8話 - Ⅲ
『ソーマ・ウナクが魔術を!?』
今日の五時間目の真っ最中にいきなり念話で呼びかけられて、『クロトです。返事はしなくて構いません。今日の放課後、図書室に来てください。以上です』と、唐突に言われ、尚且つ一方的に切られたメディ・レファーナは、なぜ隣のクラスにいる彼が、念話有効距離にも関わらず、最低限の情報しか言わなかったのかを疑問に感じたので、すぐさま折り返し念話を行使したのだが――なぜか黒斗は彼女からの呼び掛けには応じず、いつの間にか、念波そのものが遮断されるようになってしまっていた。
念話でのやり取りは、主に機械系国家でのみ重宝する伝達手段であり、逆にこれが魔操者だらけの地域だった場合、何の対策もせずにいると、盗聴され放題になってしまう。
念話を控えたいということは、つまり、それ相応のリスクが発生したという証。
黒斗の陰りを帯びた声色も相まって、放課後になってから一目散に図書室へと急行したメディは、彼が開口一番に『ソーマ・ウナクが魔術を発動していました』――という、俄かには信じ難い話で切り出したものだから、つい、オウム返しのような反応をしてしまったのだった。
『はい。メディさん、今図書室のどこですか?』
『まだ、入り口付近ですが、そちらは?』
『外にいます』
名目上『図書室』とはなっているものの、この空間の間取りは『室』と『館』の合いの子のようにも見受けられる。
図書室は一階と二階部分にフロアが分けられており、平行に並んだ長方形の高さ2メートルを超える本棚が、どこまでも整列している。
右手には本の貸し借りを管理するAI制御の受付端末が設置されていて、左手には巨大なガラスの壁面が、視界を覆いつくさんとする勢いで広がっている。
入口は一階と二階にそれぞれあるのだが、メディは二階から入っていた。ひとまず吹き抜け部分まで足を運び、手摺に掴まって階下を眺める。
見る者に迫力を与えるガラスの向こうには、遠目からでも小まめな手入れが行き届いていると分かる庭園が築かれており、色とりどりの花々が眼に眩しい。
その一画には、ウッドデッキが構築されていて、デッキ上には丸机と椅子のセットが三つほど用意されているのだが、今その場所を使っているのは一人だけだった。
見知った人影だと認めたメディは、魔力の力で視力を強化するまでもなく、それを勇者だと理解する。
黒斗の顔がメディの方に向いて、お互いの存在を確認し合うと、自然と念話が再開された。
『メディさん。早速ですけど、そこから右方向。最奥部に位置する文芸エリアまで行ってください』
小首を傾げるメディだったが、お互い学園内では『赤の他人』という設定なため、直接会話で確認を取るわけにもいかず、彼女はとりあえず言われた通りにしてみた。
少し歩くと、違和感に気付く。そういえば先ほどから、人影が見当たらない。
メディは魔力を両目に注ぎ、周囲に目を奔らせた。
所々に魔力で書かれた『文唱』が見受けられ、さらに強化してピントを合わせると、それが人払いの術式であることが分かった。
それからほとんど間を置かずに、黒斗からの念話が入る。
『着きましたか?』
『あ、はい。あの、これは一体……?』
『すいません。説明はあとでします。えっと、〔Ⅶ‐A‐197〕にある青い背表紙の分厚い本を探してください』
Ⅶは棚の列。Aは棚の位置。数字は書籍のジャンル毎に振り分けられた番号。
指示にあった目当ての本は、思いの外すぐに見つけることが出来た。
メディの背丈に合わせてくれたのだろうか。手を伸ばせば、すぐに取れる位置に納まっていて、何となく黒斗の心遣いを彼女は感じ取った。
『取りました。『牧草平野で抱きしめて』……という、タイトルですが』
『ああ、それです、それ。で、その本の200ページ目を見れば、あとは大体分かると思います』
昨今は魔機の普及が進んでいるので、電子書籍なるものを手に取る回数が増えていたメディだったが、久々に触れた紙の感触は、やはり慣れ親しんだ懐かしさを思い出させてくれた。
とはいえ、ペーパーレス推奨時代なため、紙媒体をそのまま貸し出し、というわけにはいない。
借りる時は基本、データ化された本の内容だけを、図書館側が支給する専用ネクトにコピーさせて、貸出期間中の観覧許可を付与するのが主流だ。また、期限が過ぎれば勝手にデータが消去されるため、返却という手間が不要になる。つまり、『返し忘れ』が一切発生しないというメリットもあった。
流石に今の技術では『魔導書』のデータ化は不可能だが、いつかあの古びた偉大な書物たちも、0と1の世界に取り込まれてしまうのだろうか。
停滞したくないと思いつつも、人は固執にしがみ付く。
そんなことも考えながら、メディはようやく200と記載されたページを見つけ、同時に本の間に挟まれている『赤いマイクロチップ』のような電子部品を指で摘まんだ。
(ゼロ・ヴァレンタインの、イミテーション?)
