第9話「あの日の屋上」

9話 - Ⅰ

 建前上、教師の手助け。本音は情報窃取という腹積もりで 永録魔機の取り換え作業を手伝うことにした黒斗たちは、校舎内外を含めた計26ヶ所のポイント全ての取り換えを行い、それが今、ようやく終わろうとしていた。


「……よし、外れた。先生、新品のやつちょうだい」

「はいよ!」


 脚立に上った黒斗を支えるレイチェルは、彼が寄こした旧式の魔機を受け取り、それをエイルへと流し作業で渡した。

 エイルからメディに、そしてメディから段ボール箱へ。積み重ねる度に埃が舞うので、それを吸いたくない潔癖メディは、息を止めながら魔機を置く。


「この青いコードをプラグに繋げれば……っし! これで全部の付け替え完了っす」

「おー! 本当に今日中に終わるとは思ってなかったよ~。ありがとね、みんな!」


 なぜかレイチェルが拍手をするので、それに釣られて、他の面々も教師に倣った。

 作業開始からすでに二時間近く経過していた。時刻は夕方5時を回っており、陽も沈んでいる。

 廊下を照らす蛍光灯の白い光は、異世界でも同様らしく、夜陰に相反する眩しさが目に痛い。


「じゃあ、この箱と脚立は倉庫部屋の前に運んでおいてもらってもいいかな。私は職員室で鍵取ってくるから」

「分かりました」


 黒斗が脚立から降りると、レイチェル先生は軽い足取りで通路から去っていった。


(空港とか駅ならまだしも、学校って場所にここまで設置してもいいんかね)


 現実世界では、プライバシーの侵害という概念が、持てはやされるようになってから久しい。もちろん、更衣室やトイレなどのプライバシーに干渉するエリアにまで永録魔機の設置を施すような徹底した監視態勢ではないものの、こういうことを平然とやってのけてしまう異世界の価値観が、黒斗としては逆に新鮮だった。


 エイル曰く――要は悪事を働かなきゃいいだけなんだから、別に監視されたっていいんじゃない――だそうだ。


 悪意の無い管理なら、確かにその論法にも頷ける。が、如何せん、そうはいかないのが人間だ。

 それに悪意という言葉が指す意味も、人の数だけ解釈があるのだから、本質的な悪意とはなんぞや、と問われれば、そんなもの禅問答と言うしかなかろう。


 仮に〝彼女の定義する悪意〟が、刑事事件等で取り沙汰されるような肉体的な悪意だとしよう。

 犯罪の無い世界を目指すために、不特定多数の人間が協力して、不特定多数の人間を監視できるような社会構造があったとしても、所詮、管理というシステム自体が、〝彼女の定義する善意〟に頼らざるを得ない構造を有している以上、どこかで必ず綻びが生じるものだ。


 なぜ?――そんなのは、とっくに分かり切ったことだろう?


〝人間には、犯罪というものにすら、快楽を覚えられる機能が備わっているからだ〟


 故にシステムは、適当なところに捌け口を設ける。

 緩ませ過ぎず、張り過ぎず。まるで北風と太陽のように、調和の取れるテンションを維持し続けるのだ。

 もし本気で人を管理したいのであれば、そんな監視などという非合理的な手法を用いずに、人間の持つ思想と思考を並列化した方が、よほど合理的だ。


 全人類の脳みそを、一個のネットワークに繋げる技術でもあれば、本当にそんな世の中になってしまうのかもしれないが……。


〝そんな世界を、果たして人類と呼べるのか否かは、定かではないがな〟


(こんな連想ゲームじみた哲学を追及しても、オレの心は、都合の良い管理なら、いいんじゃないかって思っちまう。オレの大切な人たちを死に至らしめたような連中を一人残らず排斥できて、それでいて、自由を謳歌している勘違いを起こせるような、そんな都合の良い管理社会なら、ってな……)


 子供じみた、非常に青臭い馬鹿げた考えだ。

 人一人の意見に左右されるほど、世界というのは軽くないのに。

 なら、それらを理解した上で『無力化』という犯罪行為に手を染めた自分は、一体なんなのだ?

 それはただの――



       〝やめろ〟



 彼はそこで、考えることをやめた。

 良い悪いの問題ではない。オレは自分の定義する悪を排除したいだけだ。と。

 そうすることで、彼は自分を保った。

 ……いや、それは違う。

 そう思うことでしか、彼は自分を保つ術を持っていなかっただけなのだ。


「あ、あの。アレン君?」


 淡い桃色の髪から漂う甘い香りが鼻腔を刺激し、黒斗は我に返った。

 気付けば、メディが彼の顔を覗いているではないか。

 不意に声を掛けられたことと、異性の接近を許してしまったことが相まって、彼の心臓の鼓動は急に忙しくなっていた。


「大丈夫、ですか?」

「あ、ああ! 大丈夫、だよ」


 慌てて距離を置いて、黒斗は曖昧に頷きを繰り返す。

 メディは数回目をしばたいた後、黒斗と同じように曖昧に頷くと、目線を彼から逸らして、その意識を段ボール箱の方に向け直した。

 ちなみに、図書館を出る際にお互い自己紹介をしたので、今の黒斗とメディの設定は『赤の他人』ではなく、『つい先ほど知り合った知人』に変わっている。

 既に知っている人間が初対面というのは、何だか不思議な気もするが、それが社会に溶け込むスパイの仕事なのだと理屈で割り切れば、黒斗は特に、どうということも無かった。

 心臓もようやく多忙から解放されたらしく、そのことを自覚した彼は人知れず胸を撫で下ろす。

 そして自分を偽るだけの平常心を取り戻した彼は、再び『アレン・オービス』として口を開いた。


「んじゃ、オレらも行きますか」


 段ボールはエイルとメディの共同作業で運ぶらしい。

 成り行きで脚立担当となった黒斗は、それを折りたたみながら、気分転換も兼ねて、この学園の一風変わった構造を眺めることにした。

 いや、本来ならそれは一風どころでは済まない、正に眼を疑うような光景なのだろうが、彼が異世界に召喚されてから、早一か月。いい加減、この世界の景色に慣れてきたのだろう。


 このプレクトンエコールは五階建ての設計で、内部の中心が吹き抜けとなっているため、各フロア毎の見取り図は『回』という字に見えなくもない。これは、高所恐怖症にしてみれば最悪の空間デザインだろう。

 黒斗たちの現在地は三年生の教室が大半を占める四階で、倉庫部屋と呼ばれる部屋は二階に位置している。無論、彼らは階段を使って降りるのだが――


(これで階段とか、よく言うぜ)


 各フロアを繋ぐ階段は、真上から垂直に見下ろすと『ひし形』のような形に見えるのだが、そんなことよりもまず、東京の地下鉄にありがちな、長すぎるエスカレーターに乗った際に感じる『あの恐怖』の方が、脳裏を先行するはずだ。


 普通に上り下りを繰り返していたら、足腰が鍛えられそうな階段だが、メディたちが手摺に身を預けると、なぜか彼女たちの身体が浮いて、そのまま無重力を漂うように、手摺に沿って流れて行ってしまった。


 その光景を目の当たりにした黒斗は、しかし特に驚いた様子でもなく、さも当たり前の日常と言わんばかりの表情で、メディたちとの距離が1、2メートル開いてから手摺に触れた。


 一見すると単なる階段なのだが、実はこれも魔機の一種だった。

 階段の手前にはA2サイズ程度の金属版が張られているのだが、言うなればこれは、人間用に小型化されたトラックスケールのようなもので、乗った者の体重を瞬時に測定すると、魔機が必要な魔力の量を計算、捻出し、手摺に触れることで『反重力』の術式が作動。ほぼ無重力となった身体が、手摺の内部をベルトコンベアのように流れる『魔力』によって固定されて移動を開始する、という仕組みだった。


 とはいえ、どんな機械であれ、故障するリスクは付き物である。

 これだけ機械化されているにもかかわらず、『階段』というアナログなシルエットを採用しているのは、そういった有事を想定した結果であり、最悪、人力による昇り降りを可能にするためであった。


 そんな『異世界版エスカレーター』とでも言うべき設備を用いて、黒斗たちはゆったりと下降していく。

 その途中、彼らの前方にいる一組の男女――恋愛中の雰囲気を着飾った高校生――が、右の手摺から左へと移動した。

 これは『私はもうすぐ降ります』という意思表示で、いわゆるこのエスカレーターにおけるマナーだった。

 正面は岐路のように別れており、左の手摺に掴まった生徒たちは、そのまま目的の階に流れて、ふわり、と着地。逆に黒斗たちは右のルートに逸れていき、ポールのような支柱を軸にして弧を描きながら反転。さらに下の階を目指す。


 目的の階が目前まで迫り、黒斗は着地の心構えを整える。

 降りる時は、いきなり無重力から解放されるのではなく、徐々に徐々に、体が重みを取り戻していく仕組みになっているのだが、着地のタイミングを少し間違えると、まるで一段踏み外した時のような感覚に襲われてしまう。

