鎮めるようにメッシュの髪を撫でる。彼女の大切なアイデンティティだ。

 どうでもいい──若い世代は特にそう思っている。袋小路に入った人類は無意識に投げやりになっている。人生は使命を失い、退屈しのぎと堕した。退屈しのぎなら楽しいに越したことはない。

 Aliceを体験して死ぬならいいや──そう思って少女は手を出したはずだ。不思議の国は、命を引き換えられるほどの恍惚感に充ちているという。

 無気力よりも躍動感。太く短く花火のような人生。そこを一気に駆け抜ける。お嬢サマはそう考えた。Aliceの罠を甘く見て。

 少女の震えがおさまった。シュウが抱きしめたせいではない。

 凪沙は顔を上げた。快活さが表情を和らげている。たった今怯えていたのが嘘のようだ。

 Aliceは好きな時にできるパスだ。〈不思議の国〉を楽しみたくなったら、リクライニング・チェアにでも横になり、を望むだけでいい。だが、今の状態は違う。感情の大きな振幅を感知して、Aliceが宿主をなだめたのだ。セロトニンを脳内で合成し、緊急避難的に〈不思議の国〉へいざなった――

 凪沙はシュウの腕を煩わしげにほどいた。膝から下り、横に並んで背もたれに頭を預けた。

「ばーか。さっさとやりゃいいのに。や~めた。Aliceのほうがずっとイイ。イクよ、アタシ……」目が夢見るようにトロンとする。すぐにまつ毛が閉じ合わさった。〈不思議の国〉へ連れて行かれた。

 寝息をたてる少女をドア脇まで運んで壁際に寝かせた。死角になるポイントだ。

 ドア横の呼び出しパネルに触れた。一歩下がる。〈ジョーカー〉起動の準備をする。

 すんなり帰らせてくれるなら、それでいいが。

 間もなく解錠音がしてドアが開いた。

 遮断されていた通信が回復する。シュウはナノの発信でジョーカーを起動する。

 視野の隅にサブウインドウが開いた。

「お呼びでしょうか?」戸口に立つボーイが訊く。

「お嬢さんは気分が悪いようだ。家まで送って行くよ」

「それはいけない。ウチで手配しましょう」カウンターの外に出ているバーテンが言う。「医者せんせいを知っていますので」

 止まり木には中年カップル。若いグループ客は追い出されたようだ。

 サブウインドウでは、バーテンたちの背後から店内が見える。見せてくれるのは、てのひらサイズのマルチツールアイテム、〈ジョーカー〉だ。葉巻に短足が4本生えた形をしている。足先のジェルは自在に粘着度を変化させ、どこにでもくっ付く。自動迷彩で表面色は変化し、昆虫のように周りに溶け込む。ゼロ課エージェントの秘密兵器だ。

 ジョーカーがシュウの強化ナノに、異なる視点の映像を送信している。

 店に入った時スツールにぶつかった。それを奥に戻す時、カウンター天板の下にジョーカーを貼り付けておいたのだ。に。

 ジョーカーから見るバーテンは後ろ手に小型マシンガンを、中年男性客は躰の陰で拳銃を握っていた。

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