第8話「ネガティブ・スパイラル」

8話 - Ⅰ

 その何者かは、電脳から送られてくる『3Dマップデータ』を網膜上に展開しながら、勇者と死神が戦闘したとされる座標まで足を運んでいた。


「ここかな? いやー、ずいぶん派手にやらかしたねぇ」


 その抑揚の付け方には特徴クセがあった。さらに付け加えると、その人物は紫色の髪を伸ばし、右腕は機械の義手を装備している。

 見た目こそ以前とだいぶ違うが、その人物の身体から湧き出る、不気味な人間性までは変えられなかったらしい。

 一度でも関わったことのある者なら、誰もがその狂科学者の存在に思い至ることだろう。


 その人物――『アギリミノフ・スヴェンルフスキー』は、現場に到着するや否や、戦闘によって破壊された部分に、『カード』のような紙をペタペタと貼りつけていった。

 カードには何やら術式が記されているようで、一通り貼り終えたアギリミノフは、その術式をなぞらえるように呪文を唱え始めた。


 詠唱に応じて、文字も順々に光っていき、カードが魔力の膜で覆われると、ただの紙でしかなかったそれらは、それぞれの破損個所に応じた『物質』へと変異し、爆散したはずのレール部分等が見る見る内に元通りになっていった。


「さて、と。残りは血痕と【残留魔力】の始末だ」


【残留魔力】というのは、魔技の発動時等に生じる、言うなれば余剰エネルギーのようなもので、これを現場に残したままだと『魔測』や『魔紋認証』で個人を特定される危険が生じてしまう。


 血痕の方は言わずもがなだろう。魔力よりも、こちらを残しておく方が個人を特定されかねない。

 もっとも、死神の個人データがラフティのデータバンクにあれば、の話ではあるが。

 いずれにせよ、残しておく必要のない証拠は、消してしまった方がいい。


 アギリミノフは懐から試験管のような物を取り出して、中に入っていた黄緑色の液体を地面に流した。

 直径50cm程度の水溜まりが出来上がると、それはたちまち分裂を起こし、次の瞬間にはもう、それぞれ地面を這う蛇のようにウネウネと移動していた。

 一見しただけだと、ただの液体物のように見えるが、実はこれ『AQUMES』と呼ばれる『超小型魔源機器マイクロマナマシン』の一種だった。


 このアキュメスの機能は、設定された人物の血を感知すると、それに吸着し、除去するというものであり、分裂したアキュメスたちは、死神のものと思われる血痕を発見すると、覆い被さるように血を包みこんだ。

 やがてアキュメスが音を立てて気化していくと、地面にこびりついていた血痕は、跡形もなく取り除かれていた。


 そのまますぐに残留魔力の処理を始めるのかと思いきや、アギリミノフは勇者の零した魔力に近寄り、その機械仕掛けの義手を伸ばした。


「個人の秘匿はスパイの鉄則。勇者クンも、まだまだだねぇ」


 今回のことで、アギリミノフが依頼主に頼まれた仕事は二つ。

 一つは、現場の修復と個人の特定を防ぐための隠蔽工作。

 そしてもう一つが、ゴースト勢力の間で【赤い蛍】と銘打たれた、最新型魔源機器の鹵獲だった。


「その魔力の中身、拝ませてもらうよ」


 アギリミノフの義手が勇者の魔力に触れようとした――その時だ。

 地面のあちこちに散らばっている漆黒のオーラから、突如、赤い粒子たちが湧き起こった。

 それらはまるで、何か統一された意思を持ったかのように煌くと、赤い輝きは勇者の残留魔力を覆うほどに増幅し、やがて光の膨張が収縮すると、その場にあったはずの残留魔力が、綺麗さっぱり消滅していた。


(何が起こった? まさか【星還り】か?……いやいや、戦闘が終わってからまだ数分しか経っていないんだぞ。そんな馬鹿な話あってたまるか)


 人間や魔獣などから解き放たれた魔力というのは、一定時間放置された状態が続くと、魔力の源泉である星の回収作用によって、人が手を加えずとも勝手に消えていく性質を持っている。

 その現象を【星還り】と呼び、この世界では自然現象として広く一般に認知されているのだが、しかしながら、星還りが発生するには、最低でも半日近く掛かると言われている。


(つまり今起きた現象は星によるものではなく、人為的に仕組まれたこと)


 そう思い至ったアギリミノフは、腹立たしそうに立ち上がって、吐き捨てるように愚痴を放った。


「技術流失を防ぐための仕様、ってところか。……全く、つくづく厄介なことをしてくれるじゃないか、は」


 左腕はほとんど機械化されてなく、改造も最小限となっているため、左手部分は生身だった。

 アギリミノフは自然と親指の爪を口元に運んでいて、苛立ちを咀嚼するように噛み続ける。


(モタモタしていると、ラフティの事後処理班と鉢合わせになる。さっさと片付けよう)


