5話 - Ⅴ
いきなり天から降って現れた魔獣。
白狐のように美しい純白の毛。狼のように猛々しい表情。
薄花色の魔力と、渦を描く雪片。そして、内側から迸る絶大な魔力。
アギリミノフの機械眼が、その芸術とも言える容姿を視覚情報として認識するや否や、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「ようやくお出ましか、【マッサーフォリオン】。君が出てこなかったら、どうしようかと思ってたよ――」
アギリミノフは目を細くして、声のトーンを少し下げてから、こう続けた。
「君がいるってことは、もちろん『アイツ』もいるんだろう?」
「悪いが、我は貴様の質問に答える義理も無ければ義務も無い」
「ハハハッ!言うねえ!」
この世界に生息する魔獣の中には、危険魔獣と呼ばれる種族・ないし個体がいくつか存在する。
その危険度にはE~Aまでの階級が設けられており、特例で超危険と見なされた場合のみ『S』が付けられることになっていた。
ただ、『ランクS』は個体の突然変異や外的要因等が大きく絡むため、〝個体危険度〟を表す最上単位と言っていいだろう。
そして、このマッサーフォリオンという白狐のような魔獣は、〝種族危険度〟の最上位を冠する『ランクA』の魔獣だった。
この世界の住人ではない石杖黒斗には、自身の目と鼻の先にいるのが、そんな超危険魔獣だなんて知る由もなく、ただただ困惑顔をしていた。
(九死に一生……ってか。それにしても、なんなんだコイツ? いきなり現れて。新手か? いや、でも、オレのことを助けたようにも――)
黒斗があれこれ考えていると、唐突に魔獣が振り返った。
その瞳に宿る重厚すぎる威圧感が、彼に警戒心を与える。
「お前は勇者だな」
「えっ――あ、ああ。そうだ」
「案ずるな。我はお前の敵ではない」
その時、静電気が奔ったかのような、バチッ、という音が弾け、シルバと名乗る魔獣は反射的に身体を敵に向け直した。
「あっ、あっ、ああっ」
リーリンの様子が、いよいよおかしくなり始めていた。
口は半分開いたまま。焦点の合っていない目は、完全に人間らしさを失っている。
シルバは牙を剥きだしにしながら、眉間に皺を寄せた。
「あの小娘。……まずいな。体内を流れる魔力が、異常な速度で澱み始めている」
態勢はそのままで、シルバが口を開く。
「少年よ。あの娘を助けたいか?」
目を丸くし、怒気を込めた感情を黒斗は吐き出した。
「っ!当たり前だろ!? 助けられるなら、とっくに……。でも、もう体内に魔力兵器が」
「方法はある。この地に眠る【星門】の封印を解くのだ」
黒斗は思わず目を白黒させた。
「あの伝承は本当だったのか!? いや、でも、星門って星の魔力が流れる場所でしかないんだろ。彼女を救うことなんてできるのかよ」
「――すまない。どうやら詳しい説明はできそうにない。せっかちな小娘だ」
感情を剥奪されたリーリンの魔力が機械の意のままに操られ、全身からイソギンチャクのようにウネウネと伸びる。
マグナ・ボルグに流れる魔力は、荒々しい波のよう。
その先端から勢いよく生え出た朱色の魔力が、曲線を有する刀身を作り出す。
槍は、薙刀のような印象に変わった。
そして、地面に亀裂を生じさせるほどの脚力で、リーリンがシルバへと襲い掛かる。
達人の動きとは程遠い力任せの棒振り術だが、洗脳というドーピングを得たことで、別次元の――言うなれば『狂人武術』に昇華させられている。
雄叫びに近い奇声を上げながら、リーリンが槍を地面に叩きつけて大地を抉る。
シルバは跳躍することで攻撃を回避。
さらに空中で翻り、魔力を纏わせた尻尾を槍と交差させた。
「この場は我が引き受けた!お前は急いで【時計塔】に向え!星門の扉は塔の最上階にある!」
シルバは尻尾を槍から離し、なんと空中で二段ジャンプを繰り出した。
口の中に魔力を集め、青白い発光体が口で溢れんばかりに高まり出すと、次の瞬間、ビーム砲さながらの魔力光線を発射させた。
「おい!どこ狙ってんだ!?」
と、黒斗が叫ぶも、
「まずいっ!?――あの先には!!」
アギリミノフの余裕顔は急変し、なぜか狼狽の色を帯び始めた。
見当違いの方向に撃たれたと思われたシルバの攻撃。
しかし、その真の狙いは『バリア発生装置』にあった。
アギリミノフは、驚愕するのと同時に戦慄を覚える。
(建物の中に隠していたんだぞ!? 魔力漏れで場所が特定されないように改造もしたんだ! なのに、なんでバレてやがる!?)
