7話 - Ⅲ

『――概ね予定通りですね。オレは深夜になったら場所・・に行きますんで』

『分かり、ました。何かあったら、私のネクトに』

『了解。まあ、ただの空き家に侵入するだけですし、問題ないと思いますけど』

『油断、大敵、です』


 脳に直接語り掛けるような言葉のやり取り。

 黒斗とメディの二人は、【念話】と呼ばれる『通信用魔術』を発動しながら、任務時における定期連絡を行っているところだった。


『――ですね。すいません。少し気が緩んでました』

『あ、いえ』

『じゃあ、調べ終えたらまた連絡します』

『はい。お気を付け――ぃっ!?』

『ん?』



     ◇



「カドアー!遊びに来たよ~!」

「え、エイルさん!?」

「あれ?サニエマは?」


 サニエマとは、メディ扮する『カドア・イア』のルームメイトのことだ。


「今、お風呂に」

「そっか~。あ、そうそう、私のルームメイトも連れてきたんだ。入っていいよ~」

「え、その、ちょっと今は…………あ、どうも、初めまして」



     ◇



『……クロトさん。聞こえて、ますか?』

『一応。でもノイズが酷いですね』


 念話は雑念が入ると、それがそのままノイズに変換されてしまうのだ。


『すいません……。〝友達〟が……』

『え?――ほほう』

『な、なんです、か』

『いえいえ。なんでも(ニヤニヤ)』

『……切ります』

『ちょっ!? ええ!?』


 ツー ツー ツー

 などと電話のように機械音が鳴るわけではないが、


(〝ぶっち〟されちまった……)


「まあ、いいや。そろそろ風呂の支度を――」


 ちょうど黒斗が立ち上がった瞬間、部屋のドアが開いた。

 その先には、入浴から戻って来たロットの姿があった。


「どしたのアレン?振られたみたいな顔して?」

「え!?うそ!?」

「ははあ。さては君も、隣に現れた〝お姫様〟に恋をしたのかな?」


 ポカーン。という黒斗の表情と共に、一瞬の間が空く。


「……へ?」

「へ?じゃなくて、え、知らないの?」

「誰それ?」

「え!?うそ!?」


 デジャブってる場合じゃなくてだな。と黒斗は思った。


「カドア・イアさんって、君と同じ転入生でしょ?会ってないの?」

「あー。彼女のことね」


 まあ、話せば長くなるのですが、彼女とは複雑な縁がございましてなあ……。とか思いつつ、黒斗はそれとなく聞いてみた。


「ところでロット。さっき〝君も〟って言ってたけど――」

「あっ」

「そうかそうか。いや、いいんだ。みなまで言うな」

「ち、違うんだ!」

「はっはっは。さて、オレも風呂行ってこよー」

「あ!待て!逃げるな!」


 黒斗は着替えを抱え、足早にとんずらするのであった。



 自分以外、誰もいない廊下を歩く。

 不意に足を止めて、窓から外を見渡す。

 学園の周囲を取り巻く壁の先。漆黒に染まった夜の街に、ぽつぽつと人家の明かりが灯っている。

 何となくだが、そこからは日常を感じる。


(そういや、ああいう風にふざけたのは、こっちに来てから初めてかもな)


 友達が多かったわけじゃない。

 でも、それでも人並みには数を稼いでいたつもりだ。


(伊藤とかは、無駄にちょっかい出してくるよな。ほんっと)


 ……彼は今頃、何をしているのだろうか。

 そもそも、自分がいた世界とこちら側の世界では、時間軸が同じなのだろうか。

 もし同じだったら、家族は相当心配しているに違いない。


(オレの方こそ、行方不明者かもな)



