9話 - Ⅲ
永録魔機の映像が数秒毎に切り替わる。
その度に、何かから必死に逃げようとする少女の形相が目に飛び込み、心を抉り取る。
少年は震えた。怯えた。最悪の事態を恐れた。
見たくない。やめてくれ。見せないでくれ。
「ねえ、これってさ、シエナ……だよね」
隣にいた幼馴染は、魂の抜け殻みたいな声だった。
僕は、肯定も否定もできず、ただ黙り続けた。
アレンが立ち上がって席から離れた。多分、他の人にも見え易くするための配慮だろう。
でも、それは余計なお世話だ。
(まずい……この映像が、
シエナさんが逃げていく映像のすぐ直後だった――
ああ、やっぱ天罰ってあるのかなって、僕はつくづく思い知ったよ。
「おい、あそこに誰か映ってるぞ」
「そう、みたいですね」
アレンが指で示し、カドアさんは頷く。僕はもう、何も考えられなくなっていた。
気付けば、クラスタに向かって突進していて、電源ボタンを躍起になって探した。
多分、相当発狂していたんじゃないかな。
でも、僕にはそんなことを気にする余裕、ぜんぜんなかったんだ。
「あれ!? なんで、どうして!? どうして消えてくれないんだよ! ちゃんと動けよっ!」
「ちょ、ちょっと、ロット君、落ち着いて!」
「電源コードは、コードはどこ? それごと千切れば!」
担任の教師が、僕のことを羽交い絞めにして、PCから引き離そうとする。
僕はそれに全力で抵抗したけど、アレンが加勢に来たら、もうどうすることもできなかった。
「おい、急にどうしたんだよ」
「クラスタ、壊さなきゃ」
「え?」
「駄目なん……あ、あああああああっ!」
ロットの絶叫と共に黒斗は後ろへと振り返った。
屋上へと続く階段を駆け登って行くシエナと、それを追いかける二人の男子生徒。
映り込んだのは腹黒帝王と脳筋側近だったが、別に意外とは思わなかった。
むしろ、その数十秒後に階段の陰から現れた人物の方が――
黒斗がその人物の名を口にするよりも早く、瞳に驚愕と怪訝を孕んだエイルが、棒読みの如く、ロットに問いを投げた。
「――は? どういうこと? アンタ、あの日屋上にいたの?」
「ち、違う! 違う違う違う違う違う!!! 僕はシエナさんを殺してなんかいないっ!!」
◇
屋上に向かう階段の踊り場付近を撮る映像が、それ以上切り替わることは無かった。
無人を撮り続けていた永録魔機は、一分後、慌てて逃げ出すロットの姿が画面上を横切り、それからさらに数分後、ソーマとディビットが千鳥足で階段を駆け降りていく様子を映しただけで、あとはひたすら無人状態が続き――そして映像は、何の前触れも告げることなく、唐突に終わってしまった。
暗くなった画面に、ロットの薄昏い面持ちが差し込む。
黒斗は静かにPCに近寄って、電源を落とした。
「ねえ、ちゃんと説明してよ、ロット。アンタあの日は、ずっと倉庫部屋で絵を描いてたって言ってたじゃない」
まくしたてるような口調で、エイルはロットに詰問する。
彼女から染み出る憤りは、どうにもならない理不尽を、怒りに転嫁しているかのようだった。
「嘘ついたの? ねえ? ねえっ! 黙ってないで何とか言いいなさいよっ!」
胸倉を掴み、呆然自失のロットを壁に押し付ける。
彼の瞳は、もう、ほとんど死にかけていた。
「っ! なんで、そうなるのよ……!」
エイルはロットの胸元に拳を打ち続ける。
開かないドアを叩くように、何度も、何度も――
「ねえ、答えてよ、ねえ、ねえってばっ! なんでシエナが死ななきゃいけなかったの!? アンタあの場所にいたんだったら、なにか知ってるんじゃないの!?――」
懇願とも取れるようなエイルの憤りは、しかし、終ぞ彼の心を動かすことができず、何を言っても無駄なのだと悟ってしまった彼女は、諦観の念に一気に支配された。
「どうしてよ、どうしてなにも、言ってくれないのよ……」
立ち尽くす気力さえ湧かず、エイルはその場で泣き崩れてしまった。
涙と理不尽と沈黙が一緒くたにされた空間が、段々と湿気に侵されていく。
悲しみに暮れる少女はすすり泣き、少年は焦点の合わない目で虚空を漂うのみ。
空調の音だけが流れる時間は、静寂と呼ぶには、あまりにも痛々しすぎた。
「エイルさん」
静かな部屋では、囁き程度でも張りのある声に聞こえる。
レイチェル・グレイは、エイルの隣でしゃがみ込むと、彼女の肩にそっと手を置いて、そのまま抱きしめた。
「立てる?」
「……は、っい」
涙でしゃっくりが止まらなくなり、鼻をすするエイル。やや腫れぼったくなった赤い目を見た瞬間、メディは居ても立ってもいられなくなり、気付けば、立ち上がった彼女を支えるように寄り添っていた。
「あの、よかったら、これ、使ってください」
ポケットティッシュを常備していたメディは、ブレザーの外ポケットからそれを取り出して、エイルに手渡した。
「っ、あり、がとう」
目配せでメディにエイルを任せたレイチェルは、今度はロットの方に身体を向け、声を掛けようと手を伸ばした――が、
「どうしようもなかった」
「えっ?」
「仕方がなかった。僕は、ただ見ていることしか、できなかったから。彼女を、助け出す勇気も、力も、そんなもの僕には……だから、僕はっ……!」
レイチェルの手は宙を掴むだけに留まり、そのまま胸元へと引き戻される。
「僕はっ、あの日、屋上にいたんだ」
そして彼は、自らが目撃してしまった真実を告白するのであった。
変えようのない過去を。逃げてしまった自分を。
◇
僕の心とか魂とか精神ってやつは、ずっと『あの日の屋上』に置き去りのままのような、そんな気がする。
だからかな。あの日見てしまった出来事を、僕は今でも、昨日のことのように話せてしまうんだ。
忘れるはずもないし、きっと、忘れたくても、忘れられない。
1751年3月22日は、見惚れてしまうくらいの、綺麗な夕暮れだったのに。
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