9話 - Ⅱ
「こ、こんな重たい物、よくアレンは、一人で運べたね」
「まあ、一応。手伝おうか?」
「い、いぃや! 僕も男だ! 頑張るぅ、よっ!」
「いやいや。意地張るなって。怪我したらまずいだろ」
あの重たい空気の後、レイチェル先生は見事に明るい話術で場を持ち直してくれた。
そして現在、至極当然な流れで「じゃ、君も手伝ってね!」と言われてしまったロットは、倉庫部屋の模様替えを手伝わされる羽目に陥っていた。
なぜ模様替えをしているのかというと、先ほど持ってきた段ボール箱を納める適当なスペースが無かったからだ。
そして、彼がやたらと『男の意地』なる見栄を張ろうとしているのは、おそらく
ロットが荷物と格闘している最中、黒斗は部屋の内装を見渡すように眺めた。
この倉庫部屋というのは、確かに不要物を納めるための部屋であり、言うなれば廃棄処理予備軍の墓場のような空間なのだが、実はもう一つ、『雑多サークル』と呼ばれるクラブ活動の部室として
サークルメンバーはロット、エイル、そしてシエナとフレットの計四名で、顧問にレイチェルが付く形で活動していたという。
だが、シエナに対するいじめが行われ始めた頃から、活動以前に、サークルそのものが空中分解してしまい、現在に至っては、倉庫部屋は専ら掃き溜めスペースのような扱いを受けているのだとか。以前は雑多サークルが整理整頓を受け持っていたため、綺麗なサークル部屋だったらしいが……。
人の手入れが無くとも美しくなるのは、自然だけだな、と、黒斗は皮肉を込めてひとりごちた。
(まっ、それ言っちまったら、盆栽や生け花がご愁傷様だな)
内装を目で巡る中、ふと、その動きを止める箇所があった。
あの肖像画だ。顔と呼べるパーツなど一切ないのに、不思議とこちらを睨み返しているかのような、そんな薄ら寒さを覚えてしまう。
ただ、顔の輪郭や体の線の細さから考えるに、女性を描いている途中、ということは分かる。
(誰なんだろう。ロットはさっき、あの絵に向かって『ごめんなさい』を言い続けていた気がしたけど――)
「ロットくん、凄いです。本当に一人で、持ち上げちゃうなんて」
「い、いや。それほどでも」
めっ、メディ……。アンタって人は……。
気になる異性の口から出る『すごい』という言葉が、どれほど男を狂わし、そして惑わせるのか、貴女は、それを知った上で口走ったのかい!?
「ちょっとアンタ、何デレデレしてんのよ。あたしが誉めてもどこ吹く風なのに、カドアが言うと違うんだ。ふーん」
「な、なに言ってんだよ! 大体、エイルが僕のこと誉めることなんて、まずないだろ!」
「いいよ。まあ、アンタも多感な時期だろうし? 別に否定はしないけど。少しは感情を隠す修行を積んだ方がいいと思うんだな~。き・み・は!」
「ハイハイ、二人とも! 幼馴染だからって仲良くしすぎない!」
教師の軽いチョップが、コツーン コツーン、と二人の脳天にヒットし、彼らはすぐに口を閉ざした。
彼らの目は『別に仲が良いわけじゃ』と反芻していたが、レイチェルが仕事中の大人の態度を取ったために、気勢が一気に削がれた。
「古い永録魔機は、とりあえず棚に納まったね。まあ、どうせすぐに業者が回収に来るから、神経質にならなくてもいいでしょ。じゃあ、ここはもう鍵閉めちゃうから」
一同は廊下に出て、消灯を済ませた後、レイチェルが施錠をした。
エイルとロットは気勢を削がれたせいか、少しレイチェルに対して委縮しており、メディに至っては元々口数が少ない。ということで、消去法で余った黒斗に、『沈黙を破る係』というお鉢が回って来た。
「先生。あとは新しい魔機と管理室のPCを連携させれば、作業は全部終了ですよね?」