     ◇



 受話器から漏れてくるのは、女性の声。

 回線が不安定なのだろう。

 やや不明瞭だが、会話ができないほど酷くはなかった。


『――予定が変わった?』

「ああ。スポンサーからの依頼だ」

『あっちの爆破は?』

「後回しになった」

『で、この人を殺れと?』

「そうだ。それが今回の任務だ」

『誰なの?』

「ラフティの人間らしい」

『あー。だから』

「暗殺のやり方は任せるが、人目には付くな」

『りょーかい。補給品は?』

「いつもの場所に」

『分かった。じゃ、終わったら報告するよ』

「……ごめん」

『いいって。気にしないで』

「死ぬなよ」

『トーゼンだね!』



     ◇



 時刻は午前二時三分。

 プレクトンエコールから10km近く離れた場所にある住宅街。

 深夜のこの時間帯は、人だけではなく、街そのものが寝静まっているような気さえする。

 どこまでも静寂に包まれ、かすかな足音でも鮮明に聞こえてしまう。

 そう。足音だけは、なぜか聞こえるのだ。

 目を凝らさないと違和感すら感じられない空間の歪み。

 その透明な何かは、とある平屋の前で動きを止めた。


「ここか」


 石杖黒斗の声だ。

 しかし、姿形はどこにも見当たらない。

 実はこれ、彼が新たに修得した魔術の影響だった。

 密偵用に使用される上位魔術――その名も『トルスパウザ』。

 いわゆる『光学迷彩』と同質の効果を持つ術であり、発動には高度な魔操力が要求されるのだが、黒斗は持ち前のコントロールセンスを活かし、一週間足らずでこの魔術をものにしてしまった。


 術を教えてくれたエルゲドは、とても悲しい顔で――


『クロト殿の趣味は、魔導師を退屈にさせることなのかの?……まあよい、ワシは寝る』


 相変わらず、つまらなそうに去っていくのだった。



 指紋を残すわけにはいかないので、黒斗は革製の黒い手袋をはめた。

 第三者の目には、手袋だけが浮いているように映るだろうが、深夜の時間帯ということもあり、暗がりに溶けてしまえば、ほとんど見分けが付かないと言ってもいい。

 黒斗は指先にオーラを集中させ、具現化する魔力に形状変化を促すと、それを針のような形に変化させた。


 それを鍵穴に差し込み、ピッキング作業を開始すると、ものの数秒で、ガチャ、っと留め具の外れる音が響いた。この辺りの住宅にかけられたセキュリティは、どこも似たり寄ったりである。


 程度こそあれ、市民にも手が届く範囲で価格が低下している昨今の魔源機器事情にあっては、こんな『物理的な方法で玄関に施錠を施す』などという、アナクロでアナログなハードウェアに依存するのも珍しいのだが、かえってそのことが、『ターゲットの家屋』、ひいてはこの地域一帯の可処分所得の低さを反映しているものと思われた。


 ゆっくりと扉を開き、彼は忍び足で中へと侵入する。

 扉を閉めて、ほぼ同時にトルスパウザを解除する。

 何もない虚空から、黒斗の姿が徐々に浮き出てきた。

 首に提げられている『賢者の石』が、窓から差し込む月光に反射する。


「燃費が悪いからな。解けるうちは解いておく。――ってジジイに口を酸っぱくして言われたもんな」


 半笑いを浮かべ、彼は言った。

 家の中はとにかく暗い。

 月明りが辛うじて、部屋の様子をぼかしている程度だ。


「暗視を使うか」


 黒斗の瞳の周辺に、魔力が集中的に集まり出し、輪郭部分が仄かに赤くなる。

 赤みがかった部分は、ゼロの影響によるものだ。

 闇の霧が晴れていき、視界が十分に確保される。


『ユウリ・ラスコニールの自宅を調査すること』――それが、今回黒斗に与えられた任務だ。


 未だ行方知れずの彼はどこに行ったのか?

 なぜ消えてしまったのか?

 それとも消されたのか?

 謎の女性との関わりはあるのか?

 あの女性は何者なのか?

 二人は知り合いか?

 モリスとの接点もあるのか?

 実は一連の流れとは何の関係もない第三者なのか?


