第6話「清濁〔入口〕」

6話 - Ⅰ

 オレは、夢を見ていた。

 もう5年近く経つのに、つい先週起きたかのような真新しさで、未だにオレの中に根付いている記憶。

 思い出は、無遠慮に、オレの痛いところを掘り返す。

 いつだってそうだ。

 ああ、痛い。痛いよ。

 ――心が、とても。



     ◇



 白いベッドに横たわっている少女。

 オレの、数少ない友達。

 チューブで繋がれているのに、そんな笑顔を咲かせられると、逆にこっちが居心地悪くなるじゃないか。


『なあ、退院したら、何がしたい?』

『んーとね。オーストラリア行きたい』

『ぶっとんでな』

『夢はでっかく!北海道は大きいどう!でもオーストラリアはもっとでっかいどう!』

『意味不明だ!ってか落ち着け!』


 ギシギシ言うベッド。

 壊れるのではないかと、いつも不安になってしまう。


『分かった、分かったから。あまりはしゃぐなよ――』


 思わずため息と笑みをこぼす。彼女はいつも、こんな感じだった。


『――まあ、そうだな。行ってみるか』

『えー?クロちゃんお金あるの~?泳いでいくとか言わないー?』

『アホか』


 その時、後方のドアの開く音がした。

 振り返ると、一人の少年が立っている。

 ハーフっぽい顔立ち。彼も、もう一人の友人。

 お互い彼女の身体を気にかけ、時間があれば、いつもこうしてお見舞いに来ていた。


『ねえねえ!聞いて!私が退院したらね、クロちゃんが全額自費で、三人でオーストラリア旅行行こうだって!ヤッター!!』

『おいこら、勝手に話し盛ってんじゃねえ!』

『え、何? オマエ連れてってくれんの?』

『違うわ!』


 直後、ナースのおばさんが部屋に入るや否や、『病院内ではお静かに』と、鬼の形相で少年たちを威圧し、鼻息を荒くしながらドカドカと退室していった。


『怒られちゃったのだ~てへへ~』

『てへへ、じゃねえ。ったく、誰のせいだ』


『クロちゃん』

『クロトだ』


 予め打ち合わせでもしていたのか。と、言いたくなるような息の合ったコンビネーションで、少年は指差された。


『え、えー……』


 自我が蘇る。

 おぼろげになっていく幻想空間。

 歪んでは消え、後に残るのは暗い影のみ。

 終わりかけの夢の渦中で、石杖黒斗は思い出した。

 自分にも、こうやって笑っている過去が、あったんだってことを。



    ◇



 紛い物の痛みが、右の二の腕を切り裂く。

 偽物でも刺激は本物。

 痛いのではない。胸が張り裂けそうになるのだ。

 友の幻影たちは、にこやかに微笑みながら、遠くに、遠くへ。

 離れていくその様を、彼は必死に拒んだ。


『――――ぁぁぁっ』


〝たかが、手を伸ばしたところで〟


〝得られるものなんか、何一つないのに〟


『行くなぁぁっあぁあああ!!』


 それは悲鳴だったのか、叫びだったのか、はたまた願いだったのか。

 いずれにせよ、その想いが報われることなど、有り得るはずもなかった。



     ◇



 ユスティティア城の、勇者のために設けられた一室。

 ベッドの上で、石杖黒斗は眠っていた。


「ずっと、眠ったままですね。彼」

「怪我の方もほとんど完治しておるというのに。不思議じゃのう」

「何を呑気なことを! 王都に戻って来てから、もう三日目ですよ!?」

「うーむ。レヴォの連中が立てた仮説。にわかには信じ難いが、ありゃ本当かもしれんな」

「老師はあの話、真に受けたというのですか?――」


「――魔機が、所有者の〝心〟を〝学習〟しようとしているなんて……私には信じられません」


「ふむ、リーリンよ。主は魔導士としては一流じゃが、いささか柔軟さに欠ける節がある。人の欲はとどまることを知らん。もはや機械は、人の持つ〝曖昧さ〟にも手を伸ばせる域に達しておる。そういう時代に突入したのじゃ」


「分かってはいます。ですが、気持ちの問題は拭えません」

「拒む気持ちは分からんでもない。生理的不快感はワシとてある。じゃがな、人の気持ちを汲み取るほど、世界の進歩に情などない」


「年中無休で感情の冬なんて、私はゴメンです」

「ほっほっほ。まあ、寒い方が過ごしやすい人間が多いということじゃ」

「っ。世渡りのために情を捨てるなんて、私には、できませんよ」

「お主は、そのままでよい――」


〝純粋に生きよ。己が気持ちに従って、思うがまま、ありのまま〟


「老師」

「さて、今日も勇者殿は起きる気配がないと見た。そろそろワシは腹が減ってきたかな」

「昼食にしますか?」

「うむ! 時間的にも頃合いじゃ! クロト殿の分はワシに回すのじゃぞ!」

「は、はあ」


 老人はいけしゃあしゃあと、若人は、やれやれと。

 残された黒斗は、まだ、夢の中で。



     ◇



 オレは、学校が嫌いだ。

 あの隠蔽し放題の、周囲をフェンスで囲われた密閉空間。

 治外法権という名の地方自治は、各学校ごとによって違う特色となり、無法地帯と化す。

 制服はどう考えても、囚人服の間違いだろう。

 みんな同じ方向を向かされ、同じ脳に改造される。


 つくづく、嫌気が差した。

 何のための量産工場なんだ?