「そうそう。プログラムを更新しなきゃいけないんだけど、これがまた面倒でさ。昔はディスク型の記録媒体を読み込めば、あとは機械が勝手にやってくれたんだけど、最近のはなんか、複雑すぎてよく分からないんだ。アレン君、代わりにやってくれない? 機械得意そうだし」
「いや、それ偏見ってやつじゃ……」
(――
先刻、図書室で打ち合わせした通り、早速、暗号化された念話が黒斗の脳裏に響き、彼は翻訳した念派をすぐさま理解すると、送り主に返信した。
(
暗号化を手短に処理し、黒斗たちは刹那の念話を終えた。
「まあ、別にいいっすけど」
「本当!? なら、お願いするね!」
◇
管理室に置かれている専用PCの電源を押すと、ディスプレイの正面に光学キーボードが展開された。
黒斗は回転式のパソコンチェアに座って、高さなどを調節すると、すぐさま作業に取り掛かった。
PCの扱い方は、それこそ普段我々が使用している『パーソナルコンピューター』と大差なく、レイチェルが言うほど複雑でもないな、というのが彼の所感だった。
一応、説明書が導入されているネクトを横向きで立てているが、おそらく使うことはないだろう、という気持ちを一瞥に込めて、彼は再びディスプレイを正面に捉えた。
作業の手順は至極単純なものだ。
まず、古い永録魔機の制御ソフトをアンインストールして、それから新しい制御ソフトをインストールさせる――正直、たったこれだけ。
(先生って機械オンチなのかな?……まあいいや。働いた分はきっちり頂くさ)
素直にゼロを放出できれば楽なのだが、ゼロはただの魔源機器だ。故に『空魔』であっても認識出来てしまう。
そのため彼は、作業と並行して左手に魔力を集めると、キーボードを叩くのと同時にトルスパウザを部分発動。次に血中を流れるゼロに命令を飛ばし、それらを爪先に集める。
副作用で、爪が仄かに朱色に染まったが、些細な変化なので他人に勘付かれる心配は無い。
仮に指摘されたとしても、指に力を入れ過ぎた、体温が高いんだ、等々、いくらでも言い訳が付く。
(トルスパウザでゼロを一粒ずつコーティングすることもできるけど、それはあまりにも魔力の運用効率が悪い)
故に黒斗は、死角を生み出すことでこの問題に対処すると、最初から決めていた。
打ち合わせは管理室に来る途中にメディと交わしており、黒斗がネクトのディスプレイの反射を利用して背後を確認すると、すでに彼女も配置に付いていることが分かった。
機は熟した、と認識するや否や、彼は首や胸を掻く芝居をしてみせ、怪しまれないように、制服の内ポケットに忍ばせている《賢者の石》に手を触れると、血中のゼロを体外に放出させた。が、彼はパソコンと正対しているため、背後からだと背中しか窺うことができず、また、発見されるリスクの高い角度――黒斗の左側面――は、メディがきっちりカバーしているため、抜かりはなかった。
死角を上手く利用した黒斗は、右の片肘を付いて頬杖の仕草を取り、傍目にはソフトのアンインストールで待機している雰囲気を装いながら、空いた左手を使って万能端子を緩やかに引っ張り出し、ほぼ同時に、トルスパウザを塗ってコーティングを施すと、誰にも悟られることなく接続を完遂させた。
左手を覆っていた赤い輝きが、PCに吸い込まれていくにつれ、弱まっていく。
数秒も経てば肌の色は落ち着き、彼はそれを確認してから、左手を死角から解き放った。
(あとは流れ作業だな。さて、どんなデータが転がっているのやら)
黒斗はゼロをマニュアル動作からオートに切り替え、諜報員から生徒に戻った。
――そして、PCの電源を入れてから、約10分後。
黒斗はパソコンチェアを、くるりと半回転させて、後ろで横一列に並んでいる一同の視線を受け止めた。
「終わりました。魔機の動作テストも、特に問題ないっす」