 そういった〝?〟の連鎖を食い止めるために、今宵、勇者はコソ泥まがいの……もとい、暗中飛躍しているというわけだ。


「母子家庭だったんだよな、彼」


 しかし、それは昔の話だった。

 数年前に病気で母親を亡くしてしまった彼は、以来、ずっと一人で生活してきたという。

 近所の人も最初は、相当心配してたそうだ。

 無理もないだろう。彼には他に頼れる親類縁者がいなかったのだ。

 不幸中の幸いなのは、住宅ローンを既に支払い終えていたことだろう。

 この一軒家は、彼の祖父の時代に建てられた家だそうで、コンスタントに必要なのはインフラにかかる使用料と、土地にかかる固定資産税くらいだ。

 有り難いことに、この近辺はド田舎だし、ゴットバー国の地価の平均値は、ユスティティアより遥かに安い。

 黒斗の世界で例えるなら、東京と地方の土地価格を比べるようなものだ。


(本当に、一人暮らしやってたんだな……)


 キッチンの洗い場には、乾燥させるために置いていたのだろう。

 綺麗に並べられた食器類たちは、棚に収納されることなく、放置されたまま残っている。


 間取りを見るからに、キッチンとダイニングは一体化されているみたいだ。

 石晶魔機(テレビ)が台の上に置かれている。大きさは32インチ程度だろうか。電源は入っていない。

 黒斗は部屋を移動し、彼の自室を探した。

 ネームプレートがあったので、すぐに分かった。母親のお手製だろう。思春期の少年が付けそうなセンスには到底思えないものだ。


 部屋の中に入る。開けたままのカーテンの向こうには、夜空に輝く満点の星々の姿があった。

 視線を変える。おそらく勉強机だろう。その上には、デスクトップタイプのネクトが置かれていた。自作PCというものがあるが、まさにそんな感じの見た目である。


(埃が、あまりないな)


 試しにディスプレイの外枠を指でなぞる。

――妙だ。多少汚れてはいるが、何ヵ月もほったらかしにしていたら、もっと埃が付着するはずである。


(つい最近まで誰かが使ってた、ってことか?)


 調べてみる価値がありそうだ。

 黒斗はそう判断し、電源ボタンを押してみると、色付きのランプが点滅し出した。

 しばらくすると、真っ暗だった画面に、パスワードを求める表示が現れた。


(なるほどね。そりゃそうか。ま、問題ない)


 黒斗の胸元で鈍く輝く賢者の石。

 これは何も、ファッションで気取っているわけではなかった。

 装備している理由は、大きく分けて二つある。

 一つは、それ自体が『活動記録媒体』だということだ。

 賢者の石には、黒斗の体内に流れているゼロの活動情報を集積し、そこで解析した情報をゼロにフィードバックさせ、登録者に合わせたゼロの効率化を図る機能を有している。


 そして二つ目が――


(【万能端子】を使わせてもらう)


 黒斗の右手に、赤い粒子が胞子のように舞い始める。

 これは魔力放出ではない。あくまでゼロの機能を使用しているだけなので、今回は赤色がやたらと目立つ。

 彼が賢者の石に触れた瞬間、キャンドルライトのような発光現象が始まった。

 彼はその光を指で摘み、一気に引き伸ばした。

 真紅に輝く軌跡。黒斗の手に握られているそれは、本当の意味で『光ケーブル』と呼べる代物だと思う。

 彼はその先端を、ネクトの外部端子に接続させた。


(パスコード解除)


 体内のゼロに命令を送り、石を経由して、それはネクトのシステム内へと潜り込まれていく。

 黒斗の意思とファイアウォールを隔てるものは、もうどこにも存在しない。

 解除を命じられたネクトは、逆らうことなくオープニング画面を展開させた。


(ハッキングなんてしたことないけど。これはチートレベルだな)


 などと〝自嘲〟するが、〝自重〟することはせず、作業を続ける。


(行方をくらます直前の記録を表示)


 彼が念じた命令をゼロが認識すると、所有者の意向に沿うような情報だけが、ピックアップされていく。


(ん?)