今は念話を切っているため、心の声が黒斗に漏れる心配は無い。
メディと黒斗の所持しているネクトは規格が異なるのだが、どうやらこれは、彼女のネクト用に合わせしてくれたらしい。
何でも、彼の持っているネクトは特殊仕様だそうで、『異世界の端末』をベースに改造を施したのだとか。
彼女はネクトのカードスロットにチップを差し込み、さらに懐から、モバイルバッテリーの役割も兼ねたメガネケースを取り出すと、フレームパーツが少し厚めの眼鏡を掛けた。
これは視力を補うためのものではなく、情報端末として開発された伊達眼鏡、もとい魔機眼鏡で――通称【マナグラス】と呼ばれる代物だった。
自身のネクトとの無線接続を果たすと、チップ内に封じ込めらていた情報が、次々とレンズに展開されていく。
ゼロを使って録画したのだろう。視点はおそらく黒斗のものだ。
そこに映っていたのは今日の昼下がりに起きた惨劇と、ソーマの放つ禍々しい邪気。
始まってからものの数秒後、男子生徒の沈痛な声が奔り、有無を言わさず直視せざる得なかったメディは、その幼気な表情を見る見るうちに強張らせていき――
「……ぅっ!」
次の瞬間、彼女は思わず両手で口を抑え、反射的にマナグラスを外した。
そして不意打ちのように動悸が高まり、気付けば、彼女は呼吸困難に陥ってしまっていた。
〝これだ! これこそが、同世代という生き物なのだっ!〟
かつてメディが味わった苦痛。
そのリフレインが起こり、彼女は粘度を伴った過去を払拭するかの如く、首を横に振り続ける。
映像のインパクトよりも、むしろそれによって掘り起こされた記憶の方が、彼女にとっては恐怖だった。
呼吸は乱れたままだったが、彼女がこのパニック症状に見舞われるのは初めてではなく、故に対処法も心得ていたため、思考は冷静だった。
メディは『またか』と思いながら本棚に背中を預け、呼吸を整えるよう努める。
ゆっくりと息を吸って、吸い込みよりも長い時間をかけて、ゆっくりと吐く。
この作業を数回繰り返していると、発作的に始まった呼吸困難は徐々に治まっていき、彼女は無意識のうちに額に手を当てがった。
皮膚から滲み出た脂汗が、じわり、と指先を濡らす。
数分後、ようやく落ち着きを取り戻した彼女は、再びマナグラスを掛けようかとも思ったが、途中で手を止めて、そのままケースにしまった。
別に黒斗の言動を疑っていたわけではないが、ああもまじまじと証拠を見せつけられてしまうと、メディも承服せずにはいられない。
彼の言う通り、ソーマ・ウナクは魔力を放出していたし、魔術の発動も行っていた。これ以上、自分が見る必要はない。
同時に、彼が念話を拒絶した理由と、わざわざ手間のかかるゼロのイミテーションで、情報を伝えた意図も理解した。
『クロトさん。メディです。映像、確認しました』
『――了解。そのチップは一回使用すると、自動的に消滅するようにしていますから……あの、メディさん?』
『え、あ、はい』
『大丈夫ですか? 少し、念話が乱れているので』
『へっ、あ、多分、ちょっと疲れているのかもしれません。学校生活に、なかなか慣れなくて』
自分では回復していたと思える心身のコンディションでも、第三者は違う印象を受けるらしい。
メディは慌てて取り繕う言葉を並べたのだが、そのせいで、結果的に普段よりも饒舌になってしまった。
『そう、ですか。まあ、ここでの生活はオレも辟易してます。疲れますよ、実際。――で、映像の方はどうでしたか?』
違和感を悟られたのだろうか。歯切れの悪い返答に、メディは若干気まずい空気を味わったが、黒斗が自然な流れで話題を本筋に戻してくれたので、彼女は強張った肩の力を抜くことができた。
