5話 - Ⅲ

 首から上を失ったゼイラの体。

 断面箇所がブラックホールのようにさえ思え、黒斗の意識を引きずり込もうとする。

 首元から流れる血が川を作り、彼の足元まで及ぶ。

 どこか心に巣くう澱みを払うかのように、彼はその場から動いた。

 気を紛らわすために、周囲の警戒を行う。


「追手は、来ませんね」

「はい。でも、少し気がかりなことがあります」

「え?」

「この魔獣たちです。どうも腑に落ちない点が多くて――」


「――隠れていた魔獣が意表を突いて攻撃を仕掛けてくる、なんてことは意外とよくあるんです。ですがこの魔獣たちは、明らかに私よりもクロトさんの方を優先的に襲おうとしていた。そんなの普通だったらあり得ません。……可能性があるとすれば――」


 リーリンは喋りながらゼイラの頭部に近づき、その場でしゃがみ込んだ。

 彼女は切断面に目を落とし、何やら探しているようだった。

 すると、彼女は実際に手を突っ込んで、〝ぐちょぐちょ〟と音を立てる肉を掻き分けながら、機械のような物を取り出した。


「やっぱり。この魔獣たちは洗脳されていたようです」

「洗脳?」

「見てください」


 リーリンの持つ物体に、黒斗は視線を移した。

 採取された物体は、形や大きさが野球ボールと同程度で、心臓のように鼓動を刻んでいる。


「これは、埋め込み型の魔力兵器の一種です。型から察するに、脳波を操って強引に魔力を増幅させるタイプでしょう。このタイプは使用者から送られた電波を受け取って、それを他の魔獣に分配する中継機としての役割もあるので、ゼイラが倒されたことで電波の送受信ができなくなったと考えれば、追手が急に来なくなったことにも説明がつきます」


「コイツの魔力が急に跳ね上がったのは、そのせいか」

「クロトさんを始末するために、使用者が洗脳波を強めたのでしょう。おそらく敵は、勇者暗殺用に送り込まれたゴーストの刺客です」


 リーリンは手をぎゅっと握り締め、魔力の炎で埋め込み型を包み込むと、それを一瞬で気化させた。


「さっそくオレ勇者を殺しに来たってか。人気者は辛いぜ――」


 ――その時、黒斗の背中に悪寒が奔った。

 ほとんど条件反射に近い動きで、彼は振り返る。


(誰もいない? 気のせいか?)


