7話 - Ⅳ

 突如現れた『死神』と相対する石杖黒斗。

 仮面越しから漏れる敵の吐息は、銀河帝国の暗黒卿を彷彿とさせた。


 黒斗は腰に携えている鞘付きナイフの柄を握り、逆手の状態で素早く引き抜くと、顔は相手に向けたまま、身体だけを真横に捻った。ちょうどこれは、空手で言うところの『半身の構え』である。

 続けざまに彼は、自身の魔力を巧みに操り、それを瞬時に刀身に纏わせた。


「お前、ゴーストか?」

「さあ? ワタシが幽霊・・かどうかなんて、大して重要なことじゃないでしょ?」

「なに?」

「そっちだってラフティの人間らしいけど、正直ワタシにはどうでもいいことだし」


 黒斗は今の敵の言動に違和感を覚えたが、それが一体何なのかを、具体的に探る余裕が無かった。


「今重要なのは一つだけ――」


 死神を覆うマントの奥から、じわり、じわり、と魔力が滲み出てくる。

 火山灰のような色彩を放つオーラは、滑らかに敵の全身を包んでいった。

 派手さはないが、非常に丁寧な魔力捻出である。敵の魔操力が高い証拠だ。


「――アナタを殺せるかどうか。それだけでしょ?」


 言い終えた直後、どうやって収納していたのか全く検討もつかないが、死神はマントの両袖からダガーを滑らせ、小慣れた動作でキャッチすると、ダガーの刃が胸元辺りで『X』を描くような構えを取った。


 緊張が奔る。戦闘は避けられそうにない。

 黒斗は奥歯を噛みしめ、敵の動きを警戒しつつ、自身の逃亡ルートを探った。

 今回彼に与えられた任務の目的は、ユウリ・ラスコニールの自宅の調査し、そこで得られた情報を無事持ち帰ることにある。戦闘行為は最小限に留めるべきだ。


(最優先事項は逃げの一択。他は全部捨てる。相手の力量が分からないんだ。下手に戦って火傷するのは好ましくない)


 黒斗は爪先をじりじりと動かし、敵との間合いを測る。

 刹那、死神の赤く輝く両目が巨大化したかと思った瞬間、敵は上体を下げ、僅か数歩の移動で黒斗との間合いを一気に詰めてきた。


「っ!?」


 最初の攻撃は『斬り』ではなく『突き』の動作。

 流血への躊躇いが一切感じられない死神の挙動は、明らかに黒斗の左目に狙いを定めており、失明の危機を瞬時に察した彼は、ギリギリのところでこれを回避。

 もう一撃喰らわそうとする死神の動きを見るや否や、彼はすかさず横っ飛びを繰り出し、ハンドスプリングの要領で受け身を取ると、敵との間合いを落ち着かせるために、一旦後退した。


「逃がさない!」


 開いた距離は7メートル弱。

 だが、死神は間髪入れずにダッシュを繰り出し、黒斗に休む暇を与えようとしない。


「ちっ!」


 敵の攻撃を受け止め、地下鉄内に金属同士の衝突音が響く。

 黒斗の武器はナイフは一本。だが、相手は二刀流だ。

 片方を受けてしまった以上、もう一方をどう処理するかが問題となる。


「もらった!」


 死神の腕が振り下ろされる。

 どうやら敵は、黒斗の左腕を切断する魂胆らしい。


(目潰しといい、腕斬りといい、テメーの攻撃は――)


