2話 - Ⅱ
神殿を後にして数時間。やがて黒斗の前に、王都ユスティティアの全貌が現れた。
グリフォンの背から俯瞰した都の光景は、まるで時代の境界線に立つ都市だった。
白亜の尖塔や古びた大聖堂、そして石畳の街路が中世の趣を残す一方で、都心のオフィス街を彷彿とさせる超高層ビルディング群が林立している。ガラス窓に反射する西日を受け、黒斗は思わず目を細めた。そうかと思えば、機械仕掛けの空飛ぶ船が影となって視界を遮り、圧倒されている間に景色が開けていく。
街の中心を走る大通りには、魔晄列車と呼ばれる無音の車両が滑るように往来し、路傍では魔力灯が柔らかな光を灯している。美しい街並みに黒斗が目を奪われているのも束の間、摩天楼の明かりが輝く水面を眼下に据えながら、グリフォンが巨大なアーチ橋の上を通り過ぎると、視界に映る景色は、別世界のように変貌した。
「あれが」
まるで、神聖な聖域が都市の中心にぽっかりと口を開けているようだった。
天を貫く塔を備えた王都の象徴。ユスティティア城の威容が、今まさに黒斗の眼前に現れたのだ。
ルネサンス様式の城塞に、どこか現代的な建築構造。塔の表面を奔る光の筋が、電子回路のように現れては消えていく。
「完全に日が落ちると、あの塔が街を照らしてくれるんです。あれはまさに、私たち【魔操者】にとって希望の光なんです」
まそうしゃ。聞きなれない単語に黒斗が反応しようとするや否や、グリフォンが急に降下体勢に入り、城の上層部に位置する広場目掛けて、次々と着陸していった。
(ようやく到着か)
グリフォンから降りて、今一度、街を見渡す。壮麗でありながらも、どこか人工的な冷たさを思わせる風景。あたかも、神話と現代が同じ空間で呼吸をしているかのような王都の姿に――黒斗は感動とも虚無ともつかない、孤独に似た切なさを感じていた。
「勇者殿、長旅お疲れのところ申し訳ないが、このまま〝クォンティリアム〟に会っていただく。よろしいかな」
黒斗の背中に老師の声が響く。
不意に現実に連れ戻された気がして、黒斗は少し間の抜けた声を出した。
「よろしいもなにも、オレに拒否権はないんだろ」
「ほっほっほ。ずいぶん刺々しい勇者じゃ」
憎まれ口を交わしながらも、黒斗はエルゲドに導かれるまま城内へ足を踏み入れた。
天井が高くアーチが連なり、壁面を彩る豪奢な意匠は、まさに西洋の宮殿そのもの。赤い絨毯が床一面を覆い、踏むたびに柔らかな弾力が足に吸い付くようだった。
両脇に並ぶ侍従たち。メイドや執事、腰に剣を帯びた騎士が、一斉に深い礼をし、視線を外さぬように整列していた。その礼は、ただ形式をなぞるだけでなく、王都の気高さと秩序を自然に示していた。
そして通路の奥。レッドカーペットの中央で品良く佇む女性の姿が、黒斗の視界に入った。煌びやかな装いでありながら、身に宿る気品と自信が、自ずと権力の存在を示し、飾り立てた装飾品はその補助に過ぎないことが一目で理解できた。
「エルゲド、それに他の皆さんも、無事で何よりでした。あなたたちの大儀、心より感謝いたします」
耳心地のよい張りのある声が、黒斗の耳朶を打つ。お辞儀一つとっても美しい所作は、最早、品の良さが血肉になっているかのような自然な動きだった。
「これはこれは、ユフィアンヌ王女殿下。わざわざ出迎えてくださるとは」
「星のために尽力されているあなた方を出迎えずにおくなど、我が王家の恥ですわ」
黒斗はエルゲドの背中越しに、王女の様子を伺った。なるほど、王女と言われれば、確かに身に纏っているカリスマ性にも合点がいく。持って生まれた権力を隠すつもりもなさそうだが、かといって、それをひけらかす嫌味も感じられない。エルゲドとのやり取りを見るに、気さくな印象すら覚えるが、計算高そうな知性が垣間見えるあたり、隙のない人だと黒斗は直観した。
その視線に気づいたのか、王女はわずかに口元を綻ばせると、裾を静かに揺らしながら、ゆったりとした足取りで彼のもとへと歩み出た。
「話はすでに承知しております。あなたが星の意志によって異世界から選ばれた勇者様なのですね。お会いできて幸栄ですわ」
言うや否や、王女は躊躇うことなく黒斗の両手を握った。その力強さに思わず面食らった彼であったが、威圧感はなく、その握手は友好的な歓迎の意志がはっきりと感じられた。
「え、ええ。まあ。そうらしいです」
見た目こそ美しいが、目に宿る芯の強さは本物としか言いようがなく、『権力』というものに対して斜に構えていた黒斗は、正直、いい意味で裏切られた思いがした。
「ユフィアンヌ様。我々はまず【星の間】に向かい、勇者殿に現状を理解させたいと考えているのですが」
「ええ。それが賢明でしょう。手配はすでに整っております。今すぐにでも謁見が可能ですわ」
「ありがたきご配慮。痛み入ります」
「では勇者殿、また後ほど」
柔らかな微笑と共に握手がほどかれ、王女と従者たちは静かに去っていった。
黒斗はその背を見送りながら、手の奥に残る温もりと、自分の意思とは無関係に進展していく状況に対して、説明のつかない緊張を感じた。
