第7話「暗中模索」
7話 - Ⅰ
プレクトンエコール。ゴットバー西部に位置するこの学園は、国内でもトップ3に入る有名進学校として知られている。
全校生徒は約500人。
卒業後の主な進路は当然進学なのだが、いわゆる科学者を目指すような人間が行く、魔機工学系の【
広大な敷地は、まるで片田舎の土地を貪るように建てた大学のキャンパスのようで、全方位が防犯用の壁で囲われた中に佇む校舎は、傍から見れば軍の要塞にも、いやいや、単に大手不動産会社に建築させた、仰々しい大型複合施設にも見えた。
立派すぎる制服は、そんなところに予算を注ぎ込むのか、と言いたくなるほどで、デザインはシンプルなのだが、使っている素材が高級ウールの異世界版だった。
『体の良い学園維持費の回収システムでは?』と、邪推したくもなる。
男子の服装は、紺色のブレザーにグレーのパンツ。中に着ているのは白いワイシャツで、臙脂色のネクタイを締める。
女子の方もブレザーとワイシャツは同じだが、下に履くスカートはワインレッドを基調としたタータンチェックで、着用するのはネクタイではなく、スクールリボンとなっている。リボンの色はネクタイと同じ臙脂だ。
(まさか、
オレの名前は石杖黒斗。
何でかよく分からないが異世界に飛ばされてしまい、おまけに、なぜか〝勇者〟という役割を与えられている者だ。
全く。こんな犯罪まみれの奴を選ぶなんて、明らかに人選ミスとしか思えないが……。まあいい。
今日の日付は十二月八日。
オレたちがゴットバーに入ってから、六日が経過した。
現地での下準備はすでに完了してる。
さあ、いよいよ今日から、スパイ活動の開始だ――
◇
[イシヅエ・クロト調査担当クラス〈Ⅲ‐α〉]
「それじゃ、さっそく自己紹介してもらおうかな!」
教室中の視線が〝新入り〟に集まる。
元気のいい担任はニコニコしている。
名前はレイチェル・グレイ。担当教科は化学。
そんな笑顔満点の彼女に促される形で、石杖黒斗は前を向いた。
久々に味わう教室内の空気。どこか懐かしく、やはり忌々しい。
こんなに近くで見ているのに、俯瞰視点で眺めているような、頭がくらくらする錯覚。
しかし、彼が張り付けた偽りの笑顔は、そんな気持ちを微塵も感じさせず、人を騙すには十分な演技力を有していた。
「初めまして。『アレン・オービス』と言います。よろしくお願いします」
もちろん、そんなのは偽名である。
偽っているのは名前だけではない。過去の経歴なども全て嘘で塗り固めている。
ただ、そんな小手先だけの虚偽では、いずれボロが生じる。
そのためスパイに選ばれた者は、予め諜報員用に特化された『記憶石』を用いて、『架空の人物』に関する情報を脳内に叩き込むことになっていた。
人格を増やすわけではなく、あくまで知識としての情報を増やすだけなのだが、それでも人によってはパニック症状を起こす恐れもあり、最悪自我の崩壊もあり得るという。
その問題を回避するために、使用前には必ず自己暗示を掛けるか、もしくは他人から催眠術を受けて、自我に防壁を張ることが義務付けられており、黒斗も昨日の内に自己暗示を済ませておいた。
「自己紹介ありがとう!じゃあ、あそこの空いてる席に座ってもらえるかな」
一番後列。黒板側から見て右から三列目。
言われた場所に着席する。
目新しい者に興味津々といった様子の生徒もいれば、全く無関心といった生徒もいて、ありきたりで普通な印象を受ける。
(……なんか変だな)
と、黒斗は訝しむ。
(本当にここ、
教室に漂う〝歪んだポジティブシンキング〟が、彼の直感に警鐘を鳴らした。
◇
[メディ・レファーナ調査担当クラス〈Ⅲ‐β〉]
「えーっと……『カドア・イア』と、も、も申します。あの、その……よろしくおねがいしひゃす!――いたぃっ!」
お辞儀と同時に〝ゴツン!〟と痛々しい音を立て、カドア・イアことメディ・レファーナは、教卓に頭突きをかました。
記憶石を使って情報を取り込んでいても、彼女のおどおどした口調は相変わらずだ。
それもそのはず。架空人物の性格を、メディ用に合わせたからだ。
涙を浮かべ、両手でおでこを抑えているメディ。
同時に、クラスメートたちの若干の笑い声と、彼女のルックスに歓迎する男子たちの声が飛び交う。
「か、カドアさん!大丈夫ですか!?」
担任のゴドワー先生が、あたふたしながら彼女に声をかけた。
黒縁眼鏡をかけている彼だが、あまりに慌てすぎたせいか、眼鏡が少しずれている。
「だ、大丈夫、です。すいません」
「いや、でも、ちょっと腫れてますよ」
「大丈夫、です。はい」
メディは目線を合わさず、僅かに首を揺らした。
「かわいいなあ。ようやくうちのクラスにも華が添えられたよ」
「まったくだな。うんうん」
「砂漠に輝くただ一つのオアシスのように美しい……」
直後、その発言をした男子たちは、周囲の女性陣から集中砲火を浴びることになった。
ボロクソに言われ、肩身を狭くする男子たち。
非難の嵐は過ぎ去り、教室に平穏が戻る。
「あの、どこに座れば?」
メディがゴドワーに訪ねる。
黒板側から見て左から二列目と三列目。最も後ろの席が二つ空いている。
ゴドワーは、ずれた眼鏡の位置を正しながら、
「えっとですね、右側の席にお願いします」
「分かり、ました」
三列目最後尾の席に、メディがちょこんと収まる。
男子たちの視線を、メディは俯き作戦で見事に回避していた。
◇
この学園にいる調査対象をまとめた報告書。名を、【Lレポート】という。
ゴットバーに潜伏している内通者が調べ上げたものだそうで、すでに黒斗もメディも目を通していた。
内容は、以下の通りである――
〈Lレポート〉
◆スクエア1〔シエナ・マクアダムス〕
プレクトンエコールに通っていた生徒。存命時の在籍クラスはII‐α。享年一七歳。
ステンガ地区で開催された作文コンクールにて、自身がミックスジェンダーであると公表した彼女は、その後、学園内で生徒たちからいじめを受けていたという。
時には犯罪行為に等しい暴行もあったようだが、映録魔機の映像が部分的に破損していたり、書き換えられている形跡があったため、詳細は不明である。
今年の三月二十二日。午後五時半頃。
同学園の屋上から飛び降りたところを、複数の生徒に目撃されている。
その後すぐに病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。
現場には彼女が書いたと思しき遺書もあり、ゴットバー
しかし、捜査は早々に打ち切られてしまい、公式発表も自殺ということで片付いている。
詳しく調べたところ、現場を指揮した一部の者と、ゼクィード上層部の人間たちの保有している口座に、多額の入金があったことが確認できた。
入金者の元を辿ると、バトバ首相の関係者ということが判明。
さらに、学園内部に設置されている映録魔機の情報を改ざんした疑いのある日付は、入金が行われた日の翌日である。
この件に関しては、魔力兵器不正輸入疑惑を持たれているバトバ首相を、間接的にトップの座から引き下ろす切り札になる可能性もあるため、引き続き慎重に調査を進めていく。
◆スクエア2〔ソーマ・ウナク〕
プレクトンエコールの生徒。Ⅲ‐αに在籍。同学園の生徒会長を務めている。
ゴットバー首相である【バトバ・ウナク】の一人息子でもある。
映像証拠はないが、伝聞証拠として、シエナ・マクアダムスをいじめていたグループのリーダ格だと言われている。
◆スクエア3〔デイビット・ウェロー〕
プレクトンエコールの生徒。Ⅲ‐αに在籍。
父親の【ジーモ・ウェロー】は、ゴットバーの国営軍需企業『ウェスポン』の財務担当役員を務めている。
ソーマ・ウナクとは友人同士の関係で、彼もシエナのいじめに加担したと言われている。
◆スクエア4〔エイル・アダーソン〕
プレクトンエコールの生徒。Ⅲ‐βに在籍。
シエナ・マクアダムスとは非常に仲が良く、二人は互いのことを親友だと認識し合っていたそうだ。
尚、この人物に関しては、メディ・レファーナが担当するクラスの優先調査対象とする。
◆スクエア5〔ユウリ・ラスコニール〕
プレクトンエコールの生徒。Ⅲ‐αに在籍。
八月十八日以降から、依然として行方が掴めていない。
モリスと会っていた謎の女性とユウリ・ラスコニールの間には、何らかの関わりがあると見て間違いないだろう。
数日前に行った聞き込み調査で、シエナ・マクアダムスを最後まで庇っていた生徒だったということが新たに判明した。
~Luci~
◇
現在、三時間目。数学の授業の真っ最中。
異世界の授業に最初は臆していた黒斗であったが、どうも本質は同じらしい。
結局文字が違うだけで、やるべきことは変わらなかった。
(さすが、絶対不変の真理を追究した数学様だ。どこまで行っても大差ねえ)
そんな異世界での授業風景は、一風変わっていた。というか進んでいた。
まず、黒板を背にする先生の手には、チョークが握られていない。
先生はただ口を動かすか、直に黒板に触れて操作するか。
今のところ、その二つしか黒斗は確認できていなかった。
(黒板サイズのネクトって……。まあ、事前に知ってはいたけどさ)
やはり、実物を見ることで伝わってくる衝撃は、テキストとは段違いである。
文字は音声入力式。さらにAIシステムに相当するものまで内蔵されており、おかげで授業効率は格段に上がったという。
生徒たちも紙媒体で記録はせず、ネクトから光学キーボードを展開させて文字を打ち込んでいる者や、ネクト専用のタッチペンを用いて画面に直接書き込んでいる者もおり、ずっとシャーペンを走らせていた黒斗にとって、この光景は軽いカルチャーショックを覚える。
(――って、オレはスパイなんだ。感心してる場合じゃないだろ)
気を引き締める。
ちょうどその時、時計の針が動いた。
授業終了を告げる鐘が鳴る――
ネクトの画面が、次々と消灯していく。
まるで緊張が緩んだ絃のように。
みんな、授業が終わると、あんなにも笑うのか。
(オレも高校生なんだけどな)
時々、感じることがある。
同世代との、得も言われぬような境界線を。
目視することが決して叶わぬ線を、それでも自覚者はハッキリと認識することが出来る。
自分はきっと、あちら側の人間にはなれない。
(オレは、あんな風には笑えない)
向こうにいる人たちとは、楽しさを共有できない。
話していても、つまらないだけなんだ。
(痛みも悲しみも、全部〝笑い〟に変えられてる。学校ってさ、そういう場所だろ?)
だから耐えられない。
でもそれは、他者との価値観が違うだけ。善悪論じゃない。分かってる。
石杖黒斗という個体は、そういう星の元に生まれてきた生命体なのだ。
そうでもして割り切ってかないと、やってられないのさ。
(自分が
アレン・オービスとして、仮面を被り直す。
〝大丈夫。オレも笑える〟
呪文のように繰り返される言葉は、魔術ではない。
性格を偽っているだけ。本音を殺しているだけ。
これはただの、日常に組み込まれたルーチンワーク。
誰もが、大衆の中で生きていくために自然と身に着け、ごく当たり前のようにこなしている処世術。
〝これを異常というのなら、偽り人の居場所とは、一体どこにあるというのだ〟
消し続けた本音は?
〝どこに行ってしまったんだろう〟
いつの間にか、自分という存在の触り心地を忘れている。
そうやって人は、〝今の本音〟を〝オリジナル〟として生きていくんだ。
上書きされた成れの果てが、大人だと分かっていても。
多くはそれを受け入れて、咀嚼して、飲み込んでいく――
嫌だ 仕方がない 諦め 〝そうでもしないと〟 疲れた
頑張ったところで 人間関係 それが社会 面倒
生きるため 〝自分がどこにいるのか〟 恐怖 消えてほしい
キライ 意味ない 虚偽 欺瞞 怨恨 どうせ無駄
金 権力 憎悪 〝分からなくなってしまうから〟 死にたい
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