6話 - Ⅱ
黒斗の意識が戻ってから、一週間後。
ユスティティア国内。王都郊外某所。
ここ『ペーネル・レヴォ〈第六区画〉』では、対魔殲兵器こと【ゼロ・ヴァレンタイン】の解析及び、実戦に向けた最終調整が行われていた。
元々レヴォには各専門分野ごとに分けられた一~五までの部署が存在していたのだが、それらは全て、生活やインフラに関する開発機関でしかなく、『魔力兵器専門』の部署が無いという問題を抱えていた。
言ってしまえば第六区画とは『対ゴースト』のために作られた研究機関なのだが、『レヴォの創設理念に反する』と解釈されてもおかしくないため、〝公式には存在しない区画〟という扱いになっている。
「それではイシヅエさーん。フェーズ3に移行しますよ~」
『血中と魔脈に流れてるゼロの両方をコントロールすればいいんですよね』
「その通りです!よろしくお願いしまーす!」
壁も床も真っ白に仕上げられた、埃一つない部屋。一部がガラス張りとなっており、石杖黒斗はその中央で、静かに瞑想を始めた。
自分の身体に流れる赤い球が、沸騰して流れが加速していくイメージ。
沸き立った熱を押しとどめている蓋があるとすれば、それは彼の瞼。
(――ここだ!)
研ぎ澄まされた感覚を全て解放するかの如く、彼は両目を開いた。
漆黒のオーラに彗星のように流動する赤い線。それが、石杖黒斗の魔力の在り方。
しかし、今の彼が放つオーラには、その漆黒を包み込むような形で、赤い膜が薄っすらと滲み出ている。
さらにその周囲を徘徊するように漂っている、無数の赤い粒子たち。さながら、朱色の蛍と言っても差し支えないだろう。
黒斗のいる部屋には、観測用の魔機が四台、それぞれ部屋の四隅に設置されており、さらに球体型の魔機が二台、地球が描く公転のような軌道で、彼の周囲をグルグルと回っていた。
時折、球体型が赤い粒子に近づいているのだが、それはゼロのサンプルを保管するためである。
ガラスの向こうには研究員の姿が五名。
一人は中年ぐらいの男性だ。腕組しながら無精髭を撫でている。
残りの四人は一列に座り、一丁前にインカムを装着している。
座席にはバーチャールキーボードとでも形容すべきパネルと、意味難解な数値とグラフが流動する光学画面が展開されていた。
画面に表示される内容は、そのどれもが異なっており、サーモグラフィーのような画面もあれば、心電図のようなグラフもある。
研究員たちは、黒斗の叩きだす数値を目の当たりにし、文字通り息を呑んだ。
「それにしても、なんというかまあ……。予想以上の数値だねえ、こりゃあ」
中年オジサンのイメージを損なわない渋い声で、第六区画主任【ジフ・エルボロウ】は言った。
「ゼロ・ヴァレンタインとやらは、そんなに高性能ですか」
自動ドアの開閉音の直後、聞きなれた初老の声が、観測室に響いた。
誰が来訪しに来たのか、確認するまでもないといった様子で、ジフは後ろへと振り返る。
「あ、どうもエルゲドさん。いやー、本当に嫌になりしたよ。才能の差を見せつけられたっていうか、なんていうか。これを作った野郎の顔を見てみたいですよ」
「ほう。にしては、ずいぶん楽しそうに見えるがな」
「あはは。バレちゃいました?」
再び、ドアの音が。
その人物が入って来るや否や、なぜかジフは、少し不機嫌そうな態度を取った。
「おっと、リーリンちゃんも来たのか。この前は世話になったよ」
「返す言葉もありません。この度は、本当に申し訳ありませんでした」
「まったく。君が【魔紋認証】のことすっかりド忘れしてたせいで、【賢者の石】が一週間も外部からの干渉を受け付けなくなったんだからね。はあ、やれやれだよ」
「……面目しようがございません」
実は、人間には誰しも微弱とはいえ魔力が流れているのだが、それを自由に扱えない人間では記憶石を用いる『魔測』は利用できないという難点があった。
『魔紋認証』は魔測と同じ本人を特定する手段ではあるものの、そのアプローチが大きく異なっている。
本人の魔力を別の場所に保管し、その魔力と一致するかどうかで判断するのが魔測なら、血液、DNA、そして魔力などの、複数の生体情報を用いた総合比較で判断する方法が魔紋認証だった。
しかし、技術誕生の根っこを辿れば、そこには魔操者に対する科学者たちのアンチテーゼや憎悪に近い嫉妬のような感情も入り混じっており、科学者たちの進歩につきまとう怨念の陰を、どうしても感じてしまう。
ちなみに【賢者の石】とは、リーリンがシルバに渡された首飾りの宝石に付けられた愛称で、賢者の石=記憶石だと誤解したリーリンは、保管されていたクロトの魔力を流せばいいのだと思ったらしく、物の見事にセキュリティに引っかかり、今回の事態を引き招いた。ということだった。
もっと言ってしまうと、賢者の石は記憶石をベースに科学技術を組み合わせた『ハイブリットストーン』とも言うべき代物で、魔測と魔紋認証を組み合わせた特殊な解除方法が必要だったのだ。