人間には嗅ぎ分けられない匂いを、動物なら区別できるのと同じ。
マッサーフォリオンのような上位ランクの魔獣に、そんな小細工など通用しないのだ。
一直線に貫かれる光。
建物は崩壊し、エネルギー源を絶たれたバリアは、見る見るうちに消滅していった。
「少年。一つ言い忘れたが、星門を開けるには鍵が必要だ」
「はっ!? なんでそんな大事なこと!もっと早く言えよ!!」
「慌てるな。鍵は『覚悟の中』にある」
「?????――こんな時に頓智やってる場合じゃねえだろ!」
訳が分からない。ちゃんと説明しろ!――と、黒斗が目で訴えるも、
「心配は無用だ。お前が真に勇者であるならば、自ずと答えを見出せるはずだ」
捨て台詞を吐き、シルバは再びリーリンと交戦状態に入ってしまう。
(――っ!! どいつもこいつも! 勇者ってもんに過剰な期待を寄せすぎなんだよっ!)
「ちくしょう!分かったよ!お前の言葉信じてやる!!」
黒斗は簡易治癒のために体内留保させていた魔力を解き放ち、漆黒のオーラで全身を包み込んだ。
彼はインビジブル・アクセルを発動して、瞬時に姿を消すと、そのまま建物内部などの遮蔽物を利用して戦線を離脱した。
背後から伝わる戦闘音と震動。
彼は振り返ることなく時計塔を目指し、ガッレリアを駆け抜けた。
◇
この街の象徴とも言うべき時計塔は、ルーゲン国の建国に合わせて建造されたと言われており、その際、魔操者と科学者の共同作業で建てたことから、『共存のシンボル』として国民に慕われていたそうだ。
黒斗は塔の麓で一度足を止め、その頂を仰ぎ見る。
愛された面影など今はどこにもなく、うら悲しさが胸を打つ。
遠くで見た時も大きく感じたが、やはり近くで見ると、その高さは圧倒的だった。
(三十……いや、もっとだ。下手したら四十階近くあるんじゃ……)
黒斗の喉元が、本人の意思とは無関係に上下する。
陽の当たらない塔の入口。ひんやりと吹き抜ける風。
彼は一回、大きな深呼吸をした。覚悟を決めて、暗がりの中に身を投じる。
塔の中は薄暗く、仄暗い灯りに照らされた踊り場付きの回り階段が、どこまでも上に伸びていた。
こんなもの、生真面目に一段ずつ昇っていたら日が暮れてしまう。
おまけに黒斗は重傷の身だ。
簡易治癒を施したとはいえ、いつ傷が開いても不思議ではない。
黒斗は魔力捻出を行い、全体の70%近くを脚部に定着させた。
余った30%は、傷の応急処置に回す。
定着させた魔力が、膝の屈伸運動と連動して人工筋肉のように撓る。
魔術を使用したわけではない。
これはあくまで、魔力という物質の持つ『肉体強化』の性質を利用しただけだ。
補助を得た黒斗の跳躍力は凄まじく、彼は踊り場まで一気に跳んだ。
着地したら次の踊り場を目指し、さらにその次へ――ひたすら繰り返す。
血中を巡る疲労物質が全身に重くのしかかる。
しかし、だからこそ彼は、魔力をより一層強め、踏ん張りを利かせ――
「ぅぉっ!?」
足場が急に崩れ、彼は床の崩落に巻き込まれてしまう。
「ぬぁあああっ!」
気合で力を振り絞り、彼は何とか床の縁に指を引っかけ、落下を免れた。
思わず視線を落としてしまい、奈落の底とお見合いになった。
数秒後、階下から落下物の弾ける音が響いてきた。生唾を飲み込み、黒斗は頭を上に向けた。ふらふらの身体に鞭を打ち、腕の力だけで上半身を床まで押し上げると、彼は再び階段を跳び始めた。
外の光が近くなりつつあった。数分後、彼はやや開けた空間に辿り着く。
四方を囲むのは、ひび割れの目立つ巨大な時計盤。
その秒針や時針は、あらぬ方向に折れ曲がっており、さらに均等に配置されたはずの十二の数字は、抜け落ちている部分が、多々見受けられた。
