5話 - Ⅶ
勇者から発せられる凄まじいエネルギーの波動。
アギリミノフは無意識の内に、彼を睨んでいた。
心なしか、そこには嫉妬心が含まれているようにも見受けられる。
(量とか大きさ云々の問題じゃないぞ。あの魔力は質そのものが違う。『アイツ』は一体何を開発したんだ!)
対象の情報収集を終えた機械眼が、科学者に驚愕の事実を告げる。
その分析結果はなんと――『解析不能』。
魔力量等の数値は表示可能でも、その他の詳細データが一切不明なのだ。
(いや、単純に奴自身の身体ステータスも大幅に向上しているぞ!? どうなってやがる!?)
「考え事は終わったか?」
感情の無い淡泊な声で、勇者が尋ねる。
だが、アギリミノフは答えられない。
自身の中に生じた疑問が、一切拭えないのだ。
「まあ、待ってやる道理もないか」
背筋が、凍りつく。
勇者と目が合った時、アギリミノフは素直に恐怖を覚えた――
〝お前、本当に勇者かよ〟
――そう思いたくなるような、情の欠片も存在しない冷たい眼をしていた。
(勇者ってのは普通、敵にも味方にも甘くて優しすぎて、それこそ情に流されるような奴ばっかで。――それが『お約束』だろうがっ!!)
あのアギリミノフでさえ、そんな全うな意見を言うのだ。
星が選定した今回の勇者は、どう考えても突然変異種だろう。
「行くぞ。今からお前を無力化する」
ちょうどその時、電脳の戦況解析が自動で開始された。が、恐れの感情は機械の判断を超える。
アギリミノフは一も二もなく、背を向けて逃げ出した。
自身の狂気を遥かに凌ぐ〝同族の闇〟は、もうすぐそこまで迫っていた。
◇
体中を駆け巡るゼロ・ヴァレンタインが、『ゼロの扱い方』を感覚的に黒斗に教える。
彼の脳内に浮かぶ抽象的な理解。
なるほど。ゼロにはそういう機能があるのか、と、黒斗は一人で納得する。
(良かった。これならリーリンさんも救えそうだ。となると、残る問題は奴だな)
確実な消し方を黒斗は所望する。もちろん、命は奪わない。
彼は今までの経験を基に、最も効率の良い手法を考え、イメージトレーニングで肉体に刷り込ませた。
(……よし。そろそろ始めるか)
黒斗はアギリミノフの視線を捕まえ、目力で縛り付ける。
「考え事は終わったか?」
科学者は答えない。どうやら、悩み事があるらしい。
「まあ、待ってやる道理もないか」
黒斗の胸中に潜む〝無力化〟という名の破壊衝動は、ある意味、人の持つ〝殺人欲求〟よりも恐ろしい怪物なのかもしれない。
「行くぞ。今からお前を無力化する」
黒斗は、トンッ、と爪先で跳んで、ワンステップで姿を消した。
敵に背中を見せて逃げに転じるアギリミノフの動きが、やたらとスローに映る。
黒斗はナイフを引き抜き、刀身に魔力を注ぐと、それを一気に義手に突き立てた。
「ぐはぁっ!?」
人は背後からの攻撃に弱い。
アギリミノフは面白いぐらいに転んだ。
黒斗はそのままアギリミノフの背中に跨り、彼を制圧する。
さらに、黒斗は突き刺さしたナイフを杭に見立てて柄に拳をぶち込み、アギリミノフを串刺しにした。
科学者の瞳から、みるみるうちに戦意が喪失していくのが分かる。
あるのは、痛みに対する恐怖のみ。
「や、やめてくれ。僕は、雇われただけなんだ。君の抹殺と、君の受け取った物の破壊、もしくは略奪。それが僕の任務だったんだ。た、頼む。僕はもう手出ししないから。頼む!助けてくれぇっ!!!」
科学者の渾身の命乞いに反して、黒斗のリアクションは簡素なものだった。
小首を傾げながら、黒斗は答える。
「???――いやいや。命は取らないって。人を殺すのはいけないことだろ?」
「へ?」
「だから、オレは『こういう手法』をとるのさ」
「っ! ぐわああああっ!!!」
「なんだ、ちゃんと痛覚残ってるじゃねえか」
黒斗は魔力で強化した腕力を使って、アギリミノフの右腕を引き千切った。
飛び散る鮮血は、むしろ黒斗にとっては心地良い。
作業が順調な証だから。
「えーっと。他の生身の部分は、あとは足か」
「ぃいや、やめてくれえええええ!!お願いだ!!本当に!!!頼む!!!――っうぁあぁあああががああ!!!!!!」
「お前ほとんど機械なんだろ? それにあとで治療もしてやるから、そんな大声出すなよ?」
呆れるように、黒斗は笑った。
切除した生足が放られ、ぺちゃり、と音を立てる。
その際、アギリミノフの顔に返り血が飛び、彼はようやく思い知った。
『コイツ、僕なんかより、よっぽど狂ってる』――と。
「少年!お前は、あの娘を助けるために戻って来たのではないのか!」
唐突に割り込むシルバの声。しかし、黒斗の心には響かない。
「もちろん。そのつもりだけど」
「ならばもうよせ!決着は着いてる!」
「いいや。まだだね。仮にコイツが嘘を付いていたら? 命乞いが芝居だったら?」
「っ、だが!」
「でも、コイツの戦闘能力を下方修正すれば、仮にコイツが逃げたとしても、未来の脅威にはならない。だろ? まあそういうわけで、オレは今、一生懸命コイツを痛めつけてるってわけよ」
黒斗は、この世界の常識を語るような口調で淡々と述べた。
シルバは何も答えられず、代わりに目を丸々とさせるのみ。
「こういう危ない人間だけを再起不能にしてあげれば、未来へのリスクヘッジになる。そう思わないか? 別に殺してるわけじゃないし、殺したいわけでもないんだぜ!?」
黒斗の瞳の中には、最早、少年のような輝きはもちろん、正常さを保つ正気さえも喪失していた。
そこには、ただただ人に、社会に、世界に対して、理不尽の禍根を断つのは不可能だと悟り、墜ちるところまで落ち、絶望しきった者のだけが持つ、昏い
シルバは、はっきり言ってこの時点で激しく後悔した。
(なぜ我が主は、こんな者にゼロを託したのだ)
魔獣の中に、別の正義感が生じる。
それは『今この場で勇者を仕留めないと、後々世界が滅ぶのではないか』という危惧だった。
しかしシルバは、勇者が放った次の一言で、攻撃の決意を踏み留めるのであった。
「――オレはただ、平和が好きなだけなのに」
血の海に伏す科学者の惨状と静寂の中、黒斗の酷く押し殺された悲しい声だけが、とてもよく響いた。
黒斗は眦に涙を浮かべ、とても辛そうな顔をしながらアギリミノフの
シルバは、今のたった一言で、この勇者がどういう心の持ち主なのかを理解できてしまった。
魔獣の中に芽生えた感情に怒りは無く、あるのはただ、報われることのない悲愴感のみ。
(そうか。この少年は、純粋すぎるのか……)
「もうよせ。両足を奪ったのだ。コイツはもう、放っておいても何も出来やしない」
「…………」
沈黙が続く中、黒斗は黙々とアギリミノフの怪我の治癒を進めていた。
科学者は痛みのショックで気絶している。
当分、その眠りから覚めることはないだろう。
黒斗が止血と応急処置を終えた時、再びシルバが話しかけた。
「娘を、救ってやれ」
「……ああ」
リーリンは、横になって倒れていた。
「アギリミノフを倒したから、そうか。ナノマシンも動きを止めたのか」
心ここにあらずと言ったような顔つきで、黒斗は独り言をこぼし、彼女の傍にしゃがんだ。
右掌を彼女の腹部に当てがう。
意識を集中させ、体内に侵入した魔力兵器を感じ取る。
ぽつぽつ、と黒斗の手から出てくるゼロの粒子。
彼の手を経由して、そのままリーリン体内へと送られていく。
(必ず助けてみせる。オレはもう、あんな想いは二度とゴメンだ)
リーリンの体表に、微弱ながら魔力が浮き上がってくる。
(この人の身体に入った魔力兵器を、ゼロの力で破壊する)
魔殲兵器に通用すると言うことは、必然、魔力兵器にも有用ということである。
リーリンの顔色が、少しだけ良くなった頃――
「ぅ、んん。……あれ、クロト、さん?」
「喋らなくていいです。今は、安静にして下さい」
「無事、だったんですね」
「え?」
「良かった……――」
それだけ言うと、リーリンは再び眠ってしまった。
「なんでだろう。なんか、オレまで、眠たくなってきた、ぞ――あれ……」
黒斗は力なく崩れ、そのままリーリンの真横に倒れ込んだ。
初めての実戦。ゼロという魔機の使用。
今日という日は、不慣れなことの連続だったのだから、無理もない。
曇天一色だった空に、一筋の陽光が差し込む。
黒斗はその暖かみに身を委ね、静かに瞼を閉じるのであった。
◇
「僕を、こんな目に合わした、イシヅエ、クロト。その名前、忘れないぞ」
芋虫のように蠢く科学者アギリミノフ。
その並外れた生命力の強さに、シルバは度肝を抜かれた。
「貴様。もう動けるのか。大した奴だ」
科学者は静かに笑う。とてつもなく不気味に。
「僕を、生かしておいたこと、必ず後悔するよ」
言い終えた直後、科学者の様子に異変が起こった。
いや、大した変化ではない。ただ、まるで魂が抜けたような目つきになっただけで――
と、その時だ。
「やあやあ。シルバ君?」
「!?」
シルバに話しかける謎の影。
瓦礫の山の頂上に立っているのは、人間ではなく『ファウグ』だった。
しかし、その肉体を動かす意識は、すでにアギリミノフ・スヴェンルフスキーに乗っ取られている。
「……別の身体を用意していたのか」
「まあね。備えあれば憂いなしってね」
迂闊だった。アギリミノフの別名は〝人形技師〟である。
自分がやられた時の保険をかけていたとしても、何ら不思議ではない。
このことを失念していたシルバは、忸怩たる思いに駆られた。
「おっと。僕はこんな状態で君たち……あー、他がお休み中だから今は君だけか。とにかく戦うつもりはないよ。それに、君だってもう戦えるだけの余力はないだろ?」
「舐めるな!」
「おっと」
シルバの叫びと同時に、潜伏していた無数のファウグが周囲一帯を取り囲んだ。
この魔獣たちが洗脳されているのは、言うまでもないだろう。
「彼らを守りながら、この子たちと戦う余力なんて――あるの?」
アギリミノフは鼻で笑い、最後にこう言った。
「安心してくれ。こんな屈辱を味合わされたんだ。今ここで彼を仕留めたりはしないよ――それじゃあ、僕は潔く逃げるから。じゃあね~」
◇
アギリミノフが消え去ってから十分ほど経過した。今のところ、襲撃の気配はない。どうやら、本当に逃げてくれたらしい。
ぐっすりと眠る二人の青年。
シルバはそれを見つめながら、どうしたものかと考える。
「やれやれ。こんなところで熟睡するとはな――」
「ご苦労さん」
シルバの背後に気配なく出没した白衣の男。
振り向きざまにシルバは驚く。
「主!? 何をしているのだ! 外に出てきて大丈夫なのか!?」
「たまにはお日様に当たらないとね」
「……本当にそれだけか?」
「いやはや、バレた? 実はね」
男は言いながらポケットに手を突っ込み、中から『首飾り』を取り出した。
ガーネットのような輝きを放つチャームは、縦長の三角錐と正三角錐の底面同士をくっつけたような形をしており、先端に開けられた穴には、上等そうな革紐が通されている。
「これを彼に渡しそびれてね」
「なんだそれは?」
「ゼロに関する詳細なデータが入っている、次世代型記憶石、ってところかな?」
その時、リーリンが唐突に寝返りを打った。
シルバと男は反射的に、ビクッ、と身体を振動させる。
寝言をムニャムニャと言っていたが、起きる気配は見られなかった。
男は、ほっとしたように胸を撫で下ろし、
「シルバ。一つ頼まれてくれないか」
「構わないが」
「彼女が目を覚ましたら、あとでこれを渡して欲しいんだ」
「彼女? 彼ではないのか?」
「そうさ」
「どういうことだ?」
「おそらく今は、ゼロの初期設定が始まっている頃だ。目覚めるのは明日か、明後日か……いや、こればっかりは僕にも分からないんだ」
「そういうことか。――分かった。後の事は我に任せろ」
「ありがとう」
男は首飾りを差し出し、シルバはそれを尻尾で巻き取った。
「じゃあ、頼んだよ」
「ああ」
男は踵を返し、背を向けたまま手を振った。
そしてその姿は、陽炎のように揺らぎながら、音も無く消えていくのだった。
◇
男が去ってから数分後――
「う、うーん……はっ!二度寝してしまいました!」
ガバッ、と起き上がるリーリン。
そして彼女の正面に、なぜか行儀よく座る白い狐が一匹。
「ようやく起きたか」
「え?」
「ん?」
魔獣だというのは一目で判別がついたが、リーリンは激しい動揺と同時に混乱する。
「マッサーフォリオン!?」
(な、なんでこんな所にランクAの危険魔獣が!)
「慌てるな小娘。危害を加えるつもりは無い。――そうか、お前は洗脳されていたから知らないのか」
「は、はい?」
リーリンが洗脳された後の経緯について、シルバは手短に説明した。
「――というわけだ」
「えっと、その、つまり。クロトさんは魔機と合体したということですか?」
「ああ。……それともう一つ、お前に渡すものがある」
シルバは先ほど受け取った首飾りを、リーリンに渡した。
「これは?」
「その石の中には対魔殲兵器に関する情報が入っている。無くすなよ」
語尾の迫力と目つきの鋭さが強かったせいか、リーリンは少し気圧されてしまった。
「わ、分かりました」
会話に一段落着いた時に流れる独特な沈黙が流れる。
リーリンはゆっくりとした動きで首を捻り、ある一点だけを見つめた。
「……ティルノーグさん」
痛ましい姿になってしまった仲間の亡骸。
ちなみに、腕や脚を引き千切ったのはシルバの仕業、ということで彼は話を進めた。
あんな惨たらしいことをしたのが勇者だなんて、口が裂けても言えなかった。
ティルノーグの亡骸は王都に連れて帰り、あとで遺族に報告することになるだろうと、リーリンは言った。
しばらくすると、黒斗たちがお世話になっていたグリフォンたちが、遠くの方から飛んでくるのが分かった。
意識が戻ってすぐに、リーリンが呼び戻していたのだ。
シルバに別れの挨拶を言おうと思い、彼女が身体を向け直すと……
「あれ? いないくなってる?」
ついさっきまでは傍にいたはずなのに。
あの美しい銀世界の毛並みは、どこを探しても、どこにもいなかった。
生真面目なリーリンは、礼を述べることが出来なかった自分に対して、ややモヤモヤした気持ちでいたが、身体の傷がやはりまだ疼くので、さすがに諦めた。
ほどなくして、彼女たちの頭上にグリフォンが到着した。
「長い一日でしたね」
リーリンは膝元に目線を落とした。
慣れないことだと思いつつ、彼女は黒斗の頭を膝の上に乗せていたのだ。
「ありがとう。貴方のおかげで、私は助かりました」
穏やかな寝顔は崩れることなく。黒斗はすやすやと寝息を立てるだけ。
リーリンは、その無防備すぎる顔に思わず笑ってしまった。
「まるで子供みたい」
グリフォンの羽ばたきで揺れる前髪を耳にかけながら、リーリンは黒斗の頭をそっと撫でた。
◇
飛び去っていく二頭のグリフォン。
それを遠くで見送った後、シルバは思った。
あの少年の持つ行き過ぎた優しさ。
それはつまり残虐性だ。
一端でも、全容でもいい。
それを目の当たりにした時、それでも、彼を支えてくれる人はいるのだろうか。
あの赤髪の女魔導士は、それでも彼に、優しく接するのだろうか。
先のことなど、分かるはずもない。
やるせない思いを振り払うかのように首を振り、白き魔獣は、廃墟の夕闇の中に去っていった。
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