 まだまだ慣れに時間を要する黒斗ではあったが、それでも今回は、綺麗に着地することができた。


 復活した脚立の重みを抱え込み、黒斗たちは倉庫部屋へ向かう。

 階段の降り口から、ちょうど真反対に位置するため、『回』という字を半周するように通路を歩いていくと、すでに到着していたレイチェルが、目印のように立っていた。

 部屋の前に辿り着くと、エイルたちは、ドサッ、と箱を床に置いた。


「あー重たかった。しんどい」

「もう、若者がそんなこと言って~」

「先生だってまだ20代でしょ。十分若いじゃん」

「アラサーなのよ。分かってないわね。この差が!」

「は、はあ。そういうもんですか……」


 扉にはICカード式の電子錠が掛かっており、レイチェルは取手のすぐ下にあるセンサーにカードをかざした。

 電子式らしい機械音が響き、ガチャッ、という開錠の音を確認してから、レイチェルは部屋に入っていった。黒斗たちも後に続く。


 部屋の中はとにかく真っ暗だった。扉は開放されたままだったので、廊下の明かりが辛うじて部屋の中を照らしている程度だ。カーテンも閉め切っているのだろうか。夜とはいえ、街灯の明かり程度は入るはずだが、それすらも遮断されている。


「えっと、電気は……」


 レイチェルの声だった。部屋の内装を知らない黒斗は、照明のスイッチがどこにあるのかも分からないため、脚立を抱えたまま待機する。


〝………さい〟


(?)


 その時、微かな空気の振動が、黒斗の鼓膜を揺らした。

 自身の聴覚だけを頼りに、音が聞こえた方向に目を向ける。

 扉から入って右手側。光の入らない濃黒い色に染まった部屋の奥に、蠢く何かがいる。

 どうやらそこが音源らしいのだが、それは声なのか、単なる呻き声なのか、はたまた嗚咽なのか。あまりに小さすぎて、よく聞こえない。


「他に誰かいるの?」


 レイチェル先生の呼び掛けに対し、その第三者は応じる気配がなかった。

 エイルたちも不振に思ったらしく、その表情に浮き出た不安は、廊下の明かりに照らされることで、殊更強調されているようだった。

 黒斗は耳を澄まし、意識を集中させると、周囲に気取られないように気を配りながら、ゼロによる聴覚強化を行った。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 聞き取った瞬間、黒斗の背中に、ぞっとする寒気が奔った。

 人の負に粘りつく悲壮感が、心の中を這いずり回るような、あの独特で毒々すぎる気色の悪い感覚。

 ほぼ同時に、部屋の照明が一斉に点灯する。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 部屋が明るくなっても、その第三者が黒斗たちに気付く様子はなく、ただひたすらに、その人物は謝罪を連呼し続けていた。


 倉庫部屋という名称に相応しく、壁に設けられた棚には、小物や雑貨を詰めた箱が所狭しと並べられていて、床には年期の入ったPCと、その周辺機器等の機械類が、雑然と放置されていた。


 未だ謝罪を続行する人物の正面には、油絵などを描く際に使用される帆布キャンバス画架イーゼルに載せられていて、そのキャンバスに描かれているのは、どうやら肖像画らしいのだが、なぜか顔が描かれておらず、その表情は白い洞穴のようだった。


 その、のっぺらぼうの肖像画を懺悔聴聞僧に例えるのであれば、今黒斗たちの目の前にいる〝彼〟は、神に許しを請う敬虔な信徒、ということなのだろうか――。


 気付けば、黒斗はその人物の名前を呼んでいた。


「ロット……?」


 ようやく振り返った少年の素顔は、黒斗の知るロット・マクアーデの名残など微塵も感じさせず、ただ純粋に、疲れ切ってやつれてしまった人間の末路を、叩き付けるだけだった。


「……ぇ?」


 しばしの間、死んだ魚の目のような状態になっていたロットは、黒斗たちの来訪にようやく自覚が及んだらしく、遅すぎるリアクションを取る。

 じたばたと肖像画に埃除け用の布を被せ、何度か首を右往左往させた後、わなわなと震える口を開いた。


「み、みんな、どうしたの? レイチェル先生もいるし、アレンは何か、ずいぶん重たそうだね。それにエイルと、そっちは隣のクラスの転校生だっけ? ごめんね、今の今まで気付けなくて。ちょっと、作品作りに集中していたんだ。イメージトレーニングってやつ? あはは。でも、中々上手くいかなくてね、これが。あと少しで完成なんだけど。もうちょっと、上手にさ……僕が……描けたら……」


 この場にいた全員が、皆、それはロットが必死に紡いだ言い訳だと理解していた。

 そして、それに関して、誰も問いを投げなかった。

 もし問い掛けてしまえば、きっと、彼にとって責め苦になる、壊してしまうと、まるで以心伝心の如く、黒斗たちの心に波及されていったからだ。

 だから、敢えてレイチェルはこう言ったのだろう。


「そっか。お疲れさま。ロット君、根詰めるタイプだもんね」

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