5話 - Ⅵ

 気が付いた時にはもう、黒斗はここで立ち尽くしていた。

 果てしなく続く蒼い空。音の無い世界。

 澄み切った湖の大地は、鏡張りの絶景を演出している。


「あれは」


 黒斗の視線の向かう先にあったのは、まるで間近で捉える太陽のような球体だった。

 渦を描きながら周囲を回転し続けている炎の渦は、太陽フレアにそっくりだ。

 しかし、見た目は太陽と何ら遜色ないのだが、熱が全く感じられない。

 ただ、魔力とは違った、どこか茫漠とした力の波を、黒斗は本能的に感じ取っていた。


「っ?」


 突如、太陽もどきに異変が起きた。

 何やら膨らんだり凋んだり、それを幾度か繰り返す。

 亀裂が入った。例えるならそれは、卵の殻を割る雛鳥のよう。


 やがて、太陽が二つに裂かれると、中から翼のようなものが突き出てきた。

 翼が球を優しく包み込む。

 すると、内部から膨張するように膨れ始め、ようやくそれは産声を上げた。


 勢いよく開かれる両翼。

 そこから飛び散る赤い粒子が、鱗粉のように、ひらひらと宙を舞う。

 無数に伸びる尾羽は、千手観音を彷彿とさせた。

 圧倒的な神々しさと威厳を放つその姿は、まるで『紅の鳳凰』。

 そう呼ぶに相応しい迫力を、目の前にいる存在は放ちすぎていた。


「まさか、あれが勇者の封印した力なのか……」


 緊急事態だと言うのに、黒斗は鳳凰に見惚れてしまう。


「残念。これは僕の作った『魔機』だ」

 

 刹那、黒斗の背後から響く謎の声。

 振り返りざまに彼は怒鳴る。


「誰だっ!!」

「おっと、悪い悪い。そう構えないでくれ」


 音も気配もなく背後に忍び寄っていたのは、30代後半くらいの男性だった。

 白衣を着用しており、如何にも学者タイプといった印象を受ける。

 ヘアスタイルはボサボサで、無精髭が地味に目立つ。

 目線は黒斗と大して変わらない。身長は170くらいだろう。


「綺麗だろ? 僕が開発した『対魔殲兵器用素粒子魔源機器』――名付けて【ゼロ・ヴァレンタイン】だ」


 黒斗は一瞬、自分の耳を疑った。

 魔殲兵器とは、つまり『魔王』を意味する単語だ。

 男は黒斗の驚く顔が面白かったのだろうか、少し笑みを浮かべている。

 柔らかい口調で男が言う。


「君は、これを手に入れるために、わざわざルーゲンまで来たんだろ?――――石杖黒斗君」


 黒斗の瞳が、一瞬で驚愕に染まった。 


「っ!?――どうしてオレの名前を!? アンタ、一体何者なんだ?」

「僕かい? 僕は見ての通り、ただの冴えない科学者さ」


 やるせない大人の顔をしながら、男は言い切った。

 そして黒斗は、その男の声に『既視感』ならぬ『既聴感』を覚えた。


「ひょっとして、さっき時計塔で聞こえた声って……」


 男は何も答えず、代わりに微笑みを見せた。


「このゼロ・ヴァレンタインには、がある。『ゴースト』の陰謀を砕くことも、ゼロの力を以てすれば、きっと可能だろう――」


「けれど、魔王なんて化物を生み出したゴーストにも、彼らなりの主義主張や正義がある。これは善悪論じゃない。そもそも争いというのは『善と悪の戦い』ではなく、『正義』対『別の正義』の対立で生まれるものだからだ。そして君は、その混沌とした価値観の狭間で、それでも、勇者として戦わなければならない――」


 男は真剣な眼差しで、黒斗の双眸を捉えた。


「この世界の抱え込んでいる闇は、あまりにも大きすぎる。……黒斗君。このゼロを受け取れば、君は嫌でも〝それぞれの真実〟を目の当たりにするはずだ。そして君は必ず決断を強いられる。その時、『君の正義』が何を望むのかは分からない。だけど、求めた正義結果の代償として生じる人々の怨嗟の声は、間違いなく君を苦しめるだろう。それでも――」


