告白
その宵、桂を訪うと告げると、侍女は覚悟を決めたように頷いた。
今度は桂は、武器を持たず、騒速に襲い掛かることもなく待っていた。床に置かれた灯心の揺らぎに、心なしか痩せた顔が浮かび上がる。気分が悪く、満足に食べていないのか、元気もない。
彼女の正面にあぐらをかくと、桂は床板に目を伏せた。積極的に睨みつける気力はないが、やはり目を合わせたくはないようだった。
「大事ないか」
開口一番に尋ねると、桂は軽く目を瞠って驚いたようにした。体調を心配されたのが、心底意外だと言うように。
やがて遠慮がちに、こくりと頷いた。
「良かった。ただ、最後まで安心はできないから、充分に気を付けて過ごすのが良い」
不可解そうにしながらも、桂は再び頷く。その様子に、騒速は我知らず胸が痛くなる。
桂は、心配されることに慣れていない。
父も許婚も、彼女を置いて去ってしまったのだから、それが桂への扱いを象徴しているのかもしれない。厳しい旅に女の身体では耐えられないと思われたのかもしれない。だが、手勢の中には妻を連れて行ったものもいると言う。
そんな彼女をそっとしておいてやりたいのは山々だが、確かめねばならないことがある。唇を一瞬引き結んでから、騒速は尋ねた。
「その子は、誰の子だ」
単刀直入な問いに、思った通り桂は沈黙した。意志の強そうな顔は相変わらずだが、すでに怒りと言うより涙を堪えるような表情が勝っている。
「私の子ではないな――少なくとも」
「違う」
素直に答えた声は、静かだった。反意や敵意は感じられない。
「伊勢の者か」
桂は、潤んだ目を伏せ頷いた。悔しそうにも、悲しそうにも見える。
「私の、許婚」
やはりか、と騒速は内心で息をついた。この子の親でもないのに――父親は遁走していた――、無責任な仕打ちをして逃げた許婚を殴りたくなる。
それ以外にも様々な考えや感情が押し寄せて、騒速は短く言うことしかできなかった。
「このことは、まだ誰にも言うな」
ゆっくりと時間をかけて桂の心を解き、妻になってもらうという方策は既に消し飛んでいた。問題は、身籠った子どもをどう処遇するかと言うことに移っている。
「これからのことを考えねばならない」
騒速が無意識の桂の腹に目をやった時、彼女は反射的に腕で身体を覆うようにした。敵意ではない、もっと強い感情が目に溢れる。
「この子を殺すなら、私も一緒に殺して」
「桂姫――」
「私が生きているから、この子は生きていられる。逆も同じなの」
半ば呆気に取られて、騒速は桂を見つめた。必死にこちらを見返す彼女は、騒速を拒む意志を漲らせているのではなかった。黒い双眸に宿っているのは、怒りではなく愛だった。
どうしたらいい、と騒速は自問した。
この娘は、逃げた伊勢の男たちより果敢で、一途だった。だからこそ、彼女が何とか騒速との夫婦と言う体裁を保ってくれているからこそ、ぎりぎりのところで伊勢の老臣や民草が智鋪の武人たちに従ってくれている。
桂が騒速に抗うことを選べば、人々も同じ道を選ぶだろう。
だが、智鋪への恭順を拒んだ男の子どもとなれば、見過ごすわけにいかない。少なくとも、桂とともに過ごすことは許されない。彼女は――気持ちはどうあれ――騒速の妻として智鋪に恭順しており、生まれてくる子どもとは立場が違うのだから。
夜更けにふらふらと閨を出て、月明かりの降る庭へ出た。また井戸で顔を洗うと、ひとり岩に腰掛けて息をつく。
さらに問題がある。許婚の子だとわかったなら、桂が本当には騒速と夫婦でないことが明るみに出てしまう。あるいは、騒速が難癖をつけて桂の子どもを殺めたり遠ざけたりしたと思う者も出てくるだろう。伊勢を抑えつける、それだけのために。
降りかかった事態の重さに呻きそうになった時、微かな羽音が聞こえた。
はっとしてあたりを見渡すと、井戸の縁に夜鷹が一羽舞い降りていた。
只人でない目をした夜鷹だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます