8話 - Ⅳ

 自分の左肩が誰かに掴まれた、と判断した頃にはもう、石杖黒斗の身体は後方に引っ張られていた。

 向いた、というより向かされた先で待ち受けていたのは、頬のそばかすが目を引く女子生徒、もとい本件の調査対象の内の一人、エイル・アダーソンだった。


(今、オレのことを〝フレット〟って呼んだのか?)


 互いの人相を認識してからコンマ数秒後、振り向いた直後は怖いくらい目を見開いていたエイルだったが、その勢いは瞬く間にしぼんでしまい、申し訳なさそうにしながら手を離して、こう言った。


「あの、ごめんなさい。人違いでした。本当に、ごめんなさい」


 デクレッシェンドのような語調で言い放たれたエイルの声音は、今にも崩れてしまいそうな心の脆さを黒斗に印象付けた。

 彼女は俯きながら一歩身を引き、弱々しく握られた両手は、取りつく島を求めるように胸元へ吸い寄せられていく。


 その一連の仕草を見てしまった黒斗は、不覚にも『いじらしい』という場違いな感情を呼び起こしてしまい、彼はくすぐられた本能をすぐさま滅却した。


「い、いえ。お気遣いなく」


 ふと、視界の中にメディがいると気付いた黒斗は、彼女の方に目配せをして、状況の説明を求めたのだが、彼女は小首を傾げる合図を寄こすのみ。

 設定上、メディとの間に接点は無いため、彼女を介してエイル・アダーソンとコミュニケーションを取ることはできない。


 取り付く島がないのは、むしろ自分じゃないのか、などと自嘲めいたことを胸中で呟きつつ、黒斗は先ほど感じた疑問点を口にしてみた。


「あの、すいません。こんなこと聞いていいのか分かんないんですけど、フレットって、Ⅲ‐αにいるフレット・ユノ君のことですか?」


 核心を突かれた、という面持で、エイルは顔を上げた。

 厳密に言うと、前もって情報を仕入れている黒斗が、故意にその部分を小突いたのだが……。

 そんなこととはつゆ知らず、エイルは淡々と話し始めた。


「うん。今は休学中ってことになってるけどね。そういえば君、こないだウチに来た転校生でしょ。なんでフレットのこと知ってるの?」


 ラフティから送られているデータのおかげで知っているのだが、それを口にできない立場にいる黒斗は、別に用意していた本音でここを対処する。


「ああ、ルームメイトの子が、彼と仲良かったみたいで。それで」

「え、ひょっとしてロットのこと?」

「はい。そうですけど」


 フレットの人となりに関しては、それとなく毎晩ロットから聞き出していたので、全くの嘘、というわけではない。

 つまり、嘘を正当化させるだけの既成事実をでっち上げてしまえば、嘘は嘘にならない、ということだ。


「そうなんだ。良かった。あいつ、本当に人付き合い下手だから。新しく来るルームメイトのこと、少し気にしてたみたいなの」

「ロットとは、それなりに仲良くやってますよ。二人は知り合いなんですか?」

「まあ、腐れ縁ってやつ? 幼馴染なの」

「へー。あ、ところで、なんでオレをフレット君と間違えたんです?」


 言いながら、黒斗はラフティのデータベースに登録されていたフレットの顔写真を思い起こしてみた。が、やはり似ても似つかない。

 一体何が、彼女を動かす原因を作ったのだろう。

 知りたい、という衝動を相手に悟られないよう留意しつつ、黒斗は相手の出方を静かに待った。


「後ろ姿が、すごく似ていたの。それで、つい。……今にして思えば、彼はあなたみたいに黒髪じゃないし、もっと細身なんだけど。どうして間違えたりなんかしたんだろう――」


(なるほど、ね。要するに〝雰囲気〟ってところか)


 黒斗は、フレットとの同類項が多いとは思っていない。前述の通り、見た目はおろか、背格好も違うし、趣味も得意分野も性格も何もかも、彼とは全くと言っていいほど違う。


 だが唯一、黒斗が彼と共感できるポイントがあった。それは、


(クラス内の変人を庇っちまった……っていう部分かな。けど、後悔はしていない。そうするべきだと思ったから、オレは動いただけだ。多分フレットも、大衆圧力とは馬が合わなかったんだろう。生理的に無理なんだよ。右向け右ってやつがな)


「――後ろ姿だけなら、本当に似ていたのかもしれませんよ。といっても、オレはフレット君の見た目、全然知らないんですけどね」


 と、その時だ。


「こらこらー。図書室はおしゃべりする所じゃないぞ~」


 本棚の陰から声が響いたかと思うと、その人物は、ひょっこりと黒斗たちの前に姿を現した。

 背丈は黒斗より少し大きく、リーリンより低い。おそらく172くらいだろう。

 長く、ウェーブのかかった栗色の髪に、鼻腔を突く女性の香い。

 体の線は細いが、か細い印象は受けない。

 そして、その体にフィットしている白いワイシャツとベージュカラーのスーツは、着用している者の醸し出す〝大人の空気〟を強調するのに、一役買っていた。


「レイチェル先生?」


 毎朝、ホームルームで顔を合わせている女性教師の突然の登場に、黒斗は唖然としてしまう。


「やっ! 図書室で女の子を口説くとは、意外と暇人だね。アレン君?」

「なっ!?いや、違いますって! これは!」


 するといきなり、レイチェルは吹き出すように笑い始めた。


「あっはは! 君ってやつは、意外と素直なんだね!」

「からかわないでください」

「もう、ふてくされないでよ~。若いな~」

「ってか、こんなところで、先生こそ何してんすか?」

「ん? あー実は、ちょっと仕事を頼まれてね」

「仕事?」

「そ、永録魔機の取り換え作業。アレン君、暇なんだったら手伝ってよ。一人だと大変でさ――」


 永録魔機。

 その単語は、瞬時に防犯カメラと訳され、黒斗は驚きそうになる自分を何とか抑制した。


 シエナ・マクアダムスが自殺した当日の映像データが抹消されたのは、既に知っている。おそらくは、警察ゼクィードの根回しによって消されたのだろう。

 故に、ここで疑問点が一つ浮上する。


 警察のメスが入っていない事件の映像なら、まだ残っているのではないのか?


 黒斗は腹の中で微笑む。


 フレットと謎の女性が失踪した件に関しては、警察もそこまで熱を入れていないはずだ。無論、フレットに関しては行方不明届けが出されているので、警察が全く動いていない、というわけではないと思いたいが、いずれにせよ、失踪者の捜索をする上で、わざわざ学内の防犯カメラのデータを消す必要などない。


 だが仮に、映像データが消されていたら?


 それはそれで構わない。

 なぜなら、映像データを消すということは、その必要性が『フレット』と『謎の女性』の間に存在していたという、新たな疑惑に繋がるからだ。


(データがあろうが無かろうが、手伝わない選択肢はない)


「――いいですけど、別にオレは暇人じゃないっすから!」


 敢えてガキっぽく言って見せる黒斗。

 そんな彼の態度を快く受け入れ、レイチェイルは、ニコッ、と笑った。


「決まりだね! それと、よかったらそこの二人も手伝ってくれない? 人手が多いと、先生助かるな~」


 私たちのことですか? という面持で互いの目と目を合わせるメディカドアとエイル。

 黒斗と同じで、断る理由よりも承諾する利点の方が多いメディは、首を縦に振ることで了承の旨を伝えた。


「私は……」

「あ、そうですよね。エイルさんは、勉強が」


 そのやり取りを見聞きしたレイチェルは、「え! そうだったの! 忙しかったら、別にやらなくてもいいからね」と、拒否権があることを強調する。

 しかしエイルは踏ん切りがつかないようで、やはり、先刻言った『なりたい自分』との葛藤に苦しんでいるようだった。


「ううん。やっぱいいよ。先生、私も手伝うことにする」

「いいの? でも、エイルさんは――」

「ここんとこ根詰め過ぎて疲れてたし、気晴らしにはちょうどいいでしょ!」


 教師という立場もあってか、やや困惑気味の表情を取っていたレイチェルであったが、まあそういうことなら、という風に割り切ったらしい。

 いつもの活発な雰囲気を取り戻すと、教師は元気よくこう言った。


「よし! じゃあ早速、作業に取り掛かろう! これだけいれば今日中に終わるぞ~!」


 タイヤの駆動音と、メカメカしたフォルムの持ち主が、レイチェルの背後でピタリと停止する。


「トショシツデ オオゴエヲダシテハ イケマセン」


 白けた空気に、巡回警備ロボットのお叱りボイスが木霊し、生徒一同の失笑が、図書室の空気を微かに賑わせた。

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