一行は【星の意思】とやらに勇者を立ち会わせるため、城内の奥へとさらに進んだ。ほどなくして、一行の前に大扉が現れた。エルゲドを先頭に部屋へと入るなり、黒斗は周囲に目を走らせた。
室内は大広間と呼ぶに相応しい広さを誇っているが、雰囲気は先ほどとは打って変わって、幾分機械的で、直線の多い印象だった。部屋の色が全体的にトーンダウンし、黒い大理石を思わせる床板が、ドーム型の天窓より降り注ぐ陽光によって仄かに赤く染まっている。
エルゲドの口元がわずかに動く。それに連動するかのように、瞬く間に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がると、重厚な石板がスライドし、地下へと続く螺旋階段が現れた。
「さあ、勇者殿。行きましょうぞ」
小さく頷いてみせ、黒斗は老師の後に続いた。魔導士たちが全員入ると、自動で入り口が閉じ、間もなく明りが灯った。いや、灯ったというよりも、あの神殿と同じように、石そのものが発光しているような、不思議な輝きが照明になっていた。足元を見るには十分明るく、彼は一抹の不安を抱えながら階段を下りていった。
靴音だけが響く。その張り詰めた沈黙が、王都の中心部、そして星の間へ近づいていることを嫌でも実感させた。
しばらくすると、視界の先に青い光が広がっていた。まるで光そのものが海原のように揺蕩っている空間は、いよいよ目的地が近いことを悟らせ、黒斗は手をかざして眩しさを遮りながら、海の中を歩くように進み続けた。
――どれほど歩いていたのだろうか。数分、あるいは数秒かもしれない。気付けば、黒斗は光の海を抜け、その眩い存在の真正面に立ちすくんでいた。
高さ五メートルをゆうに超える巨大な扉。重厚な石で造られながら、表面には淡い青の紋様が流動し、まるで生きているかのように脈打っているそれは、神々しさと、他を拒む威圧感が混在しており、今さら誰に説明されるまでもなく、ここが『星の間』であることを黒斗は理解した。
神聖、という言葉では稚拙であまりにも物足りない空気感が、そこには漂っていた。宇宙のように壮大で、しかし地球のような極小の生命の息吹を感じる。星でさえ小さいと意識させられる超大なスケールは、人間で把握するにはあまりにも遠く、己の存在が霞んで消えそうになるほど、ここは異様だった。
「さて、勇者殿。実を言うと、ここから先は一人で行ってもらうことになる」
「え?」
「――私たちでは、入りたくても入れないんです」
戸惑う黒斗の耳に、背後からそっと差し込むような声が届いた。微かに首を傾け、視線を向けると、そこに立っていたのは、炎のような赤髪と橙の瞳をもつ魔導士――【リーリン・ストレイ・エンドニア】だった。
先ほどグリフォンで王都に戻る際、黒斗は彼女から、この世界についての簡単な説明を受けていた。彼が『自分の住んでいた世界』とは違うのだと何となく肯定できたのは、彼女の説明によるところが大きかった。
「どういうことです?」
「我々は基本的に、クォンティリアムが提示したことしか、見ることができません。そして見るだけなら、わざわざ星の間に行く必要はないんです」
リーリンは赤い髪を揺らし、扉と螺旋階段の間にある、台座に目線をやった。そこにはサッカーボールほどの水晶玉が鎮座しており、遠目からでもその透明な輝きを窺い知ることができた。
「なるほど。星の意思は、その水晶を通じてあなたたちに伝えられる、ということですか」
「はい。そしてこの扉の向こう、星の間に立ち入ることが許されるのは、クォンティリアムに選ばれた『勇者』のみです」
(随分と一方的なお星さまだな)
黒斗は眉一つ動かさず、心中で小さく吐き捨てた。
本当に、絵に描いたようなファンタジーの世界だ。夢なら、早く醒めてくれればいい。そう思いながらも、かといって他に選択肢があるはずもなく、黒斗は扉を開けることを決心した。
「ワシらはここで待っておるよ」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「信じろという方が、難しいのかもしれんが。おそらく、行けば全て分かるはずじゃ」
黒斗は黙って頷き、くるりと右に回って扉の前に立った。
肌を刺すような圧力が重なり、息が詰まりそうになる。
ドアノブは見当たらない。だが、こういう仕掛けには心当たりがあった。
(……どうせ、ここに手を当てるんだろ)
手のひらほどの魔法陣、といったところか。案の定、その中心に触れた瞬間、青く光を帯びていた紋様が赤へと変わった。
扉は開かなかった。しかし、赤い光が球体のように形を変え、彼の体を包み込んでいくと、まばゆい光が、辺り一面を一気に照らした。
はじけ飛ぶような閃光はすぐに収まり、扉は通常の青に戻った。魔導士たちも徐々に視界を取り戻し、各々が正面を見つめるが、先ほどまでそこにいたはずの勇者の姿は、すでにここではない別の何処かに消え去っていた。
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