「そうさ。君は人気者なんだ。良くも悪くもね」


 男の声が、どこからともなく響き渡る。

 突如、ガッレリアの天井部分に張られているガラスが一斉に割れた。

 破片は刃となって、黒斗たちの頭上に降りかかる。


「っ!?」


 彼らは慌てて駆け出すが、そんな彼らを逃がすまいと、ガラスの雨が追撃を仕掛けてきた。

 前進を余儀なくされた黒斗たちは、そのままガッレリアの中央広場まで駆け抜ける。

 同じ手を喰らいたくないので、黒斗はすぐさま天井に目を動かした。

 ドーム状に作られたガラスの屋根は、まだ無事のようだ。


 改めて周囲を確認する。

 かなり広い空間だ。四方を囲む建物はどれも形が似ており、方向感覚が狂いそうになる。

 ――と、その時だ。広場の全方位に強力な魔力が漂い始め、向かい合う建物の間に電流が生じると、それらのエネルギーはドーム状のバリアとなって展開された。


 今頃になって、二人は気付く。

 あのガラス攻撃は、自分たちをここに誘導するための罠だったのだ、と。

 だがもう遅い。敵の術中に嵌ってしまった彼らは見事に退路を塞がれ、文字通り袋の鼠となっているのだから。


「勇者様御一行。いらっしゃーい」


 その声は、黒斗が先ほど耳にしたものと同質だった。

 広場の中央には鳥の形を模したオブジェクトが置かれており、その裏から声の主が現れる。


 現れた人物は男性で、見た目は二十代後半。

 身長は175くらい。リーリンと大して変わらないだろう。

 紫色の髪が毒々しく、猫目は邪悪に微笑んでいる。

 特徴的なのは左腕で、丸ごと機械化されているのが一目瞭然。

 肩に携えられた狙撃銃は無骨で機能美を追求したシルエットを有している。

 リボルバーが備え付けられているため、レバーアクション式のライフルが誕生する前に活躍していた、リボルビングライフルという種類の小銃だと思われる。


「やあ。初めまして。と言うべきかな?」

「なに?どういうことだ?」

「あー。勇者クン。君とは間違いなく初対面だ。心配しなくていいよ。うん」

「は?」


 言葉の意味が理解できず、黒斗はリーリンの方を横目でチラリと確認してみた。

 思わず、彼は眼を見開いてしまった。

 彼女の表情が、有り得ないくらい驚愕に染まっていたからだ。


「そんな……どうして……どういうこと……」

「はははー。そうだよね。うんうん」


「ティルノーグさん、ですよね? なんで貴方が……今はノストハックムにいるはずでは?――そもそも、ラウフ・アークトの諜報員である貴方が、なぜ勇者を殺そうとするのですか!」


「ふっ、ふふふふふふ。くっはははははぁあああ!」

「何が可笑しいんです!」

「いや、なに。人は見た目で判断する生き物だなーって思っただけさ」

「……え?」

「やっぱりはあれは偽名か。そうか、そうか。彼、本名はティルノーグって言うのか」


 その男は、機械化された鉄の指で、自身の頬を撫でた。


「ちょっと待ってください。どういうことです? 貴方は、ティルノーグさんじゃ」


 男は、口元を三日月に変えた。


「僕の名前は【アギリミノフ・スヴェンルフスキー】。別名『人形技師』とも言われている科学者・・・さ。この体はね。たまたま、偶然、僕の目の前を通りかかった彼を見て、良い素材だなーって思ったから捕まえたんだ。で、まず魂を抜き取ってね、空になった器に僕の意識を転送させたってわけよ。前の人形が大分ボロだったからさあ。そろそろ交換時期でもあったんだー。

 あ!ちなみにさー、もう一人女の子もいたでしょ? 彼女には試作品の実験に付き合ってもらったんだけど、充実した研究データが採取できたから、もう本当に感謝感激! ……死んじゃったけどね。できればさ、またスパイ送ってくれないかな? 無理か? アハハ!」


 狂気じみた笑い声。

 アギリミノフは、惚れ惚れするように自分の肌を触り出した。


「いやはやぁ、それにしても。魔操者の体ってのはいいもんだねえ。魔力を扱えない僕でも、魔術が使えるんだからさ。……あー、でもさー。欲を言えば、魔導士の方が良かったよねー。だってさあやっぱり――」