中央には、時計を動かす大小様々な歯車が所狭しと配置されているのだが、かび臭さと鉄の臭いが上手に混濁して、見事な悪臭を放っている。
そして、その歯車群の手前に、最上階へと続く螺旋階段があった。
「はぁっ!――あと、少しだっ!!」
踏破は目前。しかし、最早ガス欠寸前の体力と魔力では十分に膝のクッションが機能せず、黒斗は最上階に着いた瞬間、崩れるように倒れ込んでしまった。
太い柱と、落下防止用にしては心許なさすぎる玉垣のような柵に囲われているだけで、塔の頂上は、ほとんど吹き曝し状態と言っていい。
彼は適当な手摺に掴まり、柵に寄りかかるような形で立ち上がった。
「星門は、どこだ……っ?」
と言っても、錆び付いた鐘が物々しく黒斗の頭上に固定されているだけで、特に目を引くような物は何も見当たらない。
本当にここでいいのだろうか。少々疑念が湧く。
(確か、星門の鍵は〝覚悟の中にある〟って言ってたよな)
覚悟。そもそも、そんな抽象的な概念を〝鍵〟と言われても……
(なんの覚悟だよっ!主語が抜けてんだよ!主語が!)
こんな非常時に、一体
苛立つ感情。自然と冷静さが削がれていく。
(――落ち着けっ!……時間を無駄に流すな。頭を回転させるんだ。考えろ、考えろっ!考えろっ!!)
『こっちだ』
(!?)
ほんの一瞬、絹糸のような直感が、黒斗の感性を横切った。
「ぐっ!」
直後、突風が流れ込み、黒斗の前髪が後方に仰け反る。
ほとぼりが冷めるまで待ち、彼は街を一望する。
廃墟に漂う虚無の空気が、心の活力を奪い取るような、そんな錯覚を覚えた。
下の景色を覗く。即座に足が竦んだ。重力に引き込まれてしまいそうだ。
ふと、彼は何かに気付いたようで、しばらく静止したまま、ずっと下に焦点を合わせていた。
脳裏に浮かんだ一つの仮説。無意識の内に彼は呟いていた。
「まさか、『自決する覚悟』が『星門の鍵』なのか」
思えば、この星門を封印したという元勇者も、最終的には自ら死を選んだそうじゃないか。
黒斗は疲れた笑みを浮かべながら、
「冗談だろ。この高さから飛び降りたら、間違いなく即死だぜ」
黒斗が顔を引っ込めようとした、その時だ――
『信じろ』
またも直感。仰天した黒斗は唖然とし、しばし硬直する。
「今の感覚は……あの時と、全く一緒だ」
祖父の墓に導かれる際に感じた、自分の存在が揺れているかような、魂の鼓動。
黒斗は眼下を見据えた。
確証はない。だけど、不思議と確信が持てる。
得体の知れない共感が、自分を惹きつけているのだ。
〝ドクンッ!〟
死への恐怖が無いと言ったら嘘になる。
だが、黒斗に迷いはなかった。
彼は柵の手摺に両足を乗せると、トンッ、と宙に飛んで、自らの運命を直感に委ねた。
「うぉぁあああああ!」
叫び声と共に堕ち続ける黒斗。
眼を開けていられないほどの、凄まじい空気抵抗が彼の身体を抜けていき、風の影響をもろに受けるローブは『ノの字』を描く。
「!?」
突如、時計塔全体に電子回路のような光の線が浮かび上がり、人の発する魔力とは違う異質な気配が、地表から湧き出てくるのを黒斗は感じ取った。
現れたのは、鮮やかなシアンを放つ魔力の
塔に組み込まれた【法式】が『球体型の魔法陣』を発生させ、黒斗を包み込む。すると、落下していく感覚は、何故か、上昇していく体感へと変わった。
黒斗は見上げるようにオーロラを直視し、
(あれが星門だ!間違いねえ!)
「いっけえええっ!!!」
突如に弾ける閃光。
勇者は、その眩い光の壁を突き破り、異次元への扉をこじ開けた。
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