「――同族嫌悪ってやつかなっ!」


 瞬間解放された魔力は、まるで逆毛だった猫のように荒々しく、左腕に集束されたオーラは強固な鎧となって黒斗を守った。


「!?」


 弾かれた反動で身を反らす死神。

 たった一瞬でも、隙あらば攻勢に転ずるのが、石杖黒斗の腹黒さであり、強みだ。

 彼は防御に使った魔力を掌に移動させ、『ブーストゲイル』を発動。

 腰を軽く捻り、右脚を素早く踏み込ませる。

 軸足との連動。そして腰の回転から生じる運動エネルギー。

 ブーストゲイルを付与した渾身の掌打が、がら空きになった敵の溝内に叩き込まれた。


「くらえっ!」

「かはっ!?」


 打撃の衝撃と魔術の効果をもろに受けた死神が、銃から発射される弾丸のように吹っ飛ぶ。

 手応え十分。威力も完璧なまでに接地面に伝達させた。

 死神はこのまま外壁に激突し、勝負は決まる。

 黒斗は――そう、思っていた。


「マジかよ!?」


 考えが甘かったと、黒斗はつい先ほどまで勝利の余韻に浸っていた自分を責める。

 敵もそう易々と勝ちを譲る気はないらしい。

 死神は無理くり空中で姿勢を立て直すと、ダガーを一本、トンネルの外壁に向って投げ飛ばした。


「カヌス・クラッガム!」


 それは間違いなく『詠唱法』で唱えられた『呪文』だった。

 死神の魔力に呼応したダガーは、壁に突き刺さった直後、刃物の面影を一切残さないスライムのような形に形状変化を起こし、死神はそのまま壁に激突したが、魔術によって生み出された『クッション』のおかげで、無傷のまま事なきを得る。


 クッションが魔力の塵となって消えると、死神は何事もなかったかのように外壁から身を剥がした。

 片手に魔力を集束させて、それを刃物の形に整ええると、投擲したものと同じ形状のダガーを生成。

 再び『Xの構え』を取り、黒斗を威嚇する。

 黒斗は敵の攻撃にいつでも対応できるようにしつつ、その注意力の一部を、敵の武器の観察に割いた。


(なるほど。奴の武器は【イミテーション】だったのか。『文唱法』を使っているわけでもないのに、ダガーが『変質』するなんておかしいと思ったけど――それなら合点がいく)


 魔力によって生み出された『擬似物質』を『イミテーション』という。

『材質変化』と『形状変化』を習得した魔操者なら誰でも可能な技だが、熟練者にもなれば、その中に『属性付与』や『術式付与』などなど、特殊能力を織り交ぜた武具の生成もできるようになるそうだ。

 リーリンの魔法によって生み出される『マグナ・ボルグ』は、その究極系とも言えよう。


(問題は、あのイミテーションにどれだけの【魔力容積】があるかだ)


 例えるならそれは、情報量の単位である『1TB』と『500GB』の差のようなもの。

 より多くのデータを保存したいのであれば、必然『1TB』を選択するだろう。

 実はイミテーションにも、これと似たようなことが言える。


 仮に先ほど死神が使った『カヌス・クラッガム』の発動に、『10』の魔力消費が必要だったとしよう。そう考えた場合、あのダガーには最低でも『10』の魔力を内包できるだけの『容積』が存在したということになる。

 基本的に、生成した擬似物質のサイズが大きければ、その分容積も増えると言われている。決してイコールではないが、目安としては十分だ。

 敵のダガーは、せいぜい刃渡り30cm程度。裏技魔法でも使わない限り、強力魔術の発動は無理なはずだ。


 とはいえ、死神の手の内が明らかになったわけではない。

 黒斗はナイフに注ぐ魔力を増やし、小太刀程度の長さに変えた。

 ナイフの刀身では短すぎて、敵の攻撃を捌くのに窮するからだ。

 同時に、握り方を逆手からハンマーグリップに変更する。


(今のところほぼ互角。向こうも二等級魔術士レベルってところか。あの『ふざけた人形使い』よりかは、幾分マシな相手だけど――)


(――ただ、奴の方がオレよりも戦い慣れしている感がある。この戦闘経験の差は大きい)


 単なる殴り合いならまだしも、これは魔技を用いた魔操者同士の戦闘である。

 やはり、状況に合わせた魔術の使い方は、実際にやってみないと中々体に染みついてこない。

 頭では分かっていても、身体が追いついてこないのだ。


(奴の戦術に翻弄される前に逃げる算段を考えないと。このままじゃジリ貧だ。何か、何か突破口さえあれば……くそっ)


 両者ともに動こうとはしなかった。しばし、膠着状態が続く。

 聞こえてくるのは、互いの呼吸音のみ。

 その静寂に包まれた時間は、一体どれだけあっただろうか。

 十秒だったか、はたまた一分だったか。

 いずれにせよ、睨み合いを続けていた二人にとって、それは酷く長い時間に思われた。

 最初に均衡を破ったのは死神。

 相手の視覚を惑わすようにステップを、右、左へと絶え間なく切り返し――いや、なぜか死神の数が増えている。


(分身!?)