「黙れ」



 短く、そして低く抑えられたリーリンの声には、場を凍り付かせるほどの殺気が込められていた。

 彼女は颯爽とコートを翻し、右腕を突き出した。

 真紅の魔力が彼女を包み、足元には魔法陣が浮かび上がる。

 小さく動く口元。

 囁かれる言葉は、【魔法】を構築する――



〝Wer Pech angreift, besudelt sich〟

――朱に交われば赤くなる。


〝Keine Rose ohne Dornen〟

――棘のないバラはない。喜びあるところまた悲しみあり。


〝Eine Schwalbe macht noch keinen Sommer〟

――何かを本当だと証明するには、多くの証拠が必要なんだ。


 彼女の右掌の先に、もう一つの魔法陣が現れる。


「Die Schaffung einer Waffe――――Magna Bolg!」


 彼女の声に呼応するかのように、正面の魔法陣が左右に割れる。

 開かれた門から現れるのは、一本の杖。

 先端が『ジェズル』、末端が『パストラルスタッフ』と酷似している、その不思議な形状を有する『槍』を、リーリンは勢いよく掴み取った。

 燃え盛る炎のように彼女の周囲を取り巻く魔力がジェズルに吸い込まれ、真紅の刃が形成される。


 これこそが、リーリン・ストレイ・エンドニアを魔導士へと到達させた魔法。

『Die Schaffung einer Waffe』――即ち、【武器創造】である。


 リーリンは朱色のオーラを身に纏い、静かに槍を構えた。


「貴方は人形技師などではない。人間の身体に巣くう、ただの寄生虫です」



     ◇



「戦闘が始まってしまったぞ。どうするのだ?」

「うーん。どうしよっか?」

「…………。我はそれを聞いているのだ」

「冗談だって。もう少し様子を見よう」

「分かった。ならば、我もそれに従おう」

「ああ。頼んだよ。それにしても、相手が『アギー』とはね」

「知り合いか?」

「まあ、顔見知り程度だけど。アイツ、まだ不老不死の研究諦めてなかったのか――おっと、あまり人のこと言えないよな」

「望んでそうなったわけではあるまい。主は自分を責めすぎる癖がある」

「あはは。ごめんよ」

「――あれが『今回の勇者』か」

「らしいね」

「……。万が一に備えておこう。我は戦況を把握しやすい場所に移動する」

「そうだね。じゃあ、僕は『研究所』で待機してるから」



     ◇



 一瞬の静寂の後、アギリミノフの顔から笑顔が消えた。


「あ? 僕が、虫?」


 虫呼ばわりされたことが、よほど気に障ったのだろう。

 その目は常軌を逸しており、怒りを超越した感情を露わにしている。


「僕が、虫? いや違う。――僕は科学者だ。人の神秘を探る研究者だあああっ!」


 刹那、紫色のポイズンオーラが間欠泉のように体外放出された。

 マッドサイエンティストから滾々と放たれる殺気が、リーリンの肌に緊張感を与える。


「決めたよ。次の素材は君だ」

「その必要はありません。害虫が寄り付かないように、いつも火炎滅菌をしているので」

「調子に乗るなよ、クソ魔導士? 僕をあまり怒らせない方が身のためだぞ?」


 彼は右手で保持していたライフルを忍者刀のように収納すると、義手に魔力を流し込んでマナの剣腕を生成した。

 次の瞬間、彼は人間の脚力とは思えない瞬発力を発揮し、僅か数歩でリーリンとの間合いを零に変えた。


「クロトさん!下がって!」

「おらぁあ!!」

「ぐっ!」


 上段から振り下ろされる剣戟を、リーリンは愛槍【マグナ・ボルグ】で受け止める。

 衝撃によって地面はめり込み、二人の魔力が干渉することで、周囲に電流が奔る。


「どうしたぁ!どうしたぁ!君は魔導士なんだろう!?」

「っ!なめるなっ!」


 リーリンは魔術を使って、自身の踵を僅かに爆破させると、その勢いを利用してマッドサイエンティストを押し返した。


「ちっ」


 アギリミノフは姿勢を崩され、後退を余儀なくされる。

 相手に余裕を与えないために、間髪入れずにリーリンは攻撃を繰り出す。


 槍術は突き動作と引く動作の連携を、如何に素早く連動させるかが肝心となっており、達人にもなれば、三十秒間で百回の突きが可能だと言うが、リーリンの打ち出す技の速度は、最早達人ではなく超人の域に達している。


