7話 - Ⅱ

 四時間目の授業は外のグラウンドで行うもので、その科目名は、『武術』……だそうだ。

 周りの生徒たちは、『護身格闘術の日だ、やりたくねー』と怠そうに嘆いている。

 黒斗も初めて知った時は驚きを隠せなかったが、これにはちゃんとした理由があった――


 かつて、対魔操者には何の意味もないとされていた『武術』は、けれど『魔力兵器』の登場によって、その見方を大きく変えることになったという。

 近接用に開発された魔力兵器と武術の相性は良く、それこそ達人の域になれば、今でいう魔導士と同等の戦いを繰り広げることもできたそうだ。

 終戦後、世界は平和への道を邁進しているものの、『万が一』の時に備え、『授業』の名の下に、ほとんどの機械系国家では武術を採用しているのであった。


 女子生徒たちが、教室からいそいそと出ていく。

 さて、着替えるかと思った矢先、黒斗の正面に座っていた少年が、おもむろに話しかけてきた。


「あの、初めまして。僕、ロットって言います。ロット・マクアーデ」

「え?ああ、じゃあ君がルームメイトの」


 実は『ラフティ』の方から、ルームメイトのことも事前に聞かされてはいたが、黒斗はあくまで知らない体を装う。


「うん、そうだよ。よろしく」

「こちらこそよろしく」

「何て呼べばいいかな?」

「アレンでいいよ。こっちも君のことはロットって呼ぶからさ」

「じゃ、そうしよう」


 緑色のショートヘア。身長は黒斗よりやや低い。167センチくらいだろう。

 決して骨太ではなく、むしろ線が細い印象しか受けない。

 黒斗は割と本音に近い感情で、にこやかに話し続けている。

 それはロットも同じで、どうやらお互いファーストインプレッションでフィーリングが合うことを察知したらしい。

 着替え終わったあとでも、すぐに教室から出ようとはせず、もうほとんど生徒が残っていないのに、二人は雑談を楽しんでいた。


「そんなに引っ越しが多いんだ。大変じゃないの?」

「うーん。まあ、もう慣れたよ。ここでは寮生活だし、卒業するまでは心配ないかな」

「あ、そろそろいかないと」

「ホントだ、時間がもうないな」


 と、その時――


「ウスノロット!ぐだぐだ喋ってねえで、さっさと動けや!」


 背後から蹴りを入れられ、膝から崩れるロット。

 ご機嫌取りの笑顔を浮かべながら、ロットはぺこぺこ謝っている。


(こいつが、【ディビット・ウェロー】か)


 厳つい顔と坊主頭は、見ただけで圧倒されそうだ。

 体格も良く、筋肉質な印象を受ける。身長は180cmくらいあるだろう。


「ディビット、その辺にしときなよ。――問題になるぞ」


 言い放った言葉には、棘があった。

 場を凍り付かせるような、目に見えない威圧感。

 ダークレッドの髪が特徴的。背丈も黒斗と変わらない。

 如何にも優等生と言わんばかりのオーラを醸し出すこの人物こそ、ゴットバー国を治めるバトバ・ウナク首相の嫡男、【ソーマ・ウナク】だった。


(……厄介な相手だ)


 黒斗の持つ嗅覚が反応した。

 負に染まった者が放つ独特の匂い。

 ソーマ・ウナクには、それが体中にこびりついていた。

 一瞬、両者の眼が交錯する。

 どこかシンパシー感じ、しかし相容れない。

 刹那に等しいやり取りだけで、両者は互いの人間性を、明確に認識してしまった。


「悪かったね。ロット君」

「いや。別に」

「授業に遅れたらまずいし、君たちも急ぎなよ?」


 さりげなく微笑み、ソーマはディビットを連れて教室から出ていった。


「おい、大丈夫かよ」

「うん。へーき」

「でもよ――」

「いいんだ」


 食い気味に言葉を制され、黒斗は思わず困惑顔になってしまった。


「あ、ごめん」

「いや……。あいつら、何者なんだ?」


「僕に蹴りを入れた方はディビット・ウェロー。で、そいつに声をかけたのが、ソーマ・ウナクっていうんだけど。ソーマの親父さんは政治家で、ディビットの方は国営軍需企業の役員でさ、連中はそれを笠に着て、やりたい放題ってわけ。学園側もあまり大きな態度が取れないから、酷くなる一方だよ」


 これに関しても既に知っている情報だが、黒斗は初耳のフリをする。


「なんだよそれ。邪悪な後光親の七光りで偉ぶって、そのくせ他人に暴力を振るうだなんて」

「でも、あいつらには、ほんと、逆らわない方がいいよ。シエナさんだって……」

「えっ?」

「――う、ううん。何でもない。あ!それより早く行こう!先生に怒られる!」

「あ、ああ」


 有耶無耶にしたい。話を逸らしたい。

 会話の終わらせ方には、そういった念が見え隠れしていた。

 走って出ていくロットの姿が、黒斗にはどこか、逃避行のように見えて仕方がなかった。



     ◇



 メディ・レファーナは一人、学園内の外れに生えている巨木の陰に身を潜めていた。


(人が、集まるとこは、やっぱり、苦手)


 転入してから一日にも満たないというのに、噂が広がるのは恐ろしく早い。

『カドア・イア』という美少女が来たというニュースは、すぐさま他のクラスに伝わり、結果、彼女のいる〔Ⅲ‐β〕にわらわらと集まって来た始末。

 その悍ましい男子たちの欲望を見た彼女は、怯え、震え、そして逃げた。

 大袈裟な表現だが、実際彼らの瞳の根底にある感情など、本能性欲以外、滅多にないだろう?