レイチェルは面倒な作業と一蹴していたが、異世界の住人である黒斗でも、そつなく更新作業が出来てしまったというのは、なんというか、拍子抜けである。
「さっすがアレン君! 私の見込んだ通りね!」
「いや、これ誰でもできますよ。先生が機械オンチなだけですって」
「うるさーい。私の担当は化学なの。ばーけーがーくー」
担当科目は関係ないだろう、と黒斗は口走ってやろうかとも思ったが、すぐに止めた。
万能端子を通じて送られてくるゼロの情報の中に、緊急事態を示すコードが混ざっていたからだ。
「破損ファイルを発見しました。自動修復を開始します」
事態を考える暇もなく、女性の声色を模した機械音が背中越しに響く。
レイチェルが覗き込むようにディスプレイを見つめ、黒斗は訳もなく、ひやりとした。
「ねえねえ、クラスタが何か言ってるよ?」
「あ、ああ、ちょっと、中のデータを整理してたんす。けっこう、不要なデータが溜まってたみたいで」
「そんなことまでしてくれてたの? 気が利くじゃん!」
「え、ええ、まあ。ついでなんで――」
(――どういうことだ? 修復なんて命令、出した覚えないぞ!?)
黒斗は焦る気持ちを抑えてPCへと向き直った。
ゼロから届いたコードを改めて見直すと、どうやら、外部からのハッキングに合わせて発動するアラートシステムに、予め細工が施されていたようなのだが、それにしては妙だった。
特定の条件を満たしたときに起動するよう仕組まれたそのプログラムは、しかし、ゼロによるハッキング攻撃に対処するわけでもなければ、内部のデータをフォーマットするわけでもなく、本当に破損ファイルを修復しているだけに終わっている。
その平和すぎる仕掛けは、だからこそ逆に不気味であり、肝を冷やす思いでPCの画面と睨み合うこと数秒、ゼロの回収すら忘れていた黒斗は、何事も無く「ファイルの修復が完了しました」という音声がスピーカーから出た瞬間、思わず、ふう、と息を吐き出していた。
(常連
(
(
メディに指摘されたことで、黒斗は失念していたゼロの回収に、ようやく意識が及んだ。
(
念話を切り、黒斗は光学キーボードに接続した万能端子に手を触れた。と言っても、光ケーブルは現在透明になっているので、第三者の目には、彼がキーに手を置いているようにしか見えないだろう。
念のため、彼は視界の中にゼロの詳細なコンディションを表示させた。やはり、特に感染等の兆候は見られないが、今後、また新たな仕掛けが作動しないとも言い切れない。データのコピーという最優先課題をクリアした以上、余計なことが起こる前に撤収を済ませるのがベストである。
速やかにゼロを呼び戻し、黒斗は最小限の動作で万能端子を引き抜く。
光ケーブルが《賢者の石》に巻き取られていく過程でトルスパウザの塗膜が剥がれ落ち、残留魔力の塵が、ハウスダストのように内ポケット周辺で弾けた。
「ファイルの修復が完了しました――」
黒斗が画面に視線を戻すと、ファイルが一つ表示されていた。
(映像ファイルだ。名前は……)
〝175103221719〟
(……何のこっちゃ?)
「――自動再生を開始します」
有無を言わさず勝手に起動した動画ソフト。映し出された、永録魔機の荒い画質。
そして、無人だった学園の廊下を走り抜ける、一人の女子生徒。
瞬間、黒斗は先ほどの意味不明な数字の羅列に、関連性を見出してしまった。
(アストラ歴、一七五一年三月二十二日。下四桁が当日の時刻だとすれば……)
それは、『シエナ・マクアダムス』が自殺したとされる日時と、ピタリと符合するものであった。
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