 しかし、攻撃側もさることながら、防御側も異常な反射神経を見せつけている。

 リーリンの乱れ突きを、アギリミノフは身体の捻りと回転動作を加えた動きで全て避け切り、隙あらば反撃に転じているのだ。


 曲芸師のような体捌きでアギリミノフが蹴りを入れると、リーリンはその勢いを利用して投げ技に発展、アギリミノフは即座に受け身を取って態勢を立て直す。

 余裕を与えまいと、リーリンは槍を上段構えに変えて、さらなる追い打ちを仕掛けようとする。――その時だ。ほんの一瞬だけ、アギリミノフの構えに防御の匂いが漂った。


 ここに来て、リーリンの戦闘経験が科学者の一歩先を行く。

 敵の動きを見切った彼女は、槍を地面に突き刺し、棒高跳びの要領で自分の体を宙に押し上げた。


「なにっ!?」

「来い!マグナ・ボルグ!」


 地面に突き刺さったままの槍がリーリンの声に呼応する。

 槍は光の粒子に変換され、次の瞬間、彼女の手中で再び具現化した。

 そして彼女は、そのまま腕を引いて身体を大きく捻った。同時に、前方に円筒形の魔法陣を展開させた。


 朱色の魔力は電気エネルギーに変わり、槍全体を覆っていき――


「レリアス・メテオ!」


 言い終えるのと同時に、リーリンは渾身の力を込めてマグナ・ボルグを放った。

 電磁誘導機能を有した魔法陣の中を槍が通過する。直後、それは超加速を伴った弾丸と化した。



 ――戦後から始まった魔操者と科学者の情報共有によって誕生した魔術を【現代魔術】と呼ぶ。

 この【電磁加速砲レリアス・メテオ】もその中の一つであり、『電磁誘導』に関する数式等を、魔術構造たる【術式】の中に組み込むことで、『レールガン』を魔術で再現したというわけだ。ちなみに、魔法構造のことは【法式】と言う――



「くそったれが……!!」


 アギリミノフは歯を食いしばった。

 最早、回避する余裕はない。

 この状況を打破する策も思いつかない。というより、考える暇がない。

 だが……


『緊急時における自動挙動システムを作動します』


 コンピューター音声がアギリミノフの脳内で木霊すると、彼の意識は一時的に失われた。

 ただの肉塊となった彼は、しかし次の瞬間、超速で回避運動に入った。

 義手に備え付けられたエネルギシールドが展開されると、レリアス・メテオが衝突するタイミングに合わせてシールドの面を少し傾け、さらにほぼ同時にバックステップを繰り出すことで、リーリンの一撃必殺を完全に相殺してしまったのだった。


「そんな、馬鹿な!?」


 宙を舞っていたリーリンは、唖然としながら地面に着地する。


『危機回避完了。自動挙動システムを終了します』


 無機質だったアギリミノフの瞳に、邪悪な魂が再燃する。


「いやー。試作品だからちょっと不安だったけど、何とか上手く機能してくれたよ。僕のココ」

 

 言いながら、アギリミノフは自分の頭を、右手人差し指でつついた。


「生身の脳みそなんて時代遅れだからね。機械化して効率化を図ってみたんだ。いわゆる【電脳】ってやつ? あ、科学者じゃないから知らないか。まあ、別にいんだけどね。ヒャハハハハハーッ!」

 

 人間の脳を機械で再現、もしくは脳の一部を機械化することを【電脳化】と言うらしい。

 機械保守勢力圏で生まれた技術なので、リーリンも詳しいことは知らないが、元々は身体が不自由な人のために開発された『医療機器』だったと言われている。


 リーリンは、目の前の狂気に呆然となるわけでもなく。激昂するわけでもなく。

 ただただ、人間の持つ探求心に恐怖し、言葉を失うだけだった。


「貴方は……狂ってる……!」

「いや。僕は正常だよ。価値観が少し違うだけさ――あ、異常と言えば僕の左腕だよ。君の攻撃デタラメすぎ。損傷率60%オーバー。これじゃ、もうシールド出せないよ」


 残念そうに息を吐きながら、アギリミノフはやれやれと首を振る。

 義手を入念にチェックしながら、彼は手をグーパーさせた。


「動かすだけなら問題ないみたいだね。うん。大丈夫そうだ」


 アギリミノフは背中に収めていたライフルを義手で握った。

 猫目に宿る無邪気な悪意が、勇者と魔導士に放たれる。

 リーリンは警戒態勢に入り、マグナ・ボルグを再び実体化させた。

 

「さてさて。さっきはついつい頭に来て暴走しちゃったけど、ここからは真面目に殺らせてもらうよ」


 アギリミノフのポイズンオーラが右手の五指に集められ、それらが凝縮されていく。

 紫は徐々に濃くなり、ほとんど黒に近くなる。

 形状を固定化するための膜が薄く張られると、魔力純度100%のライフル弾が出来上がった。

 ライフルは中折式で、彼は慣れた手つきで装填を済ませていく。


 傍目には隙だらけに見える挙動だが、実際のところ相対している両社の間には常に緊張感が奔っており、得体の知れないアギリミノフが次に何をしでかすか分からない以上、黒斗だけは絶対死守せねばならない使命感と責任感を持つリーリンは、動きたくても動けない格好になっていた。


 緊張のゆらぎに変化が生じ、ラッチ留め具の連結音が、ガッレリアの広場に反響した。


「それじゃあ、第二ラウンドの開始といこうか」

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