「それでも?」


 ほぼ無意識の内に、黒斗は問い返していた。


「それでも君は、この世界の重みを背負う覚悟はあるかい?」


 一瞬、空気が止まり、張り詰めた糸のような緊張感が二人の間で交わされた。

 黒斗は、男の言葉を真剣に受けとめ、そして迷うことなく応じた。


「正直、この世界のことなんてオレはよく知らないし、大した思い入れもない」


 無力化で求める平和という名の理想。そのために払ってきた生贄。

 呪い。恨み。そして業。

 それら様々なものを、石杖黒斗は腐るほど浴びているのだ。

 彼の掲げる正義。その信念が、今更、揺らぐことなどあり得ない。


「オレはただ、理不尽な人間たちの横暴が、心の底から許せないだけだ」


 石杖黒斗は自身の覚悟を堂々と伝えた。

 純粋すぎる刀は鞘を持たず、よく斬れる。色々な意味で。

 そういうことを理解させてくれる炯眼けいがんを、彼は有していた。


 男は少しだけ悲しそうな目を見せたが、やがて頷き、最後はささやかな笑みを勇者に送った。


「そうか。なら、君にこれを託す」


 男はそう言うと、黒斗から数歩距離を置き、右手を前方に突き出す構えを取った。



〝Aut viam inveniam aut faciam〟


――私は道を見つけるか、さもなければ道を作るであろう。



 男がそう唱えた直後、黒斗の足元に珊瑚色の新円が現れた。

 円の中に現れる正三角形と逆三角形が重なり、全ての頂点の周囲に小さい円が浮かび上がる。

 さらに、円の縁をなぞるように、この世界の文字がドミノ倒しのように刻まれていった。

 中心に光が宿る。すると、そこから二つの光源体が放出され、月と太陽に酷似している球体が、円の周囲を規則正しく公転し始めた。


 佇んでいただけのゼロ・ヴァレンタインは、まるで高原を優雅に飛ぶ鳶のような、いやしかし、民族楽器のケーナのように趣きがある、甲高くも透き通った鳴き声を発した。

 その大きな両翼をはためかせ、ふわり、と垂直に浮上したゼロが、黒斗の頭上へ舞い降りた。



〝Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis〟


――求めよ、そうすればあなた方は求めたものを受け取るであろう。

  叩け、そうすれば叩いた扉があなた方のために開かれるであろう。



 鳳凰の形を成していたゼロが、徐々に分解されていく。

 空中に散らばる数多の素粒子は、この宇宙の銀河にさえ思えた。



〝Error vero non fiat ex semine multiplicato neque verum est, quod nemo videat errorem. Veritas habet, etiam si privati favorem. Est se sustinuit〟


――広く知られていることだからと言って間違いは真実にはならないし、

  誰もそうだと思わないからといって、真実が間違いにもならない。

  たとえ大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。

  真実は自立しているからである。



 二重螺旋を描きながら降り注ぐゼロ。

 黒斗は、自分が炭酸水の中に入っているような錯覚を覚えた。

 赤い粒子は続々と彼の身体に吸収されていき、彼自身も、体内で起きつつある変化を実感として捉え始めていた。


(なんだ、これ?……まるで、


 魔脈と血脈に流れる違和感。異なる存在が溶け合っていくような感覚。

 しかし、不快ではない。むしろこれは――


(力が、どんどん漲ってくる、のか……!?)


