少女はタバコを咥え、デュポンで点けた。ふてくされたようにう。

「肌が荒れるぞ」そう言ったが、すぐに気づいた。火は合図だ。そんな古典的な方法でなく、デュポンに発信機が仕込まれていると考えるべきだろう。

 は、目先にあるラブホテルのエントランスから現れた。コイツも同類。今夜はブーステッドのバーゲンセールだ。 

 身の丈がシュウより20センチは高い。2メートルを超えるだろう。黒いタンクトップを盛り上げる異様な大胸筋。発達した背筋のせいで首が前にせり出している。倍ほども幅のある、スキンヘッドの巨漢が目の前に迫る。

 周囲を確認した。路地は抜けて開けた場所にいる。ほかに通行人はなし。

 安ホテルの玄関を隠す生垣いけがき。照明灯。路上駐車が一台。動き廻るには充分なスペースだ。路地の只中でなかった事に感謝した。このを相手にするには、動き廻る必要がある。

 少女の確保はあきらめる。ブーステッドならナノ標識に免疫がある。マーキングは無効だ。

 余計な事に気を取られているヒマはない。さっそく第一撃が来た。丸太の腕が唸りをあげる。

 威力は凄まじいだろうがモーションが大きい。シュウは至近距離でかわふところへ入る。膝を真横からぐローキック。目標を失ったゴリラパンチは安普請のコンクリ壁をぶち抜く。シュウは跳びすさって間合いをとった。

 横からの力に脆弱なはずの膝が、ローキックでノーダメージだ。常人なら関節が砕けている。その代わり、強固な分だけ敏捷性をロスしているといえる。

「犬っころだな。おもしれぇ」闇に身を置く者たちは、公的な法執行者を〈犬〉と呼ぶ。いつの時代でも同じだ。

 大男のいかつい顔が戦闘の悦びに歪む。久しぶりに骨のある相手に出くわしてウキウキしている。戦い、破壊する事が戦闘酩酊者バトル・ドランカーだ。強くなるためなら、命を削ってでも、とことん躰をブースト・アップする。

 シュウは爪先立ちで、円を描くようにゴリラの周りを動いた。

 ブーステッドとは、いわゆるサイボーグとは違う。

 勢いよく動きまわるナノサイズの魚の群──遊走型生体強化ナノマシンを体内で飼いならし、身体能力を著しく向上させた強化人間だ。主に戦闘員を指し、医療に関わる能力矯正は含まない。

 たとえばパンチをくり出せば、脳神経に連動する強化ナノは腕の筋肉をブーストして倍速にし、拳の表面硬度を鋼鉄並に高める。

 その鋼鉄パンチがシュウの頬スレスレに掠め過ぎた。

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