(ここなら、誰も来ない。落ち着いて、お昼ごはん、食べられる)


 風に舞う木の葉は、サラサラと揺れている。

 枝の間を縫って天井から降り注がれる光は、安らぎを感じる温もりがあった。


(食べよ)


 メディは自前の手提げ袋からお弁当を取り出した。

 布にくるまれた箱の中に入っていたのは、ショートブレッドのようなブロックが三つ並んでいる。彼女はその一つを取り、美味しそうに頬を膨らませた。

 プレクトンエコールには食堂もあるのだが、そんなところに彼女が行きたいと思うはずがない。

 昼食は、今朝早くに寮を出て、調達しておいたのだった。


(やっぱり、お肉は、【ジビィナ】だよね)


 この世界では、野生動物(魔獣も含め)の肉の総称を【ジビィナ】と言い表す。

 家畜として育てられた動物たちの肉に付けられる名称とはまた別なので、注意していただきたい。


(クロトさんは、今頃、食堂にいるかな……)


 心細い心の声を、胸の内で呟く。


 モグモグ モグモグ ゴクン


 水筒も持ってきていたので、彼女はそれを袋から出す。

 蓋が湯飲みになるタイプで、緑茶のような淡いグリーンが注がれていく。

 立ち込める湯気には仄かに苦みが含まれており、その匂いが、彼女の意識をほんわかさせてくれた。


 ゴクゴク ゴクゴク


 ふう、と息を吐く。

 遠くの方から人の声がしているが、気にはならない。そういった世界とは隔離された場所にいるからだ。

 二個目に手を伸ばし、小さい口を大きく開けて、『かぷっ』とかぶりついた。

 ふと見上げれば、青い空、白い雲。

 静かだ。呑気だ。気楽だ。

 リラックスに必要な三大要素は整った。


「あ、こんなとこにいたんだ!探したよ!」

「っ!?――んぐっ!?」


 三つのファクターはあっけなく崩壊した。

 おまけに、急に背後から声をかけられたものだから、メディは驚きのあまり、喉を詰まらせてしまった。


「え!?あ、ごめん!そんなつもりじゃ!えーっと、どうすれば――」


 苦しそうな表情をする彼女の視線は、ただ一点、自身の水筒に向けられている。


「――これね!任せてちょうだい!」


 いきなり現れた介入者はテキパキと動き、メディにお茶を渡した。


 ゴクゴク ゴクゴク


「ん?あ、もう一杯ね」


 ゴクゴク ゴクゴク


「……ふぅ。助かり、ました」

「ごめん。驚かせちゃって」

「いえ」

「隣、座ってもいい?」

「え、あ、はい。問題、ありません」

「ありがと!」


 そう言って、その女子生徒はメディの横にしゃがみ込んだ。


「あなたは、確か、同じクラスの、一番前の列にいた」

「教卓にぶつけたおでこは、もう大丈夫そうだね」

「あの衝撃は、忘れられません」

「あっはは!そりゃそうだね!」

「あの、お名前は」

「あー!ごめん、ごめん!私はエイル。エイル・アダーソン。よろしくね!」

「カドア・イア、です。こちらこそ、です」


 エイルという女の子を、改めてメディは見る。

 セミロングに整えられた赤い髪は、リーリンのそれとは違って、淡い色を纏っている。

 身長はメディより少し高い。160ちょい。

 チャームポイントは頬のそばかす。

 口調から伝わってくる人当たりの良さも相まって、全体的に活発で明るい印象を受けた。


「あれ?カドアのお昼って、【カプット】?意外とワイルドだね」

「近所の、精肉店で、ジビィナをベースに、作ってもらいました」



【カプット】というのは、ひき肉(種類は問わない)と野菜を混ぜたものをプレス機で圧縮加工した食品のことで、名前の由来は、「かぷっ」と食べるような仕草に見えることから、名付けられたそうだ。


「ジビィナ!?さらに驚きだよ!」


 メディは少々複雑な気持ちだった。

 任務を遂行する以上、遅かれ早かれエイル・アダーソンには接近する必要があった。だから、この展開はありがたい。


(うぅ。でも……)


 そう。彼女は猛烈にコミュ障だ。

 いくら何でも、心の準備くらいはさせてほしかった。

 頭の中で反芻される嘆きは、残念ながら全く意味をなさない。

 だけど――


「あの……」

「ん?」

「食べて、みますか?」

「いいの!」


 こくん。と頷く。

 それは彼女が振り絞った、精一杯の勇気。


「ありがとう!それじゃ、いただきまーす!」


 モグモグ、というより、ムシャムシャ。


「どう、ですか?」

「…………」


 しまった。かと思ったが、


「――うん!これすっごいおいしいよ!」

「あ、よかった、です」

「じゃあお礼に、カドアにはこれあげる!」

「え?」


 そこにあったのは、ロールキャベツ。

 ……この手の世界だ。厳密に材料まで一緒かどうかは分からないが、見た目はそうとしか言い切れない。


 パクッと口にし、しばらく無表情のまま。

 しかし、徐々に頬が緩み始め、


「おいしい」

「おお!それはよかったよ~」


 任務とか、大人の事情とか、そういうのも魔導士たるメディには大事だけど――


「ところで、カドアって寮で暮らすの?」

「そうです、けど」

「部屋はどこ?」

「二〇五、だったと、思います」

「え、ホント!?あたし二〇六だから、カドアとはお隣さんだね!放課後遊びに行くよ!」

「えっと、あ、その、分かりました」


 ――プレクトンエコールで友達を作ること。


 それがユフィアンヌの与えた『裏任務』だということを、メディは知る由もないのだ。

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