 自分のこととは思えず、黒斗は疑わしい眼差しで、自身の両手を見つめた。

 そして、最後の詠唱文が語られる。



〝Suum quisque habet in pace. Et pacis non erit immunis ab ipsa re extra〟


――人は、自らの内面から、自身の平和を見いださねばならない。

  そして、真の平和は外界の状況に左右されるものであってはならないのだ。



 魔法陣とゼロに閃光が宿る。

 そして黒斗は、その果てのない光の膨張に呑まれた。

 もし、宇宙の引き起こすビックバンを間近で見られるとしたら、こんな光景なのだろうか。

 光の中心に立っていた黒斗は、空白の意識で、ふと、そう感じた。


「行ってこい。勇者、石杖黒斗」


 黒斗の正面に広がる世界が、突如、引き込まれるような加速を始めた。SFのワープシーンとそっくりだ。拡散していた星の点が、線となって結ばれる。


 勇者を包んだ光は、次の瞬間、跡形もなく星門から消えるのであった。



     ◇



 ルーゲンの西部に位置する工業地帯の跡地。

 石油コンビナートのような建物が連なる中で、立て続けに起こる爆炎。

 シルバは、かなりの苦戦を強いられていた。

 いくらランクAの強力魔獣と言えど、星に選ばれた魔操者とゴーストの科学者をまとめて相手するには、流石に無理があったのだ。


「はっはっは~。そろそろ音を上げた方がいいんじゃない~?まあ、君の毛皮は値が上がってるけどね」


 アギリミノフが調子のいい口調で挑発を行うと、冷静だったシルバの瞳に、魔獣本来の獰猛さが蘇った。


「貴様ッ!我が一族を愚弄する気か!」

「いやいや、だって、ホントのことだし。マッサーフォリオンの毛皮は高く売れるって、常識だろ?」


 シルバは足に込めた魔力で急加速と急停止を行い、敵を翻弄する。

 そして隙を見出し、相手の懐に一気に潜り込んだ。

 口の中には既に、暴発寸前の魔力を大量に蓄えている。

 シルバはアギリミノフを粉微塵にするつもりで、超近距離から魔力砲を叩き込んだ。


「――おっと。危ない危ない」


 余裕綽々といった表情で、アギリミノフはジャンプで回避した。

 空中で一回転し、そのままシルバの背後を奪う。


「その動作パターンは電脳が攻略済みだよ?」

「科学者風情が、やってくれる」

「酷い言われようだ。全く、そういうのは偏見というのだ、ヘンケンと」


 シルバはさらなる攻撃に打って出ようとしたのだが、その時――


「ぁうあああ。ぁあああ、ああああああああああ!」


 最早、人間の動きでは説明しきれない粗暴さで、リーリンが『レリアスメテオ』の術式を組み上げる。

 静電気の影響で逆立ちをする彼女の髪の毛。

 マグナ・ボルグに集められた電気が周囲を乾燥させ、バチバチバチッ、という音が鳴り響く。


「ちいっ」


 歯を食いしばり、シルバは条件反射に近い速度で戦術を思索する。


(【魔力砲オーラ・カノン】で相殺、いや駄目だ! 集束が間に合わない!)


 先ほどまで戦闘の行方を傍観していたシルバは、あの魔術の攻撃速度の恐ろしさを瞼に焼き付けている。

 あの科学者のような芸当はできないし、仮に超速で回避したとしても、戦闘に支障をきたす怪我は免れないと、彼は直感で予測できてしまった。


(くそっ、ここまでか――)


 電磁誘導機能を持った魔法陣を通過し、洗脳強化で無理くり倍加されたレリアスメテオが、問答無用で発動される。

 ――が、この場にいた誰もが、直後に起きた異変をすぐに察知した。


 突如、リーリンとシルバのちょうど中間地点に光の柱が現れた。

 どこまでも伸びる勢いかと思われたが、柱は高さ十メートルほどで止まり、そのコンマ数秒後にレールガンと化した槍が柱に突き刺さった。


「「「!?」」」


 シルバはてっきり、レリアスメテオが柱を貫き、自分の方に襲い掛かると思っていたのだが、マグナ・ボルグは柱に刺さった直後、なぜか瞬時に砕かれた。

 今はただ、槍の破片が魔力の粒となって宙を漂うのみ。

 シルバはそれを見るや否や、勝ちの目が出たと言わんばかりに、歯を剥きだしにして笑った。


「ようやく来たか」


 柱が段々と細くなり、やがて完全に消失する。

 黒炎のように揺らめく魔力と、その表面に時折生じる赤い軌跡。

 そして、オーラ全体を覆うように浮遊する、細かな粒子たち。

 そこに立っていたのは他でもない。

 対魔殲兵器をその身に宿した、石杖黒斗だった。


「ずいぶん粋な登場をしてくれるじゃないか。勇者クン」

「ああ。お前を〝無力化〟するために、わざわざ地底から這い戻って来てやったぜ」


 黒斗は自然体のまま、最大魔力解放を行った。

 しかし、今の彼・・・が出せる限界放出量は、先ほどまでとは比べ物にならない。

 魔力の噴出される勢いが勝り、地面が僅かに凹む。


「覚悟するんだな、アギリミノフ。最終ファイナルラウンドの開始だ」

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