 社会の秩序を保つため?

 イレギュラーを殺すため?


 多くはきっと、社会的セーフティーラインを上げるためだと言い張るのだろう。

 今後、そんなものが役に立つ時代だと思っているから、日本は狂うというのに。

 全否定はしないが、ここはもう生産国じゃない。

 終身雇用に媚びを売る学校教育なんて即座に撤廃するべきだ。と叫び散らかしてやりたい。


 それでも一般教養という作業は継続され、オレにはそれが、どうしようもなく耐えられなかった。

 けれど、オレは学校という異世界に居残り続けた。理由があったんだ。


(オレは、そうだ。あんなクソみたいな場所にいたのは、人間を研究したかったから――)


 心理を操作し、破壊する術が、どうしようもなく欲しかった。


『謝れよ!このカス!』

『あまり派手にやるなよぉ~。傷跡残すと、証拠になるからさぁ』

『ホント惨めな野郎だよなあ。担任にも見放されてよ。あーかわいそー』


 連中には聴覚がなかった。無論、期間限定の聴覚障害だ。

 いじめの最中だけ特定の人間の声が聞こえなくなる病――馬鹿げすぎて笑みしか出ない。そんな病気、どんな名医だって治せるわけないだろう。


 一目で、クズだと認識できた。

 だが早計な判断は危うい。だからオレは、そのあとも観察を続けたんだ。そして学校外におけるプライベートまで徹底的に調べ尽くした結果、ついに連中の評価はどん底に落ちた。


 数日後、彼らの両耳が切断されたという傷害事件が起きた。犯人は分からずじまい。

 震える校内の様子が、オレにはどうしようもなく滑稽に思えた。


〝お前らだって、似たようなことしてんだろうが〟


 どうしてそんな簡単なことにさえ、ああいった人種は気付けない?

 自分がされたら苦しくなるって、想像できないのか?

 だから親切心で、オレは痛みを教えてやったというのに……。

 連中は優しさを学習しようとはせず、より業を煮やすのみ。

 だから次は、二度と他人を殴れないようにするために、腕をぶった斬ってあげた。


 彼らが思いやりに満ち溢れる人間に変われば良いと、オレは本気で思っている。望んでいる。願っている。

 だけど、最悪更生されなくとも、それはそれで構わない。

 どうせ連中の両腕は、スパン――――落ちて消えた。


 犯行手口は想像に任せる。悪の教科書にはなりたくない。

 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、学校はとても隠蔽が好きだということだ。

 事件以降、彼らが学校に登校することは、二度となかった。

 風の便りによれば、自殺を選んだとか、そうでないとか……まあ、因果応報だろう。


 唯一心残りがあるとすれば、事件とは全く関係のない、いじめの被害者生徒が、周囲から犯人だと勘違いされたことぐらい。

 妄想だけで真実と断言できる周囲の想像力は、嘲笑に値するほど素晴らしかった。

 やがてその子は不登校になり、さらに数か月後、別の学校に転校してしまった。


 結局、オレが成しえたことは、〝無〟と〝破壊〟のみ。

 求めた人の温もりなんて、そこには見る影もなかった。



 次の無力化では、絶対にそんなミスはしない。

 それが、『三回目の無力化』で、オレが学んだことだった。



 霞んで見えるのは、『初めて』と『その次』の記憶。

 オレは、どうしても思い出したくなかった。



     ◇



『登録者の記憶情報……人格形成の最深部にアクセスします――』

『……アクセス要求……受付されません……感情ルートを再検証したのち、再度アクセスを試みます――』

『……アクセス要求……拒否されました……登録者との同調率51%フラット――』

『ゼロ・ヴァレンタイン……初期設定完了……以降、誤差修正は実戦運用のデータ数値を基準とする――』

『登録者【石杖黒斗】の活動を再開させます』



     ◇



 赤い何かが、自分のどこかを、酷く、傷つけていった気がした。

 それが痛かったのか。いや、痛みは特になかった。

 疼いたのが心だってことぐらい、感覚的に理解できる。


 ついさっきまで見ていたものが、一体なんだったのか。

 今となっては、正直よく思い出せない。夢……ということにしておく。


「ここは、オレの部屋か」


 特に驚きはなかった。まあ、想定内ってやつだ。

 具体的な時間は分からない。が、オレは相当眠っていたらしい。

 肉体が訴える重さと気怠さが、歴代最強と来たもんだ。

 おなかも空いているし、どうしたものか。


 いや、悩んでいても仕方がないので、とりあえずシャワーを浴びることにしよう。

 空腹は辛いけど、皮膚の上で干からびた汗を放置する趣味はない。

 ベッドから離れ、オレは脱衣所へと向かった。

 何となしに洗面台の鏡に目を移し、そして、しばし呆然となった。


「なんで、泣いてるんだ?」


 ようやく気付いた涙は、だけど流す理由が不明で、悲しみなんかこれっぽっちもなく、困惑するのがやっとだった。

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