5話 - Ⅳ
アギリミノフが義手に内蔵されているタッチパネルに手を触れると、画面が切り替わり、音声入力を求める表示が出てきた。
「Device control code[017]――」
魔力を扱える肉体を使用しているとしても、アギリミノフは純粋な魔操者ではないため、魔術を発動するためのプロセス作りに慣れていないという難点があった。
例えるならそれは、サッカー経験者が自然とやってのけるリフティングを、素人がやると全然上手くいかないのと同じようなことで、それ故、彼は義手に魔術発動の補助機能を設けており、数値を口にすることで、予め入力されている魔術の術式を任意に出力する方式を採用していたのだ。
「――Blend into the fog」
言葉の意味を理解した義手が、アギリミノフの魔力を『霧』に変換する。
止め処なく噴き出す濃霧がドーム中を駆け巡り、とうとう何も見えなくなってしまう。
リーリンは首を左右に振りながら、声を張り上げた。
「クロトさん!近くにいますか!」
「声しか聞こえないですけど、多分います!」
「目に魔力を流せば、ある程度見えるはずです!」
数秒後、何者かの手がリーリンの背中に触れた。
「ひゃっ!」
「あ、すいません」
「クロトさん!? 驚かさないでくださいよ!槍で攻撃するところでした!」
「き、気を付けます……」
リーリンも眼球に朱色の光を灯す。
術式に何らかの防御策が取られているのだろう。
魔力で目の機能を強化しても、予想以上に視界が悪かった。
せいぜい、半径6~7メートルも見えれば御の字。
濃度が違うヵ所があるので、場所によっては手前しか見えない部分もある。
堪らず、リーリンは奥歯を噛みしめた。
「退路と視界を奪うためのバリアだったなんて。敵ながら見事な戦術です」
どこで聞いていたのか知らないが、アギリミノフの声が反響する。
「褒めてくれるなんて、恐縮だな~。どうだい? 僕の作った戦場は? まともに戦っていたら、勝ちの目が無さそうだからね。こういう手段を取らせてもらったよ。じゃ、楽しんでいこうか」
声が止むと、敵の気配も一緒に消えしまった。
「クロトさんは自衛に専念してください。あと、私からなるべく離れないように」
「了解」
そして――無音。
嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。
静寂の中にあるのは、吐き出される呼吸音のみ。
いつ襲われるのか。そのタイミングが全く読めない。
不安感がきりきりと胸の奥を裂き、募っていく――
直後に轟く銃声。発砲音は五回。そして、視界の隅で生じた大気の揺れ。
理性よりも本能的な動作で、リーリンは炎の防壁を築き上げた。
炎によって防がれた弾丸が、魔力の塵となって宙を舞う。
「後ろがガラ空きだよ?」
「っ!?」
アギリミノフの顔が、リーリンの視界にドアップで割り込む。
怯みそうになる身体を御し、彼女は即座に後ろ回し蹴りで応戦した。
キレの良い動きは風切り音を出し、彼女の踵がアギリミノフの顎に向かう。が、銃身で受け止められてしまい、逆にアギリミノフのカウンターキックを喰らう羽目になった。
横っ腹に叩き込まれる中段蹴り。鈍痛と共に肺から息が漏れる。
吹っ飛ばされたリーリンは、地面に叩きつけられそうになるが、辛うじて受け身を取った。
「テメーは真上ががら空きだな」
アギリミノフが顔を上げると、そこにはナイフに魔力を蓄えさせた勇者の姿が。