 黒斗のファル・ファントムと同系統の魔術だろうが、いかんせん、こちらの方が分身の数が多い。間違いなく10人以上は存在する。

 黒斗は四方に警戒心を張り巡らせるが、そんな彼の警戒網に生じた隙間を縫うように、死神は勇者の真横を陣取った。

 死神は躊躇うことなく、彼の首筋目掛けてダガーを振るう。


った)


 救いだったのは、黒斗の視野が元々広かったことと、生来の反射神経の良さだった。

 隅に捉えた違和感に対し、黒斗の思考は特に働かなかった。

 ただ、理屈云々抜きで彼はナイフを振り上げ、敵の斬撃に対処してみせた。


「うそでしょ!?」


 魔力の力で刃先を延長した黒斗のナイフは、見事に敵の攻撃を食い止めている。

 そして、おそらく集中力が途切れたのだろう。

 死神の作り出した分身たちは、波に呑まれた砂城のように崩れ溶けていった。



「っく、うぉあああああっ!」


 単純なパワー勝負なら、どうやら黒斗の方に分があるようだ。

 片手で制する黒斗に対し、死神はパワー不足を補うために二本重ねて、尚且つ体重まで乗せているが、それでも黒斗の方が自力で勝っていた。

 この圧倒的なまでの非力さは、データの少ない死神から得た、現状唯一の弱点だと彼は認識する。


 強引な力技で盛り返し、黒斗はとうとう押し返す。

 その時、死神の羽織っていたマントが左右に広がり、上半身が露わとなった。

 どうやら防具を装備しているらしい。が、そのシルエットはどこか魔操者離れしており、どちらかと言えば機械系国家の技術で開発された印象を受ける。


 そして、その一瞬を網膜が捉えたコンマ数秒後、黒斗は『思考瞬発力IQ』のギアを一段階上げた。


 ――実は、彼には先ほどから腑に落ちない点が、一つだけあった。

『ブースゲイルを付与した掌打が直撃したにもかかわらず、なぜ死神は、あのように姿勢を持ち直すことが出来たのか』――と。


 印象から得た情報が、ダイレクトに戦術と結びつく。

 おそらく、敵の身に着けている防具は『魔力兵器』だ。

 微弱ではあるものの、黒斗の目には魔力の流れがハッキリと写っている。

 どういうカラクリで威力を減少させたのかは知らないが、物理攻撃を弱める機能を有しているのは、ほぼ間違いない。

 彼は、即座に自身の左手に赤い粒子を纏わせると、賢者の石を握り締め、『赤い線』を引っ張り出した。


「内部からぶち壊す!」


〝万能端子〟を敵の防具に接続させ、超速でゼロに命令を送り飛ばすと、赤い輝きは瞬く間に防具へと吸い込まれていった。

 ほとんど間を空けることなく、死神が狼狽え始める。


(なにこれ!?【魔力反応装甲】の制御が、急にできなく――っ!?)


 黒斗は万能端子を解除して、後方に大きくジャンプすると、空中で姿勢を保ったまま左手を正面に据えた。


「InperiuMachina.――Zegnis.……」


 彼の送り込んだゼロ・ヴァレンタインは、使い方次第では『イミテーションの代替品』にもなる。

 そして、防具に送り込んだゼロを全て合わせた『総容積』は、『対魔力兵器戦』における黒斗の〝必殺魔術〟の発動を可能にしていた。


「【LeDaレダIcsplosionイクスプロ―ジョン】!」


 防具内に残したゼロに向けて、『火炎系爆破魔術』が唱えられる。

 中から膨れ上がる魔力は、あろうことか死を招くはずの死神に対し『死への恐怖』を植え付け、直後、激烈な振動と共に爆発を起こした。

 天井から砂のようなものが落ち、汚れの雨が降る。

 爆炎に呑まれる様子を見届けながら、黒斗は静かに着地した。


(上手くいった!)


