悲鳴を忘れてはいけない。そう心が叫んでいる、気がする。

 凪沙にこだわっている。何故だ? 数えきれないほど悲惨な者たちを見てきたというのに。

 シュウは住まいのマンションを出て、1ブロック離れた新都庁に向かった。

 新都庁総務部、庁舎管理課。都民の用がない閑職にゼロ課は隠れている。管理課の脇に、見過ごすほどの業務連絡室がある。所属する人間は出向組で大阪都職員ではない。そういう事になっている。

 腕時計型情報端末リストデバイスで認証を受け、都庁のゲートを通過する。5階のへ向かった。

 業務連絡室──資料と書類の詰め込まれた部屋を抜けて次のドアへ。その先は高度なセキュリティにガードされる小部屋だ。窓もない。

 パーテーションが区切る奥のデスクにチーフが居た。

 公方くぼう 未有みう──三つ歳上の女性上司だ。

「おはようございます。未有さん」

「おはよう」PCから顔を上げてシュウを見る。目元を流れる赤いアンダーリムがよく似合う。

「ECHIGOYAの件は完了です」

「お疲れさま。じゃあ、次は関東へ行ってもらう事になるかな」

 東京へ行く、とはもう言わない。東に京などない。瓦礫の山でほったらかしの青山界隈が目に浮かぶ。喪失の日からさらに拍車のかかった人口減少で、関東には復興需要がない。

「例の、精神テロですか?」

「うん。東日本チームのアシストだから急がなくていい。でね、今度の件では無理言ったから、長めにを取っていい。そうが言ってる」

 〈凪沙の救出に行ってもいい〉という意味だ。いや、〈頼むから行ってくれ〉か。

 未有は板挟みになったような顔をする。「アナタが決めたらいいのよ──」細い眼鏡の奥で、切れ長の目がシュウを見つめる。「無理しなくていい。は断りなさい」

「……自分で決めます」

 チーフの口が、聞き取れぬほどのため息を洩らした。

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