『確かに、あれは魔術だと思いますが。それにしては、お粗末な点が多すぎるかと』
『同感ですね。あれは素人のオレが見ても、素人以下の術でしたよ』
『映像を見た限りでは、お世辞にも魔操者とは、言い難いですね。何と言うか、あれはまるで……』
『ええ。多分、ソーマ自身に魔力を操っている自覚は無い』
『でも、ソーマ・ウナクは、空魔だと聞いていますが』
『そうは言いましても、オレはこの目で奴が魔力を出す瞬間を見ましたし、ラフティの情報だって間違うことはあるでしょう?』
『いえ、それは、そうなんですが……』
黒斗の言っていることに、異を唱えたいわけではなかった。
ただ、素直にそうだと言い切れるだけの根拠がないのも事実であり、メディは少しだけ躊躇いながら、こう続けた。
『ですが、ラフティの情報に虚偽を載せるなんて、何か大きな力が働いたとしか……』
『力?』
『個人の仕業、とは思えません。ソーマ・ウナクのプロフィールを偽ることで、メリットを得る関係者、組織、もしくは団体が行ったものだと、私は推測します』
あくまでも、一個人の憶測の域を出ない持論だったためか、メディの言葉尻は弱々しかった。
『いずれにせよ、これですっきりしました。クロトさんが念波を拒絶したり、わざわざイミテーションで情報を伝えたのは、ソーマ・ウナクに感付かれる事態を、避けたかったから、ですね?』
『ええ。魔脈が活性化している以上、奴がオレたちの念話を察知する可能性は、十分あり得ますから。今回は一応、人払いの術で保険をかけときましたけど、これからは暗号化した念話で連絡を取り合った方がいいでしょうね』
念波には乗せなかったが、飲み込みの早い人だな、とメディは感心した。
任務時における情報漏洩対策のマニュアルは、記憶石で一通り覚えさせられているのだろうが、その知識を実践できるかどうかは別問題だ。
まるで、昔からこういった生活を送ってきたかのような勇者の振る舞いに、メディは微かな寒気を覚えたが、それは単に彼が機転の利く人だからだ、という最もな理由によって拭い取られた。
二人はその後も話し合いを続け、この件に関する詳しい調査は他の諜報員に任せよう、ということで意見がまとまった。
一般人を調べるならまだしも、現状の任務に『首相の息子の調査』まで加わってしまうと、調査行為そのものにハイリスクが伴ってしまうし、彼らの目的はあくまで、フレット・ユノと謎の女性、及びモリスに関する調査である。
基本的には今まで通りの生活を続け、その中で何かソーマに関する新しい情報を入手したのであれば、逐次報告すればいい。
お互い、無茶をしない線引きを心得ていたため、任務の方針決めには、さほど時間を要さなかった。
その他の情報交換も済ませ、念話を終えた二人は、その後何事も無かったかのように、赤の他人へと戻っていった。
◇
念話を終えてすぐに、黒斗が人払いを解いたのだろう。
メディが入った時は、怖いぐらい閑散としていた図書室だったが、今は複数の生徒たちの姿が、ぽつぽつ、と目に映る。
文芸コーナーをあとにした彼女は、そのまま寮に戻ろうかとも考えたのだが、すぐに図書室内の散歩を始めることにした。
読みたい本が特にあるというわけでもなく、単純に図書室を覆う静けさを満喫したかったメディは、室内を一通り見て回ると、その足で二階の出入り口へと向かうことにした。
道中、未だ庭園で読書を続けている黒斗を見かけたが、お互い知らぬ存ぜぬを貫き通した。かなり読み耽っていたようだが、意外と読書好きなのだろうか?
メディがそんなことを考えていると、ふと、見知った後ろ姿を参考図書を並べている本棚の一角で見つけ、彼女は足を止めた。
ほとんど間を空けず、振り返ったその人物と視線が重なる。
「あれ、カドア?」
メディはそれに対し、言葉ではなく会釈で応じた。
「なんか、五時間目くらいからずっと〝そわそわ〟してたけど、何かあったの? 放課後もいきなり、教室から飛び出してどっか行っちゃうし」
「っ、あ、あれは……その、あのですね」
本気で他人を心配している幼気な少女の目が、メディの双眸を射る。
黒斗ほど嘘に小慣れているならまだしも、そこまで彼女は器用じゃない。
だが、それでも何か言わなければならない窮地に立たされた彼女は、窮鼠猫を噛むが如く、言い訳作りに奔走した。
「え、えーっと……」
――と、ここでメディ、閃く。
「じ、実は、ジビィナの予約を取りに、少し」
「……へ?」
「そのお店、け、結構人気があって。早く行かないと、売り切れになると思ったんです。それで、急いで向かったんですけど、全然余裕で予約が取れてしまって、なんか、拍子抜けでしたよ。あははははは」
目は宙を泳ぎ、ぎこちなさすぎる空笑いを披露するメディ。
とはいえ、普段から人見知りが激しい彼女の性格を考慮すれば、この笑い方も大した違和感ではなく、エイルは一安心したといった様子で、強張った目の張りを緩めた。
「なんだ、そういうことだったんだ。心配して損しちゃったよ、もう」
我ながらよくもまあ、ここまで嘘八百を並べることができたものだ。と、メディは自分自身が吐いた嘘に驚きつつ、こうなった以上、あとで本当に予約をしに行かねばと思い、嘘にくっつく後味の悪さと、その埋め合わせ行為に対する不快感に苛まれた。
「ところで、カドアも本を借りに来たの?」
「あ、いえ。私は特に、なにも。エイルさんは?」
「あたし? あたしはね~……」
少し苦い顔に変わったエイルは、気怠そうに自身のネクトに視線の向きを変えて、
「勉強。課題の提出も残ってるし、それでなくたって、進学のために勉強もしなきゃだし」
「エイルさんは、ステンガ地区のラトリオンを、受験する予定なんですよね?」
「うん。まあ、一応、国立のとこをね」
快活なエイルにしては、いささか奥歯に物を挟んだような言い方だった。
言外に、不本意、という言葉が刺さっているとメディは汲み取ったが、知り合ってまだ間もない間柄では、その言葉の裏に潜む真意にまで首を突っ込む気概は持てなかった。
エイルもエイルで、相手が返答に詰まるような対応をしてしまったと後悔したらしく、少しばつの悪そうな顔をしている。
「ごめん。本音を言うとさ、課題も進学も、正直どうでもいいんだ」
「え? そうなんですか?」
「うん。本当は他にやりたいことがあるの。確かにラトリオン卒業の箔は、その後の人生に有利なのかもしれないけど。でも、そうはいってもさ、気持ちが乗らなきゃどうしようもないでしょ?」
「意外です。エイルさん、学年成績もトップでしたし」
「あはは。確かに、他の人はそう思うかもね。けど、今のが私の本音だよ。昔から親がうるさく言うからさ。……習慣的に優秀になろうと努めていたら、本当にそうなってしまっただけで、別に、今の自分が『なりたい自分』ってわけじゃないの」
抑圧的で窮屈な生活。
なぜだろう。不思議とエイルの発した語調だけで、彼女の人生のバックグラウンドまで、垣間見てしまったかのような、そんな錯覚をメディは覚えた。
勉学には相当厳しい親だったのだろう。
いや――と、メディは事前に渡されたラフティのレポートの内容を瞬間的に思い出した。
確か、彼女の両親の所得は、いわゆる『ミドルクラス』よりやや下の位置だ。
このプレクトンエコールに入学しているということは、かなりお金の工面で苦労を強いられたに違いない。
『エリート』にしたいという両親の気持ちも、理解できなくはないが、その期待を一身に背負わされた、否、問答無用で担がされたのであろうエイルを、こうも間近で見せつけられてしまうと、籠の中の……というより、『鉄格子の中の鳥』という比喩しか浮かんでこなかった。
自発的に受け取ってもらえない想いなんて、そんなのは最早、ただの呪いでしかないというのに。
とはいえ、全く才能が無ければそこまでの『学』も手に入らなかったはずだ。
持たざる者からすれば、彼女の発言は心底許せないのだろうが、自由という点においては、彼女もまた、持たざる者なのだ。
清濁を綯交ぜにしたような感情が湧き上り、メディは居た堪れない気持ちになってしまったのだが、そんな彼女の心中を察したかのようなタイミングで、エイルは軽く手を挙げながら、こう口にした。
「じゃあ、私は今日ここに籠るつもりだから。またあとでね」
エイルはそう言うと、微笑を携えながらメディに背を向けて、どこへとともなく歩き出した。が、不意に足を止めて、
「……フレット?」
エイルの正面を横切っていく、男子生徒の後ろ姿。
彼女は慌てて、本棚と本棚の間にあるメイン通路へ駆け出し、今はどこにいるのかも分からない友人の面影を感じさせる後ろ姿を追った。
気付けば、彼女はその生徒の肩を掴んでいて、ほとんど強引とも言えるような素振りで引き寄せていた。
「フレット!」
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