 ゼロ・ヴァレンタインには『因滅』という、存在を成立させる原を理解し、それを根本からぼすことで、どんな存在をも無に帰すという無茶苦茶な機能がある。

 だが、この機能は使用者である黒斗への負担が大きすぎるため、生命の危機に関わる状況か、もしくは『魔王』と戦闘する場合を除いて、原則使用禁止という制限が設けられた。

 そんな彼に生じた〝枷〟をカバーするために考案された、魔力兵器を破壊するための〔黒斗専用魔術〕――それが『レダ・イクスプロ―ジョン』である。


(発動テストはレヴォで数回やったけど、実戦で使うのはこれが初めてだ……)


 肩に伸し掛かった重荷を下ろすかのように、黒斗は息を吐く。


「やっぱり、ぶっつけ本番は心臓に悪いぜ」


 トンネルに籠っていた煙が、そろそろ晴れる頃だった。

 黒斗は死神を確認するために爆心地へと足を運ぶ。

 敵の発していた魔力の気配は、爆破の少し後に消失した。おそらく、気絶したのだろう。


(威力はかなり抑えたつもりだ。ここまで形勢が逆転したなら、逃げるよりもむしろ、奴を捉えて情報を引き出した方が益に繋がるからな。せいぜい眠っててくれよ)


 地面に何者かの血が付着していた。死神ので間違いないだろう。

 その時、足元に何かが当たった。

 金属片だとすぐに分かり、それが砕け散った防具の破片だと彼は認識する。

 そのすぐ側には黒マントの――おそらく切れ端であろうものが落ちており……


(……え?)


 今一度周囲を見渡す。やはり見間違いではない。

 黒斗の表情が、みるみるうちに驚愕のものへと染まっていく。


   〝死神がいない!〟


 焦りを隠せない彼は、風系魔術を腕に纏わせ、慌ただしく風を発生させた。

 残った煙の残骸が綺麗に吹き飛ばされ、視界が確保される。

 が、しかし、あの髑髏仮面の面容を拝むことは、とうとう叶わなかった。

 呆然と立ち尽くす黒斗。そんな彼の眉間には、深い溝が刻まれていた。


(あの一瞬で逃げたっていうのか。レダ・イクスプロ―ジョンをまともに受けたはずなのに。一体、どうやって……)


 やや俯きかけてた黒斗の顔が、唐突に起き上がる。

 彼の脳裏に浮かんだ一つの可能性。それは――


(爆発の寸前に生身の部分を魔力で覆ったんだ。奴の魔操力は高かったし、それぐらいの芸当をやってのけたとしても不思議じゃない。あとは、気絶したとオレに思い込ませるためにそれらしく気配を絶って、爆発の煙を目くらましに利用して逃げた、ってところか)


 黒斗は敵の行動を頭で再現しながら、予測される逃亡ルートを見やった。

 敵の残した血痕が淡いオレンジの照明によって照らされているが、追撃を拒むが如く途中で途絶えており、彼は追いかけることを早々に諦めた。深追いよりも、帰還の方が大事だからだ。


 その時ふと、地面から馴染みのある振動が伝わり、彼は表情を、ハッ、とさせた。

 ヒップポケットからネクトを取り出し、時刻を確認すると、四時を少し回っているところだ。

 そろそろ、車庫から出発した始発車両が通る時間帯である。


「仕方ない」


 黒斗はポケットからハンカチを取り出し、布切れと金属片を丁寧に包んだ。

 それをポケットにしまおうとする頃には、もう車両のライトが肉眼で目視できる距離まで迫っていた。

 彼は顔を覆い隠すほど深々とフードを被りながら、トルスパウザを使って暗がりに紛れた。



     ◇



「……っ、く」


 腹部から血が滴る。よくよく見ると、そこには金属片が刺さっていた。

 ボロボロになったマントを羽織り、防具を脱ぎ捨てた死神の姿が、そこにはあった。


(危なかった。まさか、あんな奥の手を隠してたなんて)


 ふと、髑髏の仮面に着信音が鳴り響く。

 死神は念じ、相手との通信回線を開いた。


『任務は』

「しくじった。ゴメンね」

『ちょっと待て、お前、息が荒いぞ、怪我をしたのか!?』

「少し、ね。――うっ、ぶぁっはあ!」

『おい!大丈夫か!今どこだ!』

「仮面の中で血反吐を吐くと、最悪だよね」

『今すぐそっちに行く!座標を教えろ!』

「……うん」

『――確認した。誰かに見つかりそうなら、すぐに移動しろ。いいな!』

「ねえ?」

『なんだっ!』

「大丈夫。終わらせるまで、私は死ねない。だから絶対生き残る。そして必ず、やり遂げる」

『…………。ああ。そうだな』

「約束はまだ続いている。腐り切ったゴットバーこの国を変えるまで、私は何が何でも生きる。生き抜いて見せる」

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