「ブーストゲイル!」
自重と落下運動。そして魔術による直線加速を合わせた黒斗のナイフ攻撃が、目にも止まらぬ速さで振り下ろされる。
しかし、頭をかち割る勢いの攻撃を、アギリミノフは寸での所でライフルの銃身で受け止めてみせた。
金属同士が激突する轟音が、二人の鼓膜を振動させ、脳髄まで響く。
「いいねえっ!さすが勇者だ!!技量の差を機転で埋めるなんて!実に素晴らしいぃぃぃ!!!」
「ベラベラ喋る野郎だな。その勢いで重要機密も漏らしてほしいぜ」
「アハハハハッー!中々にセンスのあるジョークだ!……そんなこと、するわけないだろおおお!!」
アギリミノフは一瞬の隙を付いて黒斗の溝内に蹴りを入れ、その反動を利用してバックジャンプを行う。さらに空中で、彼は銃に内蔵された立体型スコープを投影させると、右目の『機械眼』を通してスコープ内の情報を電脳と直結させた。
行動解析。反撃予測。命中率、及び減衰率。そこから導き出される最適手段――様々な情報が、電脳から指先にフィードバックされる。
『ターゲット ロック』の音声に合わせて、彼は引鉄を引いた。
黒斗は即座にブーストゲイルを発動して銃弾を避けたが、この濃霧の中では距離感が掴めず、また咄嗟のことで制御が間に合わなかったこともあり、無防備な状態で正面から建物の外壁に激突してしまった。
「がはっぁ!!」
全身を駆け巡る痛みの奔流。骨は数本、確実に逝っただろう。
頭部から滲む、生暖かい液体。
壁にめり込んだ自分の身体を引き剥がすと、ぽたぽたと、額から血が出ているのが分かった。
体の自由が鈍っている。痛みで神経がどうにかなりそうだ。
口に入った血を吐き出し、黒斗は改めて痛感する。
(くそ。認めたくねえけど、やっぱりオレじゃ敵わねえ)
「ほらほら。休憩している暇なんてないよ?」
「っ、しまった!」
「はい。ワンキルいただきました」
霧の中を切り裂いて現れたのは、紫紺の刃を義手に宿したマッドサイエンティスト。
喉を詰まらせ、目の前の狂気に身動き一つ取れない黒斗。
攻撃回避は間に合わない。
自分の死を覚悟した彼は、思いっきり奥歯を噛みしめ、そして目を瞑った。
「ぐあぁっ!!」
呻き声の後、誰かの髪が黒斗の頬に触れた。
この匂い。彼は知っている。
網膜に焼き付いたのは、絶望の二文字。
「リーリン、さん……」
科学者の義手から生えた紫紺の刃が、彼女の腹部から顔を覗かせていた。
項垂れていた彼女の頭部が、ゆっくりと起き上がる。
「自衛に、徹して下さい、って、言ったじゃないですか」
リーリンは少し困ったような顔をしながら、けれど優しく微笑んだ。
魔力供給が出来なくなったマグナ・ボルグは刃を失い、彼女の手から零れ落ちる。
喉元から押し寄せる嗚咽と共に、彼女は赤黒い人血を地面にぶちまけた。
(く、ろと、さん、にげ、て)
リーリンは声に出して言ったつもりだったが、失血が多すぎるせいか、意識がほとんど沈みかけている。
「あーらら。まさか彼女の横槍が入るとは、さすが
軽口で叩かれるアギリミノフの侮蔑。
黒斗は激昂に支配されそうになる自分の意識を何とか抑制し、ナイフの柄を握り直そうとする怒りを、ぐっ、と理性の馬鹿力で留めた。
(今、オレが怒り狂ったところで、あの人を救う手立てはない。それだけじゃない。仮に奴と戦闘したところで、敵いっこない。勝てるイメージが、全然湧いてこねえっ! くそっ!どうすりゃいいんだよ!)
自分だけ逃げることは、決して間違った選択肢じゃない。
むしろ、現状最も優先すべき判断だ。
(でも……)
〝逃げ切れるのか?〟
無理だ。不可能だ。殺される。
負の要素が圧倒的な重さを内包して、黒斗のメンタルを押し潰す。
「彼女を死なせるつもりはないから安心してくれ。言っただろ? 僕の器にするって。でさあ、僕の任務は君の抹殺なんだけどお……。せっかくだから、オモシロイ方法を採用しようと思うんだ!」
アギリミノフは懐から注射器のような物を取り出し、有無を言わさず彼女の首筋に突き刺した。
憤怒によって、黒斗の双眸が巨大化する。
「お前!彼女に何をする気だ!」
「おっと!妙な気は起こすなよ? 君が少しでも攻撃の意思を見せれば、僕は即座に彼女を殺す――イイネ?」
理性を振り払う寸前だった彼の怒りは、科学者の脅しで一蹴される。
悔しさと不甲斐なさが、濁流のように黒斗の感情を破壊していく。
〝弱者とは、圧倒的な暴力の前では、あまりにも無力すぎる〟
「この中にはねえ、僕が丹精込めて作り上げた『洗脳用の
狂笑の直後、首から針が抜かれる。
空になった容器は放り投げられ、霧の中に呑まれると、ガラスの砕け散った音だけが、虚しく響いた。
アギリミノフは腹部から刃を抜き取り、リーリンの血が噴き出す前に、傷を素早く手当てした。
完全に傷が塞がった彼女は、けれど人間の目をしていない。
そして、彼女の耳元に口を近づけ、悪魔が囁く。
「さあ。リーリン。あの男の子を殺すんだ」
「い、や。だ――はい。分かりマシ、た」
身体が小刻みに震えている。残されている自我が抵抗しているのだ。
ぎこちない動作で槍を掴み、彼女は魔力を流し込むよう操作された。
刃が形成されそうになるが、波のように揺れ続けているため、形状が固定されない。
「まあ、それでもいいよ。レッツゴー」
機械から送り出される命令が、リーリンの精神を破壊し、理性を略奪する。
「や、やめ、て。はい。殺します」
否定と共に引きずり出される朱色の魔力。
目尻に涙を蓄えたまま、リーリンは黒斗に槍を振るう。
ほとんど体力が残っていない黒斗は、倒れ込むように槍を避け、地面を転がりながら距離を取った。ふらつく足に踏ん張りを利かせ、何とか立ち上がる。
数メートル先には、槍を真っ直ぐに構えるリーリンがいた。首を横に振り続ける彼女の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっている。
(やべぇ……オレも、もう、体力が……)
ぼやけ始めた視界。迫り来る槍。
黒斗は、今度こそ自分の死を受け入れた。
「や、だ、いや、だ、ぁ…………。いやぁあああ!!!!」
◇
ドームの外にある建造物の屋上から、その傍観者は戦闘の行方を見守っていた。
霧で包まれているが、その傍観者は戦況を窺うことができた。
今の戦況は明らかに勇者側が劣勢だ。護衛役の娘が洗脳されてしまい、あの科学者の操り人形になっているではないか。
「我が行くしかないか」
基本的には手を出すなと言われていたが、傍観者は緊急時における独断を行使し、意を決して飛んだ。
淡い発色を見せる、透き通った薄花色。
それは、傍観者が纏うオーラの色だった。
流れ星のような軌跡を描き、傍観者はドームに体当たりをして、それを突き破った。
「や、だ、いや、だ、ぁ…………。いやぁあああ!!!!」
傍観者が、くるり、と一回転して地面に着地する。
「やれやれ。突入早々、小娘の世話か」
降り立った『白き魔獣』は、開口一番愚痴をこぼす。
「少々手荒だが、許せ」
魔獣は目を大きく見開き、次の瞬間、大気を揺るがすほどの魔力を解き放った。
巻き上がる突風により、リーリンの足は止まり、逆に吹き飛ばされてしまった。
受け身が取れず、彼女はそのまま地面に落下する。
破られたバリアの穴から煙が続々と流出していき、白く塗り潰された世界は、元の色を取り戻した。
霞の中から現れたのは、美しい薄花色の光に包まれた一匹の魔獣。
汚れを知らない毛並みと、螺旋を描きながら舞う粉雪。
その姿は、さながら白狐のようで、どこか触れ難い気品さえ持ち合わせていた。
「我の名は【シルバ】。主の命に従い、この戦闘に介入させてもらう」
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