 次の作業に移るために、思考を素早く切り替え、爪を口元から離す。

 歪められた爪の形が、彼の苛立ち度合いを示していた。


 試験管を入れていた内ポケットとは反対側のポケットに手を伸ばしたアギリミノフは、今度は何やらテニスボール大の大きさを持つ球体型の機械を取り出し、それを地面に置いた。

 次に義手の液晶操作パネルに目をやり、何かを探すように指を払い続ける。


(やれやれ。最新機種は扱いづらい。いくら性能が良くってもさぁ、慣れだって、大事なんだよね~)


「~っと、あったあった。これこれ」


 目的の項目を見出したアギリミノフが、愉快そうに画面をタッチする。

 すると、地面に置かれた球体が開花を迎えたバラのように咲いて、胞子のようなものを周辺に拡散した。


 その胞子は死神の魔力と、先ほどアギリミノフがトンネル修復時に出した残留魔力に付着し、それを確認したアギリミノフが再びタッチパネルに指を押し当てると、胞子はくっついた魔力と一緒に、機械の中へ吸い込まれていった。


 役割を果たした機械を懐に戻し、アギリミノフは最後の点検を行う。

 首を周囲に動かすも、残留魔力、血痕、そして戦闘の痕跡は皆無だ。

 ここで魔術戦を繰り広げた、などと言っても、ただの妄言としか受け取ってもらえないだろう。

 遅れてやって来るであろうラフティの諜報員は、この現場を見たら、一体どんな顔をするのだろうか。

 その様子を頭の中で思い描き、アギリミノフは三日月の笑みを浮かべる。

 そして颯爽と踵を返し、暗がりの奥へと沈んでいった。



     ◇



 授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

 オレの意識はほとんど電子黒板の枠から外れていたため、授業内容を復唱しろと言われても、多分無理だろう。

 というか、今が何限目なのかすら分かっていない。

 オレの思考は今、任務のことで一杯なのだ。


 今日の日付は12月12日。月曜日。

 例の正体不明の死神と対決してから、丸三日が経過した。

 あの戦闘が終わった後、オレはすぐに後方支援を担当する仲間に連絡を入れて、事情を手短に説明した。

 残留魔力の処理に関する心配は、オレの場合不必要だったが、戦闘の痕跡を残すのは大問題だ。

 なので、すぐさま隠蔽工作の専門スタッフを派遣する手筈となり、さらにユウリの自宅で手に入れた『PCデータ』と、死神の装備していた『防具の破片』、さらに『布きれ』を渡すために、連絡を入れた仲間と指定の場所で落ち合うことが決まった。


 仲間はすぐに現れた。

 オレは入手したデータを、万能端子を通じて仲間のネクトにコピーさせ、金属片や布はハンカチにくるんだまま渡した。

 翌日の夜にはレヴォに届けられたそうで、証拠品の解析には数日を要するとのことだ。


 ちなみに、ユウリ・ラスコニールの自宅にあった『デスクトップ型のネクト』のことだが、あれは正式名称を【ポリフィティカル・クラスタ】と言うそうで、略して『PC』なのだとか。


 ……まあ、そんな余談はどうでもいい。

 証拠品を託したオレは、すぐに寮へと帰還した。

 部屋に入ると、ロットはオレの掛けた催眠魔術で熟睡していたので、ひとまず安心した。

 オレも早く寝たい、そう思った時だった。ネクトがいきなり振動を起こしたのだ。

 連絡をよこした相手が隠蔽に向った仲間だと分かり、オレはネクトを念話モードに切り替えてから通話に応じた。


『あ、クロトさんですか。たった今現場に到着したのですが、そのう……』

『どうかしたんですか?』

『いえ、それがですね……』


 あの時に聞いた言葉の衝撃は、未だ脳裏に根付いている。

 仲間の話によれば、座標地点に到着したはいいのだが、戦闘を行ったらしき形跡は見受けられず、残留魔力も敵の流した血の跡も皆無だったというのだ。

 ただ、現場にあるはずのオレの魔力も一緒に消えていたことから、何者かが先回りして隠蔽を計った可能性が高いと、その諜報員は言っていた。


 通話はそこで終わった。

 正直、分からないことだらけで、オレは何かモヤモヤする気持ちを抱えたまま床に着いた。

 翌日からは通常通りスパイ活動に従事し、オレとメディさんは学園内外を含めた調査を行った。が、特に目立った進展は見られず、レヴォに送ったデータに一縷の望みをかけているのが現状だ。


 はっきり言って、オレたちの捜査は完全に行き詰っていた。

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