 画面の向こうにはゼロからの応答が表示されていて、そこにはこう書かれていた。


『八月十八日。及びその周辺の記録を検索。該当結果は無し』


(なら、削除した疑いがあるはずだ。あるならデータを復旧してくれ)


 ゼロが再び動き出す。

 数分後、黒斗が予想していなかった結果が出てきた。


『人為的に削除された形跡あり。復旧することは不可』


(……どういうことだ?)


 その後、黒斗は何とか情報を引き出せないかと粘ったが、結果何も得られずに終わった。


(やっぱり変だ)


 あまりにも情報が消されすぎている。

 ここまで徹底しているということは、よほど隠したい何かがあったのだろう。

 黒斗は念のために、ネクト内のデータを全てゼロにコピーさせた。

 情報量が多すぎるので、精査はレヴォに一任する。


(とりあえず今は、このデータを無事持ち帰ることが先決だな)


 送り込んだゼロを体内に戻し、黒斗は渋々、万能端子を切り離した。


「んじゃ、お暇しますか」



     ◇



 一日の役目を終えた地下鉄の駅。終電が出発してから、もうかれこれ数時間経過している。

 非常に静かなプラットフォームの中を、石杖黒斗は一人、黙々と進み続けていた。

 地面を踏むたびに響くはずの靴底の音は、魔術によって消されている。


 ユウリ・ラスコニールの自宅をあとにした黒斗は、現在、プレクトンエコールの寮に帰還するべく、行きで使用した道を、そっくりそのまま逆戻りしていた。

 駅の防犯システムは事前にゼロでハッキングしているため、映録魔機に彼の姿が残る心配はない。 

 彼は回送列車の時刻も頭に叩き込んでおり、発見されるリスクは最小限に抑えていた。


 プレクトンエコールの最寄り駅である『ステンガ駅』は、ユウリの家から9kmほど離れているが、魔力によって肉体を強化した黒斗の時速は、なんと60km近くも出ている。 


(これなら、あと数分で寮に到着できるな。駅を出る直前にトルスパウザを発動して、そのまま寮に入る。睡眠不足は『回復系魔術』でカバーすればいいし――よし、予習はそんなもんか)


 ルームメイトであるロット・マクアーデには、部屋を出る前に催眠術を掛けてあるので、扉を開けた拍子に彼が目覚める――なんてことはない。


 プラットフォームの端が迫って来た。

 黒斗はスピードを落とすことなく線路に飛び降り、サイレントモードで走り続ける。

 その時ふと、黒斗は自分の前方に、何か黒い影が佇んでいることに気付いた。

 慌てて急ブレーキをかけ、彼は減速してから数メートルの位置でようやく停止する。


「やっと来てくれた」


 それは、寒気がするような少女の声だった。


「ラフティの人間なら間違いなく『あの家』を調べると思ったから、付近一帯の映録魔機を掌握して、ずっとアナタを監視してたの。ふふっ。何か見つかった? 調べてもムダだったでしょ?」


 黒いマントで全身を覆い尽くした何者かは、顔の部分が陰になっているため、表情が全く分からない。

 正直、ブラックホールに睨まれているようで気味が悪い。

 ゆったりとした動きで、黒マントが近づいてくる。

 マントに使用している布は、ずいぶんボロボロになっており、あたかも、冥府へと誘う死神のような出で立ちである。


「それじゃあ、始めましょうか」


 その人物は、頭に被っていたフードを取り、黒斗の目の前でその素顔を晒した。

 刹那、彼はこの世界で、初めて怖気づいた。

 それは、どう見直しても人の面容ではない。

 鈍く黒光りする金属質の頭部。

 レーザーポインターのように赤く光る両目。


「アナタに恨みはないんだけどね。ごめんなさい」


〝あたかも〟などではなかった。

 それはまさしく、『死神』としか形容しきれない『髑髏の面』を被った〝敵〟だったのだ。

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