リーリンは自責の念に駆られ、ずっと下を向いている。
失態に絡みつく重い沈黙が続き、いよいよ……かと思いきや、
「ぷぷぷぷぷー。やっぱりリーリンちゃんをからかうのは楽しいな~。あ、それ嘘だから。ウソ、うっそー。大うそー。本当のこと言うと、自動防壁は三日後に解除されちゃって、可能な限り調べ尽くしちゃいましたー!ぷっぷっぷー」
ケケケケケ。笑うジフの姿は、まるで人間を弄ぶいたずら好きの悪魔のよう。
一連のやり取りを背中で聞き取っていた他の研究員たちは、内心『またか』と呆れ気味にうなだれた。
一方、肩透かしを食らった上に、自身の誠実さを挫く屈辱を味わったリーリンの沸点は、限界値を大幅に超えていた。
彼女は額に怒りマークを浮かべ、目を三角にしたのち、静かに
目尻に涙を溜め、両手で腹を抑えるジフの頭皮に、恐ろしいほどの熱を纏ったリーリンの手が、そっと添えられる。
ジフは首筋に悪寒が走ったことを理解し、腹を抱えて折れていた上体を起こそうとするが、なぜかそれができない。上目遣いで、彼はおそるおそるリーリンの表情を伺った。
凍てつくような女王の眼差し。鈍く輝く明確な殺意。
ほぼ反射的に、ジフは冷や汗をかいた。彼はすでに人質を取られていたのだ。
「ジフ主任。残り数少ない
女王の紡ぐ言葉は、今の彼女の見た目とは想像つかないほどに柔らかい。しかし、だからこそ、そのギャップが余計にジフを怖がらせるのだが――まあ、これも毎度のことだった。
「わ、分かった!俺が悪かったって!ごめん、ごめんなさい!この通―り!」
お代官様に頭を下げる悪党のような素直さで、ジフは素早く土下座の姿勢に入った。
懇願するような彼の眼差しに、とうとう怒りを削がれ、リーリンは矛を収めた。
「ほっほっほ。ジフ殿。馬鹿正直すぎる彼女で遊ぶのも、ほどほどにしてもらいたいものですなあ」
と言いつつ、エルゲドは愉快そうに面白がっている。
これがリピート希望の暗喩だということを、この場においてリーリンだけが知らなかった。
「しゅにーん。いい加減にして下さい。イシヅエさんが無効化実験始めますよー」
「ご、ごほん。ローレンちゃん。私は何も遊んでいたわけでは――」
「あの毛生え薬を販売している企業、どうもブラックだそうですね。全く関係ない成分が含まれてたとかって、最近騒いでますよ。主任も気の毒に」
「えっ、ええええ!?――そうか、どうりで全く生えてこな……ローレンちゃん!?何で知ってるの!?」
研究員たちが一斉に半身を捻って、ジフに憐みの視線をプレゼントする。
ジフは愕然とし、ひた隠しにしてきたつもりの秘密が、周知の事実だという真実に打ちひしがれる。
「はーい。それじゃイシヅエさーん。実験開始しまーす」
部屋のスピーカーを通して、黒斗の返事が届く。
『了解。あとで何の話をしていたのか教えてください。面白そうなんで』
「心得ました~」
「ローレンちゃん!?余計なことは言わない方が吉だよ!?」
「開始5秒前、4、3、2、1――」
カウントの呼吸に合わせて、黒斗も準備を整える。
実験開始のブザーが鳴る。
純白の壁が真っ二つに割れて、その間から二体の人型ロボットが現れた。
棒人間のディティールを少し凝った程度のシルエット。
赤と青の二体の機械は、現れるや否や、いきなりその両掌を黒斗に向ける。
刹那、瞬間的に膨れ上がった魔力が、その一点に集約された。瞬く暇すらなく、弾き出される魔力光弾。
厳密には赤色が放ったのは炎系の魔術攻撃で、青色は水系の攻撃である。
黒斗はそこから逃げるわけでもなく、非常に落ち着いた動きで、正面に片手を据えた。
膨れ上がった彼の魔力に同調し、ゼロが螺旋状に軌跡を描く。
彼の意思に誘導された力は、やがて防壁という一つの形を得た。
直後、二つの魔力攻撃の衝突音が轟き、爆炎によって辺りは覆い尽くされた。
「ジフ殿。この実験は一体」
「ああ。これは魔力の無効化実験ですよ」
「なんと!破魔の力が備わっていると申すか!」
「いやぁ。あれはそんな生易しいもんじゃないです。【因滅】ってご存知ですか?」
「うむ。一応な」
割り込むようにリーリンが入る。
「私にも分かるように説明してほしいのですが?」
「うっ……えっとだね」
先ほどの件もあり、ジフは少したじろぐ。
「この世に存在するありとあらゆるものには、必ずその存在を成り立たせる『因』という『力』が備わっている。これを【因力】というわけだが。因滅っていうのはね、その因の理を理解した上で、根っこから消滅させようって力のことなんだ」
「魔殲装置とは違うのですか?」
「うん。あれは魔力限定だから。こっちはまあ、大袈裟に言うと森羅万象を無に帰す装置ってところかな。でもねー」
爆炎が収まった実験室を、ジフが顎で示す。
「どうにも燃費が悪いらしい。こりゃ当面の課題だよ」
力を使い切った黒斗は、ぐったりとした表情で